ep.11-3 Kyoko
「ただいまぁ、春翔」
「お姉ちゃん!おかえり!」
2日ぶりに家の戸を開けると、いつもと変わらない調子の弟が出迎えた。寂しさと嬉しさが表情に滲んでいる。
「昨日はごめんね、バイトが忙しくって」
「ううん!気にしないでよ」
弟の声が狭い部屋の中で跳ねる。少し無理をしているような気がした。
「僕もお姉ちゃんのためならなんでもする!」
「ふふっ。頼もしいね、春翔は。でも大丈夫だよ」
――いつのまにか、大きくなったなあ。
そんなことを思った。私と同じで、きっと春翔も無理して生きてきたんだろう。
私はふと仏壇に目線を送った。写真の父さんと母さんは、いつだってニコニコ笑みを浮かべている。
私たちの両親は、いたって普通の人間だった。2人とも東京都心の出版会社で働き、ひょんなことから社内結婚すると、そのまま私たちを産んだ。
給料も普通、生活も普通。どこにでもいそうで、実はいなさそうな、絵に描いたような平均的な家庭だった。会社から東京タワーがよく見えるということで、よくタワーに連れていってもらっていた。
そんな両親が亡くなったのは、私が小学6年、春翔が1年だった頃、まだ徐々に暑さが増してきた5月のことだ。
いつも通り学校から帰宅し、家で2人して春翔の好きなアニメを観ていた。少し子供っぽかったけど、春翔が楽しそうに観ていたから私も付き合っていた。
電話が鳴ったのは、確かその時だったと思う。私のスマホに見慣れない番号が表示されていた。取ると、警察からの電話だった。
父さんと母さんが車の爆発事故に巻き込まれて亡くなった。即死だったという。
私は泣いた。スマホを耳にあてながら、わんわん泣いた。涙がズボンを濡らし、床をびしょ濡れにした。春翔がその涙の意味を知ったのは、その3日後だったという。
「ねえ、春翔」
「うん?なに?」
「一緒に、手合わせない?」
私の提案に、弟は困惑顔をした。小さな眉がほんの少しだけ下がる。
「ちょっとね……お父さんとお母さんに報告したくて」
仏壇の前に正座する。木目の床の冷たさが膝に染み込む。返事はなかったが、弟も隣で正座していた。
「父さん、母さん」
手をそっと合わせる。心の中に、笑顔の2人が浮かんだ。
――私、戦ってるよ。立派に、生きてるよ。
守りたいものができたこと。迷って、泣いて、それでも前に進もうとしていること。全部、ちゃんと見ていてほしかった。
「私たちを育ててくれて、ありがとう」
そう祈った時、視界が大きく開けた。
瞑っている目の中に、光が広がる。
――えっ!?
気づくと、私はなにかの上に座っていた。少し硬めのクッション、茶色の背もたれ、手前に広がる操縦レバー。
ここは。
「白龍の……コックピット?」
そうとしか思えなかった。どういうわけかはわからないけど、私の意識はコックピットの中にあった。
私は胸に手を当てた。勾玉が首からぶら下げられている。
「あれ、いつのまに勾玉を……」
すると、目の前にある光景が映し出された。
車の中。それも、妙に懐かしい車の。
その正体はすぐにわかった。
「これ、お父さんの車……」
覚えてる。お父さんの紺のワンボックスカー。その車内。
車窓に目を移す。ビルの灯りが窓の外を流れている。
その中に、標識があった。
甲州街道。事故のあった通り。
――ともすれば、これは……。
「事故の、記憶……?」
おかしい。私は首を振った。ありえない。だって、私はその場にいなかったのに。知ってるはずがないのに。
『杏子の誕生日プレゼント、なににしようか』
『そうね……なにがいいかしらね』
「……!!」
私は言葉を失った。声の主は、父さんと母さんだった。
『杏子のことですし、新しいゲーム機とかかしらね……』
『でも杏子、最近は春翔の面倒ばっかり見てるだろ?自分のことは後回しにしがちだしな』
街頭に照らされ、運転席に父の横顔の輪郭が見えた。助手席の母がすかさず返す。
『なら、家族旅行とかはどう?最近はどこにも行けてないじゃない』
『旅行か……それはいいアイデアだな』
私の胸が急に締め付けられる。
――やめて。
私は叫ぼうとした。だけど、声が全く出ない。シートベルトが腰を縛るように、なにかが私を押さえ込もうとしているようだった。
『杏子はなんでも自分で抱え込むからな。そろそろ……』
父がそこで言葉を切った。少しだけ前方に目を細める。
『……?』
母も、窓の外を覗き込む。次の瞬間。
夕暮れの空から、黒い"何か"が降ってきた。
それは次第に膨れ上がった。私たちに向かうように。
――だめ。
叫ぼうとした、だが声が出ない。
――だめ!
何度繰り返しても同じだった。
――だめ!!
それは、テレビ越しにアニメを観ているような感覚だった。
そして、その時は訪れた。
『危ない!』
車は急ハンドルをきったが、それを避けることはできなかった。
衝撃、そして爆発。
眩い光が車内を包み込み、炎が視界を覆い尽くす。
「やめて!!……やめてよ!!!!」
ようやっと言葉が出た時には、既に遅かった。
私は目を閉じた。あの瞬間の続きを見る覚悟がなかった。
けれども、耳は否応なしに続きを叩きつけた。
『きょう……こ……は……ると……』
母の言葉が途切れ途切れに聞こえる。
『しあわ……せに……なって……ね……』
「お母さん!!!!」
それが、最後だった。
音が消え、光が消えた。目を開けると、私は仏壇の前にいた。
「お姉ちゃん……?」
弟の声がする。私を呼ぶ声。
「涙……こぼれてる……」
「……え?」
私は視線を膝に落とした。静かな涙がそっと流れていた。
――なんで。
私はポケットの中から勾玉を取り出した。案の定、淡く光っている。
――どうして。
――こんなものを私に見せたの……?




