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ep.9-1 Days

 整備区画のさらに奥まった場所、複雑な足場の骨組みが幾重にも建てられた場所に、"それ"はあった。


 地面に大きく横たわっているそれは、まるでガリバーの巨人を彷彿とさせるものであった。


「すっご……」


 私はその姿を前に、感嘆を漏らした。工事現場用のヘルメットにも違和感がなくなってきた。


「杏子ちゃんは初めてだもんね」

「ユズは見たことあるの?」

「わたしは真鶴も白龍も見たことあるからね」


 優月が得意げに語る。確かに、優月なら2機とも組み立て現場を見ててもおかしくはない。


「そういえば、ふたりとも機体の内部構造とかは知らないんだよね?」


 私たちを先導する渡辺さんが探るように言う。


「はい、勉強したいとは思ってるんですが、なかなか時間がなくて……」

「まあ仕方ないね。正直、iARTSのスタッフでも全部を理解できる人なんてそうそういないし」


 渡辺さんが肩をすくめた。どこか諦めにも似た感情を感じる。


「でも、知ってほしいことはあるよ。これ見て」


 渡辺さんはそう言うと、腕部パーツの断面から伸びる配線の数々を指差した。緑、青、赤。様々な色が無機質を彩る。


「これ、ですか?」

「そう。白龍も真鶴もだけど、ドールユニットを1体動かすにも、膨大な労力と人々の想いみたいなのがあるわけ」

「想い?」

「まあ、この世界を守りたいとか、そういう安直な願いよ」


 渡辺さんが軽く笑みを浮かべた。


「だけど、それは切実な願いでもある。杏子っちにはそれを知ってほしい。あなたはひとりで戦ってるわけじゃないってね」

「ひとりで……」


 私の心になにか重苦しいものがのしかかった気がした。これほどの精密機械にもなれば、渡辺さんの話も不思議ではない。


 ――だけど。私は組み立て中の腕の方を見上げた。


「想い、かあ……」


 もしかしたら、白龍や真鶴、それに新しい機体を組み立てる人の中には、家族を襲撃で亡くした人もいるかもしれない。


 ――私は、その想いを受け止められるだろうか?


「あっそうだ、これ渡してなかった」


 渡辺さんが手をポンと叩き合わせた。「ちょいまち」とポケットから封筒のような物を取り出す。かなり分厚い。


「はいこれ」

「なんですか?」

「なにって、1ヶ月分の給料。こっちが杏子っちで、これはユズっち」


 私は渡辺さんが手渡した封筒を、勢いのまま受け取った。ズシリとしたしっかりめな重さが両手に伝わる。


「いやねえ?杏子っちももうiARTSの正式なスタッフだし、そもそももう何回も戦ってもらってるわけじゃん?だから、こういうのはしっかりと受け取る権利があるのよ」

「でも私はまだ成人もしてないのに……」

「いいのいいの、受け取って」


 私は視線を手元の封筒に下ろした。封筒を開け、中身を見る。全て1万円札で構成されている。


「1、2、3、4……」

「ああ、それね。全部で70万円」

「な、ななじゅう!?」


 私の声が思わず裏返る。70万円といえば、家賃1年分にも届きそうな額だ。


「でも、そんなの受け取っていいんですか?」

「当たり前でしょ?杏子っちはこれまでも命張ってるんだから。むしろその額安いよね、あと5倍ぐらいあってもいいと思うんだけど」


 渡辺さんはムスッとわざとらしい不満顔をしてみせた。


「だからさ、せめてその金でいい物買っていい物食べないと。それが学生でしょ?」

「そそ、それが学生だよ」


 優月がうんうんと大きく頷きながら同意する。


「使い道に困ったら、貯金でもすればいいし」

「まあ、困ったら私に聞きなよ。杏子っちにも教えてあげるから」

 

 渡辺さんが左手首の袖を捲り、腕時計を見た。


「ありゃ、もうこんな時間か。今日はもう帰んな」

「いいんですか?」

「いいよいいよ、今日はクリスマスイブだろ?その金でケーキでも買ってきな」


 渡辺さんは、組み立て途中の巨人へと振り返った。目線がいつになく鋭くなる。


「余裕ができたら、またここに来な。その頃には、こいつも立ってるかもね。もしかしたら、名前も決まってるかも」

「……立ってる」


 私も横たわっている巨躯を見つめた。この鋼鉄の体が立つことも、本当は奇跡に近い出来事なのだと、私は初めて知った。




「ただいまー」

「おかえり!お姉ちゃん」


 クリスマスイブというのにまったくお祝いムードのない街を潜り抜け、家に帰ってきた私を弟が寝そべりながら出迎えた。スマホゲームを途中でやめ、顔だけが手元の箱を向いている。


「それなに?」

「これね、ケーキ。クリスマスイブだから」


 ケーキの一言を発した瞬間、弟の目つきが明らかに変わった。


「ケーキ!?食べたい!」

「手洗ってからね」


 私は手を洗い、机上に置いた箱からケーキを取り出した。直径10cmほどのホール状のチョコレートケーキだ。


 ケーキを皿に切り分けている途中、弟から至極当然の疑問が飛んできた。


「お金、大丈夫なの?」

「うん?まあバイト頑張ったからね」

「そうなんだ」


 ――弟はiARTSと白龍のことを勘付いているのだろうか?


 いやいや、そんなわけ。私は心の中で首を振った。


「春翔、お正月は初詣に行かない?」

「いいけど、急にどうしたの?」

「いやなんか、来年は平穏に暮らしたいなあって」


 弟の「ふうん」という言葉が部屋に溶け込む。


 いただきます、と共に食したケーキは、今年の疲れを癒すかのように甘かった。

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