ep.7-3 Ragul
聖歴1400年・エルハ王国
「ラグール様、これを」
「ありがとうございます」
僕は部下からコーヒーを受け取った。会議が長引いたせいか、生ぬるい温度が手に伝わる。
「それにしても、よろしいんでしょうか」
「なにがですか?」
「いくら司令官が不足しているとはいえ、軍師が司令官に転向するなど……前線で命を落とすのかもしれないのに」
「いえいえ、戦況がここまで悪化したのは僕の力不足でもあります。僕にはその責任を取る義務がある」
――責任。その2文字を僕はグッと噛み締めた。
大陸を2分割する戦争が始まってからもう間も無く1年が経とうとしている。敵国・コルテーグ王国の勢いは止まるところを知らず、日々我が領土は蝕まれていた。
突如始まった戦争は、元々軍備不足が指摘されていた我が国において深刻な兵士不足を引き起こした。特に司令官不足は深刻で、開戦と同時にいくつもの前線が機能不全を起こした。
だからこそ、こうして司令官経験のある僕まで駆り出された、というわけだ。
「ところで、東部方面軍はどうなっている?」
「は。アリア様の軍はクル河で敵部隊と交戦中。やや劣勢です」
「ふむ……では、この山まで撤退。部隊を立て直させろ」
「は!」
半分廃墟と化した建物の一室で、僕は椅子を軽く引き座り直した。
――やはり、敵軍の狙いは……。
「あれか」
――あの、巨大な魔物。機動神。
僕の脳裏に、エレーナ姫の言葉が蘇る。
「いざとなったら、機動神で戦わないといけない、か……」
そうなったら、姫は……。
僕は頭を激しく振った。
「そんなことは……」
――させない。そう言おうとした、まさにその時だった。
ドォンという激しい音と共に、部屋中が大きく揺れた。机上の地図や、ランプが床に落ち、窓硝子が砕け散る。
「なんだ!?」
僕は乱れた服装のまま、建物を飛び出した。兵士が皆、同じ方向に顔を向けている。
僕の目がその視線の先を見たとき、ありとあらゆる常識が崩れた気がした。
そこにあったもの。それは。
黒い、鋼鉄の魔物であった。
「あ……あれが」
僕の口が言葉を途絶えさせる。
「機動神……」
晴天の空から何本もの稲妻が地上に降り注ぎ、そのすべてが鋼鉄の巨躯へと吸い込まれていく。何kmも遠くにいるのにも関わらず、巨体が遠近感を狂わせる。
その姿は、まさに神としか形容できないものであった。
機動神は、ゆっくりと頭部を持ち上げた。兜を思わせる顔面部、その奥で二つの光点が灯る。
まるで“こちらを見た”かのように。
「こっちを狙ってるぞ!」
誰かが叫び、場の緊張感が一気に高まる。見ると、機動神は右腕に持っている"なにか"を仰々しく上げていた。銃に似た、なにかを。
その銃から光のようなものが発された。ピンクのような、眩い光。
その光は間髪を置かずに放たれ。僕たちの真上を通り抜け。
背後の山を、貫通した。
「なっ……!」
山は橙色の火に包まれ、溶け出した。燃えるのではなく、"溶解"したのだ。
「あれが、神の力……!」
この場にいる全てが、言葉を失った。逃げ出すことすらせず、機動神をただ見つめている。
「あれが、直撃していたら……」
誰かが言ったその一言で、皆が事態の深刻さをようやっと理解した。
――死ぬ。その2文字が、驚くほど現実味を帯びる。
ひとり、またひとりと兵士が持ち場から逃げ出した。叫ぶ声すら上げず、ただ静かに後退りしている。
「待て!持ち場を……」
しかし、それを止める言葉を僕は持ち合わせていなかった。
――正しい。彼らの行動は、圧倒的に正しい。
もはや、あれは兵器ではない。
戦術でも、戦略でもない。
災厄だ。
我々がここにいる意味など、消し飛んでしまうほどの、災厄。
――それでも。
「狼狽えるな!ここを捨てれば、奴らは王都へ侵略する!そうなれば、エルハは死んだも同然だ!」
それは、命令、と言うにはあまりにも頼りない言葉だった。
数人の勇敢な兵士が足を止めた。それでも、あの魔物を止めるには到底足りない。
「司令官……」
「分かっている」
無謀な戦いだった。どうやって、災厄に勝てと言うのだろうか。
――終わりだ。僕の中に残っていた微かな勇気すら折れそうになった。
その瞬間。
再び、稲光が天地を揺るがした。轟音が響き渡り、地面が揺れる。
「今度はなんだ!?」
僕は最後の言葉を振り絞った。
これで僕たちは死ぬんだ。短い人生だった。
だが、雷の中から現れた"それ"を見たとき、自分の中に希望と、
絶望が生まれた。
その雷の中に生まれたもの。それは、黒い魔物と対を成す、
白い、機動神だった。




