ep.7-1 Ragul
聖歴1385年・エルハ王国
「ラグール!またエレーナ様と遊ぶのかい?」
レンガ造りの小さな家。そのキッチンで夕飯の支度をしている母が、いつものように僕を呼ぶ。
「うん!ちょっとだけね」
「勉強もやらなきゃだめよ?軍師になるんでしょ?」
「帰ってからでも間に合うよ、じゃいってきまーす!」
痛いところを突かれ、僕は逃げ出すように自室を飛び出した。我が家はその狭い敷地に雑貨店の店舗も構えており、今日も常連客がたむろしていた。
「おや?坊や、またお出かけかい?」
「うん!そこの草原まで行ってくる!」
家を出た僕の足取りはとても軽快だった。紫色の短髪が爽やかに風に揺らぎ、薄茶色のチュニックが心地いい。
僕は嬉しさを隠そうともせずに走った。大通りは、流石城下町ということもあり、商いや休息を取る人で溢れている。みんな、僕の知っている人ばかりだ。
やがて、僕はこの街でいちばんの噴水のもとにたどり着いた。水が勢いよく跳ね、虹ができている。
「あれ?まだ来てないな……」
僕は目を凝らして人を探した。お目当ての人物はまだ見えていない。
チュニックのポケットに手を突っ込む。中には、ちょっとしたクッキーが入っている。
――エレーナにも食べてほしいな……。
そう思ったとき、遠くから馬の一団が蹄音を鳴らしながらこちらに向かってくるのが視界に映った。
「来た!」
僕は手を一生懸命振った。軽くジャンプもしている。
「エレーナ!ここだよ!」
馬に乗った茶髪のショートヘアを携えた女の子――エレーナが照れ気味に笑う。風に揺れる紅色のドレスがあまりにも美しい。
「ラグール!こんにちは!」
エレーナは貴族らしからぬラフな挨拶をした。庶民にも平等に接するのが、彼女のいいところだ。
やがて馬列はゆっくりと止まり、護衛の兵が慣れた様子で周囲を警戒した。だが、彼女はそのような様子を気にも留めず、馬から降りると僕の手をギュッと握った。柔らかい温度がする。
「ごめんね、ちょっと話があって!」
「ううん、気にしてないよ!」
「ふふ、ありがと!じゃあいきましょ!」
屈託のない笑顔、朗らかな声、そして、陽だまりのように周囲を和ませる、その存在そのもの。
彼女を構成するものすべてが、彼女という存在の特別さを際立たせていた。
城下町近くの草原は、街の喧騒が嘘のように静まり返っていた。心地よい風が草を撫で、太陽が温かく見守っている。
遠くには巨大な白い城、エルハ城が建っている。荘厳でありながらも、民をいつでも見守る優しさも持ち合わせている城。
「冷たっ!」
馬から降りた僕の足を土の温度が刺激する。季節が夏に近づいているとはいえ、まだ冷たさが残っている。それを見て、エレーナが微笑した。
「これぐらい慣れないとね?」
「うう……」
エレーナの言う通りだった。きっと、軍師になったらこれ以上に厳しいことが待ち受けているのだろう。
「でも、ラグールの弱いところ、見れてよかった」
「え?」
「だって、ラグール、完璧なんだもん。非の打ち所がないくらい」
「そ、そんなことないよ」
僕は両手をオーバー気味に振ってみせた。
「僕だって苦手なものはあるよ」
「たとえば?」
「ぶ……ブロッコリーとか……」
今度はエレーナが派手に笑う。
「ふふっ、ラグールらしいわ」
エレーナは城の方に向かって草原を駆け出した。ドレスが揺れ、陽の光を弾く。
「待ってよ!」
僕は慌てて後を追い、柔らかな草を蹴って走った。僕と彼女では僕の方が足は速いはずなのに、エレーナはどんどん前に行った。
「女子に負けるようじゃまだまだよ?」
エレーナは走り切って、くるりと踵を返した。
「でも、よかった。ラグールと話せて」
「え?」
僕はエレーナの言葉に違和感を覚えた。なぜだろう。ただ遊びに来ただけのはずなのに――エレーナの声は、どこか別れを含んでいるように聞こえた。
その理由は、すぐに分かった。
「ラグール、実はね。私、もう会えないかもしれない」
「……どうして?」
「私、選ばれたんだ……」
エレーナが左手をきつく握った。指先に力がこもっているのは、僕から見ても明らかだった。
「魔石の……所有者に……」
「魔石?魔石ってなに?」
「わからない……」
エレーナの声は、いままでに聞いたことがないほど弱々しかった。
「でも、選ばれると訓練っていうのをしないといけないの。だから……」
「僕と、会えなくなる……」
エレーナがコクリと頷く。僕はどう声をかけたら良いか分からず、閉口したまま立ち尽くした。
「ごめん……なさい……」
「……でも」
「……?」
「僕が!偉くなれば、いいんでしょ?」
僕ははっきりと言い切った。自分が偉くなれば、軍師になれば……。
「僕、絶対に軍師になるよ!軍師になって、エレーナと一緒にいれるようにする!」
「それって……約束?」
「約束だ!破ったら、ハリネズミの針でもなんでも飲む!」
「なにそれ……古いよ」
「古くない!」
エレーナの口角が緩む。嬉しさと悲しみが入り混じった表情だ。
「あっ!そうだ、忘れてた」
僕はポケットに手を入れ、クッキーを取り出した。奇跡的に割れていない。
「これ、あげる」
「なにこれ?」
「クッキー。僕がいちから作ったんだ」
エレーナはきょとんとした目で見つめてから、そっとクッキーを受け取った。
クッキーをひとくちかじる彼女。
「ありがとう……」
その表情から、悲しみは消えていた。




