ep.3-2 Contact
レモンイエローの少女は、私の手をかたく掴んだまま上下に振り回した。その華奢な姿からは想像できないほどに力強い。
「ほ〜ら、新人さんを困らせないの」
中津川さんの少し呆れ気味の声が割って入る。少女は「あっ! ごめんなさい!」と慌てて手を離し、深々と腰を折った。白い清楚なドレスがふわりと揺れ、その胸元の赤いリボンが小刻みに跳ねる。
「初対面の人には名前から、でしたね!わたし、聖堂優月っていいます!」
「た……橘杏子です」
「杏子ちゃん!いい名前!」
花が咲くような笑顔で言われ、思わず言葉に詰まる。
少女――優月の一挙一動は、光をまとっているかのようだった。近づいた拍子に、柑橘系の香水の香りがかすかに漂う。
「まったく……優月、橘さんが困惑してるじゃない」
はぁ……という渡辺さんのため息が聞こえる。
「この子は、聖堂優月。iARTS製ドールユニットの2号機、"真鶴"のパイロットね」
「よろしくね!」
優月はニコッと笑ってみせた。
「まあ、『ドールユニット』とか言われても分からないだろうから、後で説明するわね」
渡辺さんはそう言うと、こちらへ、と私たちをエントランスの自動ドアの向こうへ案内した。
最近建てたのだろうか、エントランスから細い通路に至る全てが綺麗に整理されていた。どこか、新車の匂いに似たものすら感じる。
「どうだった?白龍の乗り心地は?」
歩きながらも、優月の質問攻めは止まらない。
「よ……よかった……かな?」
「どうやって敵を倒したの?」
「なんか……気がついたら倒してたというか」
「へえ!すごい!」
優月の目がキラキラと輝き、まるでずっと話し相手を待っていたかのような熱量で身を寄せてくる。
「ここです」
渡辺さんが立ち止まり、とあるドアを開いた。
中には、広々とした会議室が広がっていた。長机が整然と並び、部屋の前方には大型プロジェクターと巨大な投影モニターが構えられている。モニターの前には教卓のようなものもあり、講義室にも似た感じを帯びていた。
「前の方に座ってください」
渡辺さんの言葉に従うまま、私と優月は前方から3列目の席に腰掛けた。学校からそのまま持ってきた通学バッグを床に置く。
「それじゃあ、説明を始めるわね。まずは、iARTSへようこそ。橘さん」
渡辺さんは教卓のノートPCを操作しながらやや無愛想ぎみに言った。
「まず、iARTSについて説明するわね。もう聞いてるかもしれないけど、iARTSはInstitution for Alternative Reality Technology and Science、世界線技術科学機構の頭文字を取ったものね。その名の通り、世界線に関わる研究と応用技術の開発を行う組織よ」
モニターに1本の横棒がすっと表示された。
「さて、“世界線とは何か?”についてだけど……簡単に言えば――“この世界はひとつではない”という考え方よ」
背筋にぞくりとしたものが走る。アパートで中津川さんたちから聞いた話と齟齬はないが、それでも気持ち悪さを感じざるを得ない。
「世界というのは、内包している可能性の数だけ存在するわ。例えば、私がいまここでポケットに手を突っ込んだとする」
渡辺さんは言葉通り、白衣の左ポケットへ手を滑り込ませた。さらり、と布の擦れる小さな音が教室に落ちる。
「でも、それと同時に白衣に手を突っ込まなかった可能性もあったわけね。それは分かる?」
「は……はい」
「この時点で、新たな世界線が生まれたと言っても差し支えないわ」
淡々とした説明だったのに、頭の中で“カチッ”と音がして、思考が一瞬止まった。
そんな簡単なことで世界が生まれる?
いや、生まれる……ってどういうこと?
理解したつもりの言葉が、理解できていない自分に跳ね返ってくる。
「まあ、この時生まれた世界線は、ほとんどいまの世界と同じだけどね。例えばいまの世界を100とすると、手を突っ込まなかった世界は99.99999999……って感じね」
横棒に2つの矢印が突き刺さる。
「ところで、白龍が戦っている時、人的被害は発生しない、という説明をさくらっちから聞いたと思うわ」
「確かに……聞きました」
「あれは、白龍が転送された時点で橘さんが世界線を移動したからよ」
「世界線を、移動?」
そんなことも、できるのか?頭の中に、形の見えない“わだかまり”がゆっくり堆積していく。
理解しようとしても、その都度どこかが噛み合わなくて、曖昧な霧だけが濃くなる。
「そう、移動よ。ヒトってのは、どの精密機械よりも複雑にできあがっている生き物なの。だから、本当は簡単に移動はできない。建物とかはそれに対して簡単にできているから、比較的容易に世界線を移動できる」
あれ?なら、なんで私は……
胸の奥に生まれた疑問が、つい口をついて出る。
「なんで、私は移動できたんですか?」
「それは橘さんの持ち物に関係してるわ」
「持ち物?」
「そう、あなたも気づいてるはずよ」
ふと、ある物の存在が脳裏に浮かぶ。
「もしかして……勾玉ですか?」
「ご名答!」
渡辺さんはパチン、と手を鳴らした。まるで教授が答えの正解を喜ぶみたいに、軽やかで、どこか得意げな仕草だった。
「あの勾玉を持っている者は世界線を簡単に移動できる……どうしてそんな能力があの石にあるのかは、まだ分かってないんだけどね」
渡辺さんはわざとらしく肩をすくめた。
「ここまで聞いて、ひとつ疑問に思ったことがあると思うわ。"敵"は誰なのか?どこから来ているのか?」
図星を刺されたようで、自然と舌が口内で動いた。
異世界人らしい、とは聞いていた。でも、それ以上のことは何も知らない。
「まあこれもさくらっちから聞いてるかもしれないけど……彼らは簡単に言えば異世界人――私たちは"フロンティア人"と呼んでるわ」
フロンティア人。
その単語に、ふと戸塚さんの顔が重なる。確かに初戦の後、私にそんなことを尋ねてきた――気がする。
「彼らは、世界線で言うところの"0"の位置にいる人間よ。私たちとは正反対の人間。それが、フロンティア人」
モニターの横棒の左端に新たな矢印が現れた。
正反対。
そう言われれば、恐ろしいほど遠い存在のように思える。
――でも。
胸の奥で、得体の知れない“違和感”がかすかに疼いた。
私たちとは正反対の存在。
なのに、なぜだろう。
あの敵と対峙したとき、私はそこまで異質だとは感じなかった。
「彼らが攻めてくる理由は未だ不明よ、でも、この世界を壊させるわけにはいかない。そこで、私たちは人類史上類を見ない兵器を開発したの。それが、"ドールユニット"よ」
さてと、と渡辺さんは言うと、モニターの光が落とされた。
「見に行きましょうか、橘さんと優月のドールユニットを」




