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皇女さまの一目惚れ

作者: 中村ねり
掲載日:2025/12/31

城を発ってから九十八日目の昼下がり。

エステロサ王国へと輿入れする皇女を乗せた豪華な馬車の列は、ようやく国境の手前へと差し掛かっていた。


「この森を抜けたらエステロサですよ、姫さま」


幼い頃から共に育った侍女は親しみを込めて、帝国の末皇女を『姫さま』と呼ぶ。

二人きりの車内でも姿勢を崩すことなくピシッと座り続けるよくできた侍女なのだが、さすがの彼女も声音の奥に欠伸の気配を滲ませた。


「暗くなる前にはあちらの国に入れるかしら」


同じく欠伸を噛み殺しながら答えたシャーロットは、傍らの小窓から外を眺めた。


これまで散々眺めてきた代わり映えのしない田園風景から、これまた代わり映えのしない森林風景に切り替わっただけだけれど、いよいよ故郷である帝国の地を離れるのだと思えば感慨深――くもない。


なにせ転移ポータルを使えば、数分とかからず両国間を行き来できる。

今回は輿入れだからということでわざわざ国内を練り歩いたため時間がかかったが、里帰りだって一瞬でできてしまう。そう思えば感慨の湧きようもないというものだ。


「長旅もゴールが見えてきたわね」

「ええ。入国してしまえば、あちらの王都までは十日もかかりませんからね」


領地を通過するごとに開かれる祝宴の義務をこなし、各地から贈られた祝いの品で無駄に長い車列を余計に伸ばしながら、てっくてっくと三ヶ月以上。

城の中で暮らしていたときには外に出てみたいと切望していたものだけれど、もうそろそろいいかな、という気分である。


「それでも、輿入れ先が東の隣国でよかったわ」


シャーロットの父が皇帝として君臨するこの国、フォルティス帝国は大陸でもっとも強大かつ広大な国だ。

そもそもの国土が広いため隣国までの距離はどこも遠く、東西南北のうちでは東隣までが一番近い。


「西でしたら倍はかかりましたね」

「北は峠越えだし、南は運河を越えないといけないし」


おそらく、いずれもこの数倍は時間がかかる。


だからこそ各地への転移ポータルの敷設が進んでいるわけなのだが、まあ今回は仕方がない。

皇帝陛下の掌中の珠と呼ばれる末の皇女シャーロットの輿入れとあっては、国内諸侯の顔を立てる意味でも隣国へ出向く前に経由しておかなければならない都市が多くあったのだ。


それも恙なくすべて消化して、東の国境を守る辺境伯家を発ったのが今朝早くのこと。


途中で数度の休憩を挟み、昼食で満たされた腹は温く、馬車を囲む騎馬たちが土を踏むカッポカッポという音がまた眠気を誘う。


「そういえば、男爵令嬢だそうですよ」


何度目かのあくびを噛み殺した侍女のメリアが、ふと思い出したように言った。


「意外でしたけど、事実だと思います。信用できる筋の情報ですから」


脈絡はなくても、何の話なのかすぐにわかる。

少しだけ目が覚めた。なにせ、これから嫁ぐ予定の相手の話だ。


「まあ、そうなの。男爵家ではさすがに無理ねえ」

「その辺りはエステロサでも同様だと聞いてます」


ぱちりと瞬いたシャーロットに頷いたメリアが、眉間に皺を寄せた。


「なにしろお相手は王太子ですからね、正妃は侯爵家以上が必須ですし、側妃でもせめて伯爵家以上でないと」


エステロサの王太子には寵愛する女性がいるらしいとの情報をメリアが拾ってきたのは、城を発つ直前のことだ。

それがどうやら男爵家のご令嬢だとか。


「と言いますかね、姫さま。問題はそこじゃないんですよ。ありがたくも我が国の至宝であるシャーロット皇女を迎えようというのに、チャラチャラ女遊びを続けてるなんて許されますか? 許されませんよ! お相手が男爵令嬢だろうが公爵令嬢だろうが、あり得ません!」


鼻息を荒くするメリアに、シャーロットはおっとり微笑んだ。


「遊び、のつもりはないのではなくて?」

「だとしたら、なお悪いです」


エステロサ王国の王太子、ジェームズ王子は、シャーロットが嫁ぐ予定の相手――すなわち婚約者である。

とはいえこの婚約が結ばれたのもわずか一年前のことだし、もとから予定されていた婚姻ではなかったから、そういうこともあろうとシャーロットはあまり気にしていなかったのだが。


「立場もわきまえず別の女に現を抜かしているだなんて、とんだクズ王子ですよ」

「メリア、不敬」

「見逃してください。ここだけの話なので」

「ふふ。もちろん、わかっているわ」


一度口にしてしまったら止まらなくなったようだ。

ますます鼻息を荒くしたメリアは、ぐっと拳を握りしめた。


「この婚姻は、帝国の恩情じゃないですか! アホでバカで無能な先代国王が無謀にも我が国に戦争をしかけてきて、挙句に勝手に負けて。その上、疫病の流行で国政がガタガタになったからって、恥知らずにも我が国の庇護を求めてきたんですから」

「そうねえ」


メリアがさっくりまとめた通り、そういうことなのだ。


正直、帝国はもう領土は欲していない。

なぜならば、統治が面倒くさいから。


これ以上国土が広がったところで管理しきれないため、各地の自治権を認めてそれを統括する、という方法しか取れない。が、それはそれで骨が折れる。

なにしろ問題が起こったら解決に乗り出さねばならないのだ。あちらの自治領が片付いたと思えば、こちらの自治領でトラブル……といった調子でエンドレスに何事かが起こり続けるため、人手も時間も足りやしない。


実のところ、武に重きを置きがちな帝国には脳筋が多く、優秀な頭脳が若干不足しているという実情もあるのだが、まあそれはともかく。


だからこそ東の隣国内部がゴタついていることは把握していたものの放置していたし、なにやら急に突撃してきたのはチャッチャと撃退したけれど、その後に隙だらけになったエステロサを併合しよう、などとは誰も考えなかった。

だって、いらないので。


「ですから、なにも姫さまが嫁がれる必要なんかありませんでしたのに!」

「仕方ないじゃない。身軽に動けるのがわたくしだけだったのだから」


助けてくれと頼ってきた隣国に、降嫁という形で縁を持てばいいと提案したのはシャーロットだった。

家族だけでなく臣下までもが皆渋ったのだが、仕方がなかったのだ。


問題が山積みであろう隣国の面倒をみるだけの余裕は国にはもうないし、かといって見放すのも寝覚めが悪い。

であれば婚姻をきっかけにするのが手っ取り早いのだが、向こうは王太子である王子がひとりきりで、こちらの姉たちには既に伴侶がいたり婚約者がいたり。で、身軽に動けるのは末っ子だからと大切にしまい込まれていたシャーロットくらい。


ということで、シャーロット自ら押し切る形で王太子との婚約を結んだのだ。


「先の愚王はどうしようもなかったけれど、今代の王ならどうにかなりそうじゃなくて?」

「たしかに、今代は賢王だと言う声は聞きますけど……」


メリアの言うアホでバカで無能な先代王は戦後処理する間もなく疫病でコロリと亡くなってしまい、その後に玉座に着いたのが現在のイザーク王だ。

なかなかに複雑な環境に置かれていた人物だそうで、一応は先代王の異母弟にあたるのだが、庶子であったため離宮の奥で長らく冷遇されていたのだとか。


いざというときのために、ひっそり隠れて爪を研いでいたのだろう。異母兄の崩御から玉座奪取までの手腕とスピードが素晴らしかったと噂に聞いた。

中には、先王の崩御は疫病にみせかけた暗殺だったのでは、という少々不穏な噂もあったが。


「それにね、エステロサくらいの国がわたくしにはちょうどいいと思うの。きちんと目を届かせて、御することができるわ」


シャーロットが手を挙げたのは、実のところ彼の国のためというわけではない。

なにせ国境を接する隣国なのだ。そちらが乱れれば、長じて帝国が埃をかぶることになる。

末の皇女として慈しまれ、守られるだけでなく、シャーロットだって祖国のためにできることはやりたいのだ。


「姫さまは、だから……」

「そうよ。この身は、足の先から頭の先まですべて国のもの。わたくしが生きるのは国のため、国に暮らす民のため。皇族とは、そういうものだもの」


だからエステロサに嫁ぐのだ。

末っ子だからと甘やかされてきたが、教育はきちんと受けてきた。表に立って堂々とでも、裏から手を回してこっそりとでも、国政の舵取りをできる自信もある。


「わたくしはあちらの国を平らかにすることで、お父さまや、次代を継ぐお兄さまの守るフォルティス帝国をお支えするの」


そしてもちろん王妃となるからには、エステロサの国も同じだけ大切にするつもりでいる。


「国を離れたとしても、わたくしはフォルティス帝国の皇族なのよ。生涯ずっとね」

「なんと……なんとご立派な……ッ!」


感動に打ち震えるメリアだったが、今度はその表情を一転させた。


「それに引き換え、エステロサのクズ王子ときたら……!」


どうも彼女は、まだ見ぬ婚約者のことが心底気に入らないらしい。


シャーロットは、つと首を傾げた。

たしかにメリアは少々厚すぎるくらい厚めの忠誠心を持っているところはあるけれど、シャーロットがエステロサに嫁ぐことは最早どうあっても変わらない。そのことをわかっていて、いつまでも文句を言うタイプではないはずなのに。


「メリア、あなたいったい何を知っているの? ジェームズ王子のことをそれだけ嫌うには、きっと理由があるのでしょう?」


現在進行形で男爵令嬢を寵愛している、というだけではなさそうだ。

白状しなさいと視線で命じれば、しばし迷った素振りを見せたメリアがいかにも嫌そうな顔して口を開いた。


「ジェームズ王子は一度、婚約を破棄なさったことがあるそうなんです」

「それは、なにか……」

「いいえ違うんです。お相手に瑕疵はなく、むしろ優秀な侯爵家のご令嬢だったとか。先王の時代だったので責任の所在はうやむやにされましたが、王子殿下の心変わりが理由だったことは公然の秘密だったそうで」


「どういうこと?」

「なんでも、舞踏会のホールの真ん中で娼婦の娘を抱き寄せながら『真実の愛を見つけた! 貴様との婚約は破棄する!』と叫んだとか」

「えぇぇ……」


なんだそれは。見世物としては面白そうだけれど、王太子ともあろう者がみせていい振る舞いではないだろう。


「なのに、そのときの娼婦の娘とは半年と経たずに別れたんだそうです。幼少期から結ばれていた婚約を勝手に破棄してまで傍に置こうとした女性だったのに、ですよ? 移り気にもほどがあると思いませんか? で、次に子爵令嬢、未亡人、商人の娘、未亡人、踊り子、伯爵令嬢、未亡人、平民の孤児と、だいたい数ヶ月ずつ」

「お付き合いを?」

「はい。どれもこれも特に隠すことなく、次々に城へ連れ込んでは追い出して、を繰り返したらしいです」

「年上がお好きなのかしら」


さすがのシャーロットも、どうコメントしてよいのか言葉に詰まる。ついズレた感想を漏らすが、すかさずメリアに訂正された。


「未亡人といっても、姫さま。年上とは限りませんよ」

「まあ、そうね」


素直に頷けば、メリアもまた大きく頷いた。


「それにしてもジェームズ王子は、ずいぶんおモテになるのね」

「金髪碧眼の、見た目だけならまるきり〝理想の王子様〟なんだそうですよ」


一段と声を低くして、メリアが吐き捨てる。


「中身はクズですけどね」

「メリア、不敬」

「ここだけの話なんで」

「ふふふ、もちろん構わなくてよ。だけど、そうね。少し方針を考え直さなくてはいけないかもしれないわねえ」


シャーロットは、うーん、と首を捻った。


政略ではあるし予定外の婚姻でもあるけれど、ジェームズとは国を担う立場を共にする相手として、信頼関係を築きたいと思っていた。

が、無理かもしれない。


異性にだらしないだけなら、まだいい。だけど女性たちを次々に城へ引き入れていたという点が気になる。王城というのは、誰でも気軽に入れる場所ではないのだ。

それに、公衆の面前で計画性のない婚約破棄劇を繰り広げたというのもいただけない。


どうやら彼は後先考えないおバカさんなのかしらね、とシャーロットは思った。


「ねえメリア。そうなると、今のお相手である男爵家のご令嬢とは、だいぶ長く続いているほうなのではなくて?」

「あ、はい。そうなんですよね。もう一年以上になるそうですから。『今度こそ真実の愛だ!』とか言ってるらしいですよ。なんですかね、今度こそ、って。アホですか、アホですね」

「メリア」

「はい、不敬」


鼻息と共に応じたメリアの言い方に思わず笑ってしまいながら、シャーロットは考えていた。


異性にだらしがないタイプならば、好みの相手をあてがっておけば大人しくなりそうだ。であれば、ひとりの女性に入れあげているという現状はあまりよろしくない。

むしろ、後腐れのない相手を次々と取り替えながら遊んでいてくれるほうが、始末が楽に済む。いろいろな意味で。


そして後継を生まなくてはならないので、シャーロットの見た目もいくらかは気に入ってくれると楽だ。子をもうけてしまえば、あとはもうどうとでも。無能な王は不要なので、排除するなり閉じ込めるなりしておけばいい。


おっとり穏やかなシャーロットであるが、その中身は芯まで皇族。実は内心で結構えげつないことを考えていたりもする。


と、真剣な顔をしたメリアがおもむろに口を開いた。


「姫さまは、どなたかに恋をされたことはないんですか? 一目惚れとかでも」

「ないわねえ」


それこそ物心つく頃からメリアとは一緒に育ったのだから、聞くまでもなく知っているだろうに。シャーロットは、きょとんと瞬いた。


「どうしたの、急に?」

「じゃあ、ジェームズ王子はどうですか? 見た目だけなら結構イイ線いってると思うんですけど」

「あら、でも彼は中身がクズなんでしょう?」

「そうなんですけど、一旦中身に関しては置いておくことにして。見た目だけならどうです? ちょっと素敵だなって思ったりしませんでした?」

「特になにも思わなかったわねえ」


まだ一度も顔を合わせたことがないのだけれど、絵姿で見る限りでは、鮮やかな金色の髪と淡い碧の瞳が目を惹くなかなかの美男子だった。帝国基準からすると男性にしては線が細めなのが気になるが、一般的に女性に好まれそうな容姿ではあるなと思った。


ただ、それだけだ。良くも悪くも、シャーロットの感性には特に響かなかった。


「姫さまのお好みの見た目って――」

「強いて言えば、お父さまみたいにガッシリした大きな方だと安心するわね。一の兄さまみたいに真っ黒で硬そうな髪も、二の兄さまみたいに鋭い眼差しも素敵だし、叔父さまの灰色の瞳もとても綺麗だと思うの」

「なるほど……むしろクズ王子は、姫さまのお好みと正反対なのでは……?」

「え、えぇと……そう、とも言うわね……?」


誤魔化すようにコホンとひとつ咳払いをして、


「ところで、メリア。あの絵姿はきちんと似ているのかしら?」

「しっかり忠実に描かれているみたいです。実物と違うところがあると、直せと文句を言われるそうなので」

「まあ、それは随分とナル……いえ、自信に満ちた方なのね」

「いいえ姫さま。大丈夫です、言葉を濁さなくても。ナルシストですね、間違いなく」


モテるからナルシストなのか、ナルシストゆえの自信が地位とも相まって魅力的に映るのか。


「ですが、まあ見た目はいいほうだと思うんですよ。高貴な雰囲気もありますし」

「そうね。さっきの話を聞いてからだと、胸を張った立ち姿は精一杯虚勢を張っているように見えるし、ちょっぴり顎をあげたあの表情は傲慢さの表れみたいにも見えるけれどね」

「たしかに……!」


ポンと手を打ったメリアだったが、いやいや、と首を振る。


「そうじゃなくて! そうじゃないんですよ、姫さま!」

「彼の方の見目が好ましいか、ね? 答えはもうわかっているでしょうに、メリア。ねえ、あなたはわたくしにいったいどうして欲しいの」


呆れ気味に返せば、いつになく真面目な口調でメリアが答えた。


「お幸せになっていただきたいです」

「……メリア」

「わかっています。御身は足の先から頭の先まで国のため、民のためにあられる。だけど、それはそれ、これはこれです」


シャーロットは黙って続きを促した。


「私はずっと姫さまのお傍におりました。そして様々なことを学ばれているお姿を拝見してきました。貴い身分であるがゆえのご苦労も、だからこその矜持をお持ちであることも、多少なりとも理解できていると思っています。ほんとうにご立派ですし、そんな姫さまにお仕えできることは過去も現在も未来も、変わらず私の誇りです」


不意に、メリアがこの一年の間、そしてこの道中もずっと言いたくて言い出せなかったことを口にしているのだとシャーロットは気がついた。

よくできた侍女の、だからこそ口に出せなかった思い。シャーロットは誰よりも信頼できる彼女の声に、じっと耳を傾けた。


「帝国は強い。だから国内は平和です。私は、姫さまは、姫さまを心から大切にしてくださる国内貴族のどなたかのもとへ嫁がれると思っていました。それなのに……と感じてしまうのは、私の我儘です。今回の婚姻は、姫さまがご自身で決められたことだというのも、知ってはいます。ですが!」


婚約を結んですぐ、当たり前のように嫁ぎ先へも同行することを決め、共にエステロサに骨を埋めると宣言したメリアだ。

彼女の一番はいつもシャーロットで、彼女が案じるのはいつだってシャーロットのこと。

そして彼女が憂うのもまた、いつだってシャーロットの気持ちを慮ってくれるときなのだ。


「私ごときが姫さまの幸せを量るなどおこがましいことは承知の上で、それでも。皇族であり、王族となられるのと同時に、一人の女性として。たとえ〝国のため〟が先に立つとしても、私は、私の大切な大切な姫さまご自身に、ちゃんと幸せになっていただきたいんです」


メリアはわかっているのだろうか。彼女のその気持ちが、どれだけシャーロットを喜ばせていることか。


「ありがとう、メリア」


自分はなんて幸せ者なのだろうと思う。


「わたくしは、メリアと出会えたことが一番の幸せだわ」


仲の良い家族に慈しまれて育ってきたことだけでも十分に幸運なことだとシャーロットは知っているし、その上さらに偽りなく惜しみなく愛を与えてくれる者が近くにいてくれる。たとえ身分が違うとしても、メリアは間違いなくシャーロットにとっての唯一無二だ。


「恋を知らなくても、夫との間に愛を育めないかもしれなくてもね。あなたがいてくれるだけで、わたくしは十分に幸せよ」


この感謝の気持ちが届くといい。

外向きでない、素のままの顔で、シャーロットはふんわり微笑んだ。


息を呑んだメリアの頬がサッと朱に染まった。


「そ、そんな、もったいないお言葉を……」

「まあ、あなた照れてるのね? 珍しいこと」

「むぐ…」


ふふふ、と笑えば、メリアもまた意地を張るのを諦めた様子で肩の力を抜いた。


「わかりました。やっぱり姫さまは姫さまでした」

「そう?」

「はい。それでは私は、姫さまのお幸せのために私のできる範囲で引き続き尽力していきたいと思います」


ムフッとメリアが鼻から息を吐く。


「そのためにも仕方がないので、クズ王子のことも姫さまの伴侶として、一応の敬意を払っておきましょう。ええ、ほんとうに仕方がないので。たとえどんなクズ王子だったとしても!」

「メリア、二回言ったわ」

「大事なことですから、二度言いました。念のため、もう一度申しておきます。どんなクズ王子だったとしても、です」

「もう!」


自分でも気づいていなかったけれど、シャーロットとて生まれ育った場所を離れ、慈しんでくれる家族たちと離れて嫁ぐことに不安と緊張を抱えていなかったわけではない。それが、メリアのおかげですっかり晴れてしまった。


「これからも一緒にいてね、メリア。わたくしがおばあさんになるまで。きっとね、約束よ」

「もちろんですとも! 天の国に行ってもずっと、あちらでもご一緒させていただくつもりですから!」

「まあ、それは心強いこと」


笑い合うふたりを乗せた馬車が国境を越える。


それから十日後の朝、長い長い馬車の列は無事、王都へと辿り着いた。

歓迎の花が盛大に飾りつけられた、エステロサ王国の中心地へと。



***



「地方はまだ内乱と疫病の影響が残っているところが多かったけれど、王都はだいぶ持ち直してきているみたいね」

「ですね。想像していたよりも賑わっていて、いい意味で予想が外れました」


物珍し気に馬車の列を見学しに集まってきている街の者たちの顔は、一様に明るい。


「雰囲気もいいですね。帝国に対する敵愾心などもなさそうにみえます」


エステロサは仕掛けてきた側だけれど、それでも王家がどう民を煽動していたかによる。多少の反発は覚悟していたのだが、杞憂に終わりそうだ。


賑やかな平民街を抜け、貴族街へ入ると見物人の姿も消える。立派な邸宅の並ぶ静かな街を粛々と通り過ぎ、城門をくぐった馬車の列は玄関前広場へと向かった。


綺麗に整えられた広場にも、既に内乱の面影はない。

帝国とは様式の異なる王城は、全体的に華やかな雰囲気だ。


ずらりと出迎えの者たちが並ぶ中、シャーロットを乗せた馬車が正面で停車する。扉が開くと、こちらへ手を差し出しかけた使用人を制して背の高い男性が前に立った。


「おそらくイザーク陛下です」


こそっとメリアが耳打ちして寄越す。

シャーロットは小さく頷いて了承を示したが、実のところあまり言葉の意味を理解してはいなかった。


「大事な姫君だ、私がエスコートしよう。――どうぞ、お手を」


厳めしい顔つきに、堂々たる佇まい。艶のある黒髪を短く刈りあげているのが清潔そうで、太陽の色をした切れ長の瞳が目を惹く。

祖国の父ほどガッシリしてはいないが、上背のある体躯は頑丈そうで、しっかり鍛えられた筋肉がついていることが窺えた。

さらに言えば、腹に響くようなバリトンの声も思わず聞き惚れてしまいそうだ。


見つめ合う視線を逸らせないまま、シャーロットは半ば無意識に差し出された手を取った。


「ようこそお越しくださいました。エステロサを代表して歓迎します、シャーロット皇女殿下」


鋭い眼差しが地面に足を着けたシャーロットを見下ろし、ほんのわずかに緩む。


「こちらこそ。陛下御自身のお出迎えに感謝いたします」

「長旅でいらしたことでしょう。体調など問題はございませんか?」

「ええ。お気遣いありがとう存じます、陛下」


ゆったりと紡がれる美声は、あくまでも丁寧な姿勢を崩さない。

どこかふわふわした心地で礼を言い、シャーロットは城内までの短いエスコートを受けた。


比べれば小柄なシャーロットに配慮された歩調で進みながら、王妃宮の用意が整っていることや専属の使用人たちは既に宮で待機していること、正式な謁見の場は数刻後に予定されていることなどを聞く。


「私は一旦、ここで。お疲れかと思いますので、まずはしばしお休みください」

「ご配慮、痛み入ります」


どれほど上の空であっても、身に着いた皇族としての所作や受け答えは完璧である。

城内に入ったところで足を止めたイザークに微笑んで頷き、シャーロットはそっとエスコートの腕から手を離した。


「では、後ほどお目にかかりましょう」

「はい陛下」


共に折り目正しく礼を交わし、案内が侍従に引き継がれる。

シャーロットは再び足を踏み出しながら、反対側へと立ち去る大きな背中へと、一瞬だけ、目をやった。


「……?」


どうしたというのだろうか。

呼び止めたい、と思ってしまった。何故かはわからない。


表面上は皇女らしく優雅に歩を進めながら、シャーロットは内心、自分で自分に首を傾げていた。

遠ざかるイザーク王の背中にわけもなく焦燥に似た何かを感じた気がしたのだけれど、この気持ちはいったい何なのだろう――。


「姫さま?」

「なあに、メリア」

「いえ、なんでもありません。――あ、この後、大使が挨拶に来られるそうです」

「エスコートをお願いしていた件ね、わかったわ」


なんだか妙にソワソワしてしまう。

初めての心持ちに戸惑うシャーロットは、事務的な言伝だけを耳打ちして下がったメリアがなにやら物言いたげな眼をしていたことには、まるで気づかなかったのだった。



正式な謁見の場は、夕刻に差し掛かる手前に調整されていた。

簡単な軽食を摘みながら身支度を整えるだけの時間の余裕が最大限に配慮されていることが窺える。


「本当はもっと時間をかけてお仕度させていただきたいところなんですけど」

「今日はご挨拶だけだもの。十分よ」


メリアをはじめとした侍女たちには若干の不満があるようだが、祝宴が別日に設定されていることもありがたい。

婚姻前なので、今日のドレスは帝国の流儀で。赤と金を基調としたドレスは、おっとりしたシャーロットをいくらか勝気そうにみせる。


「お綺麗です、姫さま」

「ありがとう。では行きましょうか」


メリアは同行するものの、離れた場所で待機することになっている。王の前へとエスコートは、事前にエステロサ入りしていた大使だ。

既に王城内の位置関係も把握しているらしく、迷うことなく広間へと誘導される。


これまでは迎えるばかりだったが、自分が客人の立場で玉座と対面するのは初めてのことだなとシャーロットは物珍しく思いながら謁見の場へと足を踏み入れた。


「あら」

「おや、これは」


衛兵の手で開かれた扉をくぐってすぐ、シャーロットは微かに目を見開いた。隣で大使も、思わずといった呟きを漏らす。


「エステロサの王は、両国の力関係を正しく理解しておられるみたいですな」


玉座を中央に、主だった貴族家の当主たちと思われる男たちが左右に控えているが、それは問題ない。意外だったのは、通常ならば後から入場するはずの国王が既にそこにいて、なおかつ玉座を降りて佇んでいたことだ。

帝国の上に立つつもりはない、という意思表示なのだろう。


「フォルティス帝国より参りました、第三皇女シャーロットにございます」


その王が先ほど対面したときよりも幾分険しい表情をしている様子が気にかかりつつも、大使の腕を途中で離してひとり前へ進んだシャーロットは、作法通り距離を開けた場所で立ち止まり礼を執った。


「遠方よりよくぞ参られた。また、この度の婚姻を受け入れてくださったこと、フォルティス帝国には謹んで感謝申し上げる」


首を垂れない王にしては率直な物言いだが、そんなことよりイザーク王が妙に渋い顔をしている理由にシャーロットは気がついた。


王太子がいない。


さり気なく見回した広間の中に、それらしき姿がないのだ。

そういえば、城前の出迎えにやってきたのもイザーク王だけで、王太子は不在だった。


あらまあこれは、あれよね。そういうことよね。

と、シャーロットは胸の内で独り言ちる。


「隣り合った国同士、これを機に手を取り合って更なる発展を、とフォルティス帝国の皇帝陛下からは言付かっておりますの。ですが……」


言葉を濁し、小首を傾げたシャーロットに、イザーク王の渋面が深くなる。

さわさわと、この場を見守る貴族たちからも不審そうな囁きがこぼれた。


「皇女殿下におかれては、大変申し訳ないのだが――」


どうにも重たい口調でイザークが言いかけた、そのときだ。

バン! と音を立てて王族用の扉が開いた。


「ジェ、ジェームズ王太子殿下のご入場です!」


慌てたような侍従の声と共に、煌びやかな男が足音高く広間へと入ってくる。


なにやら右腕にピンク色の髪をした令嬢をぶら下げてはいるが、輝く金色の髪に淡い碧色の瞳をした美男子は、まんま絵姿通り。

無駄に姿勢がいいのもまた絵姿そっくりで、シャーロットは思わずその男を凝視してしまった。


「貴様がシャーロット第三皇女だな?」


あり得ない無作法に誰もが呆気に取られた一瞬の間に、ぐるりと辺りを見回したジェームズがシャーロットに目を留めた。

ずんずん近づいてくると、イザークとの間に割り込む形でシャーロットの前に立つ。


「ふん。野蛮な帝国らしく気性の荒そうな娘だな」


頭の先から爪の先までジロジロとシャーロットを見つめ、さも嫌そうに吐き捨てた。

そのジェームズの右腕に、エスコートにしてははしたない距離感でしなだれかかっている令嬢がクスクスと嗤う。


「嫌だわ。赤いドレスなんて、下品ね!」


どの口が! とメリアならば速攻で突っ込みそうだが。


「まったくだ。見てみろ、アナのこの可憐なドレスを。ああ、何度見てもよく似合っているぞ」

「ほんとに? 嬉しいわ、殿下。大好き、ありがとう!」


フリルとリボンの飾られたふわふわのピンク色のドレスを着た、ふわふわの砂糖菓子みたいなピンク色の髪をした令嬢は、おそらく件の男爵令嬢なのだろう。


シャーロットは、微笑の仮面を貼り付けたまま黙って目の前のふたりを見つめていた。


「ジェームズ!」


最初に我に返ったらしいのは、イザークだった。

甥の暴挙を制止しようと伸ばした手は、けれどジェームズによって弾かれる。


「触るな、不敬だぞ! 俺は次代の王だ。叔父上は所詮、中継ぎの王にすぎないんだからな、弁えろ!」


イザークに捲し立てるジェームズの横で、男爵令嬢がシャーロットに向かって勝ち誇ったように顎をあげた。

たしかに見た目は可憐なのだが、どうにも性格が悪そうだ。


「そんなことよりも、ねえ殿下」

「ああ、そうだな。アナ、待たせてすまない」


再びこちらに向き直った金色王子とピンク令嬢が、ふたり揃って嫌な笑みを浮かべた。


さて、何を言い出すつもりか。

周囲の貴族たちは皆一様に押し黙り、蒼白な顔をしている。

動こうとしたイザークを目線で制して、シャーロットは茶番の再開を待った。


まさしく茶番だ。生まれて初めての盛大な侮辱を受けているわけだけれど、腹が立つよりも喜びが勝っている。

ともすれば緩みそうになる口元を隠しつつ無言のまま、シャーロットは婚約者であるはずの王太子を正面から見据えた。


「野蛮な帝国が領土を広げようと目論んでいるようだが、生憎だったな。我が国は帝国になぞ屈しない! 貴様との婚約は中継ぎの王が勝手に結んだもの。この場において、次代の王である俺が、貴様との婚約を正式に破棄する!」


堂々たる口調で、ジェームズがそう言い切った。


「そして、ここにいるアナを正式な婚約者とする!」

「きゃあ、殿下! 嬉しい!」

「アナこそが真実の愛だ!」


ここにいる全員が理解していることを、何故王太子ともあろう者が理解していないのか。

疑問に思うシャーロットの脳裏に、メリアの口にした『アホですね』という言葉が蘇った。ついでに『アホでバカで無能な先代国王』という言葉も。


なるほど、父親の血が見事に受け継がれているということか。


今、隣にメリアがいないことが悔やまれる。いつものあの言い方で『クズ王子が!』と悪態を吐いて欲しかったのに。

それとも、シャーロットのことはなんだってわかっているメリアだ。願ってもない成り行きに、こっそり拳を握って喜びを分かち合ってくれるだろうか。


「エステロサ国王陛下にお伺いしますわね」


シャーロットは、ふっと笑顔を消した。目の前のふたり組から視線を外し、その後ろにいるイザークへと目をやる。


「これは、必要ですか?」

「……いいえ、もはや」


〝中継ぎの王〟と称されたイザークが迷ったのは、ほんの一瞬だった。

首を横に振ったのを確認して、シャーロットは鷹揚に頷いた。


「では、わたくしはあなたがいいわ」

「は……」


考えてもみなかったのだろう。イザークが驚いたように目を見開いた。


「しかし……いや、私、では……」

「きっとお父さまもお赦しくださると思うの。もう一度は言わせないでくださいませね。陛下、わたくしはあなたがいい」


目の前に転がってきたチャンスに手を伸ばさない理由はない。

太陽の色をした瞳をじっと見つめて、シャーロットはおっとりと微笑んだ。

さあどうする? と眼差しだけで問いかける。

一度深く息を吸い、小さく頷いたイザークの顔から迷いが消えた。


「……謹んで」


恭しく礼を執ったイザークの合図で、さっと駆け寄ってきた近衛兵が王太子と令嬢を拘束する。


「おい、おまえたち! いったい何の話を――おい! 何をする⁈」

「きゃあ! いや、痛い!」

「離せ! おい、離せと言ってるんだ! 王の命令が聞けないのか⁈」


容赦なく床に押さえつけられたジェームズは、やはり何もわかっていないらしい。


「残念だが、ジェームズ。おまえは王にはなれない」

「なんだと⁈ どういうつもりだ叔父上、謀反か⁈」

「それは兄王のときで既に済ませたはずだったんだがな」


叫ぶジェームズに、イザークは苦虫を噛み潰したような表情で呟いた。

周囲の誰にも聴こえないくらい小さな声だったが、ぼやく調子のその呟きに、シャーロットは思わず吹き出しそうになった。

厳めしい王にも、なんだか可愛らしい一面がありそうだ。


「何度も話したが、一向に聞く耳を持たないおまえに説明するのは、これが最後だ。いいか、ジェームズ。エステロサはフォルティス帝国に負けた敗戦国だ。そしてシャーロット皇女との婚姻を許されたのは、彼の国の恩情があってのこと」

「そんなはずが……ッ」


「この国は、フォルティス帝国には勝てない。絶対にだ。そして皇女への侮辱は、帝国に戦いを挑むのと同意。今、帝国と戦になればエステロサは滅ぶだろう。つまりおまえはたった今、国を滅ぼしかけたということだ」

「な……ッ⁈」


「ようやく理解できたか?」

「え……? でも、そ、そんな……」


困惑した顔でシャーロットを見上げるジェームズの口に枷が嵌められる。


「もういい、これ以上口を開くな。たった今から、おまえたちは罪人だ。フォルティス帝国には、どうか、まずはこの罪人どもの首でご容赦をいただきたい」


膝をつき、頭を前に出した姿勢を取らされたジェームズと男爵令嬢が隣り合わせに並ばされると、イザークが小さく手を挙げた。

近衛のひとりが剣を抜く。


この場で首を落とすのが、敗戦国であるエステロサの正解。

だが当然、ジェームズはまったくわかっていなかったと思われる。抜かれた剣を見て、ガタガタと震え始めた。


「お待ちになって」


中継ぎの王と蔑む甥との関係に、どれほどの情があるかは知らない。けれどたぶんイザークはジェームズを死なせたくはなかったのだろうと思った。

そう思ったら、咄嗟に引き留めてしまった。


「帝国は野蛮だと侮辱されたその場で血を流すのは、不愉快でしてよ」


かといって、野放しにするのは違う。

シャーロットは考えた。


「わたくし、この国には花嫁になるために参りました。ですから民に与えるなら、愛を」


元婚約者と男爵令嬢が真に愛し合っているのだとしたら、この罰は些少なものになるだろう。が、そうでなかったならば双方ともに大きな苦痛を伴う罰となるはずだ。


「真実の愛を育んでおられるというお二方にも、ぜひ、その愛を貫いていただきたいわ。残念ながら子を持つことだけは諦めていただかなくてはなりませんけれど」

「……ご恩情に感謝します、シャーロット皇女殿下」


断種の上での幽閉を提案したシャーロットに、イザークはこれまでで一番深く首を垂れた。


次に顔を上げたとき、彼の瞳に哀しみの色が浮かんでいなければいい。

願うシャーロットの前で姿勢を戻したイザークは、予想外にもその眼元に微かな笑みを湛えていた。簡単な合図をして、罪人たちを兵に連れ出させる。


暴れる気力もなくしたのか、呆然とした様子のジェームズたちの姿が広間から消えると、辺りには一気に弛緩した雰囲気が漂った。


「では、改めて」


ほんの数歩で距離を縮めたイザークは、おもむろにシャーロットの前へ跪いた。


「次代の王が生まれるまで、中継ぎの王としてエステロサ王国を守る私の隣で、この国を導いて欲しい。シャーロット皇女殿下、私と結婚していただけますか?」


馬車から降りたあのときと同じように差し出された片手に、シャーロットはそっと手を伸ばした。


「ええ、陛下。あなたとならば、きっとよい国を、よい時代を作れるでしょう。フォルティス帝国も、よき隣人として手を取り合えることを喜ぶはずです」


シャーロットの手を受けたイザークが、爪の先に唇を落とす。

そして、囁いた。


「私に差し出せるものは多くないが、必ずあなたを幸せにすると誓おう」

「ありがとう存じます、陛下」

「イザークと」

「ええ、イザーク様」


イザークが立ち上がると、広間はほっとした様子の拍手に包まれた。

シャーロットはイザークの横に立ちながら、目線だけでメリアを探した。

そして心の内で呟く。


ねえメリア。わたくし、ちゃんと幸せになるわ。

だって一目惚れしてしまったのだもの。

クズな元婚約者ではなくて、隣に立つこのイザーク様に。


だから今度こそ、あなたの口から一度も聞けていない「おめでとう」の言葉を、明るい声で告げてちょうだいね。


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