第89話「初めての叱責」
ティミレッジから闇の魔法陣を消してくれた老婆・エプンジークは、老師・イポンダートの妻だった。
彼女は夫に強い怒りを抱いており、それは今も消えていなかった。
「あんたらも知っていると思うが、あいつはおふざけが過ぎるだろう? 今では借金までしてるんだ!」
「借金は問題ですね……」ユアは老婆に同情しながら言った。
「ああ、問題だよ! 生活費を全部賭博や女遊びにつぎ込みやがって!」
エプンジークの激怒ぶりに、四人はただただ彼女を哀れむことしか出来なかった。
「そ、それよりも、今回の浄化っておいくらになるのでしょう? 忘れる前にお支払いしておかないと……」
「支払い? わしは魔法屋では無いから金はけっこうじゃ」
「えっ? でも、魔法陣を消してもらっただけじゃなくて、トウソウの力まで与えていただいたのですよ。さすがにお礼をせずに帰るわけには……」
「良い! わしは夫みたいにならんと誓って生きておる! だから、魔法なんかで金は取らん!」
「これって、因縁教師ってやつだな?!」
「“反面教師”だ! それぐらい知っておけ!」
オプダットの言い間違いをディンフルが正した。
あまりにも知らない言葉が多すぎるためか、いつもよりうんざりしていた。
「金は本当に良い。その代わり、魔法陣が消えたその体と、今あげたトウソウで世界の脅威を何とかするのじゃ。それが一番の恩返しである!」
「わ、わかりました。ありがとうございます、エプンジークさん。必ず、フィーヴェを助けてみせます!」
「フィーヴェのう……」
ティミレッジが自信に満ちた様子で誓うと、エプンジークは急に落ち着き、思い悩んだ様子で顎を触った。
「もしかすると、お主らが救うべきはフィーヴェだけでないかもしれん」
ユアたちは目を見開いた。
「どういう意味ですか?」
「女子の世界も、危ういかもしれん」
「私の?!」
ユアの世界ということは、リアリティアだ。
老婆はフィーヴェだけでなく、リアリティアもすでに知っていた。
「エプンジークさん。私がリアリティアから来たこともわかるんですか?」
「お前さんからはフィーヴェでない気を感じたのじゃ。それにイポンダートからも、“リアリティアから少女が行き来するかもしれん”と連絡もあったからの」
彼女はとっくにイポンダートからユアに関する報告を受けていた。
このことから、老夫婦は別居しているとは言え、完全に切れたわけでは無さそうだった。
「ヴィへイトルがどのような手に出るかはわからん。だが、用心はした方が良い」
さらにエプンジークは、ヴィへイトルのことも知っていた。これもイポンダートから聞いたのだろう。
だが、一味はリアリティアはノーマークで、行く方法すら知らないはずだ。
「何らかの手段でリアリティアを襲うかもしれぬ。奴なら方法を選ばぬからな」ディンフルにはたやすく想像出来た。
「そのためには、ジュエルをもう少し使いこなした方が良い。お前さんらの知らん力がまだまだあるからの」
少し考えた末にエプンジークはアドバイスを与えた。ティミレッジらがジュエルを持っていることもお見通しだった。
これには、ディンフルも思わず鼻を鳴らしてしまった。
「一体何者だ……? リアリティア、ヴィへイトル、ジュエル、説明していないのに、すべて知っているとは……」
「女子の言うように、わしは“物知りばあさん”だからじゃ」
エプンジークは詳細は言わず、いたずらっぽく笑うだけであった。
◇
老婆の家を出たユアたち。
ティミレッジは魔法陣を消してもらっただけでなく、トウソウの力まで与えてもらった。エプンジークの元へ来て、大収穫を得たのであった。
「よかったな、ティミー! これで、いっぱい動き回れるぜ!」
「全然実感が湧かないよ。体は今のところ何ともないし。でも、みんなの役に立てるなら……」
ティミレッジが安堵しながら言うと、彼が持つ通信機が高い音を出して鳴り出した。
「もしもし。……あぁ、フィット。どう? ノティザ様は元気にしてた?」
通信の相手はフィトラグスだった。
彼は弟・ノティザをこっそり見に行くため、ユアたちとは別行動を取っていた。
ところが……。
「えっ? ノティザ様がいなくなった?!」
ティミレッジが声を上げると、ユアたちは一斉に彼を見つめるのであった。
◇
一方その頃、インベクル島の洞窟では皆の心配をよそに、ノティザはアジュシーラと楽しく雑談していた。
「うごき回るぐらいなら、おべんきょうしてた方が楽しいよ!」
「わかるっ! オイラも運動より勉強派!」
意気投合し、すっかり仲良しになっていた。
ここで、アジュシーラはノティザから特殊な呼び方をされ始めた。
「ねぇ、オイラちゃん!」
「”オイラちゃん”?!」
「うん! “オイラのおにいちゃん”は長いから、“オイラちゃん”にした!」
「勝手に略されても……。別にいいけど。で、何?」
「オイラちゃんは、なにしに島にきたの?」
「オイラは……あっ!」
聞かれたアジュシーラはインベクル島へ来た目的をたった今、思い出した。闇の魔法陣を消してもらったティミレッジ一人をおびき出し、先に彼だけ倒す予定だった。
ノティザとの雑談が面白く、すっかり忘れていた。
だが、正直に言うのも気が引けた。
相手は七つの子供。「人を倒すために来た」など、残酷なことを言うとさっきみたいに泣かせてしまうかもしれない。
せっかく仲良くなったのに、離れて行く恐れもあった。
「オ、オイラは……観光に来たんだよ。“観光”、わかるかな?」咄嗟にウソをついた。
「わかるよ! りょこーに来たんだね?!」
鵜呑みにし目を輝かせる相手を見て、バレずに済んだアジュシーラはホッとするのであった。
次にノティザが自分の身の上を話し始めた。
「ぼくはね、一ねんかん、この島にいなくちゃいけないの」
「一年も? どうして?」
この時点でアジュシーラは、ノティザは島の屋敷のお坊ちゃんだと思い込んでいたが、詳しい事情までは知らずにいた。
「ぼく、インベクル王国のおーじ様になるんだ!」
無邪気に言うノティザの意見を聞き、アジュシーラは目を見開いた。
「インベクルの王子……? “なる”って、どういうこと?」
「フィトラグスおにいちゃんと、同じようなおーじ様になるの! 今は、しゅぎょー中なんだ!」
この言葉でアジュシーラは、今までしゃべっていた相手がフィトラグスの弟・ノティザだと知るのであった。
「お、王子様なの? しかも、フィトラグス王子の弟……?」
「そう! フィトラグスおにいちゃん、つよくてカッコいいんだよ! 知ってる?」
「し、知ってるよ。君、王子様だったんだね……」
アジュシーラの顔から笑みが消えた。
このまま誘拐して一行を困らせようという考えが脳裏を過ぎったが、実行には移さず、幼い王子を連れて洞窟を出るのであった。
◇
気付けば時間が経過しており、屋敷の近くではノティザの名を呼ぶ声がたくさん聞こえていた。
さすがにそこまでは行けないため、アジュシーラは屋敷が見える場所まで彼を連れて来た。
「ごめんね。オイラ、もう帰らなきゃいけないから」
「そんな~……」
「せっかく心配してくれる家があるんだから、もう帰った方が良いよ。大丈夫。“ごめんなさい”さえ言えば、すぐに許してもらえるよ。昨日の王子様のこともチクってやりな」
アジュシーラはまるで兄になったかのように、今から寂し気な表情を浮かべるノティザを説得した。
「オイラちゃん、また会える?」
「……たぶん」
嫌々受け入れようとするノティザに聞かれるも、曖昧に返事をした。
相手が敵側の家族なら、簡単に会える保証は出来なかったからだ。
「ほんとう?! やくそくだよっ! ぼく、またオイラちゃんとお話ししたい!」
ほんの少しの希望でもノティザにとっては嬉しいらしく、彼は声を弾ませた。
それを見て癒されたアジュシーラも「オイラもだよ」と優しく笑ってみせた。相手が人間であることをすっかり忘れているようだった。
相手の返答に満足したノティザは「しゅぎょー、がんばるね!」と意気込み、まっすぐ屋敷へ向かって走って行った。
アジュシーラが名残惜しそうにその後ろ姿を見守っていると、相手の前方から馬車がやって来た。
その扉が開くと、中からフィトラグスが降りて来た。
「ノッティー!!」
「おにいちゃん?!」
弟を見つけ、心配の眼差しで駆け寄るフィトラグスに対し、ノティザは久方ぶりの兄との再会に顔を輝かせた。
「やばっ!」見つからないようにアジュシーラは近くの茂みに身を隠した。
ノティザは「会いたかったよ~!」と、はしゃぎながらフィトラグスに抱き着くのであった。
ところが次の瞬間、フィトラグスはノティザを突き放すと、小さな頬を引っ叩いた。
乾いた音がアジュシーラの耳にも入る。
「バカ野郎!! 今までどこで何してた?! 修行をサボって、黙っていなくなって!」
「おにい……ちゃん?」
ノティザは痛みが走る頬を押さえながら、怒鳴る兄を見つめ返した。
自身が兄に怒鳴られたのは、これが初めてだった。
「みんながどれだけ心配したと思っている?! ノティザに何かあったら、父上も母上も、従者たちも、国民もみんな悲しむぞ! 兄上だって同じだ!! ハシゴを使って屋敷を抜け出したことも問題なんだぞ! わかってんのか?!」
フィトラグスはノティザを怒鳴りつけた。だが、これは幼い弟を心配しているからこそだった。
だから敢えて、いつもの「ノッティー」ではなく「ノティザ」と、自身のことも「兄上」と呼んでいるのだ。
ノティザは涙を流しながら「ごめんなさい……」と謝った。兄の剣幕を受けて、初めて自分がした過ちを思い知ったのであった。
フィトラグスも弟を叱るのは初めてだったため、心苦しかった。
泣き出すノティザを抱きしめようと手を伸ばそうとしたその時、青紫色の魔法弾が飛んで来た。
「危ない!」
フィトラグスはノティザを思い切り突き飛ばし、バク転して魔法弾を避けた。
二人とも無事だったが、魔法弾が落ちた衝撃で馬車を引く馬は驚いて逃げ出してしまい、ノティザは気を失ってしまった。
フィトラグスが魔法弾が飛んで来た方向へ目をやると、こちらを睨みつけるアジュシーラの姿があった。




