第86話「脱走」
インベクル島。
かつての守役・カディゲンが全面的に協力してくれることになった。
と言うのも、ノティザに見つかれば国王にバレ、フィトラグス共々自分も咎められるからだった。
二人は島の屋敷に向かう間、話をした。内容はもちろん、ノティザのこと。
「ノッティー、修行頑張ってるか?」
「は、はぁ……」
フィトラグスに聞かれると、カディゲンは苦笑いしてから説明し始めた。
「初日から“お城に帰りたい”だの“お兄ちゃんやママに会いたい”と泣いてダダをこねたのです。次の日から無理やり修行を始めたのですが……、剣技は負かされると拗ねてやる気を無くしたり、馬は餌をあげる分にはいいのですが、乗るとなると“怖い”と言って泣き出すんです……」
「そうなのか……? 俺は剣術も馬術も好きだったけどな」
「唯一の救いは、学問だけはきちんと受けて下さることです。ノティザ様、勉強はお好きのようですから」
「俺、勉強は嫌いだったな……」
同じ国の城で同じ母から生まれ、同じ乳母に育てられたはずなのに真逆の兄弟。
インベクル王家の男性は剣術と乗馬は絶対だった。それが苦手となると、「今からやらなくてもいいんじゃ?」と思うフィトラグスであった。
「まだ始まったばかりです。今は苦手でも、そのうち慣れて来ます。フィトラグス様が勉強がお嫌いで、授業をおサボりになったことも先生方、皆、許してくれております」
カディゲンが昔を思い出させながら言うと、フィトラグスは耳が痛くなった。
「そして、“無理矢理やらされて可哀想”などとは思わないで下さい。フィトラグス様が克服出来たように、ノティザ様もいつか乗り越えられる時が来ますので」
「お、おう……」
先ほど思ったこともとっくに見透かされていた。
「さすが守役……」改めてカディゲンを侮れない王子なのであった。
◇
島の奥にある屋敷。ここはインベクル王国の別荘として使っていた。
兄が島に来ていることも知らずに、ノティザは自分の部屋でふてくされていた。
「これから“けんじゅつ”か……。やだな~」
ノティザは剣の修業が一番苦手だった。
子供なのでいきなり真剣は持たせてもらえず木刀でのスタートだったが、たくさん振ると腕が疲れるし、目標の的に振っても外す方が多く、稽古をつけてくれる師匠からは怒られる日々だった。
「おにいちゃんやママはやさしかったのに、この島の人たちはやさしくないや……。おべんきょうの先生は、いっぱいほめてくれるけど」
本を読むのが好きなノティザは勉強はよく出来た。
最近興味があるのは、ディファートのことだった。今年の春、魔王ディンフルを目の当たりにし、初めてディファートと出会ってからその歴史に関心を持つようになったのだ。
だが、ディファートの資料は大昔に廃棄され、今はほとんど残っていなかった。
しかし、和解のために生き残っているディファートがインベクル王国へ唯一残っている歴史の資料を寄付してくれていた。
ノティザは読み書きは出来るが、難しい言葉はまだわからないので絵や写真を見て何となくだが理解するように努めた。
「午前ちゅうは、おべんきょうだったけど、午後は“けんじゅつ”か。やだな~!」
幼い王子は再び不満を垂れた。
昨日は、別の国から少し年上の王子が稽古をつけに来てくれた。
だが、ノティザが弱いとわかるとわざと加減をせずに叩いたり、最後は「フィトラグス様がお前ぐらいの時はもっと強かったらしいぞ。お前が王子になると国が終わるな」など嫌味を言って帰って行った。
このことからノティザは剣術が大嫌いになり、もう木刀を見るのもイヤになっていた。
◇
屋敷の外の茂み。
ヴィヘイトル一味の一人・アジュシーラが仏頂面で待機していた。
「エグは“アジトに侵入されたのは、お前らがカギ掛けて出なかったからだ”って怒るし、レジーは“廃墟にカギがあると思ってるの?”って火に油注ぐし、おばさ……ネガロンスさんは“みんなが帰って来てくれて嬉しいわ~”ってやたらウザいし、ヴィヘイトル様もアジトが見つかったオイラたちを睨むしで、城に居づらいよ。やだな~。こうなったら、この建物乗っ取って一人で住もうかな?」
目の前の屋敷にいるノティザと同じように、アジュシーラも不満を抱えていた。
ただ、呼び方にうるさいレジメルスがいないにもかかわらず、ネガロンスをさん付けすることは忘れなかった。
そして、彼の目的は屋敷の乗っ取りだけでは無かった。
「ユアたち、今日はこの島に来てるんだよね。あの白魔導士の魔法陣を解くとか何とかで。その方がオイラにとっても都合がいいや!」
アジュシーラはすでにユアたちの行動を、額の目で読んでいた。
本来、敵が先回りするのであれば、主人公たちがこれから会う者を襲って冒険を妨げるが、彼は敢えて魔法陣を消させに向かわせていた。何故なら……。
「闇の魔法陣が消えるってことは、もう白魔導士がオイラに乱暴することは無いってことだしね。また弱くなったところをオイラがおびき出してやっつけてやる!」
ティミレッジの闇墜ちした姿のダークティミーが、今も怖くて仕方がなかった。
魔法陣が消える、つまり闇墜ちすることがもう無いので、その瞬間を狙っていたのだ。
「待ってろよ、白魔導士! オイラをバカにしたこと、絶対に後悔させてやる! 泣いて謝られても許さないもんね!」
アジュシーラが不敵な笑みを浮かべながら、ティミレッジが負かされた場面を妄想していると、屋敷の数ある窓の一つが開き、自分より年下の子供が出て来た。
子供は窓から緊急避難用のハシゴを垂らすと、こちらへ背を向けてそれを使いながらゆっくりと降りて来た。
「屋敷に子供……? 何で窓から出てるんだ?」
光景を目にするとアジュシーラの妄想は止まり、すっかりその子供に目が釘付けになった。
しばらく見守っていると子供が足を滑らせ、その拍子に手をハシゴから離して落ち始めた。
「チーキネス・シュピーレン!」
アジュシーラは一瞬血の気が引き、咄嗟に必殺技を出した。
今回の技は、落ちた子供をオレンジ色の球体で包み、ゆっくりと地面に着地させるものだった。
窓から降りて来たのは、ノティザだった。地面に着いて球体が割れると、彼は「すごーい、魔法だ!」と感激した。
子供が無事だったのでアジュシーラも胸を撫で下ろし、思わず相手の元へ駆けつけた。
「ダメじゃないか! あんな高いところから降りたら! オイラがいなかったら、死んでたんだぞ!」
駆け付けたアジュシーラの前髪は乱れてしまい、額にある第三の目が丸見えになっていた。
「おでこに、おめめがある~!」
ノティザは怖がるどころか、さらに喜びの声を上げた。
目を輝かせる相手に、アジュシーラは理解が出来なかった。
「君、オイラのこの目、怖くないの……?」
「うん! 人間じゃないみたいでおもしろ~い! あと、おにいちゃんの“オイラ”もおもしろ~い!」
「“オイラ”は別にいいだろ! それより、もう窓から降りるんじゃないぞ!」
アジュシーラがノティザをたしなめていると、開いた窓の部屋から「ノティザ様がいなくなったぞ!」と大人の騒ぐ声が聞こえて来た。
声に気付いたノティザが急いで茂みに隠れると、つられてアジュシーラもそれに続いた。
「君、このお屋敷の子なの?」
「う、うん……。でも、もどりたくないんだ!」
「何で?」
「……なんでも! ぼく、にげ出してやる!」
昨日の剣術の修業を思い出したノティザはふくれっ面をしながら、その場で立ち上がった。
「ストップ! むやみに動いたら見つかるよ! 遠くへ逃げたいなら、オイラに任せてよ!」
アジュシーラはノティザを連れて、空間移動の魔法を使って消えてしまった。
同じ頃、屋敷では「ノティザ様がハシゴを使って逃げ出した!」と、さらに大騒ぎになっていた。




