第75話「魔王の歌唱」
食堂はすっかりパーティーのように盛り上がっていた。
途中、食事目的で来店した客は、盛り上がる宿泊客をきょとんとした表情で見つめながら食事をするのであった。
酔っぱらいたちのテンションはピークに達し、紅一点のユアに根掘り葉掘り聞いて来た。
「お姉ちゃん、歳いくつ?」
「スリーサイズ教えてよ」
「この中では誰が好き? てか、タイプ?」
一気に色々と聞かれたので、ユアはどの質問にも答えられなかった。何よりも……。
(リアリティアだと、セクハラだよ!)
胸の内では、はらわたが煮えくり返っていた。
質問攻めに耐えられなくなると、トイレを口実に席を立つのであった。
食堂にある小さなステージでは、酔っぱらいたちが歌って盛り上がっていた。
そんな中、一行へマイクが向けられた。
「王子様たちも何か歌ってよ~」
「えっ?!」
一人が言うと、他の酔っぱらいたちから拍手と歓声が湧き起こった。
「それ、いいね!」
「王子様の歌声とか聞いたことない!」
「ぜひ聞かせてくれ!」
「王子様ってことは、俺か?!」フィトラグスは明らかに嫌がっていた。
「歌は公務以外ではあまり……」
「そんなこと言わずにさぁ!」
「大丈夫! 俺らでも下手くそしか集まってないんだから!」
「情けない。私が歌おう」
乗り気でないフィトラグスを見て、ディンフルが名乗り出た。
仲間内と食堂内から驚きの声が上がった。これには食事目的で来た客まで目が釘付けになった。
ディンフルは食堂にいるすべての客から顔を知られており、魔王であった彼が歌うとなると、もちろん騒然とするのであった。
「あ、あんた、歌えるのか?!」
「フィットを庇うためだからって、無理しなくていいですよ!」ティミレッジが気遣った。
「庇ってなどいない、私が歌いたいだけだ。ユアからもお墨付きをいただいているからな」
「でも、ディンフルの歌って聞いたことないな。どんなのか楽しみじゃね?!」
オプダットが目を輝かせると、他の二人もディンフルの歌が気になり始めた。
「確かに……。普段いい声しているから、歌も上手そう!」
「そうだな。俺が歌わなくてもいいなら、頼む」
ティミレッジも期待し始め、フィトラグスも躊躇なく頼んだ。自分が歌わずに済むからだった。
ディンフルはステージに立つと、マイクを持った。曲は、フィーヴェで知らない者はいないと言われている「フィーヴェの子守唄」。
フィーヴェにはカラオケの機械が無いので、客の生演奏による伴奏が流れた。
◇
ユアはトイレの個室にこもって気分を落ち着けていた。
質問攻めに加え、居酒屋で過ごすのは生まれて初めてなので、疲れが出てしまっていた。
そのため、少し離れて一人の時間を過ごしたかったのだ。
「そろそろ戻るか」
ユアがトイレから廊下へ出ると、不協和音のような歌声が響き渡った。
「な、何?!」
その音に聞き覚えがあった。
それは、かつてリアリティアでディンフルとデートした際に、彼がカラオケで披露したものと同じだった。
「まさか……」
ユアは血の気が引きながらも食堂へ戻った。
すると、小さなステージで自信満々に歌うディンフルと、気絶したり歌声を聞かないように耳を塞いだりする客たちがいた。
ユアを見つけたオプダットが真っ先に聞いてきた。
「ユア……本当なのか? ディンフルにイカ墨をやったって……」
「イカ墨……?」
何のことだかわからず困惑していると、横からティミレッジが訂正した。
「それを言うなら、“お墨付き”ね。さっき、ディンフルさんが言ってたでしょ……」
「ねえ。何で、ディン様が歌ってるの……?」
ユアが疑問をぶつけたところで、堪忍袋の緒が切れたフィトラグスがマイクの電源を落とした。
歌声が聞こえなくなると、演奏してた人も止めてしまった。「やっと終わった……」と、どこか安心したような顔つきだった。
だがディンフルはいいところで消されたらしく、怒りを露わにした。
「何故消す?! これからと言う時に!」
「まともなレッスン受けてから歌え、この下手くそが!!」
フィトラグスが一番言ってはいけないことをストレートに口走ると、ユアの顔が青ざめた。
ディンフルも負けじと言い返した。
「何が下手くそだ?! 私はちゃんとユアから“上手い”と言ってもらったのだぞ! なぁ、ユア?!」
「ふぇ?!」
最後に話を振られ、ユアは硬直した。
確かにディンフルの歌は褒めたが、お世辞である。それに、推しを悪く言うのも気が引けたからだった。
「ユア! 何でこんな奴の歌を褒めたんだ?! 音は外れまくって、リズムもグダグダ、声が無駄に大きいだけだろうが!」
「貴様、表へ出るか?!」
明らかに険悪な空気になって来たのでユア、ティミレッジ、オプダットは揃ってうろたえた。
「まあまあ! せっかく、ここの料理美味しいんだから食べようよ!」
ユアは場を収めるために、適当に取った料理をディンフルの口へ入れた。
「そう言うのなら、食べてやらんこともない。……ぶっ!」
ディンフルは口に入れた料理を少し噛んだ後で吐き出した。
「ピーマンではないか! 俺が嫌いなのを知っているだろう?!」
「ごめんなさーい!」
ユアは誤って、ディンフルが嫌いなピーマンを食べさせてしまった。
今度は贖罪のつもりで、壁に置かれた樽の蛇口をひねって出した飲み物を新しいグラスへ注いだ。
「口直しにどうぞ!」
渡されるがまま、ディンフルはユアからグラスを受け取り、中のものを飲んだ。
すると、また吹き出した。
「さっきから吹き出すなよ、汚ねぇな!」
フィトラグスから苦情が飛ぶも、ディンフルはさらに怒り心頭だった。
「ユアァ!! これは酒ではないか! ピーマンと言い、俺を殺す気か?!」
「お酒ぇ?!」
ユアは居酒屋が初めてだったので、壁に設置された樽から酒が出ることも知らなかった。
さらに……。
「ここのお酒は、樽から出すのは特に高いんだけどね……」女将さんが苦笑いしながら言った。
「ごめんなさ~い!!」
ピーマンと酒でディンフルの体調は最悪だった。
特に飲酒で足元がふらつき、立つこともままならなかった。
「あんた、そんなに酒弱かったのか?」
「先ほども言ったが、酒は飲めぬ……!」
「下戸なんですね」
ディンフルが乱暴に答えた後で、ティミレッジが言った。やはり、ここで……。
「ゲコってことは、ディンフルはカエルだったのか~?!」
オプダットは言い間違いどころか言葉すら知らなかった。
しかも彼もすでに酔っていた。酔っぱらいたちと盛り上がるうちに飲まされたのだろう。
「知らないと思った……」
「それよりもだな……部屋へ運んでくれ。一刻も早く休みたい……」
「はい、ただいま!」
ディンフルが催促すると、すかさずユアが駆けつけた。
しかし肩を貸して部屋へ運ぼうとしたその時、彼の体重を支え切れず、バランスを崩してしまった。
「おわぁっ!」
「何をしている、バカ者……!」
倒れる際、ディンフルはテーブルに手を掛けようとするが、間違えてフィトラグスの肩に掛けてしまい、そのまま二人そろって倒れてしまった。
フィトラグスの上にディンフルがうつ伏せに乗る羽目になった。
「うわぁぁぁーーーーー!!」
「何してんだ?! 早く降りろ!」
「す、すまぬ……!」
ディンフルが横へ避けると、フィトラグスは急いで体を起こし、全身をパンパンとはたいた。
「何でラスボスと抱き合わなきゃいけねぇんだ?! 気持ち悪い!」
「“気持ち悪い”とは何だ?! 私こそ、貴様とは冗談ではない!」
明らかに嫌がるフィトラグスと、酔っていても口だけは達者なディンフル。
「まあまあ!」と、いつも以上に慌てて諌めるティミレッジ。
その横で「仲良くなったなぁ……」と誤解して、嬉し涙を流すオプダット。
さらにその横ではユアが「尊い……!」と一人、顔を赤らめるのであった。
そんな五人のめちゃくちゃな様子を見つめる目があった。
その人物はマンゴープリンパフェを食べながら、冷たい口調で言った。
「魔王は酒が入ると弱体化するのか。良い情報を得ました。気は向きませんが、ドーネクト様に報告せねば」
闇魔導師ドーネクトの助手・ダーケストだった。




