第70話「次の作戦」
インベクル城。
ディンフルが中庭のテラスに来ると、サーヴラスが数冊の本を手に取って見ていた。
ディンフルが呼びかけると、相手は視線を本から移動させた。
「ユアへ飲み込みやすくて栄養満点の食事を用意してやって欲しい。食欲がないようなのだ」
「まだ喉を痛めていらっしゃるのですか?」
「そうだ。とにかく柔らかいものを作ってやって欲しい」
「かしこまりました。それよりディンフル様、ユア様のことですが……」
サーヴラスは言いながら、読んでいた本を相手へ見せた。
それは大学入試の参考書や問題集で、フィーヴェのものではなかった。
「これは勉強の本? リアリティアのものだな」
「ユア様が顔を赤くして読まれていたので、申し訳ないですが没収させていただきました」
「ユアが……?」
「何でも、“入試に間に合わない”と無理して読んでおられました。さすがに今の状態では良くないと思いました」
ディンフルは思い出していた。ユアが来春の大学入試のために勉強していることを。
本来ならリアリティアの弁当屋でお金を貯めながら勉強に打ち込んでいるはずなのに、自分たちの事情に付き合わせている。
どっちみちリアリティアも今は居づらくミラーレに来たが、クルエグムの襲撃により、フィーヴェにやって来た。先日の戦いで、ユアが彼へ怒りを示したのはそのこともあったのだ。
(せっかく落ち着いた場所を見つけ、勉強に集中出来ると思っていた矢先にこれだからな……。奴に腹を立てるのも無理はない。ヴィへイトルたちを早く何とかせねば!)
ディンフルはサーヴラスから入試の本を一旦預かり、その日は特にトレーニングと邪龍退治に精を出した。ユアを早く自由にするために……。
◇
その頃の廃墟。
クルエグムがレジメルスとアジュシーラを呼び出し、今後の作戦を発表していた。
「ジュエルはもう取られたから、近くの町や村を襲う。それで奴らが来たら、誰かを人質に取って“ジュエルを捨てろ”って脅すんだ」
得意げに話すクルエグムだが、聞いていた二人は乗り気でなかった。
察した彼が怒鳴りつけた。
「聞いてんのか?!」
「聞いてるよ。ありきたり過ぎて、試す価値すらない作戦内容を」
「あぁ?!」
レジメルスの冷静な皮肉が、クルエグムの怒りを増幅させた。
「人質取って、あいつらが従うと思ってんの? 特にディンフル。フィトラグスらは怯むかもしれないけど、あいつだけは強引に奪い返しに来ると思うよ。自他共に認める戦闘のディファートだからさ」
レジメルスに解説され、クルエグムは言い返せずにうなった。
「じゃあ、レジーは何か作戦あるの?」今まで聞いていたアジュシーラが尋ねた。
「無い」
即答するレジメルス。クルエグムが再び怒号を上げた。
「てめぇ、ふざけてんのか?! ねぇなら、いちゃもん付けんな!」
「“現時点で無い”って意味だよ。“慎重に行け”って言ってんの。相手の中には、ヴィへイトル様の弟がいるんだから」
怒りを表したクルエグムだが、「ヴィへイトルの弟」と聞いて再び口をつぐんだ。
ディンフルとヴィヘイトルは現時点で殺し合うほどの不仲だが、自身が崇拝する者と同じ血が流れているのだ。
「僕だって伊達に“だるだる”って言ってるわけじゃないからね」
最後にレジメルスが付け加えると、クルエグムはますます面白くなく思った。
自分は三人衆のリーダーとして頑張っているが、年上のレジメルスはいつも「だる……」を連発し、やる気のなさが目立っていた。実際やる気がないわけではなさそうだったが、クルエグムはレジメルスが気だるく過ごす部分が前から気に入らなかったのだ。
苛立ったクルエグムが会議を中断し、部屋から出ようとした。
「どこ行くの?」
アジュシーラが聞き止めると、「関係ねぇだろ!」とクルエグムは八つ当たりするようなトーンで返した。
そんな彼へ、レジメルスがさらに尋ねた。
「前から思ってたけど、何でユアに“付き合え”って言ったの?」
出て行こうとしていたクルエグムの足が止まった。
「お前が女性に興味持つとは思わなかったよ。最初は殺そうとしてたくせに」
「“エグって呼んでくれ”も意外だったしね」
レジメルスとアジュシーラがそろって疑問を抱いた。
後者は、二人が帰った後にクルエグムがユアへ言った発言だが、アジュシーラは額の目で覗き見たのだろう。
「勘違いすんな、彼女にする気はねぇ! あいつを奪うとディンフルが困るだろ? そのために利用させてもらうんだよ!」
クルエグムがムキになって返すと、二人は絶句した。
レジメルスが怒りを交えた低いトーンで言い始めた。
「それじゃあ、バカの武闘家の友人と一緒じゃん。そういう考え、大嫌いなんだよね……!」
「嫌いでけっこう! 俺はヴィへイトル様のためなら手段は選ばねぇ! ましてや、仲間に好かれようが嫌われようが知ったこっちゃねぇ!」
クルエグムはそう吐き捨てると、ドアを力強く閉めて出て行った。前と同じく、ドアは衝撃に耐えられずに外れてしまった。
「壊したら自分で直してよね!」
ふくれっ面のアジュシーラは工具を持って来ては、ドアの修理に取り掛かるのであった。
◇
インベクル城のフィトラグスの部屋。
彼はディンフル、ティミレッジ、オプダットの三人を呼び出していた。
「突然すまない。俺、思うことがあるんだ」
「どうしたの?」
ティミレッジに聞かれると、フィトラグスは少し迷ってから答えた。
「ディファートは人間に恐怖心を抱いている。だから、ディファートの保護も慎重にやった方がいいと思うんだ」
「そんなこと、前からわかっている」
パーティ内で唯一のディファート・ディンフルが喧嘩腰で答えた。
幼少期から人間に虐げられて来た彼にとって、保護活動を慎重に行うことはすでにわかりきっていた。
「何で、いきなりそんなことを言い出すんだ?」
今度はオプダットが尋ねた。
「アジュシーラと戦った時にわかったんだ。ディファートは長年、人間からひどい目に遭わされて来たから怖く思うことは不思議じゃない。でも同時に、俺ら人間もディファートを怖がっていることに気付いたんだ」
「何故、人間が怖がる? 相手がディファートと言うだけで上から目線になる者もいたぞ」
ディンフルは自身の経験を思い出しながら言った。
だが、人間が弱いことがわかると彼が上から目線になっていたことは、三人とも黙っておいた。
「俺たちはディファートと会ったのはあんたが初めてだから、まだまだ未知の種族なんだ。一人一人、能力が違うって言うが、それがどれほどのものなのかとか、人間と性格や体質も違うのかとか、わからないことばかりなんだ。つまり、人間側もまだディファートが怖いかもしれないんだ」
フィトラグスが言うと、部屋の中が静まり返った。
考えた後にティミレッジが口を開いた。
「確かにディファートは未知の種族だ。僕は怖くないよ。むしろ、知らないことが多いからわくわくするよ。クルエグムみたいな人は怖いけど……」
「俺もどんな能力があろうとなかろうと、仲良くしたいぜ!」
ティミレッジは知識を深めるため、オプダットは仲良くしたいためにディファートを受け入れる気でいた。二人の思いは、前の旅から変わらなかった。
「本当にポジティブだな。人間がお前たちばかりだと良かったのだが……」
ディンフルは賛同する二人へ改めて感心した。
彼は前の旅の序盤では人間嫌いなままだったが、終盤では共に超龍を倒したり、フィトラグスらを受け入れたりと他族への思いにわかりやすく変化が出ていた。
「つまり、何が言いたい?」
ディンフルは自分の思いを語った後でフィトラグスへ聞いた。
「もう一度、ディファートを知る機会を作らないか? 大昔、ディファート撲滅のために彼らに関する資料を捨てられてしまったが、復刻させるんだ。そしたら人間たちの理解者も増えるし、ディファートも人間へ心を開くかもしれない」
「それ、いいな!」
フィトラグスの提案にオプダットが明るい声で賛成した。
しかし、あとの二人は黙ったままだ。フィトラグスが「どうした?」と言いたげな視線を向けると、ティミレッジが冷静に話した。
「すごくいい案だよ。でも、今は難しいと思う。ディファート反対派の行動も過激になって来てたし、資料を復刻させてたら途中で邪魔されるよ」
続けてディンフルも言った。
「いずれ、私や魔導士たちで行うはずだったが、今はそれどころではない。ディファート反対派もそうだが、ヴィへイトルらの問題もあるだろう。奴らは人間反対派だ」
フィトラグスとオプダットは思い出していた。
オプダットら武闘家でディファートだけの集落を作っていたが、何度もディファート反対派に妨害されて来た。
そしてヴィへイトル一味の目的はわかっていないが、無差別事件を起こしたり邪龍を召喚し続ける辺り、人間を根絶やしにしようとしていることは間違いなかった。
こうして両者の反対派がいる限り、資料の復刻などの保護活動は難しかった。
「まず、今はヴィへイトルらを止めねば。奴は放っておくと何をしでかすかわからぬ……」
「そうだったな。こんな時にすまない」
フィトラグスは場違いな発言をしたことを詫びたが、ディンフルは穏やかな顔で返答した。
「いや、逆に気遣わせてしまい申し訳ない。提案も感謝する」
謝罪と感謝をされたフィトラグスは思わず身震いをした。
その反応に、ディンフルが眉間にしわを寄せた。
「何故、震える……?」
「あ、あんたからそんな顔向けられるの、久しぶりで……」
「私が感謝してはならぬと言うのか?!」
「そんなことは言ってないだろ!!」
せっかくいい感じで終わりそうだったのに、すぐに口論が始まってしまった。
ティミレッジとオプダットはもう見慣れたからか、「また始まった」と言わんばかりに呆れた目で二人を見るのであった。




