第29話「人生初の参戦」
インベクル王国前の草原のど真ん中。
今日からユアの修業が始まる。ゲーム中では、この付近は序盤で弱いモンスターしか出ないため、戦闘経験がないユアにとっては打って付けだった。
「いい? どんなモンスターが出ても、怖がらずに挑むこと。あと、“攻撃したら可哀想”っていう同情もしない!」
「はいっ!」
モンスターと出会う前にソールネムから忠告があった。
ユアは元気よく返事をした。これまでイマストシリーズ(Vは除く)を遊んだことがある彼女にとっては朝飯前だと思っていた。
しかし、それはゲームでの話。
戦い方の説明を聞いている間に、五〇センチほどの背丈で緑色のベトベトした塊が近づいて来た。
「スライムだ!」
チェリテットが叫ぶ。
ユア以外の者は誰一人、物怖じしなかった。何故なら、目の前に現れたモンスターは彼らにとってそれほど強くなかったからだ。
「こ、これが、本物のスライム……?」
「そうよ。早速だけど、戦って!」
ソールネムが指示を出した。
ところがユアはその場から動かず、武器のチアーズ・ワンドを出す素振りも見せなかった。
◇
その頃、インベクル城内。
ベッドの上で体を起こすディンフルが、腕を組みながらそわそわしていた。
世話をしていたサーヴラスが声を掛ける。
「ディンフル様、どうされたのですか?」
「どうもこうもあるまい……。今日からユアが修行に出るのだぞ!」
「修行と言っても、このインベクルの周りだけですよ。そんなに遠くへは行かないので……」
「あいつだからこそ心配なのだ!」
ディンフルはサーヴラスの言葉を遮った。距離の問題ではないようだ。
「あれは持って来ているか?」と催促されるとサーヴラスはすぐに理解し、黒色の水晶玉を手渡した。
それはディンフルが魔王の時に使っていた、他の場所を映し出してくれるものだった。
サーヴラスが水晶玉に魔法を掛けると、中にユアたちの姿が映し出された。
「早速、スライムと対峙しているな」
◇
インベクル草原。
スライムを前に、ユアはガチガチになっていた。
「ユアちゃん、どうしたの?」
「早く武器を持てよ! あの……チーズ・ランドって名前の!」
「“チアーズ・ワンド”ね!」
ティミレッジが尋ねるとオプダットが言い間違え、それをチェリテットが訂正した。
三人もいつもと違う様子のユアを心配していた。
ソールネムがユアを覗き込むと、ぎょっとした。
相手の顔が青ざめていたのだ。
「どうしたの?! あのスライムは私たちのゲームに出て来るんでしょう?!」
今にも倒れそうなほどの顔色のユアへ、ソールネムが慌てて聞いた。
「で、出て来る……。で、で、でも……、イマストのスライムって気持ち悪いんだよ~!」
「は……?」
ユアの告白に、その場の一同および城から水晶で見ているディンフルとサーヴラスが口をぽかんと開けた。
「みんなは知らないと思うけどイマスト以外にもRPGはあって、それに出て来るスライムはポップで可愛いんだよ! でもイマストだけ妙にリアルで、他では可愛いモンスターも怖く描くんだよ! だから、気持ち悪くて戦いたくないんだよ~!」
「何バカなことを言ってるのっ?! 気持ち悪くても戦わなきゃいけないのよ!」
早くも弱音を吐くユアへ、ソールネムの雷が落ちた。弁当屋のまりねと同じレベルだった。
「ね、ねえ……。他のRPGの世界で修行して来ていい? あっちの方がたぶん戦いやすいかも……」
「”見た目がポップ”って言ってたけど、その方が却って倒しにくくない?」
ユアが提案を持ちかけるが、すぐチェリテットに論破されてしまった。
気持ち悪くて戦えなければ、ポップな見た目では「可愛くて戦えない」と言うと予想出来たからだ。
「今は目の前のモンスターに集中して! 戦い始めたら、“気持ち悪い”だの“怖い”だの言ってられないわよ!」
「わ、わかった……」
ユアがチアーズ・ワンドを出そうとすると、スライムがぶよぶよと体を動かしながら近づいて来た。
こちらが行動に出ないので、向こうから仕掛けて来たのだ。
「早く! スライムから攻撃が来るよ!」
「やだやだ! 見るだけでも気持ち悪いのに、攻撃されるなんてもっとイヤだ!」
チェリテットに言われ、ユアはチアーズ・ワンドを取り出すが慌て過ぎて手が滑り、落としてしまった。
「何やってるの?!」再びソールネムの雷が落ちる。
「そ、そんなこと言われても……!」
急いで拾おうとするも、手が震えて上手くつかめない。
もたもたしている間にスライムがユア目掛けて飛び掛かって来た。
「ひゃあ~!!」
すかさず避けたのでダメージは負わなかったが、ユアは悲鳴を上げてスライムとは真反対へ走り出した。
「ユア?!」
一同が声をそろえた後で、ティミレッジとオプダットが追いかけて来た。
「逃げちゃダメだよ、ユアちゃん! 相手はレベル1のスライムだよ?!」
「敵に背中見せると負けたも同然だぞ!」
「そんなこと言われたって、怖いも~ん!」
オプダットが先回りし、ユアの両肩をつかんで彼女の走りを止めた。
「そんなこと言ってたらディンフルがまた怒るし、敵集団とも戦えねぇぞ!」
ユアは気付かされた。ここで逃げたらディンフルからの信頼が薄れ、昨日の決意が台無しになってしまう。そうでなくても心配させていると言うのに……。
そして、低レベルのスライムから逃げているようではヴィヘイトル一味とも戦えない。このままでは、嫌々クルエグムからの告白を受ける羽目になってしまう。
「それだけじゃないよ。ディンフルさんに武器を没収されて、また“リアリティアへ帰れ”って言われるよ……」
後から走って来たティミレッジも、息を切らしながら説得し始めた。
ユアは現在、リアリティアには居たくなかった。だが、戦わないとなれば強制的に帰されるかもしれない。
今のユアにとって、リアリティアに帰るのは一番耐えがたいことだった。
二人の説得でユアは思い直し、スライムがいる方へ戻って行った。
それを見たソールネムとチェリテットも安心した顔になった。
再びスライムと向かい合うユア。
闘志は戻った。……が、肝心の武器が手元に無かった。
「あれ? チアーズ・ワンド、どこにやったっけ?」
一同が再びため息をついた。
チアーズ・ワンドはスライムの後ろに転がっていた。
「何であんなところに?!」
武器の居所を発見した途端、スライムがまた飛び掛かって来た。
逃げ出すわけにもいかなかったが、武器が離れた場所にあるのでどっちみち戦えない。
「来ないでー!!」
思わず、手をグーにして突き出した。
見事相手に当たると、スライムはバラバラに飛び散った末に黒いモヤとなって消えてしまった。
見ていた一同から拍手と歓声が起こった。
「やったぜ、ユア!」他の者より速く拍手するオプダット。
「え? た、倒したの?」
「そうだよ! フィーヴェのモンスターは黒いモヤとなって消えるから死骸が残らないんだ」嬉々と語るティミレッジ。
ソールネムとチェリテットも初めは嬉しそうだったが、すぐに真顔になった。
「でも、スライムを素手で倒した人は初めて見たわ……」
「そうなの?! オープンやチェリーみたいな武闘家は素手だよね?」
「スライムの時は専用のアクセサリーを着けるんだよ。でないと……」
チェリテットは言いながら、ユアの手を見た。
つられてユアもスライムを殴った手を見ると、緑色の粘液がべったりとついていた。しかも、ドブのような悪臭も漂っていた。
「くっっっさ!! これ、取れないの?!」
「モンスターの本体が消えた後で一緒に消えて、臭いも無くなるよ。本来ならチアーズ・ワンドで戦うべきだったけどね……」
ティミレッジが今度は苦笑いしながら教えてくれた。
ハプニングはあったものの、ユアの初戦は何とか勝利で終わった。
本来、素手だけでスライムは倒せないが、今回勝利出来たのはイポンダートからもらった「トウソウ・モード」のおかげだった。
◇
インベクル城内。
水晶玉で様子を見守っていたディンフルが頭を抱えていた。
「大丈夫ですか……?」
サーヴラスが心配で声を掛ける。
「ダメだ。不安しかない……。今からでも“帰れ”と言ってやりたい」
「ま、まだ始まったばかりですから。オプダット様やティミレッジ様もついております。これから少しずつ強くなりますから。……たぶん」
励ますサーヴラスも、行く末が見通せなかった。
その後、ディンフルはあまりの心配から頭痛で寝込むのであった。




