サーシャ
婚約者のイアンに恋人がいるのは知っていた。
浮気? 本気なのか? どっちかよくわからない。
ただ、婚約が決まったのに、いまだに貼りついている女ってどうなの?
……「真実の愛」とか言わないだろうな。
ずっと、愛人になるんだけど、それでいいんですかね。
王都の中心部のアパートメントに囲っているらしい。
借りているのが、恋人本人なのかイアンなのかは知らないが。そこに入り浸っているのは事実。
まあ、それはいい。よくはないが。でも期待もしていなかったし。家のなんやかんやの事情で結婚することになっただけ。
イアンははじめっから、態度が悪かった。わたしが気に入らなかったのか、親が決めた婚約が気に入らなかったのか、両方なのか。
親がいる間は、愛想笑いは浮かべていたけれど、いなくなったとたん「はあ」と大げさにため息をついた。
まるで自分だけが犠牲者みたいな顔をして。
いやいや、わたしだってあなたが好きなわけじゃありませんよ。
それでも婚約した以上は、うまくやっていきましょうと、まがりなりにも思ったんでけどね。睨みながらため息をつくやつとは、うまくやっていける気がしない。無理よ。早々に見切りをつけた。
わたし、悪くないよね。
もうちょっとマシな男、いるでしょ。
イアンはどういうつもりなのか。
なんか、自分ではイケてるつもりらしい。モテると思っている。
だから、イケてる自分が結婚してやるんだから喜べよ。みたいなことは、しょっちゅう言われた。
はあ?
金髪碧眼と言い張るけれど、金髪というより藁色。青というよりちょっと青っぽいグレー。
まあ、背が高いのは認める。騎士らしくたくましいのも認める。
でもな。
「ナルシストよね。自分がきゃあきゃあ言われてると思ってるみたいだけど、きゃあきゃあ言われているのは、いっしょにいるエドガーさんだもんね」
これが女子の総意です。
残念なイケメンもどき。
「おとうさま、もうすこしマシな人がいいです。さすがに、アレはちょっと」
そう言ったらば
「なんやかんやの事情でしかたがないんだよ。どうしても我慢ができなかったら、そのとき考えるから」
絶対考えないな。あきらめた。
「そうよ、殿方なんて独身の頃は遊びまわっていても、結婚したら落ち着くものなんだから」
おかあさままでそう言う。
やだなー、やだなー。認めてくれないと嫌悪感が募っていく。
王宮の図書館司書をしているわたし。騎士団にいるイアンも王宮にいる。場所は離れているけども。
二人とも王宮にいると、共通の知り合いもできるわけで、なにかと口さがない。
ご丁寧に「女の子といっしょに街で買い物をしていたよ」なんて、教えてくれる人もいる。
だからなに。
浮気されてかわいそうに、って笑ってんの?
まあ、いいですけど。
なんとか婚約解消できないかと足掻いてみたが、どうやら無理そう。イアンの親も「ちゃんと言い聞かせるし、結婚したらきっと落ち着くと思うから」って言う。
きっと?
ダメじゃん。そんな都合のいい期待なんか、とてもじゃないけど持てません。
だったら結婚はそのままに、別居とかできないかな。地方に転勤とかないですかね。できればそのままフェードアウトしたい。
「隣の帝国なら司書の伝手があるよ」
と上司が言ってくれた。なんてすばらしいお話。
「でもさあ、勝手に決めていいの? ちゃんと親と相談したほうがいいと思うけどな」
ははは、とわたしは笑った。
「できていれば、こんな相談しませんよ。それに向こうだってわたしと結婚するより恋人といっしょになったほうがいいでしょう?」
「それもそうだね」
二人で向かいあって笑った。
うん、家の事情なんか知ったことか。
結婚の準備だけは順調に進む。乗り気なのは親だけ。子どもの顔色に気づけや。
結婚式まであとひと月になった。
ウェディングドレスもできあがりつつある。まったく乗り気じゃない目の死んだ花嫁に、頬を引きつらせながら仮縫いをして行くお針子さん。
とっても申し訳ない。
新居はイアンの実家近くの、こぢんまりとしたお屋敷が用意された。イアンは三男なので、実家を出ることになっているから。
それも申し訳ない。翌日には空き家になる。
なぜなら、帝国の図書館司書のお話が決まってしまったから。結婚式が終わったらすぐにむこうに発つ予定。
申し訳ないが。
それもこれも、わたしの言い分をだれも取り合ってくれないからよ。
そして王宮内ではおたがいに不仲を隠そうともしないこの結婚の行方が、おもしろおかしく取り沙汰されていた。
「きみを愛することはない! って言うんじゃない?」
「まさか、今どきそんなこと言うヤツいる?」
「アイツ、言いそう」
「言いそう」
「わたし、言う方に1000ベル!」
「おれも言う方に1000ベル!」
「おれも言う方に1000ベル!」
通りがかりに聞こえてきた会話。賭けになってないし。
っていうか、そんなに信用ないんだね、イアン(笑)。
「もしかしたら家の面子を立てて、そこまで言わないかもしれませんよ」
ひょっこり顔を出したら、その場にいた全員がのけぞった。
「その賭け、流行ってます?」
「あ、ああ。うん、まあ」
そう、あちこちでやっているんだ。へえ、そう。
「ああ、そうか。家の面子ね、それは考えるだろうな。じゃあ、言わない方に賭けようかな」
ひとり変えた。
「そうそう、アレもそこまでバカじゃないと思いますよ」
もう一押ししてやる。
「そんな気もしてきたな。よし、おれも言わない方に1000ベルだ」
「じゃあ、わたし取りまとめますよ」
ええっ?
あなたが自分でやるんですか?!
全員の目がそう言っていた。
「だいたい、どうやって確認するんですか? たぶんイアンはその場しのぎの嘘つきますよ」
「ああー。それもそうね」
「わたしが当事者ですから。証人は執事と侍女でいかがですか?」
「うん、それならいいだろう」
みなさん、納得されたようでなによりです。
よかった。おかげさまで、出国する前に一儲けできそう!
これまで散発的に起きていた賭けをまとめてしまおう。小口でやるより大口でやった方が儲けが大きいからね。うふ。
「胴元として20パーセント手数料をいただきます。妥当ですよね!」
「はい、もちろんです!」
これも納得していただきました。なによりです。
これでどっちが勝ったとしても、わたしにはそれなりのお金が入ってくる。
わたし、なにかの才能があるのかしらね。
「それから、この賭けはイアン本人には絶対に内緒です。バレたらアイツ情報操作しますからね。自分が儲けようとするはずですから。気をつけてくださいね」
「イエス、マム!」
預かったお金と帳簿は、わたしが肌身離さず管理する。
その日のうちに、この賭けは騎士団はじめ王宮の官吏や使用人にまで拡散し、ものすごく大きなギャンブルになってしまった。
本来なら、王宮内でこんな賭け事をしたら大目玉なのだが、なにせ胴元が賭けの対象者、しかも被害者側ということで、見逃してもらっている。
たぶん慰謝料代わり?
いつも静かな図書館は、翌日から賭けを申し込む人がひっきりなしにやって来て大わらわだった。
「ええー、なにやってんの?」
はじめしかめっ面をした上司も、「言われる方」に5000ベルを賭けた。
「5000もですか」
「うん、アイツは言う。そういうヤツだ」
確認したらそう言い切った。
ともすれば「言う」にかたむく。どれだけ信用がないのだ、アイツは。
賭けが成り立たないと困るので、小細工をする。
「見栄っ張りだから、そんなことは言わないと思いますよ」
「騎士団の中で自分の立場が悪くなるようなことはしないはず」
等々。五分五分をキープしないと、賭け自体つまらないし。
最終的には、王宮を挙げてのお祭り騒ぎ。ダービーもかくやという、とんでもない額になってしまった。名簿の中に王太子殿下のお名前を見つけたときには、さすがに目眩がした。
そして、とうとう結婚式。
自分が結婚するということよりも、賭けの結果のほうが気になるという、鬼畜な心中。
「おれは明日から王太子殿下の護衛で、一週間出張だからな!」
顔を合わせたとたんに、イアンはそう言い放った。
ふつうだったら「はあっ?」ってなるんだろうけど、どっちでもいい。むしろ、いないほうがやりやすい。
ついでに王太子殿下に結果教えてくれたらいいのに(笑)。
結婚式の翌朝、わたしはみなさんのワクワク顔に迎えられて出勤した。
上司に見守られながら、図書館入り口の掲示板に結果を貼りだした。
結果:言った
「きみを愛するつもりはない。おれは恋人だけを愛する」
イアンははっきりそう言って出て行った。恋人のところへ行ったんですかね。
「おおっ!」
あるいは
「くっそ!」
貼りだしたとたん、歓声が上がった。
イアン、よかったね。みんな楽しんでくれたよ。
それから、執事と侍女の署名付きの証言も貼りだした。
「ほんとに言ったんだ」
上司が腹を抱えて笑っている。
「言ったんですよ。もう笑いをこらえるのがたいへんでした」
もう、おおっぴらに話してもいいので、王宮中がこの話題で持ちきりだ。
本人がいたら、どんな顔をしたんだろう。見れないのが残念だ。
夕べ、イアンが出て行ったあと、自分の取り分きっちり20パーセントもらい、分配金の計算をすませて、そっくり上司にあずけた。
「すみませんが、払い戻しおねがいしますね」
「ああ、ひさしぶりに楽しかったよ。ところで、結婚の翌日に離婚になるのかい?」
そのへんは抜かりない。わたしは一枚の紙をぺらっと出して見せた。
「いいえ、そもそも婚姻届けは出していませんので」
「ええ?」
婚姻届けはこちらで出すからと、うちの者が預かったのだ。そしてその紙きれは今わたしの手中に。
「おやおや」
ふふっと笑いながら、わたしはその紙きれをビリッと裂いた。
「わたしは未婚のままです」
「そうか、むこうで真の恋人ができるといいね。じゃあ気をつけて」
「はい、最後までお世話になりました」
上司に見送られて、王宮を出た。そしてわたしはカバン一つ持って帝国行きの列車に乗った。
自分の家と、イアンの家には訣別の手紙を出しておいた。明日か明後日には着くだろう。
悔い改めろ。ざまぁ。
窓の外は、わたしの旅立ちを祝うような、目の覚めるような明るい青空だった。