システム・ラグナロク
老婆が死ぬ話。
「最小公約数って、知ってるかい?
「──うん、そう。共通する約数のうち、最大の数。
「でもそれってさ、対象となる複数が多くなればなるほど、また多様化すればするほど、その値は小さくなるよね──まあ、素数が来たら絶望的だけど。
「それ、人間にもね、適用されたみたい。
「個体数が増加することによって、ありとあらゆる事象が制限されるのは、自明の理だろ?
「それでも、あいつら馬鹿みたいに、どんどん殖えたんだ。
「法律はより厳重になり、物価が上がり、雇用はなくなり、保障もなくなった。
「まあ、大雑把に言ったけどね。
「要は──戦争が起きたんだよ。
「全世界に、その炎が広まるほどに。
「建物が消えた。
「土が爛れた。
「人が、死んだ。
「人類は、どうなったと思う?
「──残念! 不正解だ。
「答えはね…………
■■■
女は足を組んだ。
座っている──その下は大きな灰色の球体である。
室内。
突然、くしゃみをした。
「……くしゅんっ。いや、敵わないね。プログラムの、細かい事」
鼻を擦る。
「忠実、忠実。人間達の孤独を紛らわす為とはいえ、こればっかりは嫌だな。生物的すぎる」
こちらを見る。
「あれ、言ってなかったっけ? 君たち人間は、ほぼ絶滅したんだよ。外的要因による、Y染色体の急激な欠乏──現在地球上に、ホモ・ピエン・サピエンスは、生物学的女性しかいない」
女は笑う。
「その為の、ボク達──ロボットだ。もちろん、君達人間とは、外見的区別をつける事は困難だ。どうせ生殖できないからね。『政府』によって、そう決まっている」
自らを『ボク』と呼んだ──女は、球体の上で服を脱ぐ。
股を開いた。
生殖器を見せる。
「ほら、見てご覧? 本物そっくりでしょ──中身も完全に模倣している。個体差だって、設定してある」
服を着る。
「君は、過去から持ってこられたんだ」
襟から顔を出す──髪を払う動作。
「二十一世紀の一般的な人間の偏差知能指数の、平均値を少し下回る言い方で解説すれば──そう、太陽を思い浮かべてほしい」
人差し指を立てる。
「今見えている太陽光──これは、およそ地球時間でいう八分前に発せられた光である、ということは知っているね? その要領だ。何千何百光年と離れた銀河系から、地球製超高密度ブラックホール模型により、時間断層を超えて転送されたのが、君だ」
まくしたてる。
早口言葉を言うような、楽しげな表情。
「その出来事が、今より一二六年前──当時の技術力では、それが限界だった。『政府』の任務を受け、銀河に一方的に飛び立った研究員は──結局、戻って来なかった。もちろん」
と、ここで言葉を区切った。
立てていた指を、こちらに向ける。
「君もだ。君の未来も、一方通行だ。もう過去へは戻れない」
言う。
「ボクはその『政府』の一人だ。生き残ったひとり──と言っても、ロボットだけどね」
はにかむ。
「まあ、百聞は一見にしかず。外に出てみればわかる」
灰色の球体から降りる。
「君は男だ。そのままだと、目立って困る。ボクの身体を貸すよ」
■■■
「未来都市、ホルトゥシア。
「面積、一一〇八平方キロメートル。
「人口、二二五人と、千二十八体」
女が喋る。
と、自分も喋る。
──身体が、一緒になっている。
「体、というのは、ボク達ロボットのことだ」
女が歩いた──自分が歩いた。
「周りを見てご覧? 女性しかいないだろ。それも、全て若い。何故だと思う?」
首を傾げる──女も。
「人口が減り、繰り返す近縁同士による交配で、染色体が画一化された。人類は短命になったんだ──ロボットは除外するとして」
更に傾げる──女も。
「クローン細胞云々とか、人工染色体ベクター云々とか、色々あると思うだろ? でもね、それらを以ってしても、状況は改善されなかった」
女は言う──自分も。
「大半の科学技術が戦火に葬られていたし、それを阻む技術の方が多く生み出されたからね。君の時代までの歴史だと──第一次、二次世界大戦を『総力戦』と呼称することに倣って言えば、先の戦いは──『殲滅戦』だった。人がひとを殺し合う為に、全てを賭した──と」
女は止まる──自分は止まる。
「このくらいにしようかな。あんまり長話だと、君達人間は退屈するらしいから──ロボットであるボクには、わからない感情だけど」
咳払いする。
「あとは、君の自由だ。思う通りに行動してくれ」
身体の中から、女が消えた。
■■■
「あんさん、ロボットかい?」
話しかけてきた。
──首をふる。
「おや、違ったかい──いや、路にぼーっと突っ立ってたからね。あたしゃ、てっきり……」
老婆だ。
「──うん? 過去から来た? そりゃまた、豪勢だねえ、ハッハッハ」
老婆は呵う。
「だとしたら、ビックリしただろ、この景色──女ばっかだもんねえ。全く、『政府』の奴らにゃ、頭にくるよ。こんな、生きてんだか、死んでんだか、わからない……」
手招きする。
「まあ、ちとおいで。人間なら大歓迎だよ」
──首を傾げる。
老婆は笑う。
「決まってんじゃないか──あたしの家だよ」
■■■
「ま、食いなせえ」
老婆は皿を置く。ビーフシチューだ。
「ここんとこ、年寄りはあたしだけになっちまった──周りは、若い子ばっかだぁ。その上、その子たちも、ロボットなのか人なのか、わかりゃしねえ。みーんな同じ顔、みーんな同じ反応……」
哀しげな顔。
「ふふ、すまんね──辛気臭くって、かなわん。ほれ、食いな食いな。久々に会った人間だ」
促す。
──食べる。
「いい食べっぷりだ、嬉しいねえ。あんさんも、べっぴんさんだ」
──見る。
「この都市は、美人しかおらん──遺伝子が混ざりあった……結果なのかねえ。どうせなら、若い男の方がよかったけど──あ、どうだい。あたしも美人だろ?」
──頷く。
「うは! 嬉しいねえ!」
老婆は、ぎゅっと抱いてきた。
「いいね、あんさん、最高だ! 最高の、人間だ──ずーっと、ここに居ってくれ!」
老婆は笑顔だ。
──頷く。
「やった! 今日は人生でいちばんの日だ。さあ、ドンドン食べな。おかわりも、たーんとあるぞ……」
■■■
過ごした。
過ごした。
過ごした。
過ごした。
過ごした。
■■■
「……あんさん」
老婆は言う。
「あんさんと、暮らしてから……もう、五年になるねえ」
言う。
「楽しかった……楽しかったよ……」
言う。
「ありがとう──あんさんは、いい人だ。世界でいちばんの、人間だ」
言う。
「ありがとう、ありがとう……ありがとう…………」
言う。
「…………」
言う。
「……」
──言う。
■■■
「やあ、戻ったね」
男は足を組んだ。
座っている──その下は大きな灰色の球体である。
室内。
「久しぶりだ。楽しめたかい?」
男は言う。
「ああ、これ? ──そう、ボクは君の、元の身体に入っていたんだ」
言う。
「君はボク、ボクは君。ボクはロボット、そして、君も──」
男は笑った。
「忠実、忠実……」
(了)
残された『未来達』が、都市を存続させる。