西道家本邸 2
「ここからは本題です」
カコーンとししおどしの音が鳴る。
「ご存知かとは思いますが、僕はすこしまえから探偵業をやっておりまして」
「まあ聞いているが。趣味でか」
「僕は本気でやっていますが」
ちょろちょろと庭の池の水の流れる音がする。
「探偵として動いている以上、収入を得ないとうちのメイドに大根で殴られかねないので」
西道家の当主が、不可解そうな感じに眉をひそめる。
おもむろに口を開いた。
「大海原の当主として来たのでは?」
「大海原の当主は、今回の被害者ですから。冷静な第三者として謡子さんの件に対応するのと、警察との連携を考えたら、まあ探偵のほうかと」
西道家の当主が、あまりよく分からんという顔をする。
「僕の信条の話なので、ご理解なさらなくてもお話に支障はないかと思います」
ししおどしの音が鳴る。
「サンファイブの社長は、近いうちに傷害と殺人教唆の疑いで事情聴取されることになるかと思います。そのタイミングで大海原がサンファイブの株を買取るのを黙認していただけたらと」
「黙認……」
西道家の当主が低い声音で復唱する。
「うちが西道グループと関連がある会社を傘下に入れるのはおもしろくないでしょうが、謡子さんの件についての損害賠償がわりと考えていただけたらと」
カタンッとふすまの向こうから音がする。
何だまだいたのかと告は脳内でツッコんだ。
西道グループとしては刑事事件を起こした会社社長と縁を切れる上に社長の孫娘の不祥事はなかったことになる、大海原としては株価が下落するタイミングでサンファイブを安く買いたたける。
まあウィンウィンじゃないかと思うのだが。
「……まあ、そのくらいで手を打っていただけるなら」
西道家当主がそう返事をする。
「ありがとうございます」
告は静かに返した。
カコーンとししおどしの音が響く。
「じつはあんたには、かねてからお願いできんかと思ってたことがあった」
「何でしょう?」
「孫を嫁にもらってくれんか」
廊下からガタンッガシャーンと派手な物音がする。
着物であの音を立てるには、いったいどんな体勢になったらいいんだろうと告は想像してみた。
「ありがたいご提案ですが、ぼくは謡子さんには徹底的に嫌われているらしくて」
告は廊下の音は聞こえないふりをしてそう返した。
たぶん西道家当主もさきほどから聞こえないふりをしている。
「いまどきでいうツンデレというやつだろう、あれは。あんたも分かっていたのでは」
西道家の当主が、おそらくは少し冷めてしまったであろう玉露を飲む。
「まあ僕も、おもしろい方だなとは思ってたんですけどね」
「ラ・サンクエトワル・フランセーズの小麦粉から手作りしました焼きたてのトスカーナふう塩なしパン、コーヒーはヴィラーニ社から取りよせましたブルーマウンテン、ミルクは同じくヴィラーニ社のコーヒーミルク。さくらたまごのタマゴと、ハム工房一路の桜燻ベーコンのサニーサイドアップ。パンにはお好みで山五牧場のプレミアムバター、五角ジャム製造所の贅沢いちごジャム、五つ星果実園のオレンジコンフィチュールをつけてどうぞ」
「あら、すずらんミルク本舗のプレーンミルクジャムはありませんの?」
朝の大海原家、食堂広間。
いつもは告が一人で座る長テーブルの上座に近い席に、蘇芳色の着物を着た少女が品よく座っている。
西道 謡子だ。
朝食のメニューを読み上げたばかりの多香乃が真顔で告のほうを見る。
「お客さまがいらっしゃるのでしたら、事前に言っていただけませんか」
朝からの連絡なしの来訪。
八十島のような細かいことは気にしない同性の友人ではないのだ。本来なら迷惑がって眉をひそめるところだが、さすが慣れたメイド。あくまで事務的に淡々と言う。
「聞いてのとおりですよ、謡子さん。すずらんミルク本舗のプレーンミルクジャムがお好みでしたら、事前にご連絡くだされば用意しました」
手づくりパンにいちごジャムを塗りつつ告はそう伝える。
「なぜわたくしが告さんの歓迎を期待するような連絡を差し上げしなければなりませんの?」
謡子が細い眉をつり上げる。
「大海原家の客になどなる気はありませんわ。おじいさまがおかしなことをおっしゃったようですけど、体調のせいで判断力が鈍っていらしたんだと思いますの」
「それでお祖父さまのご容体は」
告はジャムを塗ったパンをかじった。
「すっかり回復いたしましたわ。おとといから会議等に出席しています」
「判断力が鈍っていても僕の忠告はご理解できたんですね。よかった」
告はパンをかじった。
謡子がキッとこちらを睨む。
「そうやってわたくしを引っかけようという魂胆ですのね!」
どのへんがそう解釈できたんだろう。
いちいち愉快な方だと思う。
「そちらのメイドのかた」
カートを横に置き待機している多香乃を、謡子が睨みつける。
「わたくしをライバル視してもムダですわ。わたくしは、告さんなんかどうとも思っていませんの」
「お客さまに対して恐縮ですが、お話が見えません」
多香乃が真顔で返す。
「連絡なんかいたしませんわ。むしろ事前連絡なしで来れば告さんがお困りになるんでしたら、今後も連絡なしで伺おうと思いますの」
謡子がイスから立ち上がる。
多香乃が顔色も変えすに謡子のほうを向いた。
「では今後はすずらんミルク本舗のプレーンミルクジャムを常備しておきますので、いつでもご都合のよいときにどうぞ」
そう言い一礼する。
「うん、まあ、常備してあげて。多香乃さん」
告はコーヒーを飲んだ。
「かしこまりました」
多香乃がカートを押す。
「お二人そろって、わたくしをあざ笑っておりますのね!」
謡子が、告と多香乃を交互ににらみつけた。
「よろしいですわ。あなたがたのその信頼関係、わたくしがぶち壊してさしあげますわ」
謡子が楚々とした歩きかたで部屋の出入口に向かいドアを開ける。
行儀よく一礼してから退室してバタンとドアを閉めた。
「なにかお心を病んでいらっしゃる方なんでしょうか。ここを訪ねていただくまえに、カウンセリングにお寄りするようおすすめするべきでは?」
多香乃がそう言いカートを押す。
「彼女のお祖父さまと相談してみるね」
告はそう言いパンをかじった。
終




