大海原家食堂広間 1
「あ――くそ、悪い。逃がした」
四十分後。
大江に案内されて食堂広間にあらわれた八十島は、開口一番そう声を上げた。
「おつかれやそっち。まあオレンジペコーでよかったら」
多香乃が入室し、長テーブルに八十島の分の紅茶を置く。
告は手を差し出して勧めた。
「おつかれやそっちって、略して “おつやそ” でいい?」
「どこの基準でいいかどうか聞いてんの? おまえ」
八十島が、勝手知ったる感じでとくに遠慮もなくイスの一つに座る。
オレンジペコーの紅茶のさわやかな香りがただよった。
「多香乃さんも座ったら?」
告は、食堂広間を退室しようとする多香乃に声をかけた。
「契約の勤務時間はすぎておりますので。きょうは、あと何事もないようでしたら帰宅いたします。時間外手当は後日に請求いたしますので」
多香乃が淡々とそう言い礼をする。
「――失礼いたします」
きれいな仕草できびすを返して退室する。
パタンとドアの閉まる音がした。
「……このまえの大根のメイドさん」
八十島が眉をよせつつ紅茶を飲む。
「かわいいけど何か怖え……」
「うん、怖いね。多香乃さん」
告はテーブルに置かれたチョコレートを口にした。
「まえに炊飯器のフタの開けかたが分からなくてスマホで呼んで来てもらったことがあるんだけど、このまえも同じことしたら静かに頬引きつらせててさ」
告は紅茶を呼んだ。
「でも炊飯器のフタの開けかたってコツ要らない? ――こう」
告はフタのフックボタンを押すしぐさをした。
「何ていうか、どこまで押せばいいのかっていうか。多香乃さんが押すときれいにピョンってフタが開くんだけど」
八十島が紅茶を口にしながらこちらを凝視する。
「……ここん家の炊飯器しらねえし」
「そだっけ」
告はそう答えた。
「台所にあるから見ていく?」
「何で狙撃犯とり逃がした報告にきて炊飯器のフタ見物しなきゃならねえの?」
八十島が紅茶を飲み干してコトッと置く。
「ごちそうさま。戻るわ」
そう言って立ち上がった。ネクタイを直しつつ食堂広間の出入口に向かう。
「もう行くんだ」
「とり逃がしたって報告に来ただけだ。応援呼んだし、一人だけここで優雅に紅茶飲んでるわけにもいかねえべ」
そう言いスタスタとドアに向かう。
告はゆっくりと紅茶を口にした。
「やそっち、ねえべとかって言いかた、例のベテランの先輩のクセが感染ったやつ?」
「感染ったやつ」
八十島が答える。
「こんど、そのベテランさんにもごあいさつさせて」
「おまえが被害者用の取り調べ室きたとき通りかかったって言ってたじゃん」
八十島がドアを開ける。
「んじゃな」
「西道グループ社長のこと調べるのよろしく。それ分かれば狙撃犯のほうはどうでもいいよ。どうせ雇われた人だ」
「おまえの都合がどうだろうが、こっちは狙撃犯のほう追うのが本来の仕事なんだよ」
八十島が顔をゆがめる。
パタンとドアが閉まった。
「狙撃犯と思われる人物はシンガポール出身の日系人。一年前に日本にきてサンファイブって会社でバイトしてたけど、二週間まえに辞めて行方不明。いま出国されないよう手ぇ回してるけど」
翌日の昼過ぎに大海原家を訪れた八十島は、通された執務室でそう報告した。
「ほらー」
告は執務机で頬杖をつき声を上げた。
「ほらーって何だよ、ほらーって」
八十島が眉をよせる。
「どうせ出国したら万事オッケーな人雇ってんだから、そっち追っても何も解決しないってー」
「それでも放ったらかしにして、ハイハイ撃ってどうぞってやるわけにはいかない仕事なんだよ!」
多香乃がコーヒーとチーズケーキを運んでくる。しずかに応接セットのテーブルの上に置いた。
「あ、おかまいなく」
八十島が声をかける。
多香乃が一礼した。そのままドアに向かい退室する。
パタンとドアが閉まった。
「あー怖え。緊張すんな」
八十島が胸に手をあてて撫でおろすような仕草をした。
「そこまで怖くはないでしょ。噛みついてくるみたいに言わないでよ――かなり冷静に噛みついてくるけど」
「どっちなんだよ」
八十島が眉をよせる。
「でも西道グループしくじったな。サンファイブって確か、西道グループの元社員が経営する会社じゃなかったかな」
告は机のうえで両手を組んだ。宙を見上げて記憶をさぐる。
「まじか」
「傘下ってわけじゃないみたいだけどね。警察が西道グループとの繋がりまでは捜査しないと思ったのか、僕がそこまでは知らないと舐められたのか」




