西道家謠子私邸 リビング 8
ここがカステロエスペランサという名のマンションということは間取りと窓からの展望で見当がついたが、階数はまでは正確にはつかめなかった。
なので紅茶のカップを反射させて窓から部屋の位置を知らせたが。
やはりかなりの高層の階なのか、警察官はまだ到着しないようだ。
「取引きって……」
謡子が目を見開いてこちらを見上げる。
頬をきつく強ばらせた。
「ご……拷問にでもかけて憂さばらしをしようとでも?! それとも慰さみも……!」
そこまで言ってから、謠子が顔を真っ赤に染めてうつむく。
しばらくして顔を上げてキッと睨みつけた。
「なんていやらしいことを言わせるの!」
「勝手に言ったんでしょう」
告は、対面式キッチンのカウンター部分に腰をあずけて寄りかかった。
「大丈夫。そんなにひどいことを要求するつもりはないですよ。そちらの御家に嫌われているとはいっても、謠子さんはむかしから知る人ですから」
告は微笑みかけた。
謠子がかすかにホッとしたような息を吐く。
「西道グループの株を大海原に全譲渡していただけませんか」
告は真顔でそう伝えた。
謠子が大きな目を見開く。
告の顔をじっと見上げていたが、ややして着物の袖を口元にあて、いきおいよく後ずさった。
「なっ……!」
「資金は用意しますよ。まあ今回は、損害賠償と慰謝料の代わりに安く買い叩かせていただければ助かるんですが」
告はにっこりと笑いかけた。
「そ……!」
謠子が声を上げる。
「そんなことできませんわ! それこそわたくしの一存で……!」
「……なんて、それはナシか。時価より安く買い叩くと逆に税がかかっちゃったりするんだよねえ」
告は宙を見上げた。
「そ、そうですわ」
謠子がホッとしたように引きつり笑いをする。
「安く買う方法としては、一つは株価が下がったときとかなんですけどね。ショック安のときとか。――でもそんな状況を待っていたら、いつ慰謝料をいただけるか分からないですから」
告はスッと謠子のほうを向いた。
「わざと作っちゃいましょうか」
にっこりと笑いかける。
謠子がすごいいきおいで後ずさった。
「つつつ作るってなにをですの?!」
「やだな。はっきり言わせないでください。威力業務妨害に問われるじゃないですか」
告は答えた。
「きょっ、脅迫いたしておりますの?!」
「取引きと言ったでしょお? 誘拐犯を脅迫なんていくら僕でもそこまで図太くないですよ」
告は肩をすくめた。
「告さんなら、ご自分に差し向けられた暗殺者とでも交渉をはじめそうですわ!」
「僕のことどれだけ過大評価しているんですか」
インターホンの呼び出しの音が鳴った。
使用人が応対する。
「お嬢さま、警察のかたが開けろとおっしゃっていますが。解錠してもよろしいでしょうか」
この言いようだと、使用人はあまり事情を知らないのだろうか。
謠子が対面式キッチンの向こう側を見る。
「……どうやってここを知らせましたの?」
こちらを見上げて、じっとりと睨みつける。
「そもそもメールを送った時点で、本社のサイバー係がIPを特定できます」
告は言った。
「西道グループにもそのくらいの部署はあるでしょ?」
「分かっていますわ。だから告さんのプライベートのメールアドレスに送りましたのよ。――まさかプライベートのメールまですべて会社の人間に公開しているわけではないでしょう?!」
謠子が、ハッと目を見開く。
「メールにつけていたIDですの?!」
「そこは内緒です」
告は口のまえに人さし指を立てた。
「お話しなさい!」
「ご自分の状況を分かっていますか? 謠子さん」
告は苦笑いした。
玄関口のほうから激しいドアチャイムの音がする。
「開けないでいると、どんどんお立場が悪くなりますよ」
謠子が無言で玄関口のほうを見る。
告を拐った大男が、どうしましょうかというふうに謠子の顔を見る。
「三日待ちます。三日のあいだにお祖父さまにご相談してお返事ください。三日をすぎたら誘拐の被害として告訴します」
告はそう伝えてスタスタとリビングのドアに向かった。
捕まえたほうがいいかと謠子の顔をうかがう大男に、「バイバイ」と言って手を振る。
リビングのドアを開けた。




