西道家謠子私邸 リビング 7
ソファに座り、告は背もたれに背をあずけて軽くからだを反らした。
通りに面していると思われる大きな窓を見上げる。
遠くに見えるいくつかの高層のマンション。
その東側に位置するこの内装のマンションとなるとカステロエスペランサで間違いないと思うんだが。
過去にいちど内見に来たことがあるので、間取りに覚えがあった。
「謡子さん」
上品なしぐさで紅茶を飲む謠子に話しかける。
「鏡ってあります?」
謠子が怪訝な表情でこちらを見た。
「なにを企んでおりますの?」
眉をよせてカップをテーブルに置く。
「何も。身だしなみくらいちゃんとしたいでしょ? 女性のまえだし」
「告さんは油断がならないからイヤです」
謠子が睨むように見る。
「そこまで油断のならないことをした覚えはないですけどね。いったいどのあたりを根拠に」
「わたくしが子供のころにあなたに足を引っかけようとしたら、逆にライフル銃で転ばせたではありませんか」
告は目を見開いた。
まったく覚えがない。
「ありました?」
「まあ惚けて」
謠子が袖で口をおさえる。
「わたくしが中学生のころにあなたを誘拐しようとしたときは、うまいことを言ってわたくしを連れ回して知らない界隈に放置しましたわ」
さっぱり覚えがない。
告は天井を見上げた。
謠子が中学生のころというと、自分はいくつだ。
確実に成人はしていたと思うが、光景を想像するとこちらが誘拐犯に見られそうで早々に離れたのではと思う。
「ほかにもあります。悪いうわさを拡散して大海原財閥を潰してやろうとしたら、西道グループに逆にサイバー攻撃をしかけて来るし!」
「ああ、それは覚えがあります。よくあることなので、かんたんなクラッキングを仕掛けただけで情報までは取ってません」
告は答えた。
「謠子さんの発案だったんですか、あれ」
告は紅茶を口にした。
「復旧に丸一日かかりましたわ」
「自業自得でしょお?」
告は眉をよせた。
「ですがいまの話で、わりと本気であなたと結婚を考えてみたくなりました。スリリングで退屈しないかも」
「おだまりになって」
謠子が語気を強める。
「わたくしをスリリングな人間にしているのはあなたですわ」
「スリリングな女性ってステキだと思いますが」
告はそう答えて、もういちど紅茶のカップを手にした。
「鏡はどうしてもダメですか」
謠子が着物の袷をととのえて座り直す。
「告さんの身だしなみはきちんとしておりますわ。いまのところ大丈夫です」
「そう」
告はそう返事をした。
紅茶のカップを軽くかたむける。
大きな窓から射しこむ陽光が、ブランドのカップの流麗なラインに反射する。
ニ、三度かたむけた。
謠子が眉をひそめる。対面式キッチンの向こうにいる使用人に声をかけた。
「すこし眩しいですわ。カーテンを閉めてくださらな――」
使用人が返事をしようとこちらを見たが、すぐにうしろを向いて何かをしはじめた。
「どうしましたの? ――お客さま?」
インターホンでやりとりをしているようだ。
告はゆっくりと立ち上がった。
警戒した表情で謠子がこちらを見上げる。
「なにを勝手に立ち上がっているの?! 告さん!」
「たぶんおいとますることになると思うので、結婚話は気が向いたら考えておいてください」
告はそう言い、襟元を軽くととのえた。
「あなた誘拐されていらっしゃるのよ!」
「誘拐って言っちゃいますか?」
告は、ははと笑った。
「お嬢さま、警察のかたとおっしゃってますが。エントランスのインターホンからです」
使用人が対面式キッチンからそう伝える。
告はスタスタとキッチンのほうに向かった。
「告さん! 勝手な動きはなさらないで!」
謠子が立ち上がる。
出入口のドア前に待機していた大男が、ピクッと身構えるようなしぐさをした。
告は対面式キッチンに手をつき身を乗りだす。
「えー、すみませーん警察のかた。八十島巡査という童顔の刑事さんはいらっしゃってますかあ?」
告は顔の横に手をあてインターホンに向かって問いかけた。
「──童顔はよけいだ」
インターホンのスピーカーからそう聞こえる。
「おっけ。やそっちの愛のこもったメッセージは、たしかに受けとったよ」
「──こめてねえわ、そんなもん。無事で何よりだけど」
「やはりなにか仕掛けてましたのね! 告さん!」
謠子が背後につめよる。
「──いま警官がそっち向かってる。犯人には逃げらんねえぞと言っとけ」
八十島がインターホン越しに言う。
「さて提案だけど、謠子さん」
告は背後の謠子に声をかけた。
「僕がここでみずからドアを開けて、“友人の家に来てただけですよ、やだなあ” とやれば、あなたは誘拐犯にはなりません」
告は微笑した。
謠子が大きな目をまばたきさせる。
「取引きしませんか?」




