西道家謠子私邸 リビング 4
「大海原財閥を潰すなんて、告さんおひとりを人質にすれば簡単なのに、なぜいままでだれもやらなかったのでしょう?」
謡子がふふっと笑う。
「やった人はたくさんいましたよ。それこそ祖父の代から」
告は答えた。
「なので僕も子供のころから、誘拐された場合の心得を教わって育ちました」
告は脚を組み直した。
「ボディガードをつければよろしかったのに」
謠子が肘置きに手を置く。
白魚のようなと形容されそうな、細くてきれいな手だ。家事などまったくやったことのなさそうな手に見える。
もっともふつうに家事をやっていてもきれいな手をしている女性は案外いるということは、自宅にいたメイドさんたちを見て知っているのだが。
「ボディガードでも防げない事態というのはありますからね」
告は答えた。
「人を信じていないわけですわね。冷酷な大海原財閥の当主らしいですわ」
「僕って冷酷ですか?」
告は苦笑いした。
「人当たりがよさそうにしていても、心のなかは人を平気で知り捨てることを考えているお顔ですわ」
謠子が答える。
「げんに娯楽でくだらない副業に手を出して、反対した従業員さんがたをつぎつぎと追い出したそうではありませんの」
西道グループ的にはそんな調査結果になってるのか。
告は無言で天井を見上げた。
「誘拐されたら、どうしろと教わりますの?」
謠子が問う。
「ああ」
告は運ばれてきた紅茶を受けとった。芳ばしい香りがする。
「まず落ちつけと」
告は紅茶を口にした。
「落ちついてますわね」
「落ちついてますよ。それくらいしか僕にはできませんから」
紅茶をニ、三口ほど口にして、カップをテーブルに置く。
「ところでそちらのご当主のお祖父さまはどういたしました。彼も許可してのことですか?」
「祖父は健在しておりますわ」
「なるほど」
告はソファに背をあずけた。
「ちなみにグループの幹部の方々は」
「幹部の許可なんか必要?」
謠子が眉をひそめる。
「よそさまの会社を買い叩くとなると、とうぜん代金を支払う必要がありますから。債務などで株の評価額がなければ贈与税はかかりませんが、大海原の株となるとそうはいきませんから、そのあたりも思いきったなと」
告は膝の上で両手を組んだ。
「そのへんはもちろん……」
謠子が目を泳がせながら言う。
しばらくしてから目線を上げた。
「む……無料というわけにはいきませんの? あなた誘拐されておりますのよ」
謠子が語気を強める。
「誘拐ということにしちゃいます? 前科がついては元も子もなかったのではありませんでした?」
告は答えた。
謠子が唇を噛む。
「もちろん無料にする方法はあります。僕の持っている株限定ですが。――まあこれを僕が全譲渡しても経営の権利は失くしますから、大海原を潰すという意味ならじゅうぶんではないかと」
告は答えた。使用人の女性があとから運んできたチョコレートをつまむ。
「な……なんですの?」
謠子が上目遣いでこちらを見上げる。
「謠子さんと僕が夫婦であれば、年間百十万円以下の贈与、もしくは婚姻期間が二十年以上でおしどり贈与なるものを適用した場合には税務署さんから何も言われません」
告はソファの背もたれに背をあずけて謠子をまっすぐに見た。
「僕と結婚しますか? 謠子さん」
謠子が目を見開いたまま固まった。
おもったよりもあからさまな反応だなと告も少々意外に思う。
もうちょっとキッとにらみつけてくるかと思った。
「セセセセクハラではありませんの」
謠子が着物の袖で口元をおさえる。
「ビジネスの話ですよ。こういう家に生まれてると、結婚もビジネスの一つですからね。好きな人となんて僕は考えたこともありませんよ」
チョコレートをもう一つつまむ。
「謠子さんもおなじ認識かと思っていましたが、見合い話なんかはまだ持ちこまれてませんか」
「おおおおおつきあいしているメイドがいらっしゃるのではありませんの?」
謠子が座った姿勢で後ずさる。
「彼女はビジネス結婚をしたあとで二号さんという立場になっていただくしかありませんね」
チョコレートをもぐもぐと噛む。
ミルクチョコレートだ。甘い。まあ出された紅茶にはよく合うがと思う。
「ふ……不実なとは思いませんの?!」
「彼女はそうとらえるでしょうね。だからこそ、こういうときにいちばんに連絡をとって、きみがいちばんだと伝えたいんです」
謠子が眉をひそめる。
「彼女にメールさせてもらえませんか」
告は懇願するような微笑をしてみせた。




