西道家謠子私邸 リビング 3
けっきょく拘束は解いてもらったが、リビングから逃げたところで玄関にはあの大男が見張りにいるとのことだ。
謡子があの男の容姿を非常に嫌っているので、彼女が玄関付近を通るさいにはすぐわきの物置きに退避するらしい。
敵ながら不憫なと告は思った。
ソファに座り、告はレースのカーテン越しの青空を見上げた。
きょうもスッキリ晴れている。
ふだんあまり外には出ないが、出られないときにかぎってとうとつに草野球なんかがしたくなるものだなあと思う。
いまのところ危害を加えられる気配が迫っている感じではないのでのんびりしているが、謡子をはじめとした西道家がこちらに怨みとやらがある以上、いつまでもこの状態がつづくとは思えない。
謠子が楚々としたしぐさでふたたびイスにすわる。
「こんなことならメイドのほうを拐って人質にすべきでしたわ」
謠子が眉をよせる。
「まったく計画性がないように見受けられるんですが」
「よけいなお世話です」
謠子が行儀よく両手を組む。
「うちのメイドさんはやめたほうがいいですよ。大根フルスイングで殴られた上で真顔で毒舌を吐かれます」
謠子が眉をひそめてこちらの顔を見る。
「ほんとうにそんな方とおつきあいしてりますの? ウソでしょう?」
「ほんとうです」
告は答えた。
「いまごろものすごく心配していると思うんですが、メールくらい送ってはだめですか?」
「だめです。告さんはなにを企むか分かりませんから」
「そもそも僕を拐った理由は何です」
告がそう問うと、謠子がゆっくりと顔を上げた。
「大海原財閥の株を、西道グループに全譲渡してほしいんですの」
告は目を丸くして謠子の顔を見た。
「ずいぶん大胆な」
ぶっちゃけ小学生に「ひゃくまんえん払え」と言われてる気分になるなと告は思った。
「当主を人質にされては呑むしかないでしょう?」
謠子がふふっと笑う。
「全譲渡したら何も持っていないただの大海原家当主になるわけですが? なにも持っていない人間のために幹部が会社を売り払う決定をするでしょうかね」
告はソファの背もたれに背をあずけた。
「いまは持っていますでしょ?」
「ですが謠子さんの要求を呑んだら、なにも持たないただのイケメン当主さんになります」
謠子が、袖で口元をおさえてわずかにうつむく。
しばらくじっと床を見つめていたが、ややしてから顔を上げた。
「いまは持っているわけですわよね?」
「謠子さんの要求を呑んだら、なにも持たない人になります。幹部にとっては殺害されようがされまいがどうでもいい人になります」
謠子が混乱したかのように眉をよせる。
「パラドックスの問題にもならないなあ、これ」
告は天井を見上げた。
「いずれにしても、それを指示するにはメールのひとつくらい送らせていただかないと」
告は脚を組んだ。
「ところでお茶とかない? 喉かわいた」
謠子が顔をしかめる。
「お紅茶でよろしい?」
行儀のよいしぐさで座る姿勢を変えると、部屋の向こうにある対面式キッチンのほうを見る。
「だれかいらっしゃる? お客さまにお紅茶を淹れてさし上げて」
対面式キッチンの向こう側で、髪を結った女性が会釈をするのが見えた。
「お客さまですか、僕」
告は苦笑した。
「飲み食いもさせず暴力などをふるっては、あとで誘拐罪に問われても言い訳できません。そのくらいの知恵はありますわ」
謠子が座り直す。
「大海原財閥を潰しても、わたくしが前科者になっては元も子もありませんもの」
「なるほど」
告はそう答えた。
「会社幹部への指示は口頭でけっこうですわ。わたくしがご連絡いたします」
「当主がこう言ってますよーで、いまどき誰も動きませんよ。ちゃんと僕だと分からないと」
告はそう答えた。




