大海原家台所 1
さきほどまでいた埃にまみれた書庫を出て、告は執務室を通りすぎて台所に移動した。
二十畳ほどの広さの台所を見回す。
多香乃はいないようだ。
住みこみにしたらとなんどか勧めたが断られ続けているので、彼女に屋敷内の個室はない。
メイド全員が共有する休憩室と休憩ベンチならあるが。
べつの場所の掃除でもしてるのかなと推測する。
掃除は定期的にハウスクリーニングをたのむからいいと言ったのにな。告は台所まえの廊下のほうをうかがった。
自宅屋敷は、ベースの部分が建てられたのが大正のころ。
その後改築や増築、改装をした部分がところどころにあるので、台所の奥の一角には土間になっている部分が残っている。
いまでは使われてはいないが竈もあり、その気になれば火をつけて火吹き棒で風をおくりご飯を炊けるらしいが、たぶん半世紀はだれもその方法で調理はしていない。
土間のさきは外に通じるガラス戸があり、かなりむかしに洗いものや米とぎに使っていた人工池と古い離れがあるが、人工池にはいまは金魚が泳いでいて、古い離れはおそらく執事の大江くらいしか中を見たことはない。
「さて」
時間は午後二時五十分。
三時にデザートを食べるので、その準備をしに来たのだ。
入口入ってすぐの洋風に内装された一角にあるテーブルには、ラップにかけたみたらし団子が置かれている。
執務室に運ぶと言われたが、あまり彼女の仕事を増やしたくないので、台所に置いていてくれていいと言った。
ごていねいに、自身と執事の大江の名前を書いたメモがそれぞれに貼りつけてある。
台所のなかは少しうす暗いが、あかりが要るほどではない。この明るい時間帯であれば、電灯のスイッチの場所を多香乃に聞く必要はない。
なにかとこまごまと彼女をわずらわせてイライラさせてしまっているようなので、あまり手間はかけさせないようにしようと心がけている。
告は、もういちど台所を見回した。
部屋着のポケットからスマホをとりだす。
多香乃の短縮番号にかけた。
「──あ、多香乃さん」
「なんです」というキツめの口調が返ってくる。
「いまどこ?」
「──冷蔵庫室ですが」
「ああなるほど」
告は答えた。
そういえば、冷蔵庫が数台置いてある貯蔵庫的な小部屋があった気がする。
「みたらし団子って、手で食べてもいいんだっけ?」
告は問うた。
団子を食べるのは、かなり久しぶりなのだ。
スプーンだっけ、フォーク使うんだっけと思ったが、先端に飛び出たほそい棒を見ると、ここを持って食べてもいいと記憶していた気がする。
なるべくならつくり手に失礼のないよう正しい食べ方をしたいのだが。
「……お好きなように食べたらどうですか?」
多香乃の非常に不機嫌そうな答えが返ってくる。
「なるほど」
告はうなずいた。
「とくにマナーとかはない?」
通話口の向こうの多香乃が沈黙する。
非常識な質問だったのだろうか。
もう一つ質問があったのだが、さらに怒らせてしまうだろうかと思案する。
「あー。もう一つ、多香乃さん」
「なんです」
冷静というか冷淡な調子で返事する。
「スイーツに合わせて麦茶を飲みたいんだけど」
「執務室の冷蔵庫にあります」
多香乃が答える。
「ああ……執務室にあったの」
告はさきほどまでいた執務室の方角をながめた。
「──いまどちらにおいでですか? こちらの冷蔵庫にもあるのでお持ちしますが」
「いいよ。仕事増やしちゃうし……」
告は開け放したままにしていた台所の入口ドアを見た。
長身のがっしりとした人影がドアの影からのぞき見える。
「──あなたにやらせるほうが仕事が増えるんです」
多香乃が不機嫌な口調で言う。
「これから、みたらし団子を食べるところでして」
告はドアからのぞき見ている長身の影にむけ言った。
「──分かってます。さきほど聞きました」
自身への返事と勘違いした多香乃が答える。
「平均より長い菓子楊枝でしょう? でも一本ですかね?」
告は影の背後の気配をうかがった。
「──なにいっているんです。ふつうの菓子楊枝です」
多香乃が答える。
「団子も肉づきいいでしょ。僕よりモリモリしてる」
「──モリモリってなんです。筋肉ですか」
多香乃が怪訝そうに返す。
「作ってから三十分前後ってところかな。左の側面の大きな焦げ目がおいしそうでしょ?」
「──おいしそうでしょって、わたしが作ったんですが」
「やそっちにも、よろしければどうぞって伝えてくれる?」
多香乃にむけてそう言い締めくくる。
ドアが大きく開けられた。




