大海原家執務室 2
「倒れてる男性の名前は、及田 達也さん、三十七歳。国籍は日本だけど、ご両親の仕事の関係で十歳までイタリアに住んでた」
告は、多香乃にひったくられたタブレットに手を伸ばしてスクロールした。
「ご自分もその後イタリア関連の仕事をしてて、年の半分は向こうにいたらしいけど」
「イタリアなんて、オー・ソレ・ミオくらい知りませんが」
多香乃が眉をひそめる。
「それナポリ語。彼がおもにお仕事してたのはフィレンツェ」
「同じイタリアでは?」
「十九世紀までいくつかの都市国家に分かれてた国だから、各地の方言けっこう違うらしいよ。いまのイタリア語はトスカーナあたりの方言を標準ってことにしてる」
告は画像をスクロールした。
遺体をべつの方向から撮った画像が現れる。
「いっしょにパーティしようとしてたのは、全員が大学時代の友人。時田 潤氏、麻木 寿人氏、伊地 悠司氏、ウルバーノ・一色氏、義堂 樹氏」
「あー思い出しました。イタリア人って、パスタをケチャップで味つけするとキレるっていう人たちですね」
多香乃が眉をよせる。
「刺殺体を見てケチャップの話する女性、はじめて見た」
「そもそもですね」
多香乃が顔を上げる。
「その女性にいきなり殺人現場の画像を見せますか?」
「多香乃さん、平気じゃないか」
「血と刃物が怖かったら魚を三枚におろせません」
「なるほど」
告はうなずいた。メイドならではの答えだなと思う。
「多香乃さん、新鮮な魚を選ぶの得意だって聞いてる」
「ありがとうございます」
何の感動もなさそうに多香乃が答える。
「ダイイングメッセージの意味は分からないんだ」
「なにか期待してましたか? とくにこういうのが得意なわけではありませんが」
「では」と言って、多香乃が礼をする。
「お世話になりました。お元気で」
住宅街の一角にあるカトリック教会。
被害者の及田氏は、日本にいるあいだはここの日曜礼拝に通っていたとのことだ。
教会の敷地内にある三台分ほどのスペースの駐車場。
告は車から降りると、てっぺんに十字架のついた屋根を見上げた。
こういう光景、むかしのアニメで見たなと思う。
運転手も辞めたので、かなり久しぶりに自分で運転をした。お気に入りの黄色い軽自動車だ。
車のドアというものは自分で開け閉めするものだと思い出し、新鮮な気持ちだ。
たぶん礼拝堂とやらは出入り自由だろうと思い、せまい庭を通りすぎて正面のガラスドアを開ける。
「あれっ」
「うっ」
礼拝堂の玄関口。カーディガンにスラックス姿の多香乃が通りかかる。
「ぐうぜんだなあ、多香乃さん」
「……ほんとにぐうぜんですか?」
多香乃が思いきりイヤな顔をする。
「シスターみたいな服装してるのかと思った」
「事務と言ったでしょう。洗礼したわけでもないのにそんな格好しません」
「多香乃さん、クリスチャンってわけじゃないんだ」
告は目を丸くした。
「……ここの教会になにかご用ですか?」
多香乃が眉間にしわをよせる。
彼女にはものすごく嫌われてるんだろうと今さらながら告は思った。
威嚇されると構いたくなる性癖なので、ムダにワクワクしてしまう。
「例の被害者さんが、日本にいるときはここ通ってたんだって」
「なんでしたっけ」
多香乃が眉をひそめる。
謎解きにハマりかけていたように見えたが、そうでもなかったのか。
「デミグラスソース。ケチャップ、魚三枚に下ろしてパーティ」
「ああ……執務室での話ですか」
多香乃がようやく思い出してうなずく。
これで思い出すとか、さすがメイドさんだと思う。
「まだ探偵ごっこやってるんですか。さっさとやめて、あたらしい執事さんをまず雇って財産管理とグループ企業経営に集中したほうがいいのでは」
「執事って、いわば当主の代理人だからね。当主不在のさいには留守をあずかる人だよ。そうそう簡単にそこまで信用できる人は見つからないよ」
「そんな重要なかたまで逃げだすほどのご自分の行動をふり返ったらよろしいと思いますが」
「司祭さんている?」
告は無視して礼拝堂のほうを見た。
「いなければ副助祭さんでも読師さんでも」
「なに知識ですか。どちらも二十世紀初頭に廃止された叙階ですが」
多香乃が眉をよせた。