大海原家執務室 1
「辞めさせてください」
維新からつづく富豪の家系、大海原家。
代々の当主が執務を行っていた部屋で、若き当主・大海原 告はメイドの一人にそう告げられた。
動揺したものの、落ち着いてネクタイを直す。
きちんと整えた髪、いちおう俳優ばりだと言われることもある顔をくずさずに真顔で両手を組む。
「小野 多香乃さんだっけ」
黒髪を顎のラインで切りそろえた二十代前半のメイドを見上げる。
優雅な白いフリルで飾られながらもシックな黒のワンピースが引きしめた印象をあたえるメイド服を身につけ、きちんと両手をそろえてこちらをまっすぐに見すえていた。
「祖母の代から今日まで、お世話になりました」
メイドが折り目正しく礼をする。
「では」
そうとつづけて何の未練もない様子できびすを返した。
「ちょ、ちょっと待った!」
告はイスから立ち上がった。
「まだ承知してないんだけど」
「辞表は一ヵ月まえに出しているはずです。執事さんと引きつぎ等の打ち合わせをして残った仕事もすべて片づけています」
「……その執事が一週間まえに辞めていて」
「存じています」
多香乃がそう返す。
「ほかのメイドも全員辞めてるんだけど。引きつぎなんてどうやったの」
「代わりのメイドを雇わないのは、あなたの都合によるものでわたしには関係ありません。あとから雇われる人のためにメモを残しておきました」
告は顔をしかめてイスに座り直した。
「僕が当主になったとたん、みんなゾロゾロ辞めてしまってさ」
「二十代中盤にもなって、ろくな社会経験もないクセに唐突に探偵業なんかはじめてるからでは?」
多香乃が軽蔑にも似た目で見下ろす。
「先祖代々の財産を速攻で食いつぶすのが想像つきます」
「それでも残ったきみは理解してくれているんだと思ってた」
「ほかの雇われ人の辞めていく勢いがすごすぎて、圧倒されて出おくれただけです」
多香乃が言う。
テキパキと正直すぎることをぶっちゃける性格だなと思う。
「探偵業なんて、たいがい浮気調査が主だと聞きます。大学卒業後、懇意の企業でちょっと社長秘書をかじった程度のお坊ちゃまに、そんなドロドロ相談の相手できるとは思えません」
「でも開業資金がものすごく安くて手続きも簡単なんだよ?」
告は笑いかけた。
多香乃をなだめるつもりの笑みだったが、多香乃はますますイライラとため息をついた。
「ともかくわたしは、もうつぎの仕事が決まってますので」
「どんな仕事?」
告は尋ねた。
「教会の事務員です」
「メイドじゃないんだ」
告は目を丸くした。
「どこの家にもメイドがいると思ってます?」
多香乃がきびすを返す。
「多香乃さん」
告は呼び止めた。
「じつはもう知り合いの刑事さんから仕事紹介してもらってて」
執務机の上にあるタブレットを手にとる。
「犯人わかったら教えてって言われてるんだけど、資料見る?」
多香乃がふり向いてこちらを見る。カツッと靴音を立ててふたたび執務机に近づいた。
「いったい、どんないかがわしいことをすれば刑事と話す機会なんてあるんです」
キツい口調で言う。
「失礼だね。大学時代の友人だよ」
告は軽く眉をよせた。
「遺族が犯人逮捕につながる情報に懸賞金を出してる。解決すればそのまま収入になると思うけど」
「かしてください」
多香乃がタブレットをひったくった。
画面には、床にうつ伏せになった大柄な男性の画像が表示されている。
手元にはデミグラスソースと思われるもので「JUGI」の文字。
「刺殺だってさ。一突き」
告は説明した。
「なんですか、このコテコテのダイイングメッセージ的なものは」
「ふつうにダイイングメッセージなんじゃないかな」
告は答えた。
「犯人は十字さんか十字屋さんでしょう」
多香乃が真顔で言う。
「ところが周辺にそんな名の人や企業はないって」
「……純一 祇園さん、十文字 銀河さん……従業員のお銀さん、銀座の純子ママ、循環器内科に通う銀行員……十牛図にハマってる血液銀行の人」
「血液銀行っていつの時代?」
告は顔をしかめた。
「通りすがりの犯行では?」
多香乃が言う。
「現場、ご自宅だってさ。ご友人の何人かとちょっとしたパーティというか飲み会しようとして準備してたんだって。もう警察の鑑識入ったけど、ご友人とご家族以外の足跡や侵入の形跡はなし」
多香乃が真剣な顔でタブレット画面をにらみつける。一気に謎解きにハマったようだ。
告はその顔を見た。
助手ゲット。内心でそう思った。