反故者
「じゃ、仕事行ってくるね~。」
「はーい。いってらっしゃい。」
「あ、食器は流し台の水に浸けておいて。火は使わないでね。何か困った事があったら電話してきていいからね~。」
「はいはい。大丈夫だって。ガキじゃないんだし。」
「何よ~。まだ中学生って言ったらガキじゃな~い。あ、ヤバ!時間が。じゃ行ってきま~す!」
「はいはい。いってらー」
バタン
母が夜間清掃の仕事に出掛ける。ウチは母一人子一人のいわゆるシングルマザーの家庭。父親は俺が1歳の時に事故で亡くなったらしい。それからは母が女手一つで俺を育ててくれている。日中はスーパーでレジ打ちのパート。夜は週3回ほどビル清掃の仕事に行っている。
…しめしめ。母が仕事に出掛けた時、家は俺の城になる。ゲームは1日1時間までと言われているが母が夜に仕事に行く日には寝る直前までゲーム三昧である。すでに学校の宿題や明日の準備など必要なことは終わらせ、母が家を出るのを今か今かと待ち構えていたのだ。玄関のドアが閉まるや否や早速、VRゲームを起動する。オープンワールドタイプのRPGであり没入感が凄い事で発売当時から学校中で、日本中で噂でもちきりのゲームだ。クラスの男子のゆうに半数以上は同じゲームをやっているので学校での話題には事欠かない。俺は周りよりも進みが遅れているので是非追いついてもっと皆の会話に入っていきたいのだ。
しかし、この没入感が凄すぎるタイプのVRゲームも考えものである。先々月のこと、母が清掃の仕事が急に無くなり帰って来た時に気づく事ができなかったのだ。肩を叩かれ、血液が体から失われていくかのように青ざめた。そこからしこたま怒られ1週間ゲームを禁止にされ
「次やったらぶっ殺すかんね。」
と怒ると怖い母にぶっとい杭を刺されたのだ。まぁ2日後に母が夜の清掃の仕事で家を空けた時にはもうぶっとい杭を勝手に抜いてゲームをしていたのだが、、
そうそう。そんな事があって以降に少し不思議な事が起こり始めたんだ。VRゲームをする時には専用のゴーグルをかぶってるんだけど、ゲームの電源を落とし、VRゴーグルを外そうとして手を上げると目と同じくらいの高さのところに何かがあって、それに手が当たるんだ。もちろんVRゴーグルの本体じゃない。VRゴーグルよりも20cm程奥かなぁ。ある程度の重みがあったから最初は母親が目の前にいて触っちゃったのかと冷や冷やしたけどVRゴーグルを外してみると誰もいないし何も無いんだよ。VRゲームは性質上、着けていると実生活での視界が0になるから安全のために周りに何も無い状態を確認してからゲームを起動してるから不思議だろ?他にも浴室で服を脱ぐときにも同様にシャツをまくり上げる時に目の高さのところで何かに当たるんだ。こちらも視界が0になっている時。シャツを脱いで確かめてみてもそこの空間には何も無い。しかも決まってそれは母が清掃の仕事のために家を空けている日だけに起こるんだ。
その何かに手が当たる回数が増えていくに従ってどんどん気になってきてね。余計な発言でゲームをこっそりやっている事がバレてしまうかもしれないから母にはしばらく言ってなかったんだけど、ある日とうとう好奇心に負けて母にその現象について聞いてみる事にしたんだ。
「ねぇ。お母さん。ゲームのVRゴーグルを外す時とか、服を脱ぐ時に手を上げると何かに当たる感覚があるんだけど分かる?」
「何それ?どっかの棚とかに手をぶつけてるんじゃないの?」
「いやいや、そういうのじゃなくてね。ほんと何も無い所で。」
「聞いたこと無いけどなぁ。どんな感触?」
「うーん。ほんと人に触ったような感触。でも地肌というよりは服を着てる人に触った感触かなぁ。」
「…あ、…うーん。 ………… 」
そこから母はしばらく考え込む。明らかに何か心当たりがあるような雰囲気。そして1分程してから母は話し出す。
「えっとね…。中学を卒業する頃に伝えようと思っていた事なんだけど…。
かなり衝撃的な話をするから心臓叩いておいてね。」
「え?う、うん。分かった。」
「あのね。亡くなったお父さんの事なんだけどね。事故死って言ってたんだけど、、、実は自殺してるの。しかも横になって寝ている1歳のあんたの上で首を吊って。」
「え”っ…?」
「でね。あんたはその垂れていた足に向かって手を伸ばして、叩いてお父さんをぶらんぶらんって揺らしていたのよ。」
6年経ち、俺は現在家を離れて隣の県で働いている。稼いだお金の半分はこれまで育ててくれた母への恩を返すために仕送りをしており今後も続けていくつもりだ。
母の衝撃的な告白を受けてから母に隠れてこっそりゲームをやる事は無くなった。それからというもの、ぱったりと目の前に存在する何かに触る事は無くなった。父であろうものが俺に接触をしてきたタイミングは俺が隠れてこっそりとゲームをしている夜だけだった。あれは父からの警告だったのだろう。約束を反故すると俺のように母に殺されるぞ。という。
母が俺の上に父を吊るした理由もまた母からの警告だったのだろう。反故するとこんな目に遭わせるぞと刷り込むために。
とはいえ、会った事も無い父には何の愛着も感じていない。狂人の母もあくまでもそんな一面もあるのかもしれないという妄想だ。やはり俺にとっては育ててくれた母は俺の愛する唯一の肉親なのである。