告白、一週間前
「はい、皆ちゃんと揃ってるわね。じゃあ、部屋に戻っていいわよ」
「はーい」
下級生の点呼は最上級生の大事な役目だ。今週は私の担当なので、それぞれの部屋を回ってきちんと寮生たちが揃っているか順番に確かめている。
最後の部屋までの確認を終わらせ、ボードに日付とサインをする。あとは、これを寮監室に戻せば、今日の仕事は終わりだ。
しん、と静まった寮の中を足早に進む。明かりが最小限まで抑えられた通路は、もの悲しくて、一人でいるのは少しだけ心細い。
廊下の突き当たりまで進むと、ガラス張りになった一際大きい部屋の扉を開けた。
寮監室に入って、いつもの場所にボードを置く。そしてそのまま、階段を昇って自室へと直行した。
薄暗い廊下って、どうしてこんなに嫌な雰囲気なのかしら。
部屋に入ってすぐに明かりをつける。
そして、机に掛けられた鞄の中身を広げようとして、机の端に置かれているものに、目が吸い寄せられた。
これは、エドアルド君にもらったクッキーが入っていた袋だ。まだ一月も経っていないはずだが、とても昔のことのように感じる。
クッキーは全部で七枚入っていた。一度に食べてしまうのが勿体なくて、毎日一枚ずつ食べ進めた。そして、残った透明で飾り気のない包装を、私はまだ捨てられずにいる。
あれは確か、あの告白の日からちょうど一週間前の事だった。
***
(あら? もう鍵が開いてる?)
通い慣れた講義室の扉に手を掛けて、メイベルは首を傾げた。
十五才になって魔法学校に入学した彼女は、五年間勉学に励み、ついに今年で卒業を迎える予定だ。
亜麻色の髪を緩くまとめて、トレードマークでもある水色のリボンで飾っている。楚々とした雰囲気は、彼女の穏やかな性格そのままだ。
メイベルが今いるのは、彼女が所属するゼミナールの担当教室。普段は、メイベルが一番乗りなのだが、今朝は既に誰かが来ているようだった。
一体誰が来ているのだろうか、と考える。基本的に人付き合いに苦は感じないのだが、ゼミのメンバーの中に一人だけ、苦手な男子生徒がいるのだ。
彼ではないことを祈りつつ、そっと講義室の扉を開ける。
「おはよう」
部屋の中に足を踏み入れると、メイベルの嫌な予感は見事に当たっていた。
そこには、机に突っ伏したまま本を読んでいるぼさぼさ黒髪の青年――エドアルドがいた。長い脚を窮屈そうに折りたたんで机の下に収めている。彼はメイベルの挨拶に何も返さず、手元の本から目を離さない。
無視される、というのは思ったより傷つくものだ。
だからなるべく彼には近づかないようにしているけれど、同学年で同じゼミナール所属というのは頻繁に顔を合わせる機会がある。 どうして無視されるのか気にはなるが、それを直接聞けるほどメイベルの心は強くなかった。
彼から少し距離を取って荷物を置き、席につく。鞄から来週提出の課題を取り出した。
変身術のレポートは難しいものではないが、資料に目を通すのにどうしても手間と時間がかかる。
最高学年になると寮は一人部屋になるが、人目がある方が集中できるメイベルは、ゼミの一時間前に講義室に来て面倒な課題を進めていた。
とはいえ、他の生徒はいつも五分前にしか来ず、結局メイベルは一人きりなのだが、自室でないというだけで、やる気が出てくる。
早速、分厚い本から変身術について書かれているページを探しだそうとすると、少し離れたところでガタリと椅子が動く音がした。
エドアルドだ。音に反応してちらりと視線を向けると、一瞬だけ目が合ったような気がした。慌てて目を伏せ、目の前の課題に集中しようと唇を引き結ぶ。
(無機物を、別の無機物に変化させるのは比較的難易度は低い。だからこそ、良い評価をもらうには、生き物の変身術を選んだほうがいいわよね。けど――)
「あの……」
がばりと勢いよく顔を上げる。目の前には、猫背ぎみな姿勢のエドアルドが立っていた。手には、クッキーの入った小さな袋が握られていた。
「あ……どうかした?」
頭の中は驚きで一杯だが、口からはいつも通りに言葉が出てくる。彼に話しかけられたのは、これが初めてかもしれない。
「こ、これ……」
エドアルドは手に持っていた袋を差し出す。その行為の意味を理解して、メイベルは一瞬目を見開き、すぐに笑みを浮かべた。
「ありがとう。これ、くれるの?」
彼は首を縦にぶんぶんと振る。袋を受け取ったメイベルは、クッキーが割れないように鞄の中に閉まおうとした。
「あ……た、食べないんですか?」
「え? ああ、帰ってから食べようと思って。でも折角ならここで少し食べちゃおうかな」
この場で食べてほしそうなエドアルドの期待に応えようと、メイベルは一度鞄に閉まったそれを再び取り出す。
袋の中から一枚取り出して口に含むと、甘い中にどこかピリリとした味わいがある。
ジンジャークッキーかしら、と考えながら、メイベルは彼に改めて向き直った。
「すごく美味しい。残りも有り難くいただくね」
そう伝えると、エドアルドはぺこりと一礼して、また元の席に戻っていった。
***
(本当に、あれはすごく意外だったわ。まさか男の子から手作りのお菓子を貰うなんて)
きっとあの出来事がきっかけだったのだろう。私があんなにも苦手だった彼のことを意識しはじめたのは。
(もうすぐエドアルド君の誕生日だし、気合い入れてお祝いしなきゃ! でも、プレゼントを何にするかまだ決まってないのよね……)
今日は学校の近くの商店街に行く予定だ。そこなら、良い物も見つかるだろうし、この辺りではお店の種類も豊富に揃っている。
寮を出て、校門までの道のりを歩いていると、後ろから一定間隔で付いてくる足音に気が付いた。
こんな朝早くに珍しいわね。
ただの偶然だろうと思って、しばらくそのまま歩いていたが、後ろにいるであろう足音の主はまだ付いてくる。
まぁ、今日は貴重な休日だし、きっと後ろの人も商店街に行くのね。けれど、さっきから気になってしょうがない。
そう思った私は、校門のすぐ手前にある時計塔の下で立ち止まった。
ここは、よく生徒の待ち合わせ場所として使われているので、誰かと待ち合わせしている風を装って、追い抜いてくれるのを待とうと考えたのだ。
けれど、私が立ち止まった瞬間、足音はピタリと止んだ。
え、どうして止まったの? 一体、後ろには誰が……。
疑問は尽きないが、振り返る気は起きない。振り返って、相手と目でも合ったりしたら、どうすればいいんだろう。
時計台の前ですっかり固まってしまった私だったが、時間が経つにつれて、段々と恐怖が薄れてきた。
もしかしたら、もう誰もいないかもしれないし。
よし、振り返ろう! そーっと首を左に回して、横目で人影を確認すると、全体的に黒くて細っぽい人が立っていた。
ん? あれって……。
「エドアルド君! そこで何してるの?」
大きめの声で呼びかけて、そのまま歩み寄ると、彼は少しだけ後ずさりした。
「あ……その、こんな所で立ってるから、メイベル、何してるのかなって思って」
目線を逸らしたまま、彼は自分の前髪をずっと弄っている。
「もしかして、誰かと待ち合わせしてた、とか……?」
「ううん、そういう訳じゃないけど……」
「! だったら、僕も一緒に行ってもいいよね……?」
う……、それはすごく困る。
「あー……、ごめんね。今日は一人で買い物したい気分なの」
折角のデートチャンスをふいにするのは勿体ないけれど、今日だけは絶対に譲れない。
「……一人で行くなら、僕が付いていってもいいよね?」
「え……でも」
「だ、大丈夫。僕、邪魔しないように黙って付いてくから……! だから……」
どうにか付いてこようと言い募るエドアルドを拒否するのは、とても心苦しい。
けど、付き合ってから最初の誕生日なんだし、気合いを入れて準備したい。
「ほんとにごめん。今日は無理なの。また今度で勘弁してね!」
「あ……」
無理やり会話を打ち切って、私は駆け出した。
ごめん、エドアルド君! これも、あなたの誕生日のためだから!