8.ランドール第二王子
「本日はお日柄もよく」
パメラが気合の入った薄桃色のフワフワレースのドレスを着ている。あざといぐらいに胸元が開いている。
こぼれるぞ、オリガは半目になって心の中でつぶやいた。
「君がパメラかい。色んな男たちを泣かせているそうじゃないか。確かに、うわさにたがわぬ麗しさだね」
ランドール、またペラペラと。こやつは口から産まれたに違いないぞ。オリガは微笑みながら胸の内で毒づく。
「まあ、ランドール様にそのように言っていただけるなんて……。わたくし嬉しくて今夜は眠れませんわ」
パメラは吐息まじりに言い、うるんだ目でランドールを見上げる。パメラがランドールにしなだれかかり、パメラのたわわな胸元が大変なことになっている。
オリガは少し頬を赤らめて目を空に向けた。うむ、よい天気であるの。夜みたいな会話をしてる者がおるから、確認したぞ。うむ、今は真っ昼間じゃ。なんじゃこの雰囲気は。オリガは薄目になった。あまり目に入れたいものではない。
「それでは、今宵は朝まで語り合いましょう。ふたりで星の名前をつけていくのはどうだろう?」
なにを言っておるのだ、たわけが。頭をひっぱたいてやろうか。オリガは紅茶とともに罵詈雑言を飲み込んだ。
「あら、そんなことおっしゃって。わたくし知っておりますのよ、ランドール様は毎晩別の女性と夜空を見上げていらっしゃることを」
いいぞ、パパメラ、もっと言ってやれ、オリガは思った。
「過去は変えられないけれど、未来は永遠に君のものさ」
ランドールはパメラのあごを指でくいっと上げる。ふたりはしばらくの間みつめあった。なにやら意見が一致したようだ。ランドールのエスコートでパメラが優雅に立ち上がる。
「それではテオドール殿下、オリガ様、あとは若いふたりにお任せくださいな」
パメラはバチコーンと片目をつぶると、ランドールの腕にガシッとつかまってどこかに消えていく。
「すごいな」
「ああ」
テオドールが深いため息をついた。テオドールは先ほどから無になって背景と化していたが、復活した。
「ランドールは変わらないな」
オリガは手をつけていなかったクッキーをつまむ。ふたりの会話で胸焼けを起こしていたが、もう治った。
「いや、あれでも執務はずいぶんと手伝ってくれている」
テオドールはクッキーを食べない。きっとまだ胸焼けしておるのだろう、オリガは同情した。
「そうなのか? ならばよいのだ。……あのふたり、うまくいくだろうか?」
「さて。パメラ嬢はなかなか肝の座った令嬢のようだから、案外いけるかもしれない」
うむ、まあ、わらわにフーを押しつけるぐらいの図々しさは持ち合わせているな。オリガは深くうなずく。
「ランドールがパパメラひとりで満足するであろうか?」
それが一番の問題である。もの心ついたときから、とっかえひっかえ日替わりのランドール殿下と定評がある。ランドール殿下は仕方がないよね、と諦められている。いまだかつてそんな王族がいたであろうか。いたかもしれないが……オリガは知らない。
「ランドールはああ見えて一途だと思うよ。兄弟だからね」
テオドールがふっと笑みを見せた。オリガは頬を赤らめる。テオドールはオリガの赤い頬をそっと指でなでると顔を近づけ、ついばむような口づけをする。二度、三度、長く強くなってきてオリガが耐えられなくなって……。
「んんっ」
「ハリソン」
テオドールが無粋な侍従にため息をつく。
「ここは庭園です。人目がございます」
ハリソンは必死で正論を述べる。少し離れて見守っている護衛たちは、もっともだ、正しいハリソン、がんばれハリソンと心の中で応援している。
「婚約者が仲睦まじく過ごしてなんの問題がある」
テオドールからドス黒いモヤが立ちのぼる。オリガがパタパタと手で散らしている。
「げ、限度がございます」
ハリソンは折れない。長年ふたりを見守ってきた年月はダテではない。
「よし、もう結婚する」
「ええー」
オリガはのけぞった。
「父上との面会予約を大至急入れろ」
「ひえー」
悲鳴を上げながらハリソンが走って行く。
テオドールは続きをしようとオリガに顔を近づけるが、できる侍従は全速力で帰ってきた。最短記録である。
護衛たちはそっとハリソンを讃えた。ハリソン、お前はよくやってるよ。殿下の侍従はお前しか務まらない、がんばって任期をまっとうしてくれよ。俺たちには無理だ。
◇◇
陛下の私室には重苦しい空気が立ち込めている。感情を出さないことで有名なテオドールが不機嫌さを隠していない。
「それで、もう待てぬ、そういうことかテオドール?」
国王は重い空気に切り込んだ。
「はい。もう十年以上待ちました。誠意を見せるには十分な時間かと」
テオドールの表情はピクリとも動かない。
「うむ。まあ、のう……。しかしのう、そうはいってもテオドールよ。王族の結婚には時間がかかる。他国の賓客に招待状を出さねばならぬし、国内の貴族家は、まあなんとでもなるが……」
王は着地点を探して言葉をつむぐ。
「それにの、婚礼衣装じゃ。まさかテオドール、そなたオリガ嬢に粗雑な花嫁衣装を着させるつもりではあるまいの」
「…………」
「少なくとも数ヶ月は必要であろう。できれば一年……」
王の言葉はテオドールにばっさりと切られる。
「一年も待つつもりはありません。絶対に」
王は矛先を変えることにした。
「オリガ嬢、そなたはどう思う? 花嫁衣装にはこだわりがあるであろう? 最上級の布や糸、レースに宝石も必要であろう」
少なくとも、ワシの妃はそうだった。王は少し、いや随分昔のことを懐かしく思い返した。
「いえ、わたくしは衣装にはこだわりません。制服でもかまいません」
ええー、こだわらない貴族女性っているんだ、王は仰天した。だが決して表には出さない。
「制服というわけにはいくまい。そなたの母君が悲しむであろうよ」
ああ、確かに、とオリガがうなずく。テオドールから黒いモヤが出てきた。
「うむ、もういっそのこと結婚前にいくとこまでいってしまっても……」
オリガが淑女にあるまじき提案をする。
「それは許さんっ」
ババーンと扉が開いた。
「父上」
「宰相」
「陛下、殿下、オリガ、それは許しません。よろしいか」
こやつ聞き耳を立てていたな、王は思った。テオドールは小さく舌打ちをし、オリガは喜色を浮かべる。
「父上、ご無沙汰しております。ご息災でいらっしゃいましたか?」
宰相は厳しい表情をゆるめると、悲しそうにオリガを見つめる。
「オリガよ、父は悲しい。なぜ会いにこんのだ? そなた、父より料理長の方がよく会っているではないか」
オリガはスッと下をむいた。すっかり忘れていたとは言いにくい。
「わ、忘れておりました」
オリガは嘘が苦手だった。
さめざめと泣き出した父を、オリガはそっと視界から外した。
「一年……」
王がチラッとテオドールの顔を見る。
「教皇庁総本山まで出向き、教皇の御前にて結婚する。王国での式は一年後でもよい」
テオドールとオリガの父がにらみあう。オリガを得るものと奪われるもの、緊迫の対決であった。
「宰相との約束を守って、オリガへの思いを封印し、オリガからの思いを黙殺した。十年だ。これ以上は譲れない」
宰相が先に目をそらした。
「え、どういうことじゃ」
オリガが弾かれたようにテオドールを見る。
「宰相はな、幼い頃の私とオリガのあまりの仲のよさにいらぬ心配をしてな、私を脅したのだ。十年オリガに思いを伝えるなと。でなければ婚約解消だと」
「父上、ひどすぎる」
オリガが父をなじる。宰相は途端にもじもじし始めた。
「しかしな、オリガ。当時のそなたと殿下は相当アレだったのだ。周りからも心配されての。お互いがお互いしか見えぬ状態で育つのでは、健やかな心が育たぬとな。それで」
「わらわとテオドールはずっとお互い好き同士であった、そういうことか? 父上、天誅!」
オリガが勇者の剣を抜いた。
「オリガ」
「うむ、冗談じゃ」
テオドールが止め、オリガは剣をおろした。
「殺気が見えたけども」
王は少し怯えた。大体その剣、どこに隠しておった、まさかドレスの中か? 王は余計なことは忘れることにした。乙女の衣服事情など、首を突っ込んでもいいことはない。王はオリガに問うた。
「オリガ嬢、念のため確認するが、結婚は」
「すぐにでも」
「はあ……」
大きなため息が父親ふたりからもれる。
宰相はオロオロしてオリガにとりすがる。
「オリガ、しかし、婚礼衣装はどうするのだ。教皇の御前で結婚するにしても、衣装は必要であるぞ」
確かに、オリガは首をひねった。それらしい衣装はあったであろうか。ベルタに聞かねば分からぬな、オリガはそう結論づけた。
「私が既に用意しております」
しれっとテオドールが言った。
オリガは喜んでいるが、父親ふたりはドン引きだ。ちょっと気持ち悪い、そう思ってしまった。
「では準備が整い次第、明日にでも発ちます」
テオドールはたたみかける。引く気はみじんもないようだ。
「明日はさすがに無理であろう。護衛の選定がまだであるし」
王はなんとか引き伸ばそうとするが、
「ハリソンのみで結構」
テオドールは冷たく返す。
「ベルタは」
宰相がおいすがるが、
「いざというとき、わたくしはテオドールをかついで逃げます。ベルタを助けることはできません。ベルタには王国で婚礼の準備をしてほしいです」
オリガは普通の令嬢ではなかった。
「そなたにも侍女がいる場面も出てこよう」
宰相は諦めない。
「ハリソンが」
「私が」
オリガとテオドールの声がかぶった。
「オリガ、例えハリソンでもダメだ。私以外の男がオリガに触れることは許さない」
テオドールがオリガの手を握る。
「大丈夫じゃ。わらわはたいていの服はひとりで着られる。背中のボタンをちと手伝ってもらうかもしれぬが」
オリガは自信ありげに胸を叩いた。
「その役目、喜んで私が引き受けよう」
テオドールはオリガの手にうやうやしく口づけする。
甘い空気が醸成される中、父親ふたりは妻からの叱責を甘んじて受ける覚悟をする。
これから始まる地獄の調整を思うと、吐きそうになるハリソンであった。