09 縁談の相手
侯爵の長男ということは、次期侯爵ということだ。
子爵令嬢の私にとっては、格上すぎる相手である。
どう考えても、あちらにうまみはない。
私に難癖をつけてきた男は先代で、現在のロスメル侯爵はその跡を継いだ息子のはずだ。
その息子の長男ということは、年齢も驚くほど年上ということはないだろう。
ならばなおさら、分からない。
どうして私なんかに、わざわざ縁談を申し込むのか。
先代が隠居する原因になった、因縁の相手に。
「不思議そうな顔ね」
何も言えずにいる私に、王妃が言った。
「心配することはないわ。十年前の出来事のせいで王に遠ざけられているから、私とあなたのご機嫌取りがしたいのよ」
「エリーゼ様は分かりますが、私の機嫌など取っても仕方ないでしょうし」
そう言うと、王妃は呆れたようにため息をついた。
「あなた、本当にそう思ってるの?」
「どういう意味ですか?」
「少なくとも私は、あなたが勧めるものなら物でも人でも一度は試してみようと思うわ。あなたのことは信頼しているもの」
「そ、それはありがとうございます」
突然の信頼宣言に、思わず取り乱しそうになる。
嬉しいは嬉しいが、それと縁談となんの関係があるのだろう。
不思議に思っているのが顔に出たのだろう。王妃はもう一度重いため息をついた。
「はあ、本当にそういうことには疎いのね。まあ、それがあなたのいいところでもあるのだけれど」
褒められたのかけなされたのか、よくわからない。
王妃は苦笑しているので、悪い意味ではないと思うのだが。
「いい? つまりロスメル侯爵は、あなたを家に迎え入れることで私とのパイプになってほしいのよ。それに、十年前に因縁のあるあなたを選ぶことで、王に恭順の意思を示したいのね」
驚いたことに、王妃は十年前の事件を知っていた。
知っていて、私に侯爵の息子との縁談を提示しているのだ。
「ですが、なぜ十年も経った今になって……」
「それは単純に、侯爵の息子がまだ小さかったせいでしょうね。それにあの頃は、あなたがまさか王妃の侍女まで上り詰めるなんてあちらも思っていなかったでしょうし」
確かに、あの時の私は単なる一メイドにすぎず、息子を結婚させるだけの旨味に乏しかった。
それが王妃の侍女になったことで、利用価値が増えたということなのだろう。
「私にとっても、悪い話じゃないわ。あなたが侯爵夫人になればただの侍女が立ち入れない場所にも連れて行けるようになるし、何かの際には侯爵の助力も期待できるようになる」
確かに、いつも王妃の傍に仕えるのが侍女の仕事だが、国王が臨席する公式な場など、私がついていけない場所もある。
そういう場所は、たいてい高位貴族に嫁いだ既婚の侍女がついていくことになる。
「あなたにも、悪い話じゃないと思うわ。事情が事情だから嫁いだ先でひどい扱いをされるなんてこともないでしょうし。それに条件だけ見るなら、結婚するには理想的な相手よ」
確かに、嫁き遅れの私が嫁ぐには、贅沢すぎる相手である。
先ほどの話からして、驚くほど高齢とかそういうこともないだろう。
だが、降って湧いた縁談話に私の頭は真っ白になっていて、それが王妃のためになると分かっていても、すぐに返事をすることはできなかった。
黙りこくる私に、優しく王妃は言った。
「勿論、断ることもできるわ。強制じゃない。よく考えてみて頂戴」
それはまるで、慰問した孤児院の子供たちに話しかけているような、声だった。
私は子供のように心もとない気持ちで、その言葉を聞いていた。
***
とにかく、悩んでいるだけでは始まらないと思い、ロスメル侯爵の息子と会ってみることになった。
あちらはこちらをどう思っているのだろうか。
貴族の結婚なんて好き嫌いでするものではないと分かっているけれど、恨まれているのではと思うと恐ろしくなる。
ユリウスの恋人に化けている時は絶対に私だとばれないよう厚化粧をしたが、今日は薄い化粧にした。
もともと、化粧はあまり得意ではない。
肌が弱いのか、化粧をした後はすぐに荒れてしまうからだ。
正式なお見合いだと断りづらくなるので、建前上偶然同席になったというていにしてもらった。
場所は王宮の中庭だ。
許された者しか中に入れないので、人目に付くこともない。
ちなみに、両親にはまだ言っていないし、王妃にも連絡は待ってもらっている。
この縁談が王妃のためになると分かれば、父はすぐにでも話を進めようとするだろう。
本来ならば私もそうしなければならないのだが、どうしても心にイアンの影がちらついて、即答することができないのだ。
実家からもってきたドレスを身に着け、中庭にあるテーブルセットに腰掛け相手を待つ。
綺麗に整えられた庭は見事で本来なら心休まる光景のはずなのに、ちっとも落ち着かない。
やがて、小走りで若い男がこちらに走り寄ってきた。
彼は私の座るテーブルの前に立ち止まり、そして言った。
「お久しぶりです。私のことを覚えていらっしゃいますか?」
私は驚いて、声も出なかった。
そこに立っていたのは、青星騎士団で私を案内してくれたトーマスだったからだ。
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