08 まさかの申し出
今更だが、侍女たちを騒がしていた美男子は驚いたことに髪を切って髭を剃ったイアンだった。
演習の日以降も、職場ではイアンの話題が出ることが多くなった。
中でもエマは熱烈と言って差し支えないほどにその傾向が強く、イアンとは自分が付き合うのだから手出ししないようにと言って憚らなかった。
今までイアンを異性として扱ってこなかった彼女たちの変節に、私は心がもやもやした。
イアンは今二十九歳。
結婚適齢期真っ盛りであり、次男とはいえ公爵家の出身。更にはエリートである青星騎士団の副団長ということで、中級かあるいは下級の貴族の娘、あるいは婿を欲している高位貴族から見れば、理想的な結婚相手だ。
今まではそれでもなおイアンの怪しい外見のせいで近づけずにいた女性たちも、今では猛然と婚約者候補に名乗りを上げていると聞く。
イアンの実家には届いた見合いの申し込みが山になっているとか、彼を一目見ようと騎士団の訓練場はいつもオペラグラスを持つご令嬢でいっぱいだとか、どこまでが真実かは分からないが、それらの噂一つ一つに私は憂鬱な気持ちになった。
別に、いつか彼と付き合えるなんて思っていない。
そんなつもりがあるなら、とっくに告白していただろう。
けれど私は、とてもではないがそんなことできなかった。
あの時助けてくれたイアンに恥じないよう仕事に打ち込んできたし、そのおかげで今があるのだ。
そして仕事に余裕が出てきた今となっては、適齢期など過ぎている。
子供を産むことが絶対条件である貴族の結婚において、女性に求められるのは健康と若さだ。
勿論見目の良さは重要かもしれないが、結婚においては母になる能力の方がより重要視されるのである。
事実、目の前ではしゃいでいる同僚たちは年下ばかり。
己が失ったものを見せつけられているようで、胸が苦しい。
だが、そんなものはつまらない感傷にすぎない。
自分に大切なのは王家に忠義を尽くすこと、ひいては王妃の役に立つことだ。
そう決意を新たにしていると、突然王妃が人払いをお命じになった。
「サンドラは残って頂戴」
そして私一人が、王妃の居室に残される。
一体何事だろうかと思っていると。
「そんなに緊張しないで。別に叱ったりしないわ。あなたは優秀だもの」
「はぁ……?」
誉められたのは嬉しいが、この状況では素直に喜ぶことができない。
そしてその表情からは、王妃が何を考えているかも窺い知ることはできなかった。
「実はね、あなたに縁談の申し込みがあって」
「縁談? 私にですか?」
思わず聞き返してしまった。
それも仕方のないことだと思う。
若い頃は実家を介してぽつぽつあった縁談も、この年ではほとんどなくなっていたからだ。
「ええ、そうなの。先方がわたくしを介して申し込んできたのよ」
王妃を伝言役に使うなんて、どれだけ太い神経の相手なのだろう。
最初の感想はそれだった。
なんたって相手は一国の王妃だ。この国で二番目に尊い身分なのである。貴族でさえも、彼女の前では膝を折る。
となれば、そんなことができるのはごく一部の人間だけだ。
この王妃は慈善事業に尽力してはいるけれど、おとなしく誰かに使われるような優しいだけの人間ではない。
よく知りもしない相手に申し込まれたところで、なにを無礼なとはねのけることができる人だ。
言葉に迷い、思わず肩をすくめる。
王妃から提案された時点で、私に拒否権などない。
どんな相手でも、私がその相手と結婚することで王妃の役に立てるというのなら、喜んで嫁ぐ。
戸惑っているのは、そんなことを言ってくる相手に全く思い当たる節がないせいだ。
私を介して王妃と繋がりを持ちたい相手ならば、せめてもっと若くてかわいい侍女に申し込めばいいのにと思う。
「ええと、一体誰がそのような……」
「それがね、ロスメル侯爵のご長男なんですって」
その言葉に、私は息が止まるかと思った。
なぜならその家名は十年前、私をブローチ泥棒呼ばわりした、あの好色な貴族のそれだったからだ。
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