07 演習で
どうしてこんなことになったのだろうか。
空を見上げて自問自答する。
この二日ばかり、思いもよらぬ状況に陥ってばかりだ。
雨でも降って視察が中止にならないかと願ってみたけれど、残念ながら空は気持ちよく晴れ上がっていた。
王妃に日があたらないよう日傘を持ち、隣に侍る。
素晴らしい弁舌でお供の座を勝ち取ったエマは、今は楚々とした様子で王妃の後ろを歩いている。
心なしか、朝よりも化粧が濃くなっている気がする。
一体何が彼女をここまでさせるのだろうと、私は内心で首を傾げていた。
ドレスの仮縫いで予定がずれたので、演習は既に始まっていた。
演習が行われるのは城の西翼に隣接する訓練場だ。青星騎士団の団員を見ようと、周囲にはたくさんの見物客も集まっていた。ドレス姿の令嬢も数多くいて、きっとその中には弟の恋人の噂を広めてくれた娘たちもいるのだろう。
みな着飾ったドレス姿で、騎士の活躍に時折悲鳴を上げている。まるで昼間の舞踏会だ。
しかしさすが王妃の威光というべきか、こちらに気づくと人々は腰を折ってすぐさま道を空ける。
そんな私たちに気づいたのか、団長のケネスがこちらに近づいてきた。
無意識に、私はイアンの姿を探した。
けれど副団長であるはずのイアンの姿はなく、ケネスの近くには銀髪の見知らぬ男が立っていた。短く刈り込まれた銀髪と、青い切れ長の瞳。薄い唇。大層な美男子だ。
彼は団員たちを集めて整列させ、いつもならイアンがいるはずのケネスの後ろについた。
どこかで聞いた容姿だと思いつつ、私はイアンがいないことにがっかりしていた。
一方で、後ろにいたはずのエマは私を押しのけるように前に出てくる。
なるほどエマの態度は彼が原因かと、私は納得した。
特に彼女はまだ婚約者が決まっておらず、行儀見習いをしながら結婚相手を探しているらしい。
そういう侍女は他にもいて、その多くは私のような持参金の出せない下位貴族の娘だ。
「王妃殿下。わざわざ演習場まで足をお運びいただきありがとうございます」
普段は闊達な印象の強いケネスも、王妃の前では如才なくふるまう。
王妃が差し出した指先にキスを落とし、それから声を張り上げた。
「王妃殿下の御前である! 総員敬礼!」
すると、青星騎士団は一糸乱れぬ動きで敬礼をした。
その中にユリウスの姿を見つけ、私は嬉しくなった。
だがおかしなことに、昨日見たはずのイアンの姿がどこにもない。
王族の臨席する演習は任務の者と休暇の者以外は全員参加のはずである。
まさか体調を悪くしたのかと心配していると、王妃が楽しそうに口を開いた。
「まあまあ、噂には聞いていたけど、本当に見違えたわねイアン」
その言葉に、私は思わず周囲を見回してしまった。
一体どこにイアンがいるというのだろう。
するとそれを見ていたのか、団長のケネスが大笑いした。
「情報通でいらっしゃる。イアン、前に出てきて挨拶したらどうだ? 恐れ多くも王妃殿下のご指名だ」
するとなぜか、後ろにいた美男子が進み出てきた。
唖然としていると、彼は優美な動作で王妃の手をすくい、その指先に口づける。
遠巻きに見ていた令嬢たちが、悲鳴を上げた。
「王妃殿下に置かれましては、ご機嫌麗しく」
そうして彼の口から出てきた低い声は、間違いなくイアンのもので。
私は驚きすぎて、思わず日傘を取り落としてしまった。
「も、申し訳ありません!」
慌てて日傘を拾い上げるが、頭の中は大混乱だ。
「はは、鉄壁のサンドラ嬢もさすがに驚いたと見える」
ケネスが悪戯っぽい笑みを浮かべてそう言った。
笑われるのは仕方ないとして、鉄壁ってなんだ。女に使う枕詞じゃないだろう。
顔を上げた美男子――イアンも、こちらを見ている。
注目を集めるようなことをしてしまったことが恥ずかしく、私は思わずうつむいてしまった。
「申し訳ありません! ご気分を害されたのではありませんか?」
いつもより少し高い声で、エマが言っているのが聞こえた。
確かに、騎士団の晴れ舞台ともいえる場でなんて不作法をしてしまったのだろう。
いつも仕事をまじめにするようにと他の侍女を諫めてきた自分なのにと、情けなくて顔があげられなくなってしまった。
「気にすることはない。今朝からイアンのやつを見たやつは最初に持っているものを落とすんだ。ランドリーメイドが水でいっぱいの洗濯桶をひっくり返したときには、さすがに辟易したが」
ケネスの言葉に、少しだけ救われた気持ちになる。
私はそのランドリーメイドに深い共感を抱いた。
さすがにいつまでもうつむいているわけにはいかないと恐る恐る顔を上げると、ちょうどこちらを見ていたらしいイアンと目が合った。
ぼさぼさだったシルバーブロンドは短く刈り込まれていて、口を覆っていた髭は跡形もない。
青い目はひどく澄んだ色をしていて、ああこの人はこんな顔をしていたのだなと何とも言えない気持ちになった。
ずっと知っていた人が、まるで見知らぬ他人になってしまったかのような寂しさをおぼえる。
「大丈夫か?」
そう言ってイアンが伸ばしてきた手を、私は思わず振り払ってしまった。
どうしてそんなことをしてしまったのか、自分でも分からない。
「サンドラ! なんてことを。イアン様はあなたを心配してくださったのよ」
エマの声が耳に突き刺さる。
言い訳しようにも、何も言うことができない。
「お騒がせして申し訳ないわね。観客もお待ちかねだわ。演習を続けて頂戴」
王妃の鶴の一声で、無事演習は再開されることになった。
私は結局それ以降一度も、イアンに謝るどころか声をかけることすらできなかった。
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