05 ふたりきり
しばらく、イアンは口を開かなかった。
気まずい思いをしつつ、彼の後についていく。
彼の大きな背に隠れて見えるらしく、すれ違う人に驚いた顔をされたのも一回ではない。
そのまま最後まで黙っているつもりのように思われたイアンだが、中庭に面した回廊を歩いている時、彼はふいに立ち止まった。
彼の背にぶつからないように、私も足を止める。
そして。
「トーマスは……」
何かと思えば、先ほどの青年の名を口にする。
「年増好きなんだ。気を付けろ」
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
トーマス青年が自分より年上の女性を好む嗜好があり、私もその趣味に該当しているから気を付けるよう言われているのだと気づいたのは、少し経ってからだ。
正直なところ、ショックだった。
いくら嫁ぎ遅れを自認していようと、好きな男性に年増扱いされるのは辛い。
眼鏡としゃれっ気のない髪型のせいでこの姿の時は年上にみられることを差し引いても、やっぱりつらい。
「つまりイアン様は、トーマス様が年増女の毒牙にかからないよう慌ててやってきたというわけなのですね」
イアンの言葉から、導き出された結論がこれだ。
今朝の態度の理由が気になって勇気を出してきてみれば、まさかこんなひどいことを言われるなんて思ってもみなかった。
「ち、違う!」
イアンがすぐさま振り返る。
相変わらずその顔はうかがい知れないが、どうやら慌てているようだ。
「わ、私は君を年増だなどと思わないが、あいつから見ればそう見えるかもしれないという話だ」
フォローになっているようななっていないような言葉を吐いて、またしてもイアンは黙り込んだ。
とりあえず、悪意はなかったらしい。
それが分かったところで、とても喜ぶ気にはなれないのだが。
「そうですか」
声が冷たくなってしまったのは、仕方ないと思う。
やっと喋れたと思ったら、これなのだ。
騎士団に向かっている時の高揚が、しおしおとしぼんでいくのが分かる。
そもそも彼は、十年も前に助けたメイドのことなど、きっと覚えてはいないだろう。
「もう、行きます。ここからは一人で帰れますから」
これ以上ここにいるともっとひどいことが起こりそうで、私は衝動的にその場から立ち去ろうとした。
実際、中庭までくればさすがに帰り道もわかる。
けれど、イアンはまるで私の行く手をふさぐように立ちはだかる。
訳が分からず、私は彼を見上げた。
「聞きたいことがある」
表情こそ読めないものの、その口調は真剣そのものだ。
さすがにこれを無視して逃げかえるわけにもいかず、私は次の言葉を待った。
「今朝、ユリウスと一緒にいたな? どうしてあんなことを……」
驚いたことに、イアンはあの厚化粧の私と今の私が同一人物だと見抜いていたのだ。
彼は青星騎士団の副団長だ。
当然団員の家族構成ぐらいは知っていて然るべきだろう。
そんな彼から見れば、どうして姉弟同士でわざわざ周囲に見せつける恋人同士のようなことをしていたのか、不思議に思って当然だ。
「だ、誰にも言わないでください!」
私は思わず叫んだ。
せっかく弟に恋人がいるという噂が流れているのに、それが姉だとばれてしまえば今までの苦労が水の泡になってしまうからだ。
「いたずらに騎士団の周囲を騒がせるような行動をしたことは、お詫びいたします。騎士団には二度と近づきません。ですからどうか、ユリウスを咎めたりはなさらないでください」
ユリウスの上司である彼にこんなことを言うのはおこがましいかもしれないが、私にとっては大切な弟である。
私を女避けにしようという思い付きは最悪だが、それでユリウスが剣に打ち込めるのなら、私は彼を応援したい。
そもそも、騎士団に出仕するまではほとんど領地を出ることもなかった世間知らずな弟だ。
貴族たちの恋愛ゲームとやらに巻き込まれて、傷つくところなんて見たくない。
目の前で、イアンが息をのむ音が聞こえた。
「そんなに、ユリウスが大切なのか?」
「大切です」
当たり前だろう。
大切な弟なのだから。
私が断言すると、イアンは何かを考え込むように黙り込んだ。
「ユリウスのどこがいいんだ?」
次の質問には、さすがに首を傾げてしまった。
家族から弟の長所を聞きたいということだろうか。もしかしたら、騎士団での査定の参考にするのかもしれない。
「それは……やはり素直な性格と、好きなことに対してまっすぐに打ち込むその性根でしょうか。あとは、身内びいきで恐縮ですが、清潔感があって容姿も整っておりますし」
青星騎士団であれば、王族の護衛にあたる近衛の任務にあたることもあるはずだ。その任務には、騎士団員の中でも特に容姿に優れた者がなると聞く。
ユリウスが騎士団に入ると決まった時、父も口を酸っぱくして身だしなみに気を使うよう言っていた。
王家に忠誠を誓う父にとっては、弟が近衛として直接王の警護にあたることこそが誉れだからだ。
そういうわけで、さりげなくそのあたりをアピールしたかったのだが、うまくいっただろうか。
成り行きで想い人に弟をアピールするという妙な状況になってしまったが、少しでもあの子の役に立てたなら嬉しい。
「清潔感か……」
イアンは長く伸びた己の髭を撫でた。
私個人としては、別にイアンの長く伸びた髭も悪くはないと思うが。
その時、侍女仲間が私を呼びに来た。
「いた! サンドラ、エリーゼ様がお待ちよ」
「ごめんなさい。今行くわ」
彼女は、声をかけた後に私がイアンといると気づき、ぎょっとしたようだ。こちらに来るのをためらうように、その足がぴたりと止まる。
エリート集団である青星騎士団は城で働く女性たちに大変人気なのだが、異様な見た目のイアンだけはどうやら例外のようである。
「迎えがきましたので、ここで失礼します」
そう言って、私はイアンと別れた。
「青星騎士団の変わり者と一体何を話していたの?」
帰り道、興味津々に尋ねられたが、私は何も言えず苦笑するほかなかった。
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