01 どうしてこうなった
サンドラ・テレス・グローバー、二十五歳。
現在自問自答中。
一体全体、どうしてこうなった。
「見て、あれ」
「まあ、なんて不埒な!」
見ず知らずのお嬢さんたちが、扇子の影に顔を隠すようにして陰口を言っている。
いや、当人に聞こえるように言っているとしか思えないから、厳密には陰口ではないのかもしれないが。
そして彼女たちの非難はあながち見当はずれというわけでもないのだ。
なにせここは騎士団宿舎の出入り口で、間違っても貴族の女が近づくような場所ではないから。
そんな中、私はぼんやりと目の前の男を見上げている。
意識をそらしていたのがいけなかったのか、男はすくい上げるように私の顎を持ち上げた。
「僕といるのによそ見をするなんてひどいな」
限界まで砂糖を溶かした水みたいに、甘い声に総毛立つ。
近づいてくる見慣れた顔。
淡い紫の神秘的な瞳に、女性顔負けの長いまつ毛。小づくりな顔は騎士団に所属してるなんて嘘みたいだし、巻き毛の金髪は光を反射して目にまぶしい。
先ほどのお嬢さんたちが小さな悲鳴を上げる。
私だって悲鳴を上げたいくらいだ。
結局男は、私の頬にキスをした。
でもそれを見ていたお嬢さんたちには、しっかりキスをしたように見えただろう。
私は彼女たちに見えないように、ドレスの下で男の足を思いきり踏んづけた。
「ぐ……!」
男が――弟のユリウスが秀麗な顔をゆがめ押し殺した悲鳴を上げる。
ここに来るまで不満たらたらだった私は、それを見て少しだけ溜飲を下げた。
そもそも結婚すらしていない私がどうして弟の恋人のふりをしているのかと言うと、そこには深いようで非常に浅い理由があった。
幼い頃は病弱で、そのキラキラしい容姿も相まって美少女に間違えられることの多かったユリウス。
彼は体が丈夫になるようにと始めた剣の鍛錬でめきめきと頭角を現し、十九歳にして最年少で狭き門と言われる騎士団の精鋭部隊。青星騎士団に入団するに至った。
それはいい、それはいいのだけれど。
体こそ丈夫になったものの、中性的な容姿はそのままに青年になったユリウスは、男女問わず人を引き付けてしまう。
本人は十九になった今でも剣にしか興味がない、戦闘馬鹿だというのにだ。
そんな男を、城にある騎士団の宿舎に放り込んだらどうなるか。
私もその現場を見たわけではないのだが、部屋に見知らぬ女が入り込んでいたり、厳つい男に押し倒されそうになったりと、本当に散々な目に遭ったらしい。
そして恋人がいないせいでこんなことになるのだと考えたユリウスは、あろうことか女避けに実の姉である私を使うことを思いついた。
私は結婚適齢期を過ぎた今も、実家である子爵家を離れ王宮で王妃殿下の侍女をしていた。
仕事にやりがいを感じているし、結婚の予定もなければ恋人もいない。
そんな私ならば、恋人の代わりにしても問題ないと思ったのだろう。
結果として、弟に拝み倒された私はここにいるというわけだ。
普段はきつくまとめている髪を緩く巻いて飾りをつけ、顔には慣れない厚化粧の仮面を被る。
そしてそこまでしても天然物の弟にはどうしても見劣りしてしまうので、あの令嬢たちのように嫉妬をあらわにしてくる乙女が後を絶たない。
我が弟ながら罪作りだなと思いつつ、これで目的は達しただろうとばかりに私はユリウスから体を離す。
別れ際に見せる少し寂しそうな顔だけは、立派な騎士となった今でも変わらない。
まるで小さな子供の頃に戻ったようで、思わずその頭を撫でてやりたくなった。
結局のところ、私はユリウスに甘い。
「そんなところで何をしている」
その時、令嬢たちとは違う低い声に呼ばれ、私たちは振り向いた。
そこに立っていたのは、ユリウスの所属する青星騎士団の団長ケネス・リー・フォックスと、副団長であるイアン・モルダー・ルーカスの二人だった。
ケネス団長は燃えるような赤髪を持つ筋骨隆々の大男で、補佐役であるイアンはぼさぼさのシルバーブロンドが頭からも口からもだらしなく伸びていて、騎士団には相応しくないとお偉方の顰蹙をほしいままにしている人物だ。
私はたじろいだ。
なぜかって?
それは彼が、私の片想いの相手だからだ。
とにかく、私がユリウスの実の姉だとばれたら厄介なことにしかならない。いや、家族が別れを惜しむぐらい別に普通のことだが、それを隠れてこちらを見ている令嬢たちに知られてはすべての努力が水の泡になってしまう。
団長たちの前で姿勢を正すユリウスの隣で、私は深呼吸をした。
大丈夫。気づかれるはずがない。だって今日の私はいつもと全然違うのだから。
「ほう、こんなきれいなご令嬢を連れて、お前も隅に置けないなユリウス」
ケネスが面白がるように言い、弟の肩をバシバシと叩いた。力加減が甘いらしく、鍛えているはずのユリウスの体がふらつく。
私はカーテシーをしつつ苦笑した。
仕事柄ケネス団長と間近に会話したこともあるのだが、やはり私だとは気づいていないらしい。
そんな中、イアンは黙ってじっとこちらを見ている。
前髪が長くてわかりづらいが、確かな視線を感じる。
「副団長?」
イアンの態度を妙だと思ったのか、ユリウスが声を上げた。だが、それでも彼は答えない。
いくら野人じみた外見とは言え、イアンは意外に常識的な人物である。
なのでわざと挨拶を無視しているのではなく、挨拶も忘れるほど気になることがあるのだろう。
コルセットで締め上げた背中を、冷たい汗が滑り落ちる。
ばれたのだろうか。それともばれてないのか。
イアンの沈黙が永遠のようにも思えた。突き刺さる視線が痛い。
彼の疑念を払しょくしようと浮かべた笑みは、すっかり乾いて今ではひび割れかけている。
そんなイアンの背中を、ケネス団長が思いきり叩いた。
今度は手加減ができていないどころか敢えて強くたたいたらしく、倒れかけたイアンが慌てて体勢を整える。
「人の彼女に見惚れるなんて、馬に蹴られるぞ!」
そう言ってケネスは、いまだ何か言いたげにしているイアンを引きずって宿舎の中に入っていった。
そしてその場に残された私たち姉弟は、互いに顔を見合わせたのだった。
久々の新連載でドキドキです
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