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4.「転回」


 遅くまで飲み続けた日の朝。

 寝不足で痛む頭を大量の水分で誤魔化した私は身支度を整えて宿屋を後にした。

 まだ静かな大通りは、まばらに人が居てそれぞれが一日の始まりを満喫していた。


「後つけてないよな、アイツら」


 急に不安になった私はおもむろに振り返る。


「よし、大丈夫だなっ」


 リズやリアの姿が無いことを確認すると、胸を撫で下ろす。


「……こそこそ。残念、大丈夫じゃなかったりするんだよなぁ~……」

「……ロザリーも迂闊ですね。あんな鼻歌混じりに支度してたら起きるに決まってるじゃないですか、ヤダもう……」


 しばらく大通りを突き進んで、不意に駆け出すと私は路地に滑り込んだ。


「姉さんっ! ロザリン感づいちゃったよ!」

「追うぞ、リア! こんな面白そうな見世物、他にないぞっ!」

「ラジャー!」


 路地裏に逃げ込んだのには勝算があったからだ。


「アイツらのことだ。絶対、ストーキングしてる……ホント、タチ悪いからな」


 昨日通った路地をパスして突き当りを右。二つ目の路地に入って、すぐの廃屋に飛び込む。


「ダメだ、姉さん。見失っちゃったよ……」

「リアの追跡を撒くとは成長しましたね」


 廃屋の前を二人が通り過ぎるのを確認し、秘策を発動した。

 しばらくご機嫌で道を歩き、森を横切る。


「団長、朝早くからご機嫌ですね」

「あら、解っちゃう? ダメね、隠してるつもりなのに」

「へ、早起きして散歩するだけでご機嫌なのは羨ましい話ですよ」

「アンタ達もしっかりパトロールしなさいよ」

「イエス、マムっ!」

「だから止めなさいよ」


 部下と朝の挨拶を交わして森を抜ける。


「あと少しね」


 診療所の入り口まで来たところで足が止まる。


「なんでココだって解ったんだ?」


 植栽の陰を覗くと、黒と金の二つの可笑しな植え込みに気が付いた。


「逆に何で居ると思ったの?」

「イヤな気配がしたんだ」

「フッ……本当に成長しましたね」

「したり顔で誤魔化すな、リズ」

「そりゃあ、ちょっと考えれば行くところなんてココくらいしかないって解るでしょ?」

「残念でしたね、ロザリー。目的地さえ解ってるなら私達が全力疾走すれば先回りなんて造作もありません」

「得意気にしてるが、やってることは最低だからな?」

「ぶっちゃけ、話を盗み聞きしてたから目的知ってるし」

「サイテーだな、ほんと」

「だって邪魔したいし?」

「ええ、邪魔したいです」

「帰れ、ホント帰れよ!」

「気付かなければ、こっそり後つけるだけだったのに余計な真似するから」

「どっちにしろ、クズだよっ!」

「暇つぶしに丁度いいじゃん?」

「馬にでも蹴られてしまえ!」


 リズ達と口喧嘩していると、建物の中から男性がやってくる。


「すみません、朝早くから口論されると患者の迷惑になるので他所でやっていただけませんか?」


 黒縁メガネに中背の男性が申し訳なさそうに頭を下げる。

 格好からして診療所の先生だろう。


「ア、ハイ。すみませんでした……」


 私も申し訳なくなって頭を下げる。


「おや? 昨日の患者さんの……彼でしたら先ほど書置きを残して出て行きましたよ?」

「そうなんですか?」

「ええ。丁度良かった、その書置き持ってるんですよ」


 その先生はポケットから紙を取り出すと私に手渡す。


「ありがとうございます」

「なぜ、ロザリーに渡すんですか? 面識無いのに」

「昨日、彼を運び込んだの私達じゃん?」

「あなた達、信用出来なさそうだから。人の繊細な部分とか喜んで突きそうだし」

「ざまーみろ! 見透かされてるぞ、お前ら」

「それに……」

「それに?」

「彼女、彼のコレでしょ?」


 そう言って、そのヤブ医者は小指を立てた。

 

「あの医者、お前達と同類だなっ!」

「ホント、失礼しちゃうよねぇー」

「まあ、おっしゃる通りでしたけどね」


 書置きの案内に従って診療所から街の反対側までやってきた。


「ていうか、なんで付いてくるんだよ! 帰れ、しっしっ……」

「良いじゃん、別に」

「良くない、ルーディの気持ち考えろよ」

「昨日、自分がソレについて怒られたクセに」

「うっ……」

「はあ、まあいいでしょう。あんまりからかったらロザリーが泣いちゃいますからね。

 ……リア、戻ろう」

「えー、解りましたよ」


 リズが不気味な笑顔を作り、リアの服を引っ張る。


「なにか企んでるだろ、リズ」

「まさか!」

「少し距離を置いて付いてこようとか?」

「神に誓ってしませんよ」

「お前の神は誰なんだ?」

「ヘルメスです」

「……呆れた。もういい、好きにしてくれ」


 私は彼女達を置き去りにすると足早に目的地に向かった。

 町の中心部からやや南に向かった建物の少ない場所に出ると大きな樹が植えられた広場があった。

 樹の根元にあるベンチに座る男性にそっと声を掛ける。


「おはよう、ルーディ」

「おはようございます、ローザ」


 彼は穏やかに微笑むとベンチのゴミを払い、私に腰掛けるように促した。


「何だかぼーっとしてるわね。朝早くに起き過ぎて寝ぼけてるのかしら?」

「それもあるんですが、ローザが来るのが思ったより早くて……」


 ルーディはそう言ってベンチの先を見つめた。


「意味あり気な言い方をするのね」

「別に何もありませんよ」

「聞きたい、聞かせて?」

「おセンチになってるみたいですね、昨日から」

「良いんじゃない? そういう時だってあるわ」

「あの正面にある赤い屋根の家……アレ、僕の元実家なんですよ」

「ということは、この町の出身なの?」

「いえ……父が商売のために移住してきたんです」

「へえ、そういうこと」

「幼少のほとんどがココで過ごしたから出身みたいなものですけどね」


 彼は空を仰ぎ、静かに息を吐いた。


「僕たちは戦災孤児なんですよ……」

「……え?」

「父が借金し過ぎて追われたんです、家を。

路頭に迷った僕の一家は道端で暮らしました。ある時は煮た雑草を食べた事もあったし、家を回ってお裾分けを頂いた事もありました。

そんな暮らしをして三年ですかね?

 ある日、この国で戦争が起きました。

 今も膠着状態にある北の戦争です。税金を払えていなかった大人たちは皆、戦争に従事させられました。役人と軍人が両親の元へ来て次の日に連れていかれてしまったんです。

 僕は多少大きくなっていたんで、両親が連れてかれた意味はすぐに理解しました。

 父も母も帰ってくることはありませんでした。

 退役になった知り合いから聞かされたのは、父の配属された部隊は奇襲を受けて壊滅……北国は協定を破って野戦病院まで進軍し、傷病兵や従軍看護師を含めて皆殺しだったそうです。

 生き残ったのは、知り合いのおじさんを含めてほんの数%だったと聞きました。

 おじさんは何度も申し訳なさそうに僕たちに謝ってくれました……おじさんは何も悪くなかったのに。

 それから、僕たちは三人で必死に生きました。妹は洗濯の代理や家事の代行をして、僕は靴磨きやビラ配り、配達などして日銭を稼ぎました」

「そう、大変だったわね」


 私の想像出来る範囲を超えた世界に私はそう相槌を打つ以外に何も出来ることが無く、ただ黙って彼の独白に耳を澄ましているだけだった。


「でも、一番辛かったのはおじさんだと思います。片足を無くしたおじさんをどこも雇ってくれるワケなんて無くって、大通りで物乞いをしながら人にバカにされて街の悪ガキに石をぶつけられて子供に飯を食わせてもらうなんて、どれほどの屈辱だったか。

 おじさんは結局、二年くらいで亡くなってしまいました。

 原因は街を歩いてた酔っ払いに絡まれて酒瓶で頭を殴られたということみたいです」

「みたいって?」

「浮浪者の死因について騎士団が一々調べるなんて思いますか?

 話を聞いた僕たちが会いに行った時には、おじさんは死んでしまっていたから真相は未だに解りません」

「そう、よね……ごめんなさい……」

「僕は生まれて初めて人を殺したいと思いましたよ。形はどうであれ、おじさんが居たから僕と妹は頑張っていられたから。

 おじさんの葬式をしたその足で、僕は酒場に行きました。おじさんの仇を取るために色んな人から話を聞いて犯人と思しき人物が入り浸っている酒場を突き止めたんです。

 入ってすぐ、聞いていた人相と一致する人物を見つけて襲い掛かりました。

 石をぶつける街の悪ガキ相手なんて比じゃないくらいの憎しみを込めて拳を振り抜きました。何人もの大人が僕を押さえ付けようとしましたが、結果は重傷者十人を超えました。

 騎士団に連行された僕は素質を見込まれて騎士団へ、妹は孤児院に入り、今の家の主……ヴァリリの親父さんが僕たちの後継人になることで話が決着しました。

 僕の襲った男性がどうなったのか、僕は知りません。親父に訊いてもはぐらかして答えてはもらえませんでした」


 ルーディは最後に大きく息を吐くと、雲の無い灰色の空を見上げ乾いた笑いを零した。


「この話はしなくては、と思っていました。

 得体の知れない人間に案内されるのはイヤでしょう?」


 そう言って、彼は立ち上がり私に手を差し出した。


「私にそこまで話して本当に良かったの?」


 差し出された手を取り、立ち上がる。


「いずれしなくてはならない話だから」

「境遇を恨んだりはしなかったの?」

「考え方によっては幸運です。父親が三人、母親が二人、妹も二人……いや、三人になるかな? それだけ多くの家族に出会えた訳ですから」

「勝手に妹にされたくないのだけど?」

「少し気易すぎましたかね?」

「そういう意味じゃ……まあ、良いわ。今はそれでも」


 家と家の間を抜けると小さな教会が建っていて、色とりどりのパンジーが風に煽られて揺れていた。


「……素敵ね、とても」


 慎ましくも威厳の漂う教会を愛らしく包む花たちに私は心からの喜びを口にした。

 黄色や紫、紅白に敷き詰められた絨毯を仕切る縁取りを私達は歩き、教会の門をルーディが叩く。


「おはようございます」

「まあ、ルーディさん。いつもお立ち寄り下さりありがとうございます」

「シスターのお元気な姿を見れることが僕の励みですから」

「あら、相変わらずお口がお上手ですね」


 彼のにこやかに口説く姿が無性に腹立たしく、尻に蹴りをお見舞いする。


「……イタッ!? なんで蹴るんですか、ローザ」

「黙れ、スケコマシ」

「ふふ、今日はお連れ様も一緒でしたのね」

「ええ。仕事のお客さんです」

「そーよ。どうせただの客よ、フンっ!」

「えー、なんで不機嫌になるんですか?」

「知らないわ、自分で考えなさい!」


 私は教会の裏手、十字架の立ち並ぶ墓地まできて足を止めた。

 墓地の慰霊碑に刻まれた文字に目を疑った私は、そんなハズは無いと、もう一度文字を確かめる。


「……こんなに沢山。全部、父上の始めた戦争の所為だというの?」


 私達の始めた戦争がこれだけ多くの戦死者を出している事に私の膝が力を失っていく。


「正確には軍事衝突を繰り返す隣国への報復行為の結果で起きた戦争です」

「ルーディ……」

「ここの墓地の大半は従軍死者の墓碑です。この街はあまりにも多くの人が戦争に参加させられた。

 もちろん、僕の父母や妹もココにいます」

「国を恨んだりはしないの?」

「恨みましたよ、でも死んだ人間は帰ってくる訳じゃない。

 割り切るしかないんですよ、結局」

「私は……何の為に戦っていたのかしら」

「アナタが先頭に立って最小限の被害に抑えることで救われた命は多くあります」

「慰めにならないわ、そんなの」

「僕はね、こう考えてます。

 あの戦争が起きたからこの国は今も豊かなんですよ。言い方は良くないですけど、戦争が起きて無かったらこの国は飽和してたでしょう。

 人も資源も溢れ過ぎてた。

 特にこの街はソレが顕著でした。だから自浄作用にも近い形で必然的に戦争は始まってしまったんです。

 止める事も止まる事も出来なかった悲しい人類史の選択というヤツです」

「そんな発想が出てくるなんて狂ってるわよ」

「言ったでしょ、割り切るしかないって。キレイゴト並べたって事実は事実。

 実際、開戦直後は両国に多数の死者をもたらした戦争もお互いが犠牲を出すことでここ数年は膠着状態に入り、死者の数もほぼ0に近くなっている。

 そろそろ終戦となることでしょう」

「現実的すぎると言うか、淡泊なのね」

「そうやって意味を持たせなきゃ、死んでしまった人達の死んだ意味が消えてしまう。

 戦争を起こしてはならないと思うなら、起きないようにするには『何故』かと問い続けなくてはいけません。

 仮にそれが現実を見ることになっても」

「アナタの言うことは難しすぎるわ」

「感情的にダメだからで話が進むのなら、そもそも犯罪も戦争も起きませんよ。

 今は平和な国だって戦争になる危険は抱えてる。

 理屈じゃ無いんですよ、そういうのは」

「なら、どうしたら防げるっていうのよ?」

「……逆に訊きますけど、平和を謳ってる宗教を信仰してる国達が何で戦争をバラ撒いて歩いてるんですかね?」

「そ、それは……」

「答えは簡単ですよ、それが民意だから。

 もっと言えば、ソレが人の総意であり世界の決めた選択だからです」

「すき好んで人々は戦争してるっていう訳? ……バカバカしいわ」

「戦争を無くす努力もしないで自分には関係無いって思ってる人間は口を揃えてそう言うんだ、バカバカしいって。

 だけど、当事者だった俺からすればそう思えてしまうくらい悪意があったんだよ、この戦争には。

 アンタは言ったよな、父上の起こした戦争だって……その時点で関係者から外れようとしてるんだよ!

 国がどうとか誰がどうとかじゃない、俺達が起こした戦争なんだよっ!

 東で膨らんでる衝突だっておんなじだ。

 国が始めようとしてる戦争じゃない、俺達が始めようとしてるんだ」

「どうして、そんな言い方をするのよ?

 そんなこと言われたって私達にどうすることも出来ないじゃない。

 本気でしたくないって思っても、今みたいにアナタがそんな喧嘩腰じゃあ喧嘩になるに決まっているのに」

「甘いんですよ、ローザ。

 戦争なんて、国と国が……そこに住む人間達がお互いの主張をぶつける為にやってる大規模な子供の喧嘩なんだ。

 人は簡単に人を殺すし、自分のためなら相手を攻撃するっていう事を知ってなくちゃ意味が無い。

 それが抜け落ちてる内は戦争が無くなることはないと思いますね、僕は」

「そう、アナタはこの話に関して私と対話する気はないってことね」

「その気が無いのはローザの方ですよ。

 僕はアナタが気付いてることに気付いてるからつついただけです。

 現実を認めずに逃げてるのはアナタだ。

 ヒト一人と向き合って対話できないのに民衆全員と対話できる訳ありませんよ、それこそバカバカしい」


 投げ付けられた言葉は私の胸で潰れると、泥のような黒いシミを付けて滲む。

 彼は大きく息を吐くと言葉を続けた。


「言い過ぎたなんて僕は言いませんよ。

 生ぬるい言葉を贈ることが優しさなんて、そんなのは詭弁でしかないのだから」


 ルーディが申し訳なさそうに頭を掻き、遠くを見つめた。

 その瞳は何かを言いたそうに、だけど言葉を飲み込むように堪えて揺れる。

 その想いを感じ取った私は鼻で溜息をして言葉を繋げる。


「…………考えてみたのよ。

 アナタの言葉の意味を理解しようとしたわ。

 でも、意味を知ってしまったらどうしようもないって解ってしまった…………私には出来る事が無いじゃない。

 いや、きっと誰にもどうにか出来る問題じゃないわ」

「そう、摂理なんですよ。

 だから最小限に抑えられたって言ったんですよ、それは相手も含めての話です」


 彼が口を尖らせながらバツの悪い表情で目を逸らした。


「不器用なのね、ルーディは」

「耳触りのいい言葉が嫌いなだけです」


 ルーディはそれっきり黙ってしまい、私も釣られて口を開こうとはしなかった。

 気まずいワケでも無く、むしろ無言でいることが何故か心地良かった。

 しばし、さざめく枝葉が優しく耳を撫でていると、ルーディは思い立ったように墓地の中へ歩んでいった。


「…………ついてきて下さい」

「え、ええ」


 彼が中ほどまで歩いて立ち止まる。


「ココです」

「随分、小さいのね」


 簡素というより素っ気ない、地べたに転がる石ころみたいな墓石に小さく彫られた名前が苔むしていて、私の心を掻いてささくれを作った。


「場所が限られてますし、遺体は妹の分くらいですから…………こんなもんですよ」


 彼の間を置いた嘆息が嫌に耳の奥で響き渡り、一望した景色に二の句は喉元で押し潰されていた。


「そういうつもりはありませんよ、ローザ。気分を害してしまったならすみませんでした」


 私の心情を察したルーディは私の頭を軽く撫で、落ち着かせるように優しくゆっくりと謝辞を述べた。


「私はあまりにもモノを知らなさ過ぎていたようね。アナタに対して向けた刃の重みを理解していなかったわ。

昨日の私に逢えるなら、私はきっと、私自身の背中にナイフを突き刺しているくらいだわ」

「アナタ自身を責める必要なんて何処にも、いや…………多分、僕の心の中を探したって無いんだと僕は思います」

「――ルーディ…………」


 私は目いっぱい彼の胸に寄り掛かり、彼は何も言わずにただ胸を貸してくれた。

 それから、墓前で祈りを捧げた。

 供えられた比較的新しいスズランに私が気付くと、誰が置いていったのか想像はついてますよ。と彼は言い、悪戯っぽく笑った。

 

それからしばらく街を散策したり昨日の兄妹に会いに行ったり、途中で見かけたリズと店の前で値切り交渉しているリアを連れて道中に必要そうな物を買い揃えたりした。


 日が落ちて宿に戻り、ラウンジで夕食を囲んでいると激しい打音が聴こえてくる。


「団長っ! この宿に居るんだろ、出てきてくれ!!」


 すっかり聞き慣れた濁声が確かに私を呼んだ。

 悲壮の混じったその怒声にただ事ではないと直感した私たちはロビーまで駆ける。


「アンタ、どうしたのよ!?

 その傷、いったい何が…………っ!?」


 今朝見たばかりの男は汚い身なりを更に汚くして体を引きずりながらも、こちらに這い寄ってくる。


「すまねぇ…………ホントにすまねぇ…………アンタとした約束、守れなかった…………」

「とにかく訳を話してっ!

 何があったっていうのよ!?」

「俺たちは夜の見回りをしてたんでさ…………怪しい二人組が立ってて、ぐぅ…………しょっ引こうとした仲間が三人、一瞬でやられちまった。

 残った俺たちはアンタを呼ぶ為に三人が盾になって、俺が伝令に…………だけど、あっという間に追い付かれて、この…………ざまですよ」


 彼はそう言って、懐から指輪を取り出してボロボロの服で拭き取って私に差し出した。


「アンタの部下ってのも悪くなかったぜ…………前払いで貰ったコイツは返します…………」

「バカ、そんなのどっちでも良いわ!

 早く医者の所へ行くわよっ!」

「俺らはダメさ…………報いってヤツですよ。

 あの二人組、診療所を狙ってます…………俺なんかより、早くっ!!」

「何言ってんの、置いていける訳ないじゃない!」

「頼む、俺じゃなくて診療所を…………」


 私が彼の肩を抱き上げて歩き出すと、頬が弾けて視界が横を向く。


――パシンッッ!!


 ひりつく頬を空いてる手で撫でて正面を見据えると、リズが仁王立ちしていた。


「リ、ズ…………なん、で?」

「しっかりしろ、ロザリンド!

 大の男が命張って頼んでいるのは何だ?

 傷の手当てか、違うだろっ!

 お前が今行かなきゃ、やらないきゃならないことを考えるんだ!!」

「でも…………」

「でもじゃない!

 その人を置いてでも行くんだよ!!

 頼まれたんだろうが、助けてくれって!」


 私がゆっくりと肩に抱える男と眼を合わせると、男は小さく頷いた。


「へへ、良いこと言う姐さんだ。

頼んまし…………た…………ぜぇ、団長…………」


 そう息も絶え絶えに言葉を遺して男がうな垂れる。急に肩へ掛かる重みが大きくなって思わず体勢が崩れる。

 手から滑り落ちた赤黒く濡れた指輪が、からんころん…………と、無機質な音を出して目の前を転がる。


「余計に汚くなってるじゃないか…………ばか…………」

「行きますよ、ロザリー!」

「ああっ!」


 私は拾い上げた指輪を入れた外套を彼に掛けて宿屋を駆け出した。


「くっそ…………なんだって、急にこんなことになるんだ!」

「ロザリー、嫌な予感がします…………急ぎましょう」

「…………同感。私もそう思ったんだよねぇ」

「リズ、リア! 悪い、先行してくれ!!」


 私は、病み上がりのルーディと私を置いて先に向かうように二人へ指示を送る。


「了解っ!」

「ラジャー!」


 二人は思い切り良く加速すると、あっという間に闇の中に消えていった。


「すまない、ルーディ。私はアナタを置いてくことが出来ないわ」

「いえ、下手に一人になられるより側に居てもらえる方が守れますから」

「心強いわね」


 街明かりを辿って街の中心部まで来た時、風切り音が響き渡った。

 明かりに照らされて、刹那に光った何かが私に襲い掛かる。


「危ないっ!」


 ルーディがとっさに私を押し倒す。


「ありがとう、ルーディ」

「それより…………マズいですよ、弓兵が隠れてます」


 彼は私の前に立つと、壁まで少しずつ後退する。


「で、どうするの?」

「居場所さえ解れば叩き潰すまで、ですが肝心の居場所が解らない事にはね」

「こそこそとやっかいね」

「いやあ、まったくです」


 飛んでくる矢を打ち払いながら、彼がそうごちる。


「リアさんみたいな特殊な眼があればなぁ」

「その割には随分と余裕ね」

「まあ、飛んで来る矢を撃ち落とすくらいなら巻き藁への打ち込みとそう変わりませんから…………ねっ!」

「さて、どうしたものかしら?」

「向こうの矢が尽きるのが先か、こっちが下手打つのが先か…………厄介だな、狙撃手っていうヤツは」


 彼は簡単そうに言ってみせたが、暗闇の中から飛んで来る点を撃ち落とすのがどれほど神経を削るか、想像は容易い。

 実際、反応に遅れてヒヤッとする場面も散見出来る。


「…………ぐっ!?」

「ちょっと、ルーディ!? 

 肩に刺さってるじゃない、弓矢!」

「どうも、下手打つ方が先だったみたい…………です」


 ルーディが矢の先を残して折りながら苦悶の表情を浮かべる。


「…………選手交代、良いかしら?」

「無茶だ、策がある訳でもないのに!」

「あるのよ、それが。今、詠唱も済んだわ…………後は相手を撃ち抜き返すだけ」

「わかりました、任せます」

「ごめんね、盾にして」

「良いですよ、ソレが僕の仕事ですから」


 そう言って彼が飛び退き、同時に私は魔人化を行いながら生成した氷の弓矢を数本、標的に向かって飛翔させる。


「星天を駆ける夜鷹となれ!

 穿て、ブリリアント・ホークッ!!」


 氷の矢を生成しては撃ち放ち、飛んで来る矢は範囲のある氷の盾で防ぎながら相手の居場所を予測して追い立てる。


「なんという魔力量…………常人だったら一分と持たない勢いで魔力を消費してるハズなのに、なぜアナタは尽きないんですか?」

「簡単よ、私は契約してる神霊との魔力親和率が高いのよ。変換に掛かる負荷が極端に低いから使い放題なのよ…………っと!」

「そんなのムチャクチャじゃないかっ!?」

「アンタ達みたいに意味不明な身体能力してる方がムチャクチャだと思うけど?」

「僕は常人並みですよ!」

「良く言うわ、至近距離で弾丸防いでみたり見えてない矢を弾くのは常人じゃないわ」

「まあ、言われてみれば」

「理屈になってないのよ、アンタ達は」


 一方的な蹂躙の合間に雑談を交えながら、更に大小の矢を織り交ぜて撹乱を試みる。


「…………捉えたわ、これでチェックメイトね」

「どうやって!?」

「昨日、通りながら家屋の位置取りは把握していたわ。

 そこから飛んでくる弓矢の方角を加味して狙撃地点を算出しただけ。

 移動はしてるようだけど、恐らく次はあの場所から放ってくるでしょうね」


 そう言って、私は穂先で指し示す。


「顔を出す前に打ち出して終わりよ」


 私は、鋭くそして最速で飛翔出来る矢を番えて槍を寝かせる。


「喰らいなさい、ラ・フルール・ネロ!!」


 風切り音を響かせながら、月明かりを走る一羽の夜鷹が標的を捉えて食らいつく。


「着弾したわね…………フンッ!」


 私が槍を勢い良く振るうと、獲物を捕らえた矢は天高く咲き誇った。


「アナタにも見えるように咲かせてみたわ、どうかしら?」

「ホント、ムチャクチャだ…………どこに突っ込めば良いかもわかりませんよ」

「何言ってんのよ、魔力操作だけの私からすれば羨ましいのはアナタ達の方よ」


 ルーディの呆れ顔を横目に見つつ、視界を氷柱の立つ家屋に向ける。


「それより、拘束した相手の顔を拝みに行きましょ」

「ついでに拘束するまでの流れの種明かしもお願いしますよ…………」


 彼が先を歩き出し、私も後を追うように歩き出す。


「さっきの説明じゃ不足してたの?」

「全然、まったく意味不明ですよ?」

「なら、教えてあげるわ。

 私の眼…………というより、頭は全てを把握することが出来るのよ、文字通りにね」

「つまり?」

「相手の仕草や言動、トーンから感情や思考を読み取ることも出来るし、今回みたいに地形の把握や行動予測も可能だし…………もちろん、狙撃手がドコから狙ってきているかなんていうのはスプーンでスープをすくい取るくらい簡単なことだわ」

「ああ。それで山賊に囲まれた時にリズさんを狙っていたヤツも気付けた、と?」

「状況によって不可能なこともあるわ。今回みたいに眼で視えないモノは他の要素で組み立てて補うしかないし、フォーカスしてないことまで理解することは出来ないわ」

「万能って訳でもないってことですね」

「そうね、特に自分の能力以上の出来事は理解出来ても処理することは無理だし、最適解が解るのと実行するのは別々の問題だから」

「あと一つ、訊いても?」

「ええ、構わないわ」


 ルーディは私を足先から頭の先まで見回してから口を開く。


「とても素敵なドレスコードですね。是非ともエスコートさせて頂きたいくらいに」

「うぇ…………普通に喋れない病気なの?」

「失礼しました。キレイな方を見ると無意識に言動がキザったくなってしまいまして」

「悪かったわね、普段がちんちくりんで!」

「…………脱線しました。その状態はどういう原理で?」

「あー、そうね。

 普通は魔人化してもこうはならないものよね。

 さっきの魔力親和性の話、アレのお陰で契約してる神霊と近くなるのよ…………色々と」

「なるほど。

 魔人化は神霊と繋がることで彼らの力の一部を操作する訳だから、より近しい姿の方が引き出せる力が多い、と?」

「んー。というよりは、引き出す際に姿まで勝手にトレースしてる方が正しいわね」

「ちなみに、どれくらい持つんですか?」

「魔人化するだけなら一日中だって可能だわ。もはや、息するのと同じくらいよ」

「へえ、普通は維持するのだって半刻が精一杯だっていうのに」

「体が弱ったり、精神面が揺らげば別よ?」

「勿体無いなぁ、これだけ立派なもの持ってるのに活かさないなんて」

「どこ見て言ってんのよ、このクズ」


 私は彼から感じる不穏な視線に胸を手で隠して体ごと背ける。


「男として当然の反応です、健全でしょ?」

「さいてー、ホントにクズね」

「で、どうやって屋根の上に跳び乗るんですか?」


 目的地の前までルーディが問いかける。


「そうね、こうしたらどうかしら?」


 私は右手を上げて、魔力の宿った氷塊を地面に降ろす。


「便利ですね、その能力」

「自分で生成した氷なら好きに操れるわ。ただし、魔人化を解いたりするとパスが切れて只の氷塊になってしまうけど」


 そう言って、目前の氷を溶かして捕らえた敵を解放する。


「一応、息だけは出来るように首から先は氷漬けにしなかったけど生きてるかしら?」

「時間掛けて歩いてきましたからね、低体温症で動けないだけでしょう」


 彼はポーチから縄を取り出して、これでもかってくらいに縛り上げる。


「うぅ…………」

「おや、お目覚めですか?」

「ねえ、なんで私達を襲ったの?」

「答える訳ないだろ」

「そう、残念ね」


 私は指を鳴らして、男の足元から少しずつ氷を生成する。


「う、うわあぁ…………イヤだ、止めてくれ!」

「だって、アナタ用済みだもの。

 氷漬けにすればキレイに死ねるでしょ?

 私からの情けよ、感謝しなさい」

「解った、言うから止めてくれ!」

「いい子ね、話が早いじゃない」


 私が再度指を鳴らすと氷は溶けて大気に帰っていった。


「ローザ、容赦無いですね」

「当たり前じゃない、こっちは色々とやられてるんだから」

「ああ、風体の変わった彼のコトですか?」

「彼もだし…………アナタに怪我負わせたのよ、コイツ」

「かすり傷じゃないですか」

「じゃあ、抜いてあげましょうか?」

「すみません、めっちゃ痛いからやめて下さい」


 私はしゃがみこんで男の目を見据える。


「で、何者?」

「俺は雇われただけだ。

 ココでアンタ達を待ち伏せして足止めするだけで良いって、報酬が良かったから引き受けたんだよ」

「ふうん…………ウソは言っていないようね」

「確か、奴は反乱軍の恰好をしていた。それ以上は何も解らない、本当に」

「そう。ところで二人組の女性が先に通ったハズだけど?」

「いや、見てないぞ?」

「あら、迂回したのかしら?

 リズ達ならこういう場所は避けたがるもんね、あり得るわ」

「他に聞きたいことは?」

「あ。一番大事なの忘れてたわ…………この先の森で暴れたのってアナタかしら?」


 私は氷槍を空に掲げて、問う。


「違うっ! 俺はずっとココで待機していたから知らない!」

「そう…………どっちでも良いわ、やっぱり」


 私は背を向けて、再び診療所へ向けて歩き出す。


「死んで反省しなさい、彼らに詫びれると良いわね」


 唸りを上げて男に触れた槍は氷の柱となって暗い空を突き刺した。

 柱の中で咲く水中花が、あまりにも鮮やかであまりにも濁っていて…………どす黒いその色はまるで渇き始めた血のように惨めなモノだった。

 一瞬、躊躇うように振り返ってもみたが何の感慨も湧かない自分がイヤで、見なかったようにまた歩き出す。


「…………ローザ、やり過ぎなのでは?」

「あの男、最後に嘘を吐いたわ。それ以上の説明は要るのかしら?」

「イヤですね、理解出来てしまうっていうのは」

「万能じゃないって言ったでしょ?」


 市街地を後にした私達は小さな森を駆け抜けながら言葉を交わす。


「ルーディ、肩の傷は平気なの?」

「これくらいは慣れたもんですよ。血も止まってるし、無理矢理に動かさなければ大丈夫です」

「ペースを落としましょうか?」

「いえ、リズさん達が折り返してこないのが気になります…………急ぎましょう」


 彼は少し歯を食いしばり、走るペースを上げる。

 私も引き離されまいと全力で走り抜ける。


「ハァハァ…………見えた、リズ達だ!」

「もう一踏ん張りですよ」


 張り裂けそうな心臓を押え付けて診療所まで辿り着くと、焦点の合わない眼で呆然と立ち竦む二人が居た。


「二人ともどうしたんだ?」

「ロ、ロザリー…………」

「ごめん、間に合わなかったみたい」


 二人の目線が指し示す先から見えたのは、昨日見た良く手入れされていた窓ガラスじゃなくて、跳ねた泥を塗りたくったような汚れがびっしりと付着した衝立だった。


「そんなっ!?」


 私は胃から込み上げるモノを抑えるように口を押えた。


「リズさん、リアさん。屋内の確認は?」

「まだ、です」

「踏み込もうとも思ったけど、二人が来てからって判断したんだよ」

「…………正解ですね。この状況だと生存も絶望的ですし、何より罠の可能性が高い」


 ぼーっとする視界の中でルーディの冷静な声だけがやけにはっきりと響いていて、私は思わず言葉を漏らしていた。


「随分と薄情なんだな、お前達は…………」

「ロザリーっ!?」

「だって、そうだろ?

 世話になった場所だっていうのに、そんなあっさりと切り捨てるなんてあんまりだ。

 あの中には、あの兄妹だって居るんだぞ?

 それなのに…………助けられるかもしれないっていうのに見殺しにするのか?

 罠なんて知ったもんかっ!

 私は行くぞ、どんな状態だろうと必ず助け出すんだ!」


 私が駆け出そうとすると、リズに抑え込まれる。


「離せ、リズッ!」

「冷静になって下さい、どうか冷静に」

「うるさいぞ、薄情者!!」


 抱え上げるリズの腕を振り解くように力いっぱい暴れ回るが、びくともせず己の無力さを痛感する。


「行かせてくれ、お願いだ…………頼むからぁ…………」

「…………ローザ」


 次第にリズの押え付ける力は弱まっていったが、拘束が解ける頃には私の体もすっかり弛緩してしまっていた。


「う…………うう、うわあああぁぁ…………」


 色んな感情がせめぎ合い、沢山の言葉が頭を巡るが言葉にならずに走り回っていた。


「ロザリン、辛いよね…………」

「ええ、今はそっとしてあげるしか…………」


 しばらく感情を吐き出すように叫びをあげていると、不意に扉の開く音がする。


――ギィ…………。


「おねいちゃん、たち…………だよね?」

「無事だったのかっ!?」

「うん、私は助かったみたい」


 顔を上げると、少女が膝を震わせながら扉を支えに立っていた。


「待ってて、今そっちに行くから!」


 私は力の入らない脚を無理に動かして診療所に歩み寄る。

 私達の姿を見て安心したのか、少女は駆け足でこちらに向かって来る。


ーーヒュッ……。


「おねいちゃ――っ!?」


ーー……ドスッ。


「ああっ!?」


 唐突な風切り音は少女を捉え、湿った音が響き渡ると少女が無残に倒れ込む。

 暗闇から現れた男は倒れた少女の背中から短剣を抜き取りながら、狡猾に口を綻ばせた。


「ふふっ…………いい面構えですねえ。

 アナタ達のそんな顔が見たかったんですよ、一匹生かしておいて辛抱強く待った甲斐がありましたよ」

「…………ギリッ、キサマっ!」


 私はその男を睨み、無量の氷片を生成する。


「聞いていた情報通りだ。

 アナタが王女様ですね?」

「殺す…………殺す、殺す殺すっ!!」

「おやおや、随分と荒い御方だ」

「くたばれぇっ!!」


 私の怒号と共に幾片もの刃は男を目指して煌めきながら飛んでゆく。

 肉片一つ残さないよう、ありったけの刃を浴びせ続ける。


「しね、死ね死ね死ね…………お前みたいなヤツは死んでしまえっ!!」


 急激な魔力消費に痛む頭を抑えながら、少しずつ冷えていく思考の中で昼間聞いたルーディの言葉を思い返す。


(そうか、ルーディはこんな気持ちで拳を振るったんだな…………いや、もっと深い憎しみで殴りつけたんだろう)


 なぜ、私はこんなことを考えているのだろうか?

 目の前の敵が憎くて仕方ないはずなのに別の思考が脳内を駆けて雑音を生み出す。

 吹雪く白い冷気が身体に纏わりつき、冷えていく体温にやがて思考は停滞して暗くなってった。

 手を緩めたくても、どこで止めていいかも解らずに、気が付けば意味も無く氷を打ち出すだけの装置になっていた。

 果てしなく長い時間を圧縮して一気に加速させたような一時にも、やがて終わりが訪れた。

 私の体から溢れ出ていた殺意も魔力も底をついて魔人化が解けると、氷の破片達は空へと昇華して月明かりに融けていった。


「はぁ…………はぁ…………」


 肩で息をしながら、ぼやける視界を少しずつ明瞭にしていく。

 はっきりとした視界を得た時、無力感がまた私を襲った。


「…………ウソ、だろ?」


 私が力の限りを尽くして殺そうとした男は何事も無かったかのように悠々としていた。


「ハハ、相変わらず力押ししかできないんですね。この程度じゃあ、まるで歯応えもありませんよ」


 男は指先から火を出しながら、咥えたタバコを燻らせて私を嘲った。


「それじゃ、こちらからもプレゼントをば」


 男は腰から剣を抜き取り、一足で私の目前まで詰め寄る。

 反応しても反射が間に合わず、遅れてやって来た剣閃に死を覚悟する。


「はい、さようならだ…………」

「させませんよっ!」


 私と男の間に割って入ったルーディが剣戟を弾き返す。

 彼は弾き返したその足で私を抱き寄せると、瞬時に離脱する。


「お二人とも、お願いしますっ!」


 ルーディの掛け声に合わせて、リズとリアが攻勢を仕掛ける。


「ほいほいっと!」


 リアが抜身の相手に対して素早い二段蹴りを放ち、なで斬りに振られた剣を屈んで避けながら足払いを仕掛ける。

 男は後方に跳ねてソレを躱すが、今度はワンテンポ置いたリズが急襲する。


「喰らいなさい、紅桜っ!」


 構えから刹那、神速で相手の脇を駆け抜けてリズの長刀が一鳴りする。


「腕を上げましたね、二人とも」


 そう言って男が口元を緩めると男の胸元に軽い切り傷ができ、リズの太ももから鮮血が噴き出す。


「ぐぅ…………まさか、私の技が返されるとはっ!?」


 痛苦に顔を歪めながらリズが振り返る。


「教えたのは私です。返すくらい造作もありませんよ」

「なに世迷言を!」

「おや? リズ、師匠の顔も忘れてしまったのですか?」


 リズの表情に驚きが滲むと右手からスルリと得物が零れる。


「アナタは…………いや、お前はっ!」


 リアの後ろ姿も呆気に取られたサマで、何処か震えているようにも見えた。


「二人とも良いコンビネーションでした。

 ですが、私を仕留めるには未熟でしたね」


 男が指を弾くと導火線のように火花が走り、診療所が轟音を上げて吹き飛ぶ。

 昼間のよう明るく照らされた男を認めて、リアが口を開く。


「反乱軍総司令エミール・フリチラリアっ!」

「憶えてくれてましたか」

「あったりまえよ、アンタみたいなゲスは忘れたくても忘れられるもんですか!!」

「おやおや、嫌われたものですね」


 男が肩を竦めながら軽快な口調で笑う。


「なんでそんな大物がココに!?」

「それは私から説明するよ、ルー」

「ヴァリリ!」


 私とルーディが声の主に反応して振り返ると青髪の女性がポーションを二つ差し出した。


「二人とも満身創痍じゃん、コレ飲んで」

「ああ、すまない」

「助かるわ」


 フタを開けて勢い良く青色の液体を煽るとみるみるうちに活力が湧いてくる。


「これなら全力で動けそうね」

「コッチもバッチリですよ」


 リアの元まで駆け寄り、無造作に転がっていた少女を抱き起してポーチから瓶を取り出す。


「ローザ、その子はもう…………」

「くそっ!」


 冷たくなった体を静かに地面に置き、黒ずくめの男を鋭くねめつけた。


「随分恨みを買ってしまったようですね」

「ふざけたヤツだ」


 男は私を一瞥した後、状況を観察するように辺りを見回した。


「ふむ、厄介ですね。手合いが多すぎるようだ」


 最後にルーディとヴァリリを見据えて嘆息を零す。


「特にアナタ方は厄介だ。

 ”顔のないつむじ(ノーフェイス・レブナント)”と”立ち並ぶ十字架(メイキング・オブ・デッド)”といえば、私達みたいなならず者にとって処刑人に等しい存在ですからね」


 ヴァリリが二振りの短剣を抜き取りつつ、じりじりと回り込むように右手側に前進すれば、ルーディも鶴翼に開いていく。


「安心してよね。アナタもすぐに連れて行ってあげるよ、三途の向こう側にさ!」

「そうですね、案外良い所かもしれませんよ?」

「あー、イヤだイヤだ」


 相手が行動不能のリズからルーディ達に注意を移した時、二人が一斉に躍り掛かる。

 ソレを見た男は真っ直ぐにこちらへ迫る。


「姫様がガラ空きですよ?」


 男は笑みを浮かべて勝ち誇るが、その余裕も一筋の尾が遮る。


「私も舐められちゃったもんだねぇー…………追いつけないとでも?」

「なっ!?」


 ヴァリリは相手を追い越すと、踵を返して左脚を軸に右脚の踵で男の顔を蹴り上げる。

 すぐさま、男に正対した彼女は手を緩めずに短剣の柄で側頭部を殴打。続けざまに顎の付け根に向けて拳を突き刺し、跳ね上げられた顔面へ更に蹴りを捩じ込む。


「チョーシこいてんなよ、おっさん。速さで勝とうなんて十年早いっての!」


 大きく仰け反った男はたたらを踏みながらも素早い刺突を繰り出した。


「ちっ、活きの良いお嬢さんだ!」


 リーチ差から繰り出される突きを短剣でいなしながら、ヴァリリが半身を捻って宙を舞う。


「おっとっと!」

「これもかわしますか…………参りましたね」


 事も無げに相手の背後へと着地した彼女はルーディと入れ替わり、ルーディが男をすくい上げながら後方へ倒れ込む。

 男の向かう先に置かれたヴァリリの膝が男の脳天に直撃すると、男は自分とルーディ二人分の体重を受け切れずにヴァリリの膝から崩れ落ちる。


「なんて連携なんだ、人間とは思えないな」

「あの極悪キツネ、私と殴り合った時より速いじゃん」


 倒れ込んだ男は即座に立ち上がり、二人から距離を取って睨み合う。


「二人とも、今のうちにリズさんをっ!」


 呆気に取られた私とリアは我に返り、リズの元まで駆け寄る。


「姉さんっ!」

「リア、すまない。しくじってしまったようだ」

「リズ、早くコレを飲むんだ」


 そう言って手に握っていた瓶を彼女に手渡し、彼女は一息にソレを飲み干して立ち上がる。


「ロザリーに迷惑を掛ける日が来るとは思ってもみませんでしたよ」

「そういう時もあるさ」


 私は再び魔人化を発動させて、ルーディ達の様子を覗う。

 熾烈な攻防を繰り広げるルーディ達の戦いは拮抗していた。


「あの男を相手に互角で渡り合うなんて」

「ああ、とんでもないな」

「そんなに強いのか、あの総司令とやらは」

「ええ。少なくとも稽古を付けて貰っていた時代の私達なら二人掛かりでも片手で瞬殺でしたね」

「そんなにかっ!?」

「まー、今なら負ける気もしないけど」


 リズとリアですら軽く捻れる男を相手に抑え込むなんて、どうやら二人とも規格外の強者らしい。


「…………あるいは、ルーディさんが万全なら雌雄は決していたかもしれませんね」


 剣戟の交わる甲高い音が幾度響いたか、不意に黒ずくめの男が大きく飛び退いて空を見上げる。


「…………頃合いか」


 厚い雲が月を遮ると辺り一面が暗転する。


「中々に愉しめましたよ。次会う時はお互い万全で戦り合いたいものですね…………」

「ま、待てっ!」


 数秒の間だけ視界を奪っていた雲が晴れると男の影はソコに無かった。


「くっそ、逃げられた!」


 ルーディが地べたを思い切り叩く。


「ルー、仕方ないよ。これで捕まえられるなら遥か前に捕まえられてたよ」

「やっと、やっと姿を現したと思ったのに…………逃がしてしまうなんて、ちくしょうっ!!」


 震える彼の背中からあふれる怒りにただならぬ因縁を感じ取るが、何が彼を駆り立てているのか、推し量る術は無かった。


「ふぅ…………、申し訳ありません。お見苦しい所をお見せしました」

「いや、何か事情があったんだろう?」

「ええ、実はですね…………」


 彼が何かを言いかけた時、市街地から凄まじい爆音が何度も鳴り響く。

 爆ぜる轟音が空気を震わせ、もうもうと上がる黒煙は悪い夢の焼き増しをしているような光景だった。

 ついさっき、眼の奥に焼き付いた光景を繰り返しでもう一度見せつけられた私達の心情は穏やかではなかった。


「しまった、こちらは陽動かっ!」

「私達を誘い込み、診療所を派手に爆破することで騎士団のと分断を狙ったのでしょう」

「なぜ、そう考えるんですか?」

「あれだけ大規模な破壊活動です。あの男とはいえ、相応の時間が掛かるハズ…………それに、おそらくは診療所の破壊が目的で市街地はついでと考えます」

「医療機関を潰してから工作活動か、卑しい手口を使う!」


 鳴り響く破壊音は静まり返り、南西の空を真っ赤に染め上げていた。


「マズイよ、ルー。ココに居たら私達も一味と疑われちゃう」

「そうだな、足止めを喰らったら最悪だ。悔しいが街の外から迂回して市街地に戻ろう」


 診療所を後にした私達は街の外周を大きく回りこむ。

 悲鳴と怒号を包容する人の流れに逆流して市街地の中心部まで歩みを進めると予想に反して、そこは嫌に静かだった。


「…………やけに静かすぎる」

「それに煙どころか破壊痕もないよ」

「リズさん、リアさん。ヤツの性格でなにか特徴的なものってあります?」

「そうですね、まずあの男は酷く歓楽的です。冷静な部分を持ち合わせながら子供のように短絡的だった記憶はあります」

「結局、国政に対しての反逆なんて大義は掲げているけれども内情としてはテロ活動を繰り返しては愉悦に浸ってるだけのクズよ」

「なるほど…………」

「あとは実利的ではあると思います」


 リズたちがヤツの性格を並べると、ヴァリリは床へ落書きをするように指を動かしては何かを呟く。

 少し間を空けて彼女は立ち上がった。


「おーけー。ルー、だいたい読めたよ!」

「さすがだ」

「こりゃー、あれだね。一連のテロは貧民層の掃討が目的だねぇ」

「なんてやつらだ」

「考えてみたらさ、町はずれの貧民を収容する診療所を潰すくらいなら、優先度としては市街の施設が先じゃない? 特に正規の医療機関は最優先だよね」

「確かにそうだな」

「要するにさ? 政治活動だよね、これって」

「言い方は悪いが、社会の膿を取り除いて社会基盤になってる人間からの信任を得るのが目的か?」

「そうそう。もしかしたら、この静かさや騎士団の動きが無さそうなところを見ると、根回しの上で行動を起こしてる可能性すらあるねぇー」

「どいつもこいつも腐ってるな…………くそっ!」


 ルーディの怒声が静かな市街に響く。

 私の中にあった激情はむしろ冷め切っていて、どこか遠い世界の出来事を見ているような、そんな心持ちでいた。


「ルーディ。今はこんなところで考察ごっこをしている場合ではないんじゃない?

 早くこの事態を収束させる方が先決よ」


 私は一瞥する事もなく歩き出す。


「しかし、騎士団の助けも期待できないにどうやってあの規模の火災を抑えるんですか?」

「打てる手は打つ。そして間に合って助かる人が居るなら多少のリスクは冒さなくてはいけないんじゃないかな?」

「ロザリー…………まさかっ!?」

「ま、死んだらすまんな。五分五分ってところだ」


 火の海を前にして私は大きく息を吸い込んだ。


「すうぅ…………」

「やめなさいっ! こんな大規模な魔力展開したらホントに死にますよ!!」

「私は死なんよ、不死身の鬼姫だからな!」

 

私はイメージを描く――。


持ち上げた腕の先から広がる冷気の様を考えながら、全神経を指先に宿して静かに瞼を開く。


「ふっ…………」


 ろうそくの火を消すような息遣いで、そっと息を吐いた。

 すると、目前の明かりは唐突にその輝きを潜める。


「うま、く、、いった、かし、ら?」


 直後、唐突な眠気が私を包んだ。













目が覚めた私が見たのは、やつれた仲間達とみたことのない天井だった――。





‐完‐

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