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3.「耳を澄ませば聴こえてこない?」


 夜が明けて、私達は次の町に到着した。


「商業の街カーマ……盛況してるわね」


 王都から出た事の無い私にとって、他の街を見るのは新鮮だった。


「あれ? ロザリンド様はハンターをやっていたんですよね?」

「ああ。小さな集落やゲートの向こうは散策したことはあるが、こういう大きな街を見るのは初めてなんだ。その日のうちに歩いて帰って来れる場所くらいしか行ったこと無いんでな」


 正確に言えば、出兵時には大きな街で宿泊などもしたことはあるが、馬車の中と騎士団管轄の敷地内しか歩いたことがない訳だから概ね間違ってはないだろう。


「へえ……あれ? それでも、ゲートの向こうに行ったら二、三日は帰って来れないことなんてザラじゃあ……」

 私達一行の案内役、ルーディが怪訝そうに首を捻る。


「ゲートの向こうなら別だ。向こう側で私に謀反を起こす手立てなど無いし、無謀な狩りに出て死んでくれるならこれ以上嬉しいこともないだろ?」

「あー、納得しました」

「愉快だったぞ、帰ってくる度に落胆した大臣共の面構えは。ソレを見ることだけが執念だったからなっ!」

「それで、『不死身の鬼姫』なんて呼ばれてる訳ですね」

「大変だったぞ。あのジジイ連中ときたら無理難題ばかり吹っかけて、何度死に目に遭ったことか……リズ達のおかげで今も生きているがな」


 私が後ろを振り返ると、据わりが悪そうに二人が視線を逸らす。


「ま、大したコトした訳じゃないけどね! お姫様死なしたら私達だって首飛んじゃうしー」

「王様に頼まれてる以上は付き合わざる得なかっただけですから」

「お前ら、ホント素直じゃないな……」


 私は嘆息を漏らす。


「ん? ルーディ、どこに行くんだ?」

「ちょっと野暮用がありまして……」


 彼が大通りから逸れるので後を追う。


「ロザリンド様にはちょっと刺激が強いかもしれませんね」

「……なんなんだ、この連中は?」

「懐かしい光景ですね、昔を思い出します」

「姉さんにとっちゃ実家に帰省するようなもんだもんね、私はゴメンだけど」


 びろびろに伸びた服に干物みたいに痩せ細った四肢、ケモノのように鋭くて……だけど窪んでしまっている眼光の群れが私達を舐め回すように見つめる。


「私とリアは王都生まれですが……どこの街にもあるものなんですね」

「ええ。光ある所に影あり、発展している街ほどその差は酷いものなんですよ」

「どうしてそんなことが?」

「裕福な人間が多いというコトは同時に搾取されている人間も多いってコトですよ。奴隷制が無いだけ、この国はまだマシなのかもしれませんね」


 ルーディが憂い気に目線を落とすと、小さな兄妹がボロ布にうずくまっていた。

 妹の方は口を半開きにしたまま、開いた眼は虚空を見ていた。

 刺激しないようにルーディが近づく。


「ウ、ウワアアっ!!」

「ぐぅ……」


 カチカチと歯を震わせながら幼子が向けるとは思えない憎しみが彼を刺す。

 ルーディは太ももに刺さった棒切れを抜き、後退さる少年に歩み寄る。


「偉いな、キミは。良く頑張った、妹を守れなくて悔しかったんだな」

「ウウ……く、来るなぁ!」

「前来た時は元気にしてたんだけどな……キミ、お父さん達は?」

「父ちゃんも母ちゃんも……どっかに行ったよ!! ゴメンって言って消えちゃったんだっ!」

「そうか……妹を診させてくれないか? まだ、間に合うかもしれない」

「い、イヤだ!」

「手遅れかもしれない……でも、キミも一人になりたくないだろう?」

「俺、一人ぼっちはイヤだ……でも、お前らが酷いコトするかもしれないのに渡せないっ!」

「なら、こうしようっ!」


 彼は腰から短剣を抜き取ると自分の足の甲に突き立てる。


「ぐっ……どうかな? これでオジサンはフラフラだ、もし酷いコトをしようとしたらキミがこのナイフで刺せばイチコロさ」


 そう言って、少年の手に血を拭った短剣を握らせる。


「な、なんで……どうしてそんなことするんだよっ!」

「キミが守ってきたお姫様に手出しするんだ。漢気見せなきゃ、だろ?」

「わかった……妹をお願いします」

「ああ、任せて」


 ルーディは彼の妹の胸に手を置いて彼女の呼吸を確認する。


「良かった、まだ息がある。……脈拍が弱いな、飲み込めるか?」


 彼が腰のポーチから瓶を取り出し、抱き起した少女に少しずつ瓶の中味を飲ませる。


「兄ちゃん、何やってるんだ?」

「ああ、コレかい? これは僕達ハンターが非常用に持っているポーションさ。病気や重傷には効き目が薄いが体力の低下やちょっとした外傷なら回復できるんだ。コイツで体力さえ回復させてあげればちゃんとした治療が出来る」

「他にも持ってるのか?」

「いや、これ一個だけだよ?」

「兄ちゃん、バカかよ! それを飲めば足の傷を治せたんだろっ!?」

「あー……考えてなかったな」


 彼が照れ臭そうに頬を掻く。

 彼の診ている少女は段々と血色が良くなっていき、ここから見ても判るくらい呼吸が深くなってきた。


「これで多少は動かしても大丈夫だな」


 ルーディは少女を背中に抱えて立ち上がろうと踏ん張るが力が入らず膝が折れる。


「ぐっ……血を流し過ぎたかな?」


 彼が転倒しそうになると、どこからともなく現れた彼の妹が支える。


「情けないなぁ、もう」

「すまん、ヴァリリ。診療所まで運んでやってくれ」

「まったく……カッコ悪い兄ちゃんだね」

「ちょっとしたら追いつくから」

「任せといてよっ!」


 彼女は女の子を背負い、風のように去っていった。


「ルーディ、これ使って!」

「すみません、リアさん」


 リアがポーションを彼に渡すと、彼は一気にソレを飲み干した。

 すると、血が流れていた太ももの傷が塞がっていく。


「ルーディさん、急ぐのでしょう?」

「リズさん、ありがとうございます」


 リズが彼の腕を肩に回して体を支える。


「ロザリー、その子をお願いします。私達は彼と一緒に診療所に向かいますので!」

「俺も一緒に行くっ!」

「気持ちは解りますがダメです。診療所は不衛生な方が入ってはいけませんので」

「リズ、何もそんな言い方しなくても……」

「彼は聡明です、私の言いたいコトも理解しているハズです」

「うん、わかった。ガマンする……」


 私と男の子を残して三人が去っていく。

 私はこの場に止まるのは危険だと判断し、男の子の手を引いて路地を抜ける。


「行くよ、ココは危険だから」

「うん」


 大通りに戻り、私は近場の質屋を見つけると彼に声を掛ける。


「いい? ここで少しだけ待っててもらえるかしら? すぐに用事を済ませるから」

「うん、わかった」


 男の子は周りを気にするようにキョロキョロと見回す。

 私は彼に外套を掛け、店の横に座らせる。


「ほんのちょっとの我慢だから、ね?」

「はい……」


 店に入り、私は店主だと思われる男に話しかける。


「すまないんだが貴方は店主か?」

「ええ、そうですが……」

「コレ、幾らで売れる?」


 私はネックレスを外して店主に手渡す。

 店主は渡された首飾りを手元に近づけ、大袈裟に目を見開く。


「こ、コレは……どこで手に入れられたんですか?」

「母の形見だ、肩がこって敵わんくてな。交渉している時間は無い、悪いが即決して貰いたい。そちらの言い値で売ろうじゃないか」

「そうは言われましても……」

「なにが不満なんだ?」

「値段が付けられるような代物じゃないですよ、こちら」

「なぜだ?」

「付けようにも当店の商品を含めて店ごとそっくりアナタ様にお渡ししても釣り合わないでしょう」

「な、なんだと……」

「一番の難点がこちら……ほら、宝石の金具裏に王家の刻印がなされているいるでしょう? このようなモノを出処が判らないのに扱うのは、ね?」


 店主が段々怪訝な顔つきに変わっていく。私の足先から頭の上まで丹念に見回すと更に首を捻る。


「お気を悪くされては恐縮なのですが、お連れ様も何だか……いえ、過ぎたる事を申しましたかな?」


 店主が窓から店先を覗き込みながら畏まるような口ぶりで問いかけてくるが、腹は透けているというより隠す必要も無いとばかりに露骨だった。


「言いたいことは解るぞ。つまり、盗品の類か何かじゃないかと問いたい訳だな?」

「滅相もございません。ただ、後に諍いが生じる懸念がある以上は安易にお取引に応じることは致しかねますので」

「ふっ……強かだな。そこまで強気にモノを申せるとはな」

「いえ、そのような心は一切ありませんよ。アナタ様のご身分に対する証明を頂きたい次第で」

「昨日、王室の末席にある姫君が国境警備の任により王都を出立されたことは?」

「ええ、存じておりますとも」

「その姫君の武勇は?」

「聞き及んでますとも。朱槍を携えてあらゆる戦場を駆ける王家の一番槍でございましょう?」

「そうだ。旗印は白百合、朱色の出で立ちに一度戦場を駆ければ白い髪を翻して敵を喰らう悪鬼の如き姫……民衆は正直な噂を流すものだ」

「その口振りですと、ご関係者ですか?」

「関係者もなにも私はその鬼姫本人だ」


 店主が口元を綻ばせ、隠せない嘲笑を零す。


「ご冗談を。かの姫はアナタ様もおっしゃる通り白髪ですぞ。身丈は6尺余りとも聞いております。失礼ですがわたくしの知るトコロの姫様とアナタ様は似ても似つかない」

「だろうな。しかして、店主よ……我が背中に掲げし旗印とこの朱槍に聞き覚えがあるはずだが? いかがだろうか?」


 私が翻り、白百合の刺繍と携えた朱槍を店主が認める。


「そんなバカなっ! かの姫は昨日の内にこの街を通り過ぎたハズ……」

「ああ、予定ではな。しかし予定通りとはいかんだろ、何事も」

「ありえません。こんな場所に姫君が訪れるなど……まして、スラム街の子供を引き連れてなどと悪い冗談にしては少し悪辣ではありませんか」

「私は物好きなんでな。それに母上は色町の出自だ。双璧といわれる姉妹も元を辿れば、スラム出身だぞ? 私にとって最大の侮辱だと思え、平民よ!」


 最後に私は魔人化して白い髪を見せ、大臣より受け取っていた任命書を店主に投げ付ける。


「は、拝見いたします。

 ―王家第五席、ロザリンド・エデュンバラス-ヴィルヘル・シャーロット・アルストロメリア四世殿下 貴殿を王下騎士団東部師団長及び騎士団長補佐・提督職に任命する―。

 コレは間違いなく本物の任命証書ではありませんか。知人に一度だけ拝見させて戴いた限りではありますが、陛下の直筆サインと王家紋章の押印は間違いありません!」

「話が早いではないか。王家の者として代印も持っているぞ」

「コレは……とんだご無礼を致しました。先ほどの失礼、なにほどにご容赦をっ!」

「良い、慣れておるからな」

「寛大なるご処置、恐縮の次第であります」

「で、この首飾りは売れるのか?」


 私は再び母上の首飾りを店主に握らせると、店主は首を横に振る。


「ご証明は頂きましたが、やはり当方で買い取ることは出来ませぬ」

「なぜだ? 火急の用があるとはいえ、そちらの言い値で良いと言っておるのに」


 店主は躊躇うように口を結んでいたが、観念したのか言葉を繋げ始める。


「先ほどの問答によりアナタ様のお人柄は理解致しました。スラムの子供にすら恩恵を与えるその慈悲深き御心、感服いたします。

アナタ様のような方でしたら此方の言い値でこの逸品をお売りになることも厭わないでしょう」

「それのドコが問題なのだ?」

「申しました通り、この品は当方では身に余る品であります。それを二束三文で買い取るなど商人としての矜持が許しません。なにとぞ、ご容赦頂きたい」

「なるほど……」

「然るべき場所にて厳正なる取引を行われることを強く推します……当方としては非常に残念ではありますが」

「なになに、どうして。

貴殿は中々の傑物よな……一介の店主にしておくには勿体無いではないか」

「ええ、まあ。荷が軽いからこそ通せる筋もあるということです」

「ふむ……気に入った、私は貴殿が気に入ったぞ! ぜひとも、この首飾りはこの店に譲りたい。友人として貴殿にこの品を譲渡したいっ!」

「そうはもうされましても……」

「取り引きでも売買でも無い。譲るのではあれば問題あるまい?」

「ええ、ではこうさせて下さい」


 店主が手招きをして紙に商談の内容を書き連ねていく。


「やはり、これほどの品は形式上だけでも取引したということにして出処を明らかになされませんと、わたくしの首が飛びかねませんので」


 店主が冗談交じりにはにかむ。


「ぜひ、そうしてくれ!」

「少し商談を詰める必要もあります。外に待たせているお連れ様を中に入れられては?」

「そうだな」


 私は待たせている男の子に声を掛ける。


「待たせてしまったね、店主と話は付いたよ。中に入ってくれないかな?」

「で、でも……俺、こんな格好だし」

「でしたらウチの風呂場を使われますか?」

「そうだな、そうしよう!」

「そんな、悪いよ」

「私の息子の服がしまってあったハズ、それでいいかな?」

「で、でも……」

「ぼく、子供は遠慮しちゃいけないよ」

「ありがとう、おじさん」

「風呂場はココを真っ直ぐ行って突き当りを右の入った所だから」

「うん」


 店主が店の奥に続く通路を指差して、男の子の背中を押す。

 男の子は小走りに駆けると店の奥に消えていった。


「すまないな、世話になって」

「いえいえ。取引の一部に盛り込まれてることですから」


 私が店主に目線を遣ると、店主は商品の中から子供服を出して丁寧に畳み直す。


「ふっ……抜け目が無いな」

「豊かな時代になりましたね、有限とはいえ自宅でお湯を沸かして湯につかれる時代になるとは。私の子供の時は想像出来ませんでしたよ」

「それでも、ああいう子供はいなくならないんだな」

「仕方ありません。急な発展に痛みが伴うのは必然でありますから」

「人々が支え合ってくれれば、ああいった子供もいなくなるだろうに……」

「そのための指標が王族であり、弱者の痛みを知るロザリンド王女……アナタのお仕事ですよ?」

「わかっているさ、私の生きる意味は理解しているつもりだ」

「強い御方だ。あまり無茶をなさってはいけませんよ?」

「ああ」


 店主が紅茶を淹れて私に差し出す。

 薄赤色の水面から暖かな湯気が立ち、気品の高い香りが私の鼻をくすぐった。


「粗茶ですが、よろしかったら」

「ありがとう」


 私は受け取った紅茶を口に含み、その温かさを味わいながらほんのりした甘みに舌鼓を打つ。


「いかがですか?」

「ああ、最高に美味しい一杯だ」

「それは恐縮です」


 それから私は交渉を詰めて証書にサインを書いて、最後に王国宛てで一筆手紙を認め、蝋で封をして押印する。


「ここまでして頂けるとは感謝の至りです」

「良いさ。もし何かあった場合や私が無事に城下へ戻ることが出来たなら、この手紙は兄上……王家第二席、つまり次期国王になられる王子に渡して貰いたい。もちろん、城に帰っても私に居場所が在ったなら私でも構わない」

「畏まりました」

「国の発展のため、貴店に王家の庇護が必要である的な内容だ。開けてみても構わんが、その場合は効力が無くなるからな、気を付けろよ」

「滅相もありません! アナタ様が帰還なされるまでは例え末代であろうと開けさせはしません!!」

「冗談だ、本気にするなよ」

「下賜された首飾りとご一緒に厳重に保管させていただきます」

「路頭に迷いそうな時は首飾りを遠慮無く手放せよ。私が貴殿に渡したのはこのガラクタではなく、貴殿の高潔な精神に対する私の誠意だからな。はき違えるなよ?」

「勿体無きお言葉。しかと刻み付けます」


 路地裏の少年が奥から出てくる。

 私はその姿を確認し、店主に頭を下げる。


「なにからなにまでお世話になりました」

「そんな、頭を上げて下さい」

「おじさん。お風呂と服、それにご飯もご馳走さまでした。ありがとうございました」

「……お腹は一杯なったかい?」

「うん!」

「じゃあ、よかった」


 店主が破顔して少年の頭を撫でる。


「後のことはお願いします」

「承りました。なに、友人の頼み……私のような初老でも体に鞭打ってでも成し遂げてみせますよっ!」

「ありがとう」


 そう言って、私と男の子は店を後にした。

 昼過ぎの賑やかな大通りを抜けて、粛々とした街の中心部に入る。


「街の中心は静かなんだな、驚いたよ」

「うん。中心はお金持ちの家や役所が多いからね。お店とかもあるけど、どっちかというと静かな雰囲気のお店ばかりだね」

「ふぅん」

「おねえちゃん、診療所はコッチだよ。この道を通って街の外れにいけば診療所が見えてくるよ」

「そう、早く行きましょ」


 彼の土地勘を頼りに私達は街の外れに向かう。閑静な街並みを過ぎていくと段々に建物がまばらとなっていき、道沿いに立ち並ぶ木々が光を遮って不気味に薄暗かった。


「少し不気味ね、何だか怖いわ」

「この街はね、大きく四つに別れてるんだ。

 一つは表玄関の商業区域。そして、二つ目が町の中心部。

 三つ目がココ。元々は偉い人達が考えた緑地計画の一部だったんだ。だけど、気付いたら俺達みたいな貧民かならず者が棲み付く根城になってた。隠れる場所が多いからね、棲み付くには最適ってワケさ。

 四つ目の場所は、僕達は不可侵領域って呼んでる。とても怖いボスがこの街の裏を統治してて、そのボスが住んでる場所の近くには勝手に入ったりしちゃいけないんだ。下手すれば殺されかねないからね」

「へえ、アナタ詳しいのね」

「今はスラム民だけど、昔は俺の家も店やってたんだ。債権抱えて三年前に潰れちゃったけど」

「それで、お湯の使い方を知ってたのね」

「借金は店だけで片付いたけど、無一文だったから足手まといだった俺と妹は捨てられちゃったんだ」

「酷いコトするのね」

「前はココら辺に住んでたんだけど、家無しになって二年くらい経った頃かな? 役所の大人みたいな人と怖いおじさん達が父ちゃんの所へ来たんだ。俺達を置いて一緒に来いって父ちゃん達に言ってた。父ちゃんと母ちゃんは次の朝にどっか行っちまった」

「そう……大変だったわね」

「おねえちゃん、気を付けてね。ココ一帯は人が死んでも埋められてお終いな所だから」

「ええ、早速お出ましみたいね」


 私が顔を斜にして辺りを一瞥すると、絵に描いた追剥ぎがぞろぞろと湧いてくる。


「おねえちゃん、逃げよう! ココからだったら捕まる前に街の中に逃げ込める」

「またココは通らなきゃならいんでしょ?」

「街の外を迂回すれば診療所は行けるよ!」

「却下だ、押し通るッ!!」

「無茶だ、こんな大勢に勝てる訳ないっ!」


 私は槍を投げ捨てて肩を回す。


「まあ、見ておけ。世の中は結局、単純なんだ。強いヤツが勝つのさ」


 私は後ろを振り返り、退路を塞がれてないと確認し、憂いなく駆け出す。


「良かった。後ろは塞がれてないようね」


 まずは正面の三人に向かって直線的に飛び込む。


「この女っ! バカにしてんのか?」


 激情した一人に狙いを定め、更に加速。

相手が迎撃しようと刃物を振りかぶる。


「機先を制するわっ! まずは一人!」


 突き出された刃物を掻い潜るように相手の足元へ潜行して、体を捻りつつの勢いを利用して相手の顎を蹴り上げる。

 蹴り上げながら後方に翻って残り二人と距離を空ける。正面とは別に左右にいる二人組のどちらに照準を合わせるか考える。


「私は利き足が右だからな……決めた、左側からぶっ飛ばす!」


 狙いを決めると、囲い込もうとする相手より先に包囲の一角へと突撃する。


「行動が遅いわ、さすがハイエナね」


 出鼻を挫かれた相手に皮肉を零しながら左脇腹に膝蹴りをお見舞いする。

 仕留めた相手の片割れが私を掴もうと手を差し出す。差し出された手を躱し、手首を握って引き寄せながら足を払う。

 すると、態勢を崩した男は大袈裟なくらい宙を舞って背中を打ち付け、私は追い打ちをかけるように鳩尾に拳を差し込む。


「悪いけど寝ててちょうだいね、後ろから抱き着かれるのは趣味じゃないの」


 続いて、私を追ってきた最初三人組だった男達の内の一人が感情的に直進してくる。


「度胸は買うわ。でもね、感情的になってはダメよ? 動きが散漫になってしまうから」


 私は鳩尾を殴る時に握り込んだ土を放り、怯んだ男に飛び蹴りを浴びせる。

 そして、くの字に折れた体の後頭部を掴み、自分の膝に向けて相手の顔を近づける。

 弾け飛んだ顔を横殴りで退け、残り三人を睨み付ける。


「私に喧嘩を売ったんだ。利子付きで返してやるからかかって来いよ、ハイエナ共……」

「く、くそっ! ふざけたコト抜かしやがって、ぶっ殺してやる!!」


 三人が一斉に躍り掛かってくる。


「良いコト教えてあげる。そういうセリフを吐いたらね、大体はブッ殺される側よ!!」


 一人目をいなして二人目の顔面に拳骨をお見舞いし、三人目を前蹴りで蹴り飛ばし、切り返してきた一人目に裏拳を捩じ込む。

 体重の乗った裏拳は相手の顔を弾き飛ばしてしまい、男は受け身も取れずに地面を舐める。残り二人はダメージが浅く、体を動かせるくらい元気だったが私を見上げながら尻餅をついて肩を震わせていた。


「しょうもないわね、見逃してあげるから消えなさい」

「あ、アンタ一体何者なんだ?」

「私は王下騎士団東部師団長……この国の第二王女ロザリンド・アルストロメリアよ、運が無かったわね」

「すみませんでした、王女様」

「ところで、アナタ達はどれくらいの規模の強盗団なの?」

「へい、ここにいる七人だけです」

「他にアナタ達のような人間は?」

「ここいらは俺達だけです。スラムから流れてきた人間は大体が元は一般市民なんで多少の悪さはしても殺しや強盗は出来ない連中です」

「なるほどね、大体わかったわ」

「やっぱり、俺達は騎士団に連れてかれるんですか?」

「そうね……罪は罪、悪は悪よ。今までしてきた悪事は禊ぎなさい」


 男は観念したように立ち上がり、街の中心部に向けて歩き出す。


「俺達にも意地はあります。最後くらいは自分達の足でお縄になりますよ」


 リーダー格風のその男が一同を促すと、それぞれが従うように歩き出す。


「ちょっと待ちなさいよ? どこに行く気よ、アンタ達?」


 私が首を傾げて顔をしかめると、連中が豆鉄砲を喰らったように呆けた顔をする。


「だって、姫様がおっしゃったんでしょう? 罪を認めろって」

「あのね、それがどうして街の中心に向かうことになるワケ? まさか、居直って盛大に襲撃でもする気なの?」

「まさか、とんでもない! 姫様は知らないかもしれませんが騎士団の支部は街の中心にあるんですよ?」

「知ってるわよ、バカ。私が言いたいのは、なんで騎士団の支部に行くのかってことよ」


 私は顔を押さえて嘆息を漏らす。

 リーダーっぽい男が慌てたように私に問いかける。


「ど、どういう意味か解らないのですが?」

「他にやりようはあるでしょーに、回転悪いわね」

「え、ナニ? IQテストなの、コレ?」

「解ったわ、理解できるように説明してあげるわ。話は簡単よ、アンタ達は私の持ち物になりなさい。そうね……ココはさしずめ、東部師団カーマ支部ってトコロかしら?」

「話が見えないんですが、姫様?」

「アンタ達、バカだしアホだし頭の回転も悪そうだけど私に喧嘩売った根性は認めるわ。

 だから、東部師団の団員になりなさい……いいわね?」

「つまり?」

「ホント、鈍いわねぇ。アンタ達はカーマ支部の団員として、この街のココを警備する任務に就くのっ! 他の場所は良いわ、本団の騎士達が警備するでしょうから」

「それって……」

「アンタ達の性根が本当に腐ってるなら次に会った時はボコボコにして本団に突き出してあげるわ。でも心根からやり直すっていうなら、この街のために働いて罪を雪ぎなさい……見逃してあげるっていうのは、そういう意味よ」

「姫様……いや姉御っ!」

「よして、気持ち悪い。大体、自分の娘くらいの女に姉御なんて言って恥ずかしくないの? バカなの?」

「いや、俺らの上司になるですから歳は関係ねぇですぜ?」

「うっとしいわね。まあいいわ、私達は急ぐから後は行為で示しなさい。貴方達の贖罪とやらを」

「これより我ら一団は東部師団のカーマ北部警備の任に就きます、団長!」

「あら、中々とサマになってるじゃない?」

「へへ、元は俺らも騎士団崩れですからね。リストラされちまいましたが」

「最後の情報は要らなかったわ、悲しくなるから」


 私は指輪を一つ外し、男に手渡した。


「コレは?」

「給料の前払いよ。スラムの皆を食べさせるには必要でしょ?」

「なぜ、それを……」

「バカね、バレバレよ」

「へ、粋なことをする姫さんだ……おっと、姫様です」


 私は放っていた槍を拾い上げ、少年の手を引くと自分の部下に軽く手を振る。


「いい? 二度と悪さはしないよーに。何か困ったら大通りにある質屋に行きなさい。今日の事と事情を話せば、必ず力になってくれるわ」


 振り返らずにその場を後にする。


「おねえちゃん、おっちゃん達泣いてるぜ。良いの、ほっといて?」

「無視しなさい、キリが無いから。

 それに悪人の更生劇なんて嫌いなのよ、お綺麗過ぎて」

「そっか」

「それより急ぐわよ。チャンバラしてた所為で余計な時間喰っちゃたわ」

「チャンバラっていうより、撲殺・蹂躙・虐殺・大武闘会って感じだったよ?」

「うるさい、加減出来なかったから仕方ないでしょ?」


 急ぎ足で森を抜けて街の郊外に出ると大きめの建物が一軒だけ建っていた。


「おねえちゃん、あの建物が診療所だよ」

「あともうひと頑張りね。

 日も暮れてきたし、早くリズ達に合流しなくちゃ!」


 オレンジ色に染まる一本道を小走りで駆ける。程無くして、見慣れた二人の女性が建物の入り口で手を振っていることに気が付いた。


「おーい、ロザりーんっ!」


 少年を負ぶって全力で走ると、不思議と私は笑っていた。


 診療所に入り、まずルーディの姿を探す。


「ルーディ、ドコに居るの?」


 後を追ってきたリズ達が呆れた顔で溜息を吐いた。


「彼も少女も安静ですよ? 命に別状はありませんが点滴を打って今は寝ています。あまり騒がしくしては迷惑でしょう」

「明日の朝には退院出来るってさ。女の子は栄養失調でルーディは貧血……とりあえずは女の子が重症じゃなくて良かったよー」

「そうか。まあ、彼に関しては命の心配はしてなかったが血をかなり流してたからな」

「バカだよねー。私達がポーション持ってなかったらどうするつもりだったんだろうね」

「私達もハンターだ。彼も所持してると踏んでの行動だろう。行いは立派だったが説教はしなくてはな」

「リズ、ほどほどにしてやれよ」


 雑談を交わしながら、リズを先頭に彼らのベッドまで歩いていく。

 失礼だと思ったが、病床に横たわる患者達を横目で眺めてしまう。

 リズがそれに気が付く。


「驚いたでしょう? ココの患者達は皆まっとうなら手当を受けれないような方ばかりですが、この診療所は無償でしているそうですよ」

「無償でっ!? どうやって経営が成り立っているんだ?」

「貧民街の方々が少ないお金を出し合って寄付しているそうです。もちろん、ルーディさんは本来なら正当な医療を受けられる立場ですので医療費は支払いましたが」


 入り口から一番奥のベッドに辿り着くと、少女と男性が安らかな寝息を立てて寝ていた。私の裾にしがみついていた男の子が私から離れて少女に駆け寄る。


「良かった、無事で良かった」

「とりあえず一安心だな」

「おや? ロザリーは彼に抱きつかなくて良いんですか?」


 リズが下品な笑いを浮かべる。

 私は照れ臭くなって俯き気味にリズの顔を覗き込む。


「良いのかな?」


「っっ、!!?!?」


 すると、リズが盛大に顔を崩す。

 一瞬だったが崩した顔をすぐに戻して彼女が言った。


「え、ええ。私達は構いませんよ」

「でも彼は安静にしてないといけないんでしょ?」

「ああ、そっちですか。大丈夫でしょう、傷自体は塞がってますから」

「そっちってどっちがあるのよ、姉さん」

「私としたことが取り乱しているようで……いえ、なんでもありませんっ!」


 リズが急に早口に喋り出し、リアが肩を竦めて嘆息する。

 いまいち要領の得ない私は首を傾けるが、リアは肩を竦めたままでそっぽを向く。


「さ、さあ。早く感動の再会をなさって下さい。と言っても、彼は寝てますが」


 私はゆっくりと最初の二、三歩を踏み出すが居ても立ってもいられず、つい彼のベッド脇まで駆け寄ってしまう。


「心配したんだぞ。勝手に無茶するな、バカぁ……リア達といいお前といい、私に心配ばかり掛けるんじゃない」


 彼の手を握り、独り言で説教する。


「……すみません、姫様。ご心配をお掛けしました」

「悪い、起こしてしまったな」

「いえ、寝過ぎてしまったくらいです」


 私の握った手を彼が握り返して体を起こそうとする。


「うっ……ダメだ。体が重くて動かない、情けないですね」

「まったくだ、バカ」


 照れ臭そうに彼が微笑むので釣られて私も口角を緩める。

 窓から差し込む橙色の光が私達だけを包んでいるんじゃないかと錯覚してしまうくらい眩しくて、思わず目を細める。


「良いのか、リア?」

「何が、姉さん?」

「今日は邪魔しなくて」

「私もそこまで野暮じゃないんだよねえ」

「そうか……なら、一緒に食料の買い出しでも行くか? 貧血には肉が一番だろ」

「そうだね。ついでにお酒もたらふく買っちゃおうか?」

「賛成だな」


 二人がこそこそと内緒話をして席を外す。

 少ししたらリアが戻ってきて、男の子の襟首を掴んで持ち上げる。


「アンタも来なさい、どうせヒマでしょ?」

「やだよう、俺もココにいる!」

「アンタねぇ……空気読めないワケ? 」

「うるさい、怪力ババア!」

「ババッ……アンタ、泣かすわ」

「ひぃい、殺されるっ!」

「しないわよ、そんなこと。少しお姉さんとお話をしましょって言ってるの……お・ね・え・さ・ん・と! ねっ?」

「ごめんなさいぃー」


 鼻水を垂れ流して半べそかく男の子をリアが強引に連れていくと急に辺りが静かになる。


「賑やかな連中ね、まったく……」


 私は嘆息を漏らし、呆れ顔でリア達の背中を見送る。


「はは、楽しそうでいいじゃないですか。ついでに言わせてもらうとロザリンド様も賑やかの一部に入ってますよ」

「わ……私は物静かよっ!」

「なら、そうかもしれませんね」

「ホントよ?」

「そうですね、ロザリンド様」


 私が不機嫌に頬を膨らませるとルーディが悪戯っぽく笑う。

 私は子供みたいな真似をしたことが急に恥ずかしくなって顔を逸らして窓の外、原風景に意識を集中させる。

 そうしないと耳やら頬が熱くて妙にくすぐったかったから。

 しばらく外を眺め、彼も私も無言でお互いが何処かを見つめていた。

 顔の熱が引いた頃、私は口を開いた。


「ねえ、ルーディ? 私はね、アナタに感謝しているの。

 鳥かごに居た私は空を見ることしか出来なかった。だけど本当は空を見る必要なんて無かったのよ、アナタはそれに気付かせてくれたわ」

「僕は何かをした記憶はありませんよ?」

「私にとって私の人生は牢獄だったの。

人は羨む、格式ある家に生まれて安らかな揺りかごの中で育つことが幸せと妬むのよ。

だけど違う、そうじゃない。

私は望んでない、父と話すのに冷えた食事を挟むことも兄や姉とじゃれ合うのに誰かの許可が必要なことも。

誰にわかるのよ? 檻の外から侮蔑と嘲笑を浴びせかけられ、拒絶され続けた私の気持ちなんて……上辺だけを撫でて疎外して、見世物として辱めている連中に人間じゃない私の何が解るっていうのよ。って、思いながら生きてたわ。

そんな私をリズ達はずっと支えてくれた。その彼女達を巻き込んでまで私のしたかった事は何だったの、傷付く必要の無い人を傷付けてバカみたいって、ここ数か月考え続けてばかりいた。

同じところを辿っては、指先からちょっとずつ削り取って、また繰り返し――……。

正直、死んだ方が良いんじゃないかって、気さえしてたわ。

だけれど、アナタは煉獄から私を引き上げてくれたわ。

最初は嘘くさい男にしか見えなかったけど、とても真っ直ぐで掛け値なしの自分で話をする人だったから。

こういう生き方が出来るようになれたらなっていう希望をもらえたわ。

私は何時からか、ごちゃごちゃと考えすぎてたみたいね」


 私は知らない間に荊棘で編んである柩を掘り返しては素手で引き千切り、外気に触れてしまった屍肉の放つ腐臭は私の頭を掻き回して、均等を失った心が言葉を並べ立てては感情が煮立った泡のように解けていた。


「あ、すまない。そんなに長々と話す気は無かったんだ。うっかり、おしゃべりになってしまったよ」


 驚きの表情を浮かべるルーディを見て我に返り、気恥ずかしくて体裁を取り繕った。


「ロザリンド様の気持ちが聞けて嬉しかったですよ。

 すみません、口下手なもので上手く言葉に出来なくて……情けないですね。

 ただ一つ言いたいのは、僕くらいには肩ひじを張らずにいてくれると、もっと嬉しいかなってことです」


 しばし無言だった彼は口角を緩めてそう言った。


「別に肩ひじを張ってるつもりも無いんだが……」

「それですよ、それ。無理してるんじゃないかって心配になるんですよ、ホント。

 多分、リズさんとリアさんも同じふうに思ってますよ」

「鋭いな。最近、リズやリアとぎくしゃくしてたんだよ」

「リアさんなんて八つ当たりで僕に当たるんだから困ったものですよ」

「リアが気を遣ってたのは何となく感じてたんだがなぁ、負い目があるからどうも素直になれなくて」


 私が無意識に頬を掻くと、ルーディは呆れたような顔付きで視線を落とした。

 無言の責め苦に私は情けなくなって思わず作り笑いをしてしまう。

 ルーディが下を向いたまま、ぽつりと言葉を零した。


「ロザリンド様。もう少し本音で言葉にしてみても良いんじゃないですか?

 僕はリズさん達と違って、遠慮はしませんから。アナタを傷付けると解っても問い質しますよ……アナタはリズやリアを傷付けたことを後悔してるんじゃない。

 自分のやりたいことが失敗した結果、拗ねて逃げているだけだ。

 それを人の所為にして殻に閉じこもっていたら押し付けられた相手は不安になるに決まってる。

 そんなことが判らないお子様だから周りを傷付けて失敗をするんだ」


「違う、私は……」


「現実から逃げちゃ駄目だ。

 失敗したっていい、間違えたっていい。

 失敗を認めることだ。大事なのは、イヤなヤツになることから逃げるんじゃなくて、イヤなヤツからイイヤツになってやるって想い続けることだ。

 誰かに認めて貰いたいなら自分が自分を認めてあげなきゃ、誰が自分を肯定してあげられるっていうんだ?

 背伸びしたって中味は子供のまんまだから成長できないんだ、アナタは」

「そんな言い方って無いでしょっ!

 私は出来る最大限をいつもやっている自信があるわ。だけど、どうしようもないじゃない……立場を考えたら出来ない事だってある、してはいけない事だってあるのよ。

 貴方に私の境遇の何がわかるっていうの?

 ふざけないでっ!! お気楽な立場にいる人に言われる筋合いなんかないわ!」


 何が悲しかったのか、私は声を荒げて彼の言葉を否定した。

 幾ら耐えてみようと目に力を込めても溢れる涙が止まらない。


「私だって泣きたい時もあるわ。誰かに甘えてみたい時だってある……それが許されないのよ。だって、誰も教えてくれなかったもの。

 強く……ただ強くあることだけが私にとっても周りにとっても望んできたことなんだから」


 溢れた涙を隠そうと何度も手で拭っても次から次へと零れてきてしまい、次第に拭うのも面倒になって彼のベッドに突っ伏していた。


「これから出来るようにすれば良いんですよ。アナタが泣きたい時に泣いて甘えたい時に寄り掛かって……ソレで良いんですよ。

 咎める人間なんていませんよ、少なくともこの旅をしている間は」


 泣いても良い、そんな一言が何処かに溜めて淀んでる膿を掬い取ってくれた気がした。


「……うん、そうするわ」

「アナタ達は強がりすぎなんですよ」


 そう言って、やっぱり彼はまた呆れたような表情を作ったが、さっきまでと違って不思議と嫌な気分ではなかった。


「もう少しだけこうしてても良いかな?」

「僕は安静の必要な病人ですよ?」


 ルーディは大きくため息を吐くと、見上げた私の視線を逸らすように静かに顔を横に向けた。

 釣られて私も同じ方に顔をやると、黒くて長い髪が扉の端で翻っていた。


「……どうも、リズさん達はもう少し用事があるみたいですね。

 仕方ない、彼女達が帰ってくるまではロザリンド様も少し休んで下さい」

「素直じゃないな、どいつもこいつも」

「確かに……大概、僕も素直じゃないみたいですね」


 私は近くにあった椅子をこちらに引き寄せると、彼のベッドの端に出来た手頃なスペースに体を埋めた。

 最初は彼の方に体を向けていたが、目が合う度に口角を緩める彼の姿が私の心臓を握り潰すほどに締め付けてしまうので、耐え切れずに体の向きを反対にした。


 そのあいだ始終言葉も発さなかったが、私は理解していた。


 私は生まれて初めて

人を愛したのだろう。それはリズやリアに対する感情と似て異なる感情……父達に向けるモノとも別の感情だ。

 自分でも浅はかだと思う。

 私は今まで王女ロザリンドとして他人と接してきた。だけど彼はそんな私を否定した。王女じゃなく、ロザリンドとして私に接してくれた彼に私は屈してしまったのだ。

 犬が飼い主を認めたら、ソレを信じて尻尾を振ってしまうのと同じだ。

 私はもう、彼が私に感情を向けてくれるだけで心が踊り、感情の制御が効かなくなってしまった。

 それと同時に、彼にはロザリンドは庇護の対象としての感情しかないというのも気付いてしまった。

 

 私は考える、ぐるぐると――……。

 

 どちらが先だったのか。

 

 彼に近づきたくて焦がれたのか、それとも近づくことのない距離に安心して引き寄せられたのか。

 どちらが先だったのだろう。

 終わりのない問答は私の思考を支配して、ずっと繰り返す。


 いつまでも、いつまでも。


 どこまでも、いつまでも。


 次第に感情だけが膨れていき、考えてるのは何だったのか、どうでも良くなった。


 結論は至って簡単。


 ―どうでも良い。彼に触れられるならソレで良い。彼に寄り添えるなら何だって構わない。犬だろうと猫だろうと、はたまた首の無い幽霊であったとしても良いじゃないか。


 そんな狂気を帯びた解答に辿り着いた私は決意する。

 巡礼者が神を探して旅を続けるように、或いは月が太陽を追いかけて回り続けるような悲壮に満ちた旅路の覚悟を持って、身を削りながらでも歩き続けようと心に決める。

 私の決意を知ってか知らずなのか、ルーディが不意に私の頭を撫でた。

「……つくづく安い女になったものね、私も」

「何か言いましたか?」

「いや、優しいんだな……と、思っただけ」

「誰が?」

「ルーディ、アナタが……よ。他に居ないでしょ、この場には」


 そっぽを向けたままの私に、彼はとつとつと言葉を零した。


「僕には妹が居たんですよ」

「居たって過去形にしちゃ可哀そうじゃない」

「ヴァリリじゃなくて、もう一人……血の繋がった妹です」

「事情を訊くのは野暮ってものね……」

「ええ、助かります。

 話を戻しますけど、その妹はひどく大人しいヤツでした。いつでも笑ってるばっかで、何があってもバカみたいに笑顔を貼り付けているような……そんなヤツでした」

「ええ、悪かったわね。意地っ張りで」

「別に姫様のことを皮肉ってるわけじゃ……」

「……ロザリーよ」

「え?」

「ロザリーって呼んで。いちいち様付けじゃ肩凝るじゃない」


「えー、イヤですよ」

「ダメ」


「……ローザ。コレで良いですか?」


「なに、その呼び方?」

「人と同じ呼び方するのイヤなんですよ……こうみえて、僕ってヘソ曲がりなもので」

「ホントのこと言って?」

「察しの良い、敵わないなぁ」

「当たり前よ。私を誰だと思ってるのよ」

「妹と一緒なんですよ、名前」

「そんなことだろうと思ったわ。妙に線引きしたがってたものね」

「ええ、だから一緒にしたくないんですよ。

 アナタとアイツは違う人間だから」

「そうね。一緒の扱いは御免被りたいたいわ」

「性格とか真反対ですからね。芯の太いところは似てますけど」

「余計なお世話よ。でも、ローザって響きも良いわね。新鮮だわ、とっても」

「僕が呼ぶ時だけの特別な名前……少しロマンチストが過ぎましたか?」

「そんなこと無いわ、素敵じゃない」

「……若干、後悔してます」

「もうダメよ。取り消し出来ないから」


 陽がすっかり沈んで、病室もめっきり薄暗くなってきた。

 ベッドに埋もれた私の後ろを施設の人が横切って、ベッドの横に置かれたランプに火を灯す。

 引き伸ばされた私の影はゆらゆらと揺れ、彼の影に付いたり離れたりを繰り返す。


「妹は幸せだったのでしょうか? そればかりをいつも考えてしまうんです」

「最後は笑ってたの?」

「解りません。僕が王都を離れてた時にアイツは死んでしまったから……帰ってきた時にはもう冷たい石の下で沢山の花に囲まれてしまっていたので顔を見てやれませんでした」

「辛いわね、それは……」

「僕は悔しいんです。大事な時に助けてやれなかったことも、泣きたいはずだった時に優しくしてやれなかったことも……みんな、後悔ばかり、でっ……」


 私がそっと振り向いて彼を見ると、暗くて良く見えないが涙を堪えるように天を仰いでいた。

 私は気付かれる前に元の体勢に戻る。


「僕にはアイツが安らかに眠っていられるように願うことしか出来ないから……」


 その祈りに似たような懺悔が堪えた嗚咽に混じって私の耳たぶを打つ。


「それでも、後悔しながらでも前に進まなきゃいけない。枯れるまで泣いたら後は歩くしかないんですよ、どんなに辛くても」


 ルーディは独白を終えると握り込んでいたシーツを離す。

 彼の顔が見えるように寝返りを打って、私はこう言った。


「彼女は幸せだったわ、絶対。私はそう思えるわ」

「ローザ……」

「だって、沢山の花に囲まれていたのでしょ? それは彼女を愛してる人が沢山居たってコトよ。終わりの形やその過程までがどうであれ、最後に想ってくれる人が居たのならソレは素敵な人生なはずだもの」


 私は精一杯に口角を持ち上げる。

 すると、灯りが反射した彼の目元から一滴だけ涙が零れてベッドに沁み込んでいった。


「僕は……俺は許されても良いんでしょうか?

 守ってやれなかった罪を降ろしても良いんですか?」

「ええ。アナタは充分過ぎるくらいに自分を責めたわ。これ以上傷を付けては彼女が悲しむだけよ」


 彼はしばらく言葉を発さなかったが、私は様子を覗うように視線だけ彼の顔を捉えていた。


「ごめんなさい、ローザ。こんな話をするつもりなんてなかったんです。つまらない話を聞いてくれてありがとうございます」


 窓から覗く月を眺めて彼は言った。


「明日は寄りたい所があるんです。ホントは今日寄る予定だったんですが……付き合って貰えませんか?」

「もちろん。勝手にだって付いてくわ」

「リズさん達には言えませんね、こんな恥ずかしい話は」

「おあいこよ。私だって恥ずかしいところ見られたんだから」

「さっきもリアさんに言われましたよ。ロザリン泣かせたら埋め立てるぞーって」

「いつ?」


 私が眉にしわを寄せると彼はこめかみを突いた。


「ローザが泣いてた時です。ほら、リズさんの髪の毛が見えたでしょ、あの時です」

「ああ、リアらしい」


 彼が笑い、釣られた私も笑ってしまった。


「まだ本調子じゃないみたいだ。疲れたから寝ますね」

「ごめんなさい、長居し過ぎてしまったようね」

「いえいえ、おやすみなさい」

「おやすみ、ルーディ」


 私は身体を起こして椅子をランプの置かれた机の横に戻す。


「足元、暗いから気を付けて」

「ありがと」


 私がもう一度彼を見ると、彼は寝てしまっていた。


「気を遣い過ぎだな、バカ」


 ランプの火を吹き消して、ベッドから離れる。

 少し進んだ先の柱を通り過ぎた時、不意に背後から肩を叩かれる。


「ひゃあっ!?」


 思わず声を上げてしまい、慌てて口を押える。


「ロザリー、宿は取れました。宿に行ってじっくりお話をしましょう」


 口を押えたまま、声の主を蔑視する。


「おやおや、どうしたんですか?」


 私は大きくため息を吐き、口を開いた。


「リズ。下品な真似はよせ」


 リズが卑猥なサインを止めると、ふて腐れたように眉をしかめる。


「だって、そうゆうことでしょ?」

「まあ、そのサインも随分下品だがソレじゃない。盗み聞きを咎めてるんだ、私は」

「まーまー、良いじゃない。ロザリンが長居してるから心配してたんだよ~」

「リア、お前もか……」

「あ、少年は宿に置いてきたからね。だけど、これだったら別に連れてきても良かったなぁ」

「どういう意味だ?」

「私達はてっきりしっぽりな青少年に見せられないようなことになってると思ってたから」

「バカ。ここは公の場だぞ?」

「へえ……公衆の面前じゃなければ良いんだ?」

「まあ、手順さえ踏めば、な……その、ごにょごにょ……」

「なんですとっ!?」

「ロザリー、いけません! そんな、はしたないっ!!」

「お前らが話を振ったんだろうが!」


「「あばばば……」」


「なんでお前たちは自分でつついて勝手にダメージを負うんだ? 理解出来ん……」


 診療所を出て、灯りの無い小道を歩く。

 月明かりに照らされた小道はやけにはっきりとしていた。


「それより、ロザリー?」

「なんだ?」

「私達をルーディさんとは一線引くんですね?」


 リズが拗ねたような声色で問いかける。


「ああ、口調の話か? 仕方ないだろ、コッチの方が慣れてるんだから」

「まあ、良いですけどぉ……あれだけ女の子背負ってて急にカッコつけられても、ねぇ?」

「リアっ!? 違うぞ、カッコつけてる訳じゃない。本当にクセみたいなものなんだ。

 普段はこんな感じじゃないとむず痒くなるんだ」

「でも、男の前だとぉー?」

「女の子になっちゃうのぉー、きゃぴっ!」

「リズ、悪ノリするなぁ! 第一、そんなにクネクネしてないしっ!」

「いや、してましたよ?」

「うん、してたしてた」

「マジでか!?」

「マジ、マジ。ぶりっ子全開だった」

「うっそ!? 恥ずかしいぃー」

「知らんけど? 暗くて良く見えなかったし」

「騙したな、リアっ!」

「にゃはは~」


 私はリズの背中に逃げ込むリアを追いかけて飛びつく。

 それを見て、リズが笑いを零す。


「ロザリー、変わりましたね」

「そうか?」

「なんかね、距離が近くなった気がするな」

「いつも近いぞ、これくらい」

「違うよ。心の距離的な感じのヤツ?」

「あー、その点はホントにすまなかった。ルーディにも叱られたよ、相手の気持ちも考えろって」

「ルーディさんっていうのが癪ですが、きっかけになってくれたならありがたいですね」

「あの男、妙に鋭いからなぁー。ロザリンみたいな四角い女は騙されやすいんだ」

「うるさい、ほっとけ」


 森を抜けて中心部を抜けると、昼間とは違った喧噪さがある商業区に出る。


「とりあえず、今日はしこたま呑みましょう。これでもかってくらい買い込んでありますので」

「良かったね、ロザリン。ルーディも居たら裁判始まってたよ?」

「お前ら、酒飲むと本当に酷いからな……私は先に寝るぞ」

「なーに言ってんの。付き合いなさい、ロザリンの所為なんだから」

「そうですよ、ロザリー? 主役が居なきゃ、お酒が進まないでしょ?」


 宿に着いて、早々に部屋に逃げ込もうとする私を両脇から二人が抱える。


「いーやーだぁーっ!! 寝るんだあー!!」

「れっつ、ごー! お・酒・は、お・友達ぃー!!」


 宿のラウンジまでズルズルと引きずられた私の夜は案の定、長かった。

  

‐ 3章 完 ‐

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