秋うらら
これは短編連作の四作目です。よろしければ一作目からご一読ください!
シリーズ一作目 消える人
https://ncode.syosetu.com/n5188gl/
シリーズ二作目 くじら
https://ncode.syosetu.com/n1737gm/
シリーズ三作目 扉の鍵
https://ncode.syosetu.com/n6954gm/
自分の人生というステージの上で主役になって演じ続けることが、実は生きるということのなのかもしれない。十九歳になった僕はある日そんなことを考えた。
僕の父親は陰湿的なところのある性格で、家族に精神的苦痛を与えることで自分の人生の苦労をやり過ごそうとしていた人だったから、僕も母も始終父に怯えて暮らしていた。
それは僕の人格にも何らかの影響を残したはずだ。
僕は十九歳になった今も、自分の存在価値をちゃんと見出せず、いつまでも人生のステージの中心に自分を置くことが出来なかった。
そんな僕が大学生になって入学早々の新歓イベントの日、サークルをいろいろ見て歩いたのは、少しでも変わりたいと願う、ささやかだが確実に新しい一歩だった。
スポーツも苦手で文科系の特技もない僕に出来ることは限られているから、誘われるままあるサークルに体験入会をしてみることに決めた。
それは、かくれんぼや缶蹴りなどの子供の遊びを活動内容としている少し変わったサークルだった。かくれんぼくらいなら僕にも出来ると思ったのもあるが、この大学でひそかに有名なこのサークルの恒例新歓イベントに実は興味があった。
同じことを考える新入生は多いらしく、イベントの集合場所はごった返していた。先輩が前に立ち、誰でも知っているかくれんぼのルールを簡単に説明したあと、追加のルールが二つあります、と言った。
それは必ず二人一組になって隠れることと、その内の一人が目隠しをすることです、と彼は声を張り上げた。
総勢百人余りの新入生たちは一斉にクジを引き、目隠しも同時に配られてごった返す中、かくれんぼが始まった。
僕と同じ番号を引き、既に目隠しをつけ先輩に手を引かれてやって来た女の子の手を、僕は急かされるままそっと握った。
僕はその子を窺い見た。メイクはほとんどなく、服装にも派手さはなかったが、肩にかかる長さの黒髪のサイドをバレッタでとめているのがよく似合っている大人しそうな子だった。
「行こうか」
僕は自分の声が震えているのがばれないように、やや強がって言った。
「見えないってこんなに怖いのね」
それを聞いた僕は突然、彼女を守らなくては、と使命のようなものを感じた。決して長身でもなく痩せている僕がそう思うくらいに、目隠しをした彼女がか弱く見えたのだ。
足元に段差があるよ、とか、ここには何もないから少し早く歩くね、と出来るだけ声をかけ状況を伝えるようにした。くどくないだろうか。僕は何度か不安になったが、「ありがとう」と繰り返す彼女の声に迷惑そうな響きはなかった。
「視界が少し暗くなったみたい。日陰?」
僕は大きな木が並んで生い茂っている辺りに隠れることに決めた。
「第四号館の裏の木陰にいるんだ」
今なら目隠しを取っても誰も気付かないのに、彼女は僕の手を離さず目隠しのままでじっと隣に立っていた。
「葉っぱが落ちてくるね」
春だというのに木陰に立つ僕たちの頭に時折葉が落ちてくる。僕は彼女が嫌がっていないだろうかと少し不安になった。
ところが彼女は突然顔を輝かせて、「分かった、これきっとクスノキよ」と言った。
「春に落葉する珍しい木なの」そう言って目隠しのまま空を見上げた。
「よく知ってるんだね」僕は感心して言った。
この子はきっと親に大事にされていろいろなことを教えられて大きくなったのだろう。僕には彼女に対する憧れに近い感情がわいた。
そう言えば僕は彼女の名前も知らない、と気づき口を開こうとした時、先輩が大声でかくれんぼの終了を知らせて回る声を聞いた。
「もう終わっちゃったのか」僕は少し残念に思ったが彼女は、「でも私たち見つからなかったわ」そう言って目隠しのまま微笑んだ。
彼女が目隠しを取らないのを不思議に思ったが、手がつないだままで取れないのだと僕は気付き、慌てて謝りながらその手を離した。
すると「なんだ、案外つまんなかったな」という男の声がすぐ隣で聞こえたので僕はびっくりした。どうやらすぐ近くにも二人隠れていたらしかった。
目隠しを外した彼女はゆったりと、初めて見る僕たち三人の顔を不思議そうに見渡した。
それから互いに自己紹介しながら集合場所へ戻り始めたが、偶然四人とも専攻が同じであることが分かった。かくれんぼはそれほど面白くなかったし、誰もサークルに正式に入会する気はないらしく、三人は熱心に科目や教授についての情報交換を始めた。
僕のパートナーは西寺さんという子だったが、近くで隠れていた室田くんは、自分のパートナーの女の子よりも西寺さんが気になるのか熱心に彼女に話しかけていた。
入学して二か月が経ったが、僕は結局どのサークルにも参加しないまま、何となく講義に出席するだけの日を過ごしていた。
ある日僕は、キャンパスで西寺さんと室田くんが手をつないで歩いているのを見かけた。
やっぱり新歓イベントの伝説なんて嘘だったんだ。僕はがっかりした。
手をつないで歩く二人を見た僕は初めて、胸の痛みで自分が西寺さんを好きになっていたことを知り、同時に失恋を知った。
僕はそもそも人を好きになるということが分かっていなかったのだ。知らぬ間に西寺さんを目で追うようになっていたのに、僕はそれでも自分の気持ちには気づいていなかった。
何もかもが遅すぎたのだ。
秋を感じるようになった頃のことである。
その日は授業が午前中で終わる日で、僕はいつものように一番学生に人気のない、店もコンビニもない住宅街を抜ける駅までの道を選んで歩いていた。
途中には小さな滑り台と錆びついたようなブランコがあるだけの、子供の遊ぶ姿も滅多に見かけない寂しい公園がある。
僕は歩く速度を落とした。
公園のベンチに一人座っている西寺さんを見かけたからである。
声を掛けようかどうしようかと迷い、公園の入り口でぼんやりとしていたら、顔を突然上げた西寺さんと目が合ってしまった。
西寺さんは濡れたままの瞳で僕に微笑んだ。僕は勇気を出して公園に入り彼女に近付いた。
「大丈夫?もしかして・・」
泣いていたのと僕はどうしても言えず語尾を濁した。
「もう大丈夫」西寺さんはそう言って涙をぬぐった。
僕は「そう」と言ってその場に立ち尽くしていた。こんな時にどんなふうに振る舞えばいいのか、気の利いた言葉も何も分からなかった。
すると西寺さんは、「私も帰ろうかな」と言って立ち上がり、当たり前のうように僕の隣を歩き始めた。
僕はどきどきしながら、彼女の横を歩いた。
僕たちはしばらく講義の話などのたわいもない話をしていたが、西寺さんが突然ぽつりと言った。
「私、さっき室田くんと別れちゃった」
「え、本当?」僕は驚いて言った。
西寺さんはうつむき加減に歩きながらうなずいた。
僕は何て言えばいいのか分からなかった。つくづくと口の重い自分が嫌になる。
「あの、元気出して。焦らずにゆっくり回復していけばいいと思う」
泣いていたくらいだから彼女は室田に振られたのだろうと思い、慰めようと僕は必死に言葉を考えて言ったつもりだった。
うつむいていた西寺さんの肩が揺れた。また泣いてしまったのだろうか、と僕は慌てたが、西寺さんはすぐ顔を上げた。彼女は笑っていたのだった。僕は急に恥ずかしくなった。
「病気でもないのに変なこと言ったかな」
「おかしくない。ありがとう」
「でもね、本当は私そんなに落ち込んでないの。ずっと何だか違うなぁ、合わないなぁって思っていたから」
じゃあどうして付き合ったの、と僕は聞きたかったがそれは口に出せなかった。
「新歓イベントのかくれんぼって大学では有名な伝説があるのは知ってる?」
僕はうなずいた。だから僕は参加したのだ。だがそれは恥ずかしくてとても言えなかった。
「かくれんぼでパートナーだった二人は付き合うようなって幸せになるんだなんて、誰が言い始たのかしら」
「ばかばかしいよね」僕は心にもないことを言った。
「そうね。でも一番ばかなのは私だわ。室田くんに、パートナー同士だった僕たちが伝説が正しいことを証明しようなんて言われてその気になったんだもの」
僕は、「え?」と自分でも驚くような大声を出してしまった。
「あの日、目隠しをしていて私とても怖かった。足元も見えないし、大学のキャンパスだって全然慣れていないから何があるかも分からない。でも歩いていて途中からとても安心できたの。だから室田くんに付き合ってと言われた時、こんな優しい人なら付き合ってもいいって思っちゃった」
僕は自分の顔が紅潮するのが分かった。
本当のパートナーは僕だったのに。それをどうやって彼女に伝えればいいだろう。僕の頭の中にはいろいろな言葉が飛び交った。
「秋うららね。今日みたいな秋晴れのさわやかな日のことをそう言うのよ。知ってる?」
「秋うらら・・・」僕はそう呟いた。肩から突然力が抜けた。
そうか、秋うららか。悪くないな。
こんな秋晴れの日に、僕は好きな女の子と一緒に歩いている。
それは今までの僕からすればとんでもなくすごいことだ。
「綺麗な言葉でしょう。春うららかっていうのは有名だけど、秋も同じなの」
「よく知っているんだね」
「私、言葉に若さがないって友達からよくからかわれるの。お祖母ちゃんのせいかしら」
そう言って秋の雲の浮かぶ空を見上げた。
「去年亡くなってしまったけど、私はとてもお祖母ちゃん子だったの。同居していたし、仕事で忙しい母親よりもいつも一緒に時間を過ごしていたから」
「どんな人だった?」
僕には祖母の記憶がほとんどない。母の両親は僕が生まれる前に亡くなっていたし、父方の祖母との交流はほとんどなかった。
「俳句が好きで、季節を大事にしていた人だった。特に秋が好きだったの。おかげで私も秋が一番好き」
僕は、もう新歓コンパのパートナーは本当は自分だったなどと言わなくてもいいや、と思い始めていた。人生でこれほど心躍る時間を過ごすのは初めてだし僕は十分満足していた。
「夏生まれで夏のついた名前なのにおかしいでしょう」
僕は友達から親しみを込めてアヤカ、と呼ばれている彼女を今までに何度も見かけていた。
「アヤカさん、だよね。どんな漢字書くの?」
「彩る夏よ」
彩夏。僕の中の彼女の名前に今日初めて色がついた。それがとても嬉しかった。
僕は自分の中にあるだけの勇気を振り絞って言った。
「あの、僕も彩夏って呼んでもいいかな?」
「もちろんいいわよ。そう呼んで。あだ名はある?」
僕をあだ名で呼んでくれるほど親しい人は、今まで僕の周りにはいなかった。だがそれは恥ずかして言えない。
僕の口からはつい、「きーちゃん」と母だけが呼ぶあだ名が出てしまった。その幼さが恥ずかしく、言ってから後悔した。
「かわいい。いいあだ名ね」彩夏はそう言って微笑んだ。
「きーちゃんはどの季節が好き?」
きーちゃんと呼ばれて僕は眩暈を感じた。
「僕も秋」今までそんなことを考えたこともなかったのに気付いたらそう言っていた。
急に距離が近づいたように感じる彩夏の横顔を見ながら僕は、人生の主役を演じるのはこんな気分なのだろうかと考えた。
「新歓の時のパートナーは僕だったよ」
その瞬間、自分でも思っていなかった言葉が口から出た。
彩夏は足を止めて僕を見上げた。柔らかい秋の日差しの下、信号もない細い路地で僕たちは向い合った。
「知ってる」彩夏はそう言って微笑んだ。
室田くんに問い詰めたら今日別れ際に本当のことを教えてくれたの、と言って彩夏はまたゆっくりと歩き出した。
本当のことを知った日にきーちゃんが偶然公園を通りかかったから、本当は心臓がとまりそうなほど驚いた、と彩夏は頬を赤らめうつむき加減に呟いた。
僕は叫びだしそうなくらいに自分の心が喜びで満たされていくのを感じていた。驚くほど鼓動が早かった。
十九年間一度も人生の主役になったことのない僕に突然それを演じることなど出来るものなのだろうか。
この弾むような気持ちも逸る心も、明らかに今までの人生で一度も経験したことのないものだった。
僕は初めて大きなステージに立った役者のように緊張していた。
それなのに僕はこのままいつまでも駅に着かなければいいのにと心から願っている。
僕はさらに足取りを遅くした。すると彩夏の歩調も僕に合わせて、もっとゆっくりになった。
僕たちは秋の陽だまりを楽しみながら、ほんの少しずつだけ足を進めた。