その五
気が付けば、どこかこの辺りにある公園から聞こえてくるのだろうか、割と近くの闇の何処かから、はしゃいだ若い男女の声が聞こえてくる。
さっきから、コロコロ音しない?なんか石かなんか蹴ってる音しない?なんかウザい。ってかうるせえよなぁ。
よくわかんない。あのオッサンじゃないの?
なんだあれ?きしょいなぁ。ボコるか?
やめときなよ、ただのウザい酔っぱらいでしょ。
本当ウザい。腹立ったわ。ほっとけねぇ。死刑にするわ。俺さあ、こう見えてゴミとかの掃除とか得意なんだよね。
へぇ、あはは、かっこいいね。
だろ。
あはは。
おい、動画とか撮るなよ?
なんで?
バレたらヤベェだろうがよ?やっぱお前頭悪いなぁ。そこで待ってろよ。すぐなんだから。
若い男女の楽し気な声は途切れ、声の代わりに一人小走りに駆け出す足音が聞こえた。
ちょっとして、近くの闇から、カリカリと金属を引きずるような音が聞こえる。
あくまで薄気味の悪いその音は次第に次第に緩やかにこちらへと近付いてくる。
うっすらと、そして段々とはっきりと、影が明確になってゆく。
街灯の下にお洒落な英字の書かれた黒いスウェットスーツの青白く細い顔の若い男が、その顔にかかる長い前髪の隙間から両の瞳を光らせながら頬を緩めてニコニコ笑顔を此方に向けて立っていた。
男の右手には金属バットが街灯の光を鈍く反射させている。
私も対面するスウェットの彼と同じように、街灯の下に立ちつくし、立ちすくみ、けれども別段の不安も恐怖もなく、薄ら笑いに似た無表情のままで、若い男が金属バットを振り上げるのを黙って見つめていた。
君の邪魔になる事を何かしたか?
ただ石を軽く、コロコロと蹴っていただけじゃないか。そんなに迷惑かけたかい?
だいたい私をその物騒なモノでどついたところで一体全体何の意味があるんだよ。
何でこんなちっぽけなオッサンを痛めつけ、なぶりものにしようとするんだ?
それは楽しい行為なのか?
君は何がしたいんだよ?
何でヘラヘラ笑っているんだよ?
浮かぶ感情を私は上手く言葉に出来ぬまま、死神にも似た若者の立ち姿を見つめていた。
抗おうとする気持ちが、面倒臭いなぁという情けない無気力に侵食されてゆく。
どうでもいい。ただただウザいんだよ。それだけさ。他に理由はないんだよ。さっさと消えろよな。
若者の心の声がハッキリと聞こえた。
ふざけるな。
そうは行くかよ。
咄嗟に、命の炎のような生存本能が一瞬燃え上がり、けれども、またすぐ消え失せた。
いやいや、こんな最期も、それこそ丁度お似合いなのかもしれない。
どうせ今までもこれからも、誰とも上手くわかり会えぬまま、狼狽えながら生きてゆくだけなのだから。
面倒臭いというか、よくわからぬものに圧迫され続けて疲れ果てていた私の心には、街灯の眩い光の下、今は空気の抜けたボールのように気だるい諦観の念だけがどんよりと水底の澱のように漂っていた。
そこからの記憶はない。
ただ、数発のリアルな激しい痛みと、それから割と安息やら楽しさやらに似た感覚を抱いた事を仄かに覚えている。