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石を蹴りながら  作者: 若葉
3/6

その三

さて、さて。

私は一人路傍の石を蹴りながらあてなき思いに、それにさえも疲れはてていた。

まだまだ歩けるだろう?

此から楽しい出会いだってきっとある。


何度となく、何年も何年も、自分を励まし慰めながら、またおかしな方へ転がる石を追いかけている。


思えば若い頃、いや幼い頃から気力のない、やる気のない人間であった。


人は知らぬが、思えば無気力かつ悲観的な考え方などは、私には産湯の頃から内側より溢れていたのかも知れない。


本当にやる気のない赤ん坊であったと母は笑って言っていた。


よく眠り、騒いだりはせず、腹が減っても母の乳は面倒であるからと吸い付く素振りも見せず、哺乳瓶の適温のお湯で溶いた粉ミルクを好んで飲んでいたという。

手間なく軽く吸えばすいすい出てくるからである。


泣いたり喚いたり、手間をかけたり、そんな事が嫌だったのか。とにかく嫌われないように、それはきっと面倒臭い現象に繋がるのだから。落ち着くところとして、あくまで大人しく良い子でいようと勤めていた気がする。

幼い頃は葡萄を与えておけばひたすら静かに、テレビを見ながら食べていたそうな。

やはり、すぐに楽に食えて手間のかからぬものを好んでいたのだろうか。

大人しくしていれば良い。怒られない。傷付けられない。


今にしてみれば微笑ましいようでいて、どこか今日の疲れやすく気だるい私の人格の片鱗を垣間見られるほのぼのとしたエピソードではある。


三つ子の魂百まで、とはよくいったものだ。

成長して小学生になり、軽く馴染めるようになった。互いに笑い合い休み時間にはまるで小動物のように追いかけあって、じゃれあって、きゃっきゃっとふざけ合う友人もできた。

それなのに私はやはり何処かで臆病かつ遠慮というか億劫というのか、そんな心理で、遊びに来なよという友人の誘いに、三度に二度はお断りをしてそそくさと家に帰るなり夕飯までテレビを見ながら一人で居間に横たわったり、布団にくるまったりして夜まで昼寝らしきものをしていた。

友人は嫌いではない。

一緒にいれば、時間を忘れるくらいにとても楽しい。

だけれども、人に会うと疲れてしまうのだ。面倒臭くなってしまうのだ。

今から振り返れば、好かれたい気持ちの裏側の嫌われたくない心が、私をぎこちなくさせ、言いたい事も上手く言えないまま、自身の心を圧迫していたのかも知れない。


やがて私は自転車に乗る事を覚え、ちょいちょい遠出するようになった。

友人と同じ方向をむき、一緒に走っていても、教室で向き合っている時のような内向きの一人踊りの気苦労や面倒臭さはなかった。

仲間と一緒に走っている。一蓮托生。

例えばそれがくだらない目的だったとしても、短い時間であったとしても、私にはわずかに快適な一時であった。


次第に仲間も各々忙しくなり、そんなに無意味に走り回っているほど暇ではなくなった。

私は一人自転車を漕いでいた。

或いは帰宅するなり夜になるまで目を閉じて横になり昼寝をしていた。

両極端な様だが、それが気楽だったのだ。


さらに成長して中学生になり高校生になり、それでも私はいつも上手くいかぬ。他者との付き合いにいつも不安でありいつも面倒臭く、いつも疲れていた。

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