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石を蹴りながら  作者: 若葉
2/6

その二

思えばダメな人生であった。基本的におっかなびっくりかつ面倒臭がりなのだ。


当然、人と上手く仲良くやれないのである。

いや、人生は長い。

男女問わず、少ないながらも色々な人に出会ってきたのではある。

優しい人もいた。むかつく人もいた。優しい振りをした悪人もいた。

悪人でもよい。

誰とでも、出来るならば仲良くなりたい。出来るならば心の底からの全てを互いに受け入れて、怒り許し喜びや悲しみを共有できる存在が欲しい。

世間ではそれを親友とか呼ぶらしい。

私は未だにその感覚を実感として抱いた覚えがない。

いや、一人ぼっちだったというわけではない。その時々で、誰かしらとつるんではいたけれども、何となく深く付き合えなかった。


馬が会わない、相性の良くない人もいた。けれども大半に於いては相手が悪いのではないのだと思う。

私が変ちくりんな神経をしているから、自然と私は逃げ腰になってしまうから、どうにも面倒になってしまうから、そんな心が透けて見えて、向こうも遠慮したのだろう。

それは客観的に見ても明らかであり、成るべくして孤独に陥らざるを得ない性質であり、誰をも恨むことは出来ぬし、また意味のない事でもあるのだ。


しかし現に今寂しいのも、これはまた間違いのない感情である。

そう思うなら自身を改善してみりゃ良いじゃない。

人に諭され、自身に言い聞かせ、試行錯誤の内に自身がなんなのか、何も分からなくなってしまった。

そもそも人の感覚をそう容易く矯正できるものなのだろうか?それはその人自身だと言えるのだろうか?


結局は他者よりも幾らか息苦しい、分厚いマスクをはめて世間という有形無形の社会にアジャストするようにして行くしかないのだろうか。

誰にも多少の差はあれど、人は皆マスクをつけて生きている。そんな小学生でも分かりきり、容易くこなしていることに、情けなくも疲れていた。

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