第3話 流れる血、懐かしい相棒、そして……
俺が振り返るのとそれが飛び出して来るのは、同時だった。
ダンッ、と地面を蹴り、突っ込んでくる何か。
咄嗟のことに、つい右腕でそれを防ごうとしてしまう。
結果としてそれが仇になった。
「痛ッ!?」
革の鎧で守られていない腕の部分をかすめたそれは、俺の鎧の胸のあたりに蹴りを入れてジャンプ。距離をとって着地した。
一角兎。
その名の通り、頭から一本の鋭いツノを生やした大ウサギ。
ペット用のウサギの数倍はあろうかというそのデブウサギは『ノーツ・オンライン』の初級フィールドではそこそこ強い部類の魔物だ。
目を火のように赤く光らせたそいつは、休む間も無く再び俺に向かって走り、跳躍。
その突撃はしかし、俺に届くことはなかった。
両手持ちで水平に振り抜いた愛剣によって魔物の体は一刀両断され、地面に落ちたのだった。
「痛っつ…………」
ズキズキと右腕が痛む。
両膝をついて剣を置きあらためて腕を見ると、兎のツノによって抉られ、血が流れていた。
「くそ!!」
涙が出てきた。
「なんで本当にケガしてるんだよ。これってゲームじゃないのかよ?!」
左手で地面を殴る。
ーー痛い。
助けが来るわけでもない。
俺の叫びは草原を吹き抜ける風とともに流れてゆく。
「ーーとりあえず、止血しないと……」
うろうろと周りを見回すが、周囲にあるのは草ばかり。
見た感じ止血に使えるかもしれないけど、毒草の可能性だってある。
「ちくしょう……」
流れ続ける自分の血。
腕は痛みを通り過ぎて、段々感覚が麻痺してくる。
焦りと痛みが、正常な思考を奪ってゆく。
その時だった。
ーーーーポーン
頭の中に、少し間の抜けた音が響く。
「……え?」
聞き慣れた音に。
俺を呼ぶその音に、鼓動が早まる。
ーーーーポーン
それは、小さな希望。
俺は顔を上げ、叫んだ。
「カモン、ひだりちゃん!!」
目の前に、虹色の光の粉が舞う。
「けぷーーーー!!」
その光の中から奇声とともに現れる、こぶし大の半透明なタコ。
「ひだりちゃんはタコじゃないけぷ!」
タコが怒った。
「だから、ひだりちゃんは『ひだりちゃん』けぷ。タコじゃないけぷ! ぷん、ぷん!!」
透明な足のないくらげのようなそのキャラクターは、宙を漂いながら怒り、だけどすぐに心配そうに俺の腕を覗き込んできた。
「ユーイ……大丈夫けぷ?」
俺は『ノーツ・オンライン』を始めてから、ずっと一緒に過ごしてきた相棒ーー案内AIの『ひだりちゃん』に泣き笑いした。
「ーー痛いよ、ひだりちゃん。めっちゃ痛い」
ひだりちゃんは、目に涙を溜めながら俺に尋ねる。
「回復薬を使うけぷ?」
ポーション……………………回復薬?!
「回復薬があるのか???」
俺の問いかけに、ひだりちゃんは『当然』というように跳ねた。
「99個、あるけぷよ!」
ーーなんてことだ。
なんで今まで気づかなかったのか。
俺自身が生身とはいえ、ステータスウインドウは開けるし『ユーイ』の装備も身につけている。
それならアイテムだってあっておかしくない。
現実にケガをして、出血して、動転して、気づきもしなかった。
「ステータスを」
俺は腕を押さえたまま、ひだりちゃんに言ってステータスを表示する。
HPは325/380となり、状態の項目が『出血』となっていた。
あのデブウサギ、一撃で50もダメージを入れやがった。
8発くらったら、死ぬ。
ゲームとしては良いバランスだけど、現実だと思うとぞっとする。
「ひだりちゃん、回復薬を使ってくれ」
「分かったけぷ! ーー『回復薬』!!」
ひだりちゃんが飛び跳ねると、俺の頭上にポンっと液体の入ったガラス瓶が現れ、輝く霧を振りまいた。
「ーー!!」
右腕の傷口がみるみるうちに塞がり、次の瞬間には傷痕ひとつなくなってしまう。
痛みは……ない。
ステータスを見ると、HPは全快していた。
「ははっ…………なんだこれ?」
非現実的過ぎる。
体は生身なのに、VRの仕様。
ーー正直、訳がわからない。
「ははははははははっ!!」
もう、笑いしか出ない。
「ユーイ…………」
困ったような顔で俺を見るひだりちゃん。
「ははははははははははははははははははははははははははははははははっ!!」
俺は笑い泣きしながら仰向けに地面に転がりーーーー、
「はははは…………は?」
それに気づいた。
青空が広がっている。
ところどころ漂う雲。
その向こうに、巨大な半透明の青い惑星が浮かんでいた。
ーーなぜ、今まで気づかなかったのか。
一見、地球のように見える惑星。
だけど俺は、それが地球でないことを知っている。
俺はその光景を前に、茫然として呟いた。
「…………ユグトリア・アップデート」
それが、この光景の原因であり、理由だった。