母娘シンドローム
一言だけいうのであれば、未完成な私も愛して欲しかった。
この日は珍しく晴れた。梅雨真っ最中のこのシーズンは昨夜も雨が降っていた。マンションの外に出るとかすかに湿った雨の香りがする。久しぶりの青空を仰ぎ見ては、燦々と照りつける太陽に思わず笑みがこぼれる。せっかくだからどこか出かけたい。
「お母さん、今日どこか行かない?」
「ええ…どこかって?」
「え〜。サンフラワーモールとか」
車でおよそ40分のショッピングモールを提案する。
「あなた課題は?」
「課題…半分まだ残ってるけど大丈夫」
「やんなさい」
母親はこちらを省みることすらせず黙々と電子ピアノの掃除をしている。
「ええ〜」
反抗してみるが、これは無理そうだ。
「いいじゃん、行こうよ」
最後にひと押しだけしてみる。
「疲れたから私パス。あなた行きたかったら行ってきなさい」
たまに出るこういった発言に私はどことなく寂しさを感じた。が、うまく言葉に表せず黙り込む。
「そういえばさ、この間、理科のテスト満点だったよ」
話題を切り替えてみる。明るい話題。喜んでくれる話題。褒められたい話題。
「ちょっとしばらく黙ってくれない?」
鬱陶しそうに言う様子に落胆する。せめて目くらい合わせてくれても。せめてもの意思表示で大きく足音をたてながら寝室のドアを思い切り閉めた。虚しさで思わず涙がこぼれる。一人でなんて行けない。お母さんと一緒じゃないと、つまらない。
気がつくと、私は黄土色の草原に立っていた。北東から吹く風が奇妙な位綺麗に切りそろえられた草をゆるやかに揺らしている。先に見える地平線はまあるく弧を描いており、地球が球体になっていることを感じさせた。
「一直線じゃないんだ」
しばらくぼっとそのラインを見つめていると、地平線に沿って黒い女の影がチラチラ見えることに気がついた。背筋が凍りつく。誰?踵を返し、逃げ出そうとするが足が底なし沼に引きずり込まれたかのように重たく、言うことを聞かない。後ろを振り返ると女の影はどんどん大きくなって存在感を増して行く。気が付かれる前に早くここから逃げなきゃ。逃げなきゃ。全身の穴という穴から冷たい汗が吹き出す。気が付くと目の前に女の顔があった。頭だけを固定させたまま左右にゆっくり体を動かしている。心臓が縮こまるのを感じた。すると女は動きを一瞬止めて、じっと私の顔を見つめた。ひっと声にならない声が喉の奥からこぼれ出た。表情のない黒い顔面がのっそり近付いてくる様子に恐怖も束の間、慌てて足を動かすが、意思と裏腹に体はどんどん硬直していく。まずい。私は腹から鋭い剣を取り出すと無心に女に向かって突き刺した。だが女の体は刺しても刺しても灰色の液体が激しく飛沫をあげてみるみる蘇生される。ーもうダメだ。ギュッと目を瞑ると、目の前に掃除機を持った母親が不審な顔をして立っていた。
「何してるの」
目玉をキョロキョロ動かして怪訝そうに言う。
「え…」
「課題やったら、課題。そんなに暇そうにして。」
私は力を込めて彼女を見つめた。握った拳がじんわりと汗をかく。けれど私は知っていた。既に明日を掴もうとしてることを。