報告会
車を駐車場に入れてエレベーターホールに着くと、京佑は自転車を支え待っていた。
「駐輪場もあるけど、用心して持ってきたよ」京佑は言う。
「ありがとう」私は礼を言った。
その後は無言のまま、京佑は内玄関に自転車を止め、バッテリーの入ったリュックをハンドルに掛け、充電器セットを持って部屋へ入った。
「充電しとくね」そう言って、三人掛けソファーに近いコンセントに繋ぎ、そのままソファーに深々と腰を落とした。
私は寝室で部屋着に着替えて、着ていた服を洗面所の洗濯機に放り込んだ。
「京佑、なんか飲む」私が聞くと、彼は手に持ったミネラルウォーターを持ち上げて見せた。
私一人でひと手間掛かる物を飲むのも何なので、冷蔵庫から同じミネラルウォーターを取り出して京佑の横に腰掛けた。
「今日はお疲れ様」私はねぎらった。
「うん…」京佑は暫く無言の後に「俺、あんな負け方するの、生まれて初めてだったよ」と言った。
私は彼の頭を優しく撫でた。慰めたのではなく、頑張ったと褒めたつもりだ。
「姉ちゃんも分かるだろうけど、最初の上段回し蹴りで懐に入られた時点で、勝敗は決まってたんだよ」
「うん」私は相槌を打つ。
「結局、疲れきるまですべての技をかわされて、俺、よく心が折れなかったと思うよ」
「うん」相槌は打ったが、何を言いたいのか分からなくなってきた。
「今日まで、強さって相手を倒して勝つ事だと思っていたけど、相手の攻撃をかわし続けて勝てないと思わせる方が、本当に強いって事が身に染みて分かった」京佑は背もたれに背中を預けたまま言った。
「うん、良かったね」私は笑顔で言う。
「あの時の姉ちゃんは、ひどかったぜ。俺は通えないから私を門下生に何て、平然と言っていたし」
「あれは作戦よ。結果、二人共入れたから良かったでしょ」私は答えた。
二人共笑顔になった。そして「イェーイ」と言いながら、右の拳を合わせた。
「おなか減ったでしょ。何か食べに行かない」私は言った。今日は色々あり過ぎて、料理を作る気力が無かったからだ。
「流れからいって中華とか言いたいけど、ステーキとか肉が食べたいな」京佑は答えた。
「ステーキの美味しい店って、どこかしら?」
「姉ちゃんは今日、二十五万円以上使ったんだよ。ほら、車使えばイオンモール近いでしょ。あそこには、安いステーキ屋あるんじゃない。其れでいいよ」と、京佑にたしなめられた。
私は百五十グラム、京佑は五百グラムのステーキを平らげ、腹を満たして帰宅した。
二人で淹れたてのカフェオレを飲みつつ、ソファーでまったりとしながら、ツタヤで借りた功夫映画を見ていた。主演はジェット・リー。カツラと分かっているが、頭の前面を剃っ後ろで三つ編みをした長い髪が気になって、ストーリーが全く頭に入ってこなかった。
日本の時代劇のちょん髷は気にならないのは、単に日本人だからなのだろう。京佑は面白そうに見ていたので、邪魔しないように集中して見ているふりをした。
『終劇』映画はよく分からないまま、終わった。でも、功夫アクションは単純に面白かった。残念ながら、女性にはさして興味の持てるジャンルでは無かった。
「やっぱり制作年がかなり昔だから、所々ワイヤーが見えてたね。でも、攻撃と防御が渾然一体としていて、そこは参考になるね。空手とは防御に対する考えがやっぱり違うわ」京佑は分析した。
「うん」私には分からなかったので、ただ相槌を打った。
「そうそう。お腹も落ち着いたし、まだ言ってなかったから、今度は俺が教えてもらった型を見せるよ」京佑は言いながら、立ち上がって肩と足首を回した。
京佑が選んだソファーの後ろの空間を見れるように、ソファーに膝立ちして背もたれに両手を付いた。
「先ず虎拳ね」京佑は右足を前に出し深く腰を落とすと、右手を顔の高さで前に出して指を曲げ掌底の構えをする。左手は胸元で掌底の構えをとる。
ここから右手を振り下ろし、その勢いで左足を出しながら左手の掌底を突き出す。今度は右手を振り上げ、左手を振り下げつつお腹の辺りで止め左足で下がった。微妙に違ってはいたが、逆の動きをした。
「次は鷹爪拳ね」京佑は足を肩幅ほどに横に開き軽く腰を落とすと、両手を羽ばたく羽の様に肩の高さに両手を上げた。
次に右膝を上げ体を右に傾けた。そして右足が着地する直前に、右手を振り上げる様にして手刀を出し、その手の下から親指、人差し指、中指でまさに鷹が獲物を掴むように突き出した。今度は左の手刀を振り下ろし、右の手、鷹爪を上に向かって突き出した。今度は逆足で、同じ動作をして見せた。
「どう姉ちゃん」京佑は私の顔を覗き込んだ。
「うーん、私は素人だから正確な事は分からないけど、前に出る時が攻撃で下がる時が防御みたいに見えたんだけど、ほぼ逆回転させただけなのに形が成立してるみたい」私は素直な感想を言った。
「俺もそう思う。鷹爪拳の方は、この動き難しいって本多師範に言ったんだよ。そしたら『鷹って空から地上の獲物を狙うのですよ。地面に立っていながら、それを表現するのは難しいですね』って言われたよ」京佑はそう言って笑った。
「深いと言うか、功夫って色々有るんだね」私は感心した。
京佑がお風呂に入っている間に、私はドレッサーの前に座りメイクを落とし、髪をブラッシングしていた。
「姉ちゃんお先」パジャマ姿の京佑が鏡越しに私の顔を覗き込んだ。
「女のスッピンを勝手に見るのは反則だぞ」私は怒ったふりをしながら言う。
「ごめん、ごめん。お湯足しといたから、直ぐに入れるよ。あとパソコン借りたいんだけど、パスワード代えてないよね」京佑は聞いてきた。
「ウーン。引っ越してからは、そのまんまだよ」と答えた。
私はナイトウェアとスキンローションを持って脱衣所に行き、ローズの香りの入浴剤をバスタブに入れて入浴した。一日の中で、最もくつろげる時間だ。
一時間半後、寝室に戻ると京佑はすでにダブルベッドで横になって寝ていた。
私はA4サイズの鏡を持ってダイニングに行くと、テーブルの上に化粧水やドライヤーを並べた。まず、霧状の化粧水を顔にたっぷりとスプレーし、オールインワンゲルをくるくるとマッサージしながらデコルテまで伸ばし、手に残った分を肘膝かかとに塗り込んで、最後にドライヤーで髪を乾かした。
京佑はベッドの左側に寝ていたので、私は右側に入って弟の寝息を聞いているうちに、自然と眠っていた。
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