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龍に勝るは虎に翼  作者: 平沢 吉野
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私の決意


 大の字のままの京佑に、剱持という男がペットボトルのミネラルウォーターを持って来てくれた。京佑は上半身を起こして礼を言うとゴクゴクと音を立てて500ミリリットルの半分を一気に飲んで、残りは頭から被った。

剱持がもう一本のミネラルウォーターを京佑に渡した。それを二、三口飲んで京佑は立ち上がって、「押忍!」と闘い終わりの礼をした。


京佑は胸を張って大和館長に近づいて行く。私も後ろを付いて行く。

道場破りして敗れたのだから、無礼を詫びるつもりだろう。年齢的に弟の保護者として、私も詫びる必要があるだろうか。そもそも京佑に動画のメールを送った事から、道場破りに発展したのだ。素直に謝ろう。


「今日は未熟な俺に胸を貸して頂き、有難う御座いました。つきましては…」京佑口ごもる。

「つきましては?」大和館長は微笑している。

「つきましては弟子にして頂けないかと願いますが、如何でしょうか」京佑はとんでもない事を口ばしる。

「弟子?ですか」と大和館長。

「弟子ですって」私達は口を揃えて言う。


「京佑。貴方は家も大学も東京でしょ。とても通えないと思うわ」私は先に言う。

「私も穣さんのおっしゃる通りだと思います。今日は出掛けている者も居ますが、この道場は殆どが住み込みの弟子ばかりです。京佑君、貴方は大学に通うのが最優先だと思いますよ。これは私の勝手な想像ですが、失礼ですけれど貴方は空手を続けるべきだと思います。今でもかなりお強いですし、もっと技の精度を高め、防御をしっかり意識して行けば、きっと今以上に強くなれますよ。ですから弟子云々は、聞かなかった事にしましょう」大和館長は微笑を崩さないまま言う。


「俺は今日、自分よりも強い人と闘った。そして圧倒的な差を見せつけられた。その相手が空手家ではなくて、功夫の使い手だったからこそ、今は功夫に興味が有る」京佑は食い下がる。


「空手をあと一年二年本気で続ければ、必ず強くなれます。ですが功夫をするには空手の癖を全て捨てなければなりません。歩く事と動かない事。この退屈な修行が全ての基礎となりますので、他の格闘技で幾ら強くても物にならない事も大いにあり得るのです。貴方は空手を辞めてしまうのは、非常に勿体ないと私は思います」大和館長はただ断る事も出来るのに、誠意をもって話してくれている様だ。


「大和館長、貴方がそう言ってくれるのは、非常に有難いと思う。でも俺には分かる。あと一年二年後に闘ってもあんたに絶対に勝てないことを。だから、空手の修練をしても仕方が無い。俺は本気で功夫を教えてもらいたいんだ」


何時もクールで時々甘ったれな京佑が、本気で頼んでいる。私は彼の知られざる一面に、今触れている。本当は応援してあげたい。でも、折角入った大学と両立するのは、距離的に言っても絶対に無理だ。


「空手でもそうでしょうが、功夫でも私闘で技を出すのは基本的には禁止です。ですから、強くなっても使いどころは有りません。あくまで精神修養です」大和館長はきっぱりと断言する。


「大和館長がそう言っている事だし、京佑も諦めた方がいいよ」私も言った。

「姉ちゃん。身内が応援してくれないってどう言う事よ。投げ技無しで、相手に怪我やダメージを与えないって、普通じゃ無理だぜ。俺、あの距離で拳や蹴りが当たらないって初めての事だし、毎日は無理でも週に一回か二回稽古つけてもらえば、残りは自主鍛錬で何とかするから、入門する後押ししてよ」京佑は私に助力を要請してきた。


「あの…彼のお姉さんなのですか」大和館長は聞いてきた。

「そうです。これでも、社会人です。車の運転をして来たのも私です」私は答えた。

「失礼しました。今の今まで、彼女か妹さんだと勘違い致しておりました」大和館長は頭を下げた。

他のお弟子さんたちもざわつき出した。

「コホンッ!」大和館長の咳払いで、周りは大人しくなる。


「あの私からの提案なのですけど」私は言う。

「どうぞ」大和館長は促した。

「こちらは通いの弟子なり、生徒さんはいらっしゃいますか」

「はい。運動として小学生の子供と、健康太極拳のご老人たちが週に一二度、通いのお弟子さんも居ます。ただ本格的な功夫の修行しているのは、住み込みの弟子達だけです」大和館長は答えてくれた。


「あの~!ちなみにボクササイズってご存知ですか?」私は聞いた。

「う~ん」大和館長は知らない様だ。

「大和さん!」田中師範が声を掛ける。


大和館長は振り向いた。

「女の子がボクシングジムで、実戦形式ではなく基本的なトレーニングとリズムに合わせてパンチを出したりする練習です。そのまま女子ボクサーになる子もいますが、実際はある意味エクササイズの延長です」田中師範は説明した。

「なる程、打ち合わないボクシングですね」大和館長は得心が行った様だ。


「そうそう!私も興味はありましたが、手と足が同時に出てしまう性格なので、自分には向いていないと思ったのです。それに直ぐにあざとか出来てしまう体質なので、キックボクシングも駄目です。因みに功夫は、実戦的に打ち合ったりとかありませんか」私は熱心に聞いた。


「いいえ、実戦形式で闘うのは、ある程度基礎が出来上がって、なおかつ防御が出来るようになってからです。誰かと闘うのを目標にするのではなく、自身の鍛錬を目的にしているのが功夫です」大和館長は断言した。

「そうでしたら弟は距離的に無理なので、私を入門させて下さい。日曜日だけですが、宜しくお願いします」私は頭を下げた。


「えーとっ!」大和館長は言葉を探している。

「姉ちゃん。何で自分が入る話になってんの。姉ちゃんが近くの駅まで迎えに来てくれれば、俺だって週一は何とかするし、学生の方が長期の休みだってあるしさ」京佑は私に言う。

「残念でした。私はトレーニングも兼ねて自転車で来ることにしたから、迎えには行けません」そろそろ仲の良い姉弟には珍しく、子供の口喧嘩の様相を呈してきた。


「私の体験では、距離のある大学と功夫の両立は本当に苦労しました。ですから京佑君は長期の休みの時だけ、入門を許可しましょう。そして穣さん。二人の話を総合すると、車を運転して来たのは貴女の方でしたか。それで、ここまで来るのにどの位時間が掛かりましたか」大和館長は優しく尋ねてきた。


「凡そ三十分です」私は答える。

「高速に乗ってですか?」

「いいえ、下の道だけです」さらに答えた。


「分かりました。車で三十分と言う事は、距離にして二十五キロ強です。自転車だと、男で二時間ほどの距離です。本気で自転車で来ると言うのなら、来週の日曜日から道場に通ってください。お話は以上です。後は師範たちから幾つかの型を教わって、来週くるまでに覚えておいてください」大和館長は其処まで言うと、師範たちに向き直って

「京佑君には本多と渡邊が鷹爪拳と虎拳の構えと前後の動きを教える様に」と言い残して稽古場から出ていった。


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