第五話 究極庄内地方破壊兵器・イモニカイザー、心の芋煮鍋!
「怪人が出るぅ?」
昼休みの教室にシンイチの素っ頓狂な声が響いた。しかし諸井マルオはいたって真面目な顔で、ふっくら肥えた身体をゆすりながら何度もうなずいた。
「怪人って……クモ男とか、ハエ男とか?」
「わ、わかんないけどっ、とにかくすごくでかくて、めちゃくちゃ力が強いんだよ! ボクの家に来ては大暴れして帰っていくんだ、それも何度も!」
「太りすぎてとうとう幻覚まで見始めたんじゃねーか、マルぅ?」
「ザツ、やめなよそういうこと言うの」
シンイチがたしなめると、ザツと呼ばれた少年――財津ジンは、挑戦的な笑みを返した。ワックスで固めた髪と同じぐらいとがった糸切り歯が見えた。
「じゃあシンイチは信じてんのかよマルの話をよぉ」
「いや、それは何とも言えないけど……」
「ほ――本当なんだってばぁ! ぼ、ボクは何回も見てるんだからな!」
目に涙をいっぱい溜めながらマルが詰め寄った。「わかったわかった、じゃあこうしようぜ」ザツが勢いよく膝を打った。
「退治してやろうぜ、オレたちでその怪人ってやつをよ! 最近退屈してたとこだし、ちょうどいいぜ。そうと決まりゃ放課後マルんちに集合な!」
「ちょ、ちょっと待ちなよ、そんな勝手に決めて!」
「なんだよお前だって見たいだろ、怪人。……あ、さてはテメー怖いんだな?」
「怖いとかじゃなくて、もうちょっとちゃんと調べてからにしようよ。それに本当に怪人が出るなら僕らだけじゃ危ないし、もっと人を集めたり準備をすべきだ、そうじゃないなら僕は行かないぞ、行かないからね!」
*
「――まあ、結局こうなるんだね」
諸井家の庭でシンイチは一人嘆息した。
「シンイチくん、ご、ごめんね……僕のために」
「マルが謝ることないよ。困ってるのを何とかしたいっていう気持ちは僕も同じだしさ」
「し、シンイチくん……!」
「それによく考えたら僕だけは危険な目に遭ってもその辺のヒーローが助けてくれるからね」
「あ、それ言っちゃうんだ……」
「おーいマルぅ、言われたとおり鍋もってきたぜー!」
ザツが大柄な鍋を振り回しながらやってきた。
「あ、ありがとう。そこのカセットコンロの上に置いてくれればいいから。あとはボクが、怪人をおびき寄せる準備をするから……」
「怪人をおびき寄せるって、この鍋で? どうやって?」
「芋煮を作るんだよ」
「いも……煮? ってなに?」
「あ、えっと、芋煮ってのは――」
「はー!? 芋煮だとぉ?」
説明しようとするマルを、ザツが遮った。
「マルぅ、テメー、オレたちをからかってんじゃねえだろーなぁ? そんなサトイモやジャガイモを中心として、白菜・油揚げ・大根・ネギ・にんじん・キノコや豆腐など様々な具材を投入し味噌で味付けして作られる鍋料理なんか作ってどーしよーってんだよ!」
「あ、それを芋煮っていうんだ」
「怪人は、いつもボクんちで芋煮会をやってるときに来るんだよ」
「……えっと、芋煮会って?」
「かぁー! やっぱ信じて損したぜ! そんな古くは江戸時代の収穫祭に端を発し、現代においては家族や友人と親睦を深める秋の風物詩として、青森県を除く東北地方で広く行われる行事なんかで怪人が来るわけねーだろ、なあ! どう思うよシンイチぃ?」
「ザツ、君実はめちゃくちゃいいやつだろ」
「――よし、芋煮の準備ができたよ。みんな、か、隠れて!」
シンイチとザツは言われるがまま家の中に引っ込んだ。物陰に隠れて庭の様子をうかがうその視線の先で、ぽつんと置かれた芋煮鍋がことことと小さな音を立てた。
固唾を飲み、煮えていく鍋を見守ること十数分。
――しかし、何者かが現れる気配はなかった。
「……まだかよ、怪人は」痺れを切らしたザツが苛立った声を上げた。
「も、もう少しだよ。芋に火が通った頃に、怪人は来るんだ」
「いつ芋に火が通るんだよ」
「ぼ、ボクに聞かないでよ。そもそもザツが、火の通りやすいキタアカリ品種の男爵イモをもってこないから……」
「オレのせいかよ! お前こそちゃんと隠し包丁入れたのかよ!」
「入れたよ、ザツだって見てたろ!?」
「じゃあ煮る前にレンジでチンは? したのかよ? してねーだろバーカバーカ!」
「レンジ使うと芋の風味が壊れちゃうだろ!」
「なんだとぉ!」「なんだよ!」
「二人とも主婦の知恵で喧嘩すんのやめなよ」
ザツとマルが互いの襟首を掴んだ瞬間、ずん、という音と共に地響きが三人を襲った。全員が、車の前に飛び出した猫のように目を見開いた格好のまま固まった。
「なんだ今の音、地震……?」「なんか、ゆっくりこっちに近づいてくるような――うわぁ!?」
強烈な破砕音が突如四人の耳朶を打った。次の瞬間、庭と道路を隔てる石垣が、ウエハースのように砕かれているのが見えた。
「か、怪人」マルが引きつった声を上げた。砕かれた石垣の向こう、天を衝くような大巨人が芋煮鍋を見下ろしていた。
「出た――――――――――――!」
悲鳴が幾重にもかさなった。ザツとマルは我先にと家の奥へ逃げ隠れた。「シンイチ、何やってんだ見つかるぞ!」ザツが必死な形相で呼ぶが、シンイチは呆然と庭に立つ怪人を眺めた。
「カイザー……」
「え?」
「あれは、究極庄内地方破壊兵器・イモニカイザーだ!」
*
「イモニカイザー……? なんだそりゃ?」
「プロフェッサー・マッドっていう科学者が作ったロボットだよ。確か、カイザーもわかば町公認ヒーローに登録されてたはずだけど……」
「公認ヒーローがなんで芋煮会を襲うんだよ!」
「し、知らないよ。とにかく少し様子を見よう」
カイザーはしばらく庭をキョロキョロと見回していたが、誰もいないことを認めると鍋の近くにどっかと腰を下ろした。昭和のブリキロボットを彷彿とさせるフォルムのせいで、芋煮鍋の横に巨大な寸胴鍋が並んでるようにしか見えなかった。
「座ったぞアイツ!」「座ったね」「うん」
座ったまま鍋蓋をあけ、中を確かめるカイザー。おもむろにおたまを取り出し、芋煮鍋をひとすくいするとそのまますすった。
「食ったぞアイツ!」「ぼ、ボクの芋煮鍋だぞ!」「静かに」
カイザーは首をかしげた。
「ピンと来てねーぞアイツ!」「ボクの味付けに不満があるってのか!」「静かに」
カイザーの胸元が開き、中から多種多様な調味料と計量さじが出てきた。彼は慎重に味を確認しながら、鍋に調味料を加えていく。
「味をととのえだしたぞアイツ!」「せっかくボクが味噌で味付けした鍋に醤油をあんなに入れるなんて! いや待てよ……醤油と味噌をブレンドした味を好むのは福島県会津地方か山形県最上地方の出身者だ……つまりあのロボの出身地はこの二つのどちらかに絞られるということだ! この推理どう思うシンイチくん!?」「ありがとう。現場は大混乱だよ」
再び芋煮を一口すすったカイザーは、うん、とうなずくと鍋を持ち立ち上がった。
「おい、どっか行くぞアイツ! 追うぞ!」「ボクの芋煮鍋をそう何度も持ち去れると思うなよ!」「え、ちょ、ちょっとまってよ二人とも!」
庭から出たカイザーは、胸の収納部分に芋煮鍋をしまうとその場にしゃがみこんだ。突如カイザーの背部から勢いよく蒸気が吹き出た。丸太のようだった足は、滑らかな車輪へと変わり、下腹部は複雑な機構を備えたエンジンへと変形した。
「まずい、なんかアイツ急に変形し出したぞ!」
「ど、どうしよう、車とかになられたら追いつけないよ!」
三人がまごついている間にカイザーの変形は完了し、その下半身は複数のギアと二つの車輪を備えたものへと変貌を遂げた。ギアに繋がれたペダルがゆっくり回転を始める。充分なトルクを得た車輪はゆっくりと、だが力強く動き出した!
【迅速移動形態】
イモニカイザーに備わった変形機構の一つだ。強靱なボディと強烈な膂力を誇るも、スピードにおいては並以下のカイザーだが、アクセル・フォーム時は通常の三倍の速度で移動することが可能になるぞ!
――チリンチリーン。
「チャリだぞ」「チャリだね」「チャリ」
カイザーは自転車へと変貌した半身をキコキコと動かしながら町を疾走した!
――キキーッ。
向かいから他の自転車が来たときは止まって道を譲った!
――キキーッ。チリンチリーン。
横断歩道のない交差点でも止まり、左右確認してからベルを鳴らして渡った!
――キーッ。「どうもすいませ~ん」 チリーン。
向かいからベビーカーが来たときも止まって道を譲った!
――キキッ。にゃーん。カシャッ。
塀の上に猫がいると止まって写メを撮った!
「――クッソおっせえええええええ!」
遅々として進まないチャリカイザーにザツが苛立ちを爆発させた。
「なんであんな遅っせえんだよアイツは! 逃げる気あんのかよ!」
「ザツ、落ち着いて、カイザーに気づかれるよ!」
「落ち着いてられっかよこれが! 十分以上経つのにまだ百メートルも進んでねーんだぞ! オレ一回家帰ってメシ食ってきていい!?」
「ダメだよ! 目を離した隙に超スピードで逃げるつもりかもしれない!」
「そうだよ、それにゆっくり移動した方が芋煮がこぼれないだろ!」
「そんな超スピードで動けるんならさっさとやれよ! あーほら、また止まった!」
またしても停車したカイザーに、主婦が会釈をした。
「あらカイザーちゃん、こんにちは」
「コン・ニチワ 奥=サン」
「今日はひとりでお出かけ?」
「ハイ ケレド モウ家ニ帰ルトコロ デス」
「あら、そうなの。あ、そうだ、ねえちょっと聞いてよ。こないだうちの娘が好きな人ができたとか言ってね――……」
「ソレハ大変デスネ。デモ 娘=サン グライノ 年頃ナラ――……」
「話し込むなやああああああ!」
「ザツ! 声がでかいって!」
「うるせえ! どこの世界に逃げながら世間話に花咲かす泥棒がいるんだよ! もう我慢できねえ、オレの荷物だけここ置いとくから、なんか動きあったらメールちょうだい!」
「ダメだよ! コミケの徹夜組じゃないんだから!」
「それに止まってくれてた方が芋に味が染みるし、煮崩れだっておこさないだろ!」
「さっきからマルのその芋煮視点の主張なんなの?」
「――よぉ、なーにコソコソやってんだガキども」
突然浴びせられた品のない声に、三人は一斉に振り向いた。うす汚いジーンズにテカテカのスカジャンを着た短髪の男が後ろに立っていた。
「お前は……こないだマリーのバイクに轢かれたチンピラ! よく生きてたね!」
「テメェ、マジで死ぬかと思ったんだぜ俺ぁ! 轢かれて吹っ飛んだ先になんか赤いゼリーみたいなクッションがあったから無事だったけどよぉ! この落とし前どうつけてくれんだ、おォ!?」
「ふざけるな、あれはただの事故だろ! なんていうか……事故だろ!」
「うるせえ! 今日という今日は許さねえけど、テメェに手を出したらまたろくなことにならなさそうだから、代わりにこのデブを殴ってやる!」
「ひ、ひぃぃ、やめてよぉ!」
「恨むんならテメェの友だちを恨むんだな! 行くぞ! グーだ、グーで殴るぞ! 俺のグーが今にもお前に衝突するぞ! 今にも、今に……あれ。動かねえ、腕が」
「――ヤメ・ナサイ」
振り上げたチンピラの腕をカイザーが掴んでいた。「な、なんだこのデカブツ――」言い終わるのを待たずに、チンピラを持ち上げ、そのまま力任せに放り投げた。声にならない悲鳴と共に放物線を描いて、チンピラは視界から消え失せた。
「ダイジョウブ カ シン・イチ」
「か、カイザー……君は」
「へ、へへっ、テメェの方から来るとは良い度胸だな! ここで会った百年目、うおおおお観念しやがれ泥棒がああああああ!」
絶叫しながらザツがカイザーに飛びかかった、が、鋼鉄のボディに弾かれあっさりと地面を転がった。
「クッソ固てえし痛えええええ!」
「シン・イチ、コノ子ハ?」
「カイザー、話を聞いてくれ。僕らは君が――」
「ボクんちの芋煮をいつも奪ってくのはお前だろ、この芋煮泥棒!」
「芋煮・ドロボウ……」
「そうだ、僕らは見てたんだよ。君がマルの家から芋煮をもって出て行くのを、だから――」
「うおおおおお隙ありいいいいいいい!」跳び蹴りを放つも、やはり弾かれたのはザツだった。「クッソ固てえええ痛てええええ!」
「見テイタ ノカ」
「教えてくれカイザー、どうして芋煮を奪うんだ!」
「どんな理由があろうと、サトイモが少しでも煮崩れていたらボクは許さないからな!」
「うおおおおおお今だああああああ!」ザツは弾かれた。「固さと痛さああああああ!」
「ワタシ ガ 芋煮ヲ 奪ウ理由ハ……」
「やっぱり、何か理由があるんだね!?」
「その前にサトイモと油揚げだけでも解放しろ! 代わりにボクを煮込め!」
「うおおおお喰らえええええ!」弾かれた。「喰らったあああああああ!」
「うるせえなー君ら!」
「――こらカイザー、こんなところでなにしとるんじゃ」
シンイチたちの後ろから、黄ばんだ白衣に身を包んだ白髪の老人が現れた。
「ア マッド博士 実ハ ソノ」
「お前が帰ってこんからワシは腹が減って死にそうじゃわい。今日の鍋の具はなんじゃ? サトイモか? ジャガイモか? できればネギとかも入っとるとうれしいんじゃがのう……おや?」
プロフェッサー・マッドはシンイチたちに気づいた。
「なんじゃ、シンイチもおったのか。その子らは友だちか? ちょうどいい、今からワシとカイザーで芋煮を食べるところなんじゃが、良かったら君らも……あれ。なんじゃ。なんかすっごい睨んどるけど。あ、こわい。ワシ結構長生きしとるけど、小学生にこんな殺意向けられたの初めて、なになに、えっと、あ、えっ――」
*
「――なるほど、プロフェッサー・マッドが食料調達のために、カイザーを利用していたと」
「それでマルんちの鍋が狙われたってことか、ろくでもねージジイだな」
「す、すまぬ……」
「すまんじゃないよ! だいたいなんでボクんちの芋煮会ばっかり邪魔されなきゃいけないんだ!」
「ワタシ ハ 芋煮会ヲ妨害シ 芋煮鍋ヲ奪ウヨウ プログラム サレテイル」
「……なんで?」
「イモニカイザーはの、ワシがまだ悪の秘密結社に所属しとった頃に、山形県最上地方支部から、山形県庄内地方を攻撃するように依頼されたことがあって……その時に作った破壊兵器なんじゃ」
「なんだそのニッチな依頼」
「芋煮会妨害プログラムも、庄内地方出身者の士気を削ぐために組んだんじゃが……組織を抜けたあとでも、カイザーは芋煮鍋を持ってきてくれるから……食費が浮かせるって思っちゃって……」
「思っちゃってじゃないよ、わかってるならそのプログラム消しなよマッド」
シンイチがそう言うと、マッドは困ったように眉間に皺をよせた。
「それが、そう簡単にもいかないんじゃ。芋煮会妨害プログラムはカイザーの本能に組み込まれとるから……これを消すには、カイザーのメモリをリセットせねばならん」
「えっ、それってつまり、カイザーの記憶が全部消えちゃうってこと?」
「ワタシナラ 構イマセン。コノ プログラム ノ セイデ 悲シム人ガ イルノハ ヨクナイ」
「じゃが、今までお前を慕ってくれた人の記憶も、全て消滅するんじゃぞ?」
「……構イマセン」
「それだけじゃない、ワシとの記憶も消えるし、家賃引き落とし口座の暗証番号とか、確定申告の手続きとか、あとゴミの回収日とかも消えるんじゃぞ。あとアプリ入れ直すのも面倒なんじゃぞ!?」
「後半テメーの都合じゃねーかジジイ」
「でもカイザーの思い出が消えちゃうのは良くないよ……何か良い案ないかな」
「あ、じゃ、じゃあこうしようよ」
マルが何か思いついたように柏手を打った。
「カイザーもマッドも、うちで一緒に芋煮会をすればいいんだよ!」
「ワシとカイザーが、君の……? 確かにそれならプログラムを書き換える必要はないが、じゃが、いいのか? ワシは今まで散々君の芋煮会を邪魔したんじゃぞ……?」
「確かにそれは許されることじゃない、でも、それ以上に、芋煮会は誰かを悲しませるためのものじゃない。皆の親睦を深めるためのものなんだ! それをわかってくれるなら、ボクは歓迎するよ!」
「マル……」
「たまには良いこというじゃねーか、デブ」
「マルくん……すまない、ワシは、ワシは今までなんてことを……」
マッドはその場に泣き崩れ、何度も何度もこれまでの無礼をマルに詫びた。
そんなマッドを見つめるカイザーも、表情こそ変わらなかったものの、確かに感じていたものがあった。その胸に去来する得体のしれない温もり――鉄と油を両親に持つ彼が、そのどちらからも学ばなかった、儚くて微かで、けれど確かにそこにある柔らかな光を。
「――シン・イチ」
カイザーは何かを探すように、自身の胸に手を当てた。
「コノ胸ニ アル 優シクテ 愛オシイ 温モリ……コレガ 人間ノモツ 心 トイウモノ ナノカ……?」
きっとカイザーは答えに既に辿り着いていた。その胸に宿る、不安定で誰かに聞かなければ存在すらも危うい温もりこそは――まぎれもなく、心だった。
シンイチは少し考えたあと、ゆっくり微笑んで言った。
「芋煮だと思うよ」
芋煮だった。