第三話 血風香るブラッディ・マリー、いい女だぜ!
「うわっ!」
我先にと下校する生徒たちの中で、シンイチはひとり素っ頓狂な声をあげた。ふいに首筋に感じたひやりとした感触。それが何かを確認するより早く、ぽつりまたぽつりとアスファルトに水玉が広がっていく。
「あ、雨……? まいったな、傘なんて持ってきてないよ!」
シンイチは恨めしげに分厚く重なった雨雲を見上げた。そんな彼をあざ笑うかのように眉間にひとつ雨粒が落ちた。「つめたっ!」シンイチは肩をすくめた。
――ええい、もう走って帰っちゃおうかな。
半ば自暴自棄にそう呟いた、その瞬間!
「ウフフ……こんにちは……シンイチくん……」
「えっ、君は……マリー、ブラッディ・マリー!?」
和装の喪服に身を包んだ妖艶な女性が、シンイチの前に立っていた。
「こんなところで、待ちぼうけ……? それとも……傘が、ないのかしら……?」
マリーはそういって、手に持った深紅の傘をくるりと回してみせた。
「そうなんだよ、雨降るなんて天気予報で言ってなかったのに、ちぇ」
「ウフフ……も、もしよかったら……私の傘で……相合い傘……する?」
「えっ、いいの!? ありがとうマリー!」
シンイチは無邪気に傘に飛び込んだ。マリーは少し驚いたように身を仰け反らせた。
「助かったよマリー。みんな薄情なんだ、傘もってるなら入れてくれてもいいのに!」
「そ……そうね、ウフフ……じ、じゃあ、帰りましょう……」
二人が正門を超えたところで、周りにいたクラスメイトがざわつきだした。
「見て、あの人すっごい綺麗!」「わ、モデルみたい」「隣にいるの、シンイチじゃねーか?」「もしかして、カノジョ?」「バーカ! んなわけねーだろ!」
「すごいや、みんなマリーのこと褒めてるよ!」
「ウフフ……ウフ、ウフフ……」
しかし羨望の眼差しは次第に怯懦の色を帯び、憧れを含んだため息は、恐怖に引きつる悲鳴へと変貌していった。
「ひっ、な、何あれ……」「化け物、化け物だ!」「助けて、お化けだよお!」「シンイチ離れろ! となりのその化け物から離れろ!」「顔、顔が!」
「化け物? みんな何言ってんだ、さっきまであんなに褒めてたのに。ねえ、マリー……おわーーーーーーーー!?」
シンイチは絶叫した。マリーの眼光は赤く染まり、綿雪のようだった顔は幾条にも血が流れ、滴っていた!
「マリー! 顔、顔どうしたの! 血! 血が凄いよ! 流血であみだくじできるみたいになってますけど!」
「ウフフ……気にしないで……私汗っかきだから……」
【ミダスの紅き手】
ブラッディ・マリーは肌に触れた液体を全て自分の血液にし、意のままに操ることができる超能力を持つ! 触れたものが液体であれば、全て自分の血液になってしまうのだ! そう、たとえそれが自分の汗であっても!
「顔汗でそんなことになるんだ。まあ、どこか怪我してるんじゃないならいいけど……」
「やーいシンイチ! お前のカノジョ化け物だったんだな、やーい!」
「おいやめろよ! マリーは流血してないときは、すっごい可愛いんだからな! そんなこと言うなよ!」
「ウフフ……かわいいだなんて……カノジョだなんてそんな……ウフフフフ……」
滝のような音を立てて、シンイチの足下に血溜まりが広がった。
「マリーー!? 血の勢いがすごい! 増水時のダムみたい!」
「ウフフ……汗よ……汗……」
「いや顔汗だとしてもそんな風には出なくない!?」
「やーい! お前のカノジョ、血まみれ増水時のダム女~!」
「やめろよ! 今起きてることを並べただけのあだ名でマリーを侮辱するのはやめろ!」
「シンイチくん……ごめんなさい……私といると……あなたまで悪く言われてしまう……!」
「あっ、マリー、待ってよどこ行くの!」
突如傘を投げ出したマリーは、降りしきる雨の中、点々と血の跡を残しながら走り去ってしまった。
「マリーが行っちゃった……みんなが化け物なんて言うからだよ……」
「――あら、シンくんじゃない。どしたのこんなとこで?」
背後からのその声に、シンイチは反射的に姿勢を正した。
「ゆ、ゆ、ゆうこちゃん!」
髪をポニーテールに束ねた少女が後ろに立っていた。シンイチが想いを寄せるクラスメイトで幼なじみの牛尾ゆうこだ。
「ゆうこちゃん! あのっ、今日はそのっ、お日柄もよく!」
「ずぶ濡れで何いってんのよ、はいっ」
ゆうこはマリーが置いていった傘を拾い上げると「帰ろ?」そう言って手招きした。
「か、かえっ、帰ろって、それじゃゆうこちゃんと僕が、あいあいあいあい相合い傘になるんじゃ!」
「実はね、傘忘れちゃったんだ。だから家までいっしょに、ね?」
ゆうこはいたずらっぽく笑って見せた。ポニーテールの先端から雫が落ちた。
シンイチは壊れた人形のように何度も何度もうなずいた。
*
「なん……なの……あの女は……!」
物陰からゆうことシンイチの様子を窺っていたマリーが歯ぎしりする。
「あんなアクシデントさえなければ……私が……彼と相合い傘するはずだったのに……なのに……何よ……あの泥棒猫は……!」
血走った目でゆうこを睨むマリー。瞳に溜まった涙は血涙となって頬を伝った。
「許せない……」マリーは拳を握り立ち上がった。「あなたがどれだけのことをしているか……身をもって教えてやる……ブラッディ・マリーの名にふさわしい悪夢を……あなたに見せてあげるわ……!」
*
「――じゃあこの傘はそのマリーさんて人のものなの?」
「そうなんだ。みんながマリーの悪口いうから、どこかに行っちゃって……あとでちゃんと謝らなくちゃ」
「ふうん。……シンくんは、そのマリーさんのことが好きなの?」
「へぇっ!? 違うよ、そんなんじゃなくてっ、マリーは、他のポイント目当てのヒーローとは違って、やさしいし……ん?」
ふとシンイチは、視界の端が赤く染まっていることに気づいた。「きゃあ! 何これ!?」隣でゆうこが悲鳴をあげた。眼下に広がる水たまりはおろか、傘から滴る雫、さらには降り注ぐ雨そのものまで全て血のような赤に染まっていたのだ!
【ミダスの紅き雨】
血液で作ったホースを蛇口に繋ぎ、そこから文字通り血の雨をあたり一帯にまき散らす技だ! 全く殺傷能力はないが不気味さだけは抜群なので、どうしても花見の席を確保したいときとかに便利だぞ!
(ウフフ……どうかしら、血の雨の味は……! 不気味でしょう……? こわいでしょう……? さあ、恐怖に我を忘れ……シンイチくんを置いて逃げ帰りなさい……!)
「シンくん、こわい!」
悲鳴と共にゆうこがシンイチの胸に飛び込んだ。
「わ、だ、大丈夫だよゆうこちゃん! 僕が絶対守るから、この傘から出ちゃダメだよ! それにしても良い匂いするねゆうこちゃん! だから絶対この傘から出ちゃダメだからね!」
(キィイイイイ! 二人を離れさせるつもりが……よりくっつけてしまった……! まさかクリムゾン・レインを逆手にとるとは……ウフフ……久しぶりに血ごたえのある相手ということね……だったら次の手を出すまでよ……!)
「あ、あれ? 血の雨がやんだわ」
「あっ、やんじゃったね……。にわか血の雨だったのかな」
――本当はもう少し降っててもよかったんだけど、とシンイチが呟いたとき、何者かが二人の前に立ちはだかった。
「――よお、久しぶりだなクソガキ」
品のない声にシンイチは顔をしかめた。男の、薄汚れたジーンズにスカジャンという出で立ちに見覚えがあった。
「お前は……こないだの意識低いチンピラ! まだ懲りてないのか!」
「うるせえ! テメェ俺ぁ、あのあと大変だったんだぜ! あのクソ金色トリ野郎にはめられたせいで、警察に連れてかれた挙げ句、ママまで呼ばれたんだぞクソが!」
「それはお前の自業自得だろ! 疑問は残るけど、一応そういうことで決着しただろ!」
「口答えすんじゃねえ! 今日こそ俺に成功体験させろやガキィ!」
「ちょっとアンタ、シンくんに何すんのよ!」
ゆうこが手に持った縦笛でチンピラを叩いた。
「ゆうこちゃんダメだ、下がって!」
「何しやがんだメスガキィ! テメェから俺の成功体験になぶぎょぇッス!?」
チンピラがゆうこに殴りかかろうとした瞬間、横から猛スピードで突っ込んできた真っ赤なバイクがチンピラを轢き倒した!
【|ミダスの紅き単車《クリムゾン・XJR400》】
「チッ……外した……」
「マリー! 僕らを助けてくれたんだね!」
「えっ? いえ……まあ……その……」
「ゆうこちゃん紹介するよ、この人がさっき言ってたマリーだよ!」
「あっ、あの、初めまして。シンくんの友だちの、牛尾ゆうこと言います」
「そう、よかったわ……あなたはただの……おトモダチなのね……」
その言い方に、ゆうこは柳眉を逆立てた。
「あのっ、失礼ですが、マリーさんはシンくんとどういう関係で!?」
「……ゆうこちゃん?」
「どういう関係って……身体の内側から分泌されるヌルヌルした液体を見せ合う関係だけれども……?」
「身体の内側の、ヌルヌルした……液体ですって!?」
「ゆうこちゃん? 痰とかも当てはまるからね?」
「そういうあなたは……シンイチくんと……どこまでいってるのかしら……?」
「わ、私はシンくんの――シンくんと、お互いの家を行き来する関係です!」
「近所だからね」
「家に……行き来……つまり、家族公認の……性欲処理係ということ……!?」
「マリー? 発想の飛躍距離が世界新だけど大丈夫?」
「さらに、家にはシンくんが下半身を露出させるための個室もあります!」
「下半身露出専用個室……ですって!?」
「トイレのことそんなふうに言う人初めて見たよ」
シンイチの指摘むなしく、マリーは立ちくらみを起こしてその場に崩れ落ちた。
「まさか……そこまで二人が進んでいたなんて……」
「当然です! 私とシンくんは強い絆で結ばれてるんですから!」
「そう……絆、ね……ウフフ……だったらその絆とやら……証明してごらんなさいな!」
言うなりマリーは胸元を大きくはだけた。「わ、何やってんのマリー!」マリーの胸元に落ちた雨粒が見る見るうちに紅く染まり、巨大な血柱となって立ち上った!
「うわっ、血が、こっちに降ってくる――!?」
天にのぼった血柱は巨大な津波となってシンイチとゆうこを呑み込んだ。血液の奔流は渦を巻いて、ゆうことシンイチをめちゃくちゃに引っかき回した。
「――ぷぁっ、げほっ、げほっ! ゆ、ゆうこちゃん大丈夫!?」
「わ、私は大丈夫!」「私も大丈夫だよ、シンくん!」
「……へ?」
血液津波からようやく顔を出したシンイチはゆうこを見て絶句した。
「なんで、え、なんで、ゆうこちゃんが……二人!?」
【ミダスの紅き贋作】
自分の血で呑み込んだものを複製する能力だ! 血の量さえ足りてれば素材を問わず複製することができる、ちょっと引くほどスゴイ能力だぞ!
「ウフフ……片方は……私の血によって作られたレプリカよ……さあ……どれが本物のゆうこちゃんか……シンイチくんにわかるかしら……?」
「なんでそんなことを……マリー! ゆうこちゃんを返せ!」
シンイチが詰め寄るも、マリーは不敵な笑みを浮かべたまま身じろぎ一つしない。
「あなたが見事当てることができたら……返してあげるわ……でももし……当てられなかった、その時は……」
「その時は? まさか!?」
「私と相合い傘して帰ってもらうわ……!」
「痛くも痒くもねえなー!」
「「シンくん、私はこっちよ! そっちは偽物よ!」」
ゆうこがシンイチを呼ぶ。しかしシンイチには決められない。二体のゆうこが全く同じ表情、同じ声色で同じセリフを言うからだ。
『さあ……早く当てないと……血が満ちるほど偽物は増えてゆくわ……』
言い終わる間もなく、ゆうこのレプリカは三体、四体、五体と次々増殖した。
「シンくん、私はこっちよ!」「いいえ、こっちよシンくん!」「シンくん」「シンくん!」「シンくん! ――」
次々と増えながらにじり寄る血のレプリカたちに、シンイチは頭を抱えた。
『シンくん、気づいて! そいつらは全部偽物なんだよ!』
ひときわ悲痛なその声に、マリーは押し殺したような笑みを漏らした。
(フフ……無駄よ……本物のあなたの声は……決して届かないのだから……)
『ヒキョウだわ、あなた! こんなの当てられるわけないじゃない!』
(黙って見物なさい……あなたの言う絆が……本物かどうか……彼が果たして……本当のゆうこちゃんに気づくかどうかをね……!)
「――わかったぞ」
決断的にそう言って、シンイチは顔を上げた。
彼は並み居るゆうこの偽物たちには目もくれず、つかつかと、立ったまま不敵な笑みを浮かべるマリーのもとへと歩みよった。
(まさか……)
マリーの脳裏に一抹の不安がよぎった。
「あら……どうしたのかしら……諦めて……私を選ぶことにしたの……?」
「違うよ。これがゆうこちゃんだ」
「何を……言っているの。それは私よ……私の姿をしているでしょう……?」
「違う! 僕にはわかる。あのレプリカたちの中にゆうこちゃんはいない! 本物のゆうこちゃんは、ここだ――!」
そう叫びながらシンイチはマリーの腹部に手を突っ込んだ。
まるでゼリーのようにマリーの姿全体が波打ち、シンイチの手が奥深くへと沈む。「見つけた!」突っ込んだ手を勢いよく引くと、その手に、もう一つ可憐な手が握られていた。瞬間、マリーの姿がどろりと崩れ、中からゆうこが姿を現した!
「げほ、げほっ! シンくん、シンくぅん!」
「そんな……どうして……どうしてわかったの……?」
「マリー、君にゆうこちゃんのことを一つ教えてあげる。ゆうこちゃんは僕を呼ぶとき……『ピンポン』じゃなく『インキン』の発音で呼ぶんだ! 姿形は似せられても、独特のなまりに気づかなかった君の負けだ、マリー!」
「そんな……それが……絆だというの……。ウフフ……終わりね、この勝負……。私は最後まで……あなたを振り向かせることが……できなかったということね……」
「――いや、まだ終わりじゃない」
「し、シンくん? どこ行くの?」
シンイチは再びゆうこレプリカの前に立つと、その中の一体を指さした。
「この中にゆうこちゃんはいない。けど、君がいる。君が――マリーだ」
「えっ……」
ゆうこレプリカの姿がどろりと崩れ、中から泣き腫らした目のマリーが現れた。
「どう……して……?」
「振り向くとか振り向かないとか、そんなの僕にはわからない。けど、マリーが僕のことを見てるとき、僕だってマリーのことを見てるんだよ」
それだけ言って、シンイチはマリーに背を向けた。
「またね、マリー。今度傘を返しに行くよ!」
まるで何事もなかったかのように手を振るシンイチを、マリーは呆然と見送った。
「すべて……すべて気づいていたというの……私に化けたゆうこちゃんだけじゃなく……ゆうこちゃんに化けた私のことまで……。ウフ、ウフフ……シンイチくん……ダメよ……ますます他の子に……渡したくなくなっちゃったじゃない……!」
いつしか雨は止んでいた。晴れ間から除く陽光が、微笑むマリーの白い肌を照らした。
*
「――ごめんね、ゆうこちゃん、巻き込んじゃって」
「ううん。私は大丈夫! それに見つけてくれて嬉しかったし……あ、でもどうしてシンくんは、私の偽物の中にマリーさんがいるってわかったの?」
「気づいたんだ、あの中の一体だけ」
「一体だけ?」
「すげーでかかったから」
「あー」
余談だがマリーの身長は170cm以上ある。