第六話 究極庄内地方破壊兵器・イモニカイザー&ギャンブルマスター・甲斐、刹那に勝機を穿て!
「そぉら、そらそらそら!」
哄笑が響き渡り、同時に巨大な寸胴鍋めいたものが無様に転がった。その震動でメリーゴーランドの馬たちがぴょんと跳ね、その奥で観覧車がかすかに揺れた。
「どーしたどーした、イモニカイザーなんて大層な名前してるから、どんな怪物かと思いきや、とんだでくの坊だねあんた!」
甲高い女の高笑いが四方八方から聞こえた。
――わかば百貨店、その屋上遊園地。
普段は親子連れで賑わうその憩いの場所も、今は屋上を埋め尽くさんばかりに増殖した無数の怪人たちに占拠されていた。そこにかつての面影はなく、観覧車やコーヒーカップだけが、名残り惜しげに動き続けるだけだった。
「イモニ・ハンマー!」
巨大化した鉄槌を怪人に向けて振り下ろす。無残に潰された屍体は、しかし次の瞬間、ぼこぼこと白濁した泡に包まれ、やがてその中から同じ姿の怪人がぬうっと姿を現した。
「無駄だ無駄無駄、無駄だって言ってんでしょうが!」
「マタ 増エタ……コノ能力ハ イッタイ」
「これはこれはご紹介が遅れて申し訳ないねえ、私はウロボロス四天王【十王のエンマ】能力は見ての通り無限増殖! わかったところで諦めな、機械のあんたじゃ百年かかってもどれが本物かなんてわかりゃしないさ!」
エンマの言うとおり、カイザーに搭載されたセンサーは並み居るエンマ・クローンたち全てが本物のように見えていた。
「ダガ・シカシ ワタシ ハ 諦メルワケ ニハ イカナイ。先ホド ノ 話ガ 確カナラバ アナタノ 狙イハ シン・イチ……ワタシハ 彼ヲ 守ラネバ ナラナイ!」
「彼を守る、ねえ」エンマはふん、と鼻を鳴らした。「芋煮の鍋を必死に抱えてるやつのセリフじゃないね」
「ア イヤ・コレハ」
「芋煮作れば簡単におびき寄せられるって聞いたからやってみたけど、まさか本当だったとはね。あんたを作った人間は相当な変人だわ……まあいいや、芋煮抱えてしばらくおとなしくしてな、カイザー!」
カイザーの周りを囲むクローン達が、一斉に構えた。
「――六時の方向から二匹、四時の方向から三匹、十二時の方から一匹だ。カイザー」
クローンが今まさに飛びかからんとする直前、男の声が聞こえた。
それが誰の声か判断する間もなく、男の予言通り正面から一匹の怪人が飛びかかった。「イモニウム・レーザー!」正面の怪人を熱光線で焼き、続いて後方から飛びかかる三匹をソバットでなぎ払い、さらにそのままの勢いで右方から迫る怪人三匹を叩きつぶした。
「苦戦してるみたいだなカイザー、よかったら手を貸すぜ?」
「カ――甲斐・サン!」
黒いスリーピース・スーツに赤いドクロのネクタイという出で立ちの男が、メリーゴーラウンドの馬に乗って姿を現した。
「……何者だい、あんた。なんで私たちの動きがわかったんだ」
エンマが甲斐に向かってハサミを振り上げた。
「俺はギャンブルマスター・甲斐。この町を守る、しがないヒーローの一人さ」
「あんたがヒーロー……? 冗談も休み休み言うんだね!」
「冗談じゃないさ、証拠になぜあんたらの動きがわかったか教えてやろう。まずあんたの攻撃のパターンから言うと――……」
馬が視界から消えた。一周してまた甲斐が姿を現した。
「……――つまり、正面から飛びかかるのは囮。そして背後からも――……」
馬が視界から消えた。一周してまた出てきた。
「……――カイザーは鍋を庇っているから鍋とは逆方向が死角に――……」
馬が消えた。出てきた。
「……――ってことだ。簡単だろ?」
「降りろや」
甲斐はやれやれといった風に肩を竦め、馬から飛び降りカイザーに歩み寄った。
「甲斐・サン ドウシテ ココニ?」
「芋煮の匂いと、ギャンブルの匂いに誘われて、かな」
「ギャ ギャンブル?」
「当たりは一個だけで後は全部外れクジ、しかも外れを引けば引くほど当たりにくくなるって仕組みか。なかなか面白いギャンブルじゃねえか――おい、カニ野郎!」
甲斐はまわりのクローンに向かって叫んだ。
「俺はギャンブルマスター・甲斐! この博打に乗らせてもらうぜ、嫌とはいわんだろうな! 多勢に無勢だ、今さらヒーロー一人増えたところで痛くも痒くもねえだろ!」
「フン、上等だよ、かかってきな!」
エンマ・クローンたちが一斉に甲斐に向かって構えた。
「甲斐・サン」甲斐を庇うようにカイザーが立ちはだかった。「ワタシ ニ 乗ッテクダサイ」
カイザーの胸部が開き、中からコクピットのようなものが現れた。
クローンが飛びかかるより先に、甲斐はその身をカイザーの中に滑り込ませた。
「ほ、こりゃすげえ」
カイザーの内部には、周囲三六○度全てが見渡せるパノラマモニタが搭載され、さらには敵位置を俯瞰できるレーダーに、カイザーの搭載装備全てを直感的に操作できるパネルまで用意されていた。そのレトロフューチャーな見た目とは裏腹に、その内部は先端科学の塊で出来ていた。
「ひとりでに動いてるもんだと思ってたが、随分親切な作りじゃねえか」
「博士ガ 腰ヲ 痛メタトキ タマニ 乗セテマス」
「結構地味なもんに悩まされてんだなあの爺さん」
「ソレヨリ 指示ヲ クダサイ 奴ラ 襲ッテキマス」
「オーケー、だったらまず、俺たちのやることは――」
カイザーは飛びかかるエンマ・クローンの一人を空中で鷲づかみにし、そのまま羽交い締めにした。
「甲斐・サン 言ワレタ 通リ 捕獲 シマシタ」
「良い子だ。そのまま逃がすなよ」
「な――何の真似だい。人質でも取ったつもりかい? 残念だったね、この私も偽物だよ! おい、お前たち、私もろともコイツらを押し潰してしまいな!」
「まあ落ち着きなよエンマさん、ちょいとあんたに頼み事があってさ」
カイザーの外部スピーカーを通じて甲斐が語りかけた。
「た――頼み事ぉ? フン、命乞いなら聞かないよ!」
「そんなんじゃねえさ。頼みってのは――エンマさん、俺とデートしてくれないか?」
屋上にいるクローン全員の視線が一斉にカイザーへ注がれた。
「ばっ――馬鹿っ、な、な、何考えてんだい、あんたと私は敵同士なんだよ!」
「それはそうだけどよ、あんたの目的は時間稼ぎなんだろ? 見ての通りカイザーはでくの坊だし、俺もさっきはでかい口聞いたけど、こんな大量のクローンの中から本物を探すなんてぶっちゃけ無理だぜ。どうせ時間潰すなら、楽しい方がいいだろ?」
『甲斐・サン! 本気デ 言ッテルン デスカ』内部スピーカーでカイザーが心配そうに言う。甲斐は、大丈夫だと言わんばかりにスピーカーを小突いた。
「だ、だからって、こんなおばさんつかまえて、それに、私には……子ども、子どもだっているし……」
「おいおい考えすぎだ、ただの暇つぶしさこんなのは。それとも何かい、こんな年下のガキにイカれちまうほど恋愛経験が浅いのか?」
「ば――馬鹿にするんじゃないよ、フン! いいわ、そこまで言うなら付き合ってあげる、そのガキのたわ言にね! ――……」
*
「――だからね、男なんて本当ろくでもないやつばっかりなんだよ!」
「うん、うん。わかるよ」
「私の前の旦那だってそう! 結婚するまではお前しかいないとかいってたくせに、結婚した後になって、好きな人ができたから別れよう、とかぬかしやがって! 私に残ったのはアイツとのろくでもない思い出と、借金と、四人の子ども達だけだよ!」
エンマは何かを吹っ切るようにコーヒーカップのハンドルをぐるぐる回した。
カイザーを監視するクローン、戦闘で崩れたオブジェを直すクローン、掃除するクローンなど、様々な景色が甲斐の視界を流れた。
「男なんて、男なんて、男なんてええ!」
「回ルノ 楽シイ」
「そうだね、心底呆れるよ。その見る目のなさにさ」
「フン、男を見る目がないのは自分でも承知してるよ、大きなお世話さ!」
「そうじゃない。こんな魅力的な女性を捨てる、その男の目の節穴さに呆れてるのさ」
「えっ……」
二人はコーヒーカップの中でしばし目を合わせた。
「ばっ、馬鹿、何言ってんだい、ガキのくせに!」
顔を真っ赤にゆであがらせて、エンマはまたハンドルをぐるぐる回した。
「楽シイ」
*
「ほら、エンマさん覗いてごらん。東京タワーが見えるよ」
そう言って望遠鏡をこんこんと小突き、エンマを手招きした。
「あら本当だ。……そういえば、あのてっぺんでプロポーズされたんだったね。もう昔のこと過ぎて、いつだったか忘れちまったけどさ」
「東京タワー ノ 完工日ハ 一九五八年十二月 デスノデ 少ナクトモ ソレ以降デハ ナイデショウカ?」
「最近は遊びに出かけたりもしてないのかい?」
「子どもを保育園に送って、そのままパートに出て……子どもを迎えに行ってご飯作って、休日は掃除や洗濯で出かける暇なんてありはしないさ」
「サラニ 東京タワー ガ デートスポット トシテ 人気ガ出ルヨウニ ナッタノハ アル漫画デ タワー ノ ライトダウン ヲ バースデーキャンドル ニ 見立テル トイウ エピソード ガ キッカケデス。ソノ漫画 ガ 一九九二年 ニ 連載サレテイル ノデ ソノアタリ デハ ナイデショウカ?」
「でも怪人業を掛け持ちするようになって、収入的には楽になったし、それにこの能力も便利なんだよ、子ども送り迎えやなんかにさ」
「ダメだよ、エンマさん。そんな風に自分をごまかしてたら、いつか折れちまうよ」
「子どものたちのためさ、弱音なんて吐いてられないよ」
「マタ エビングハウス忘却曲線ニ ヨレバ 減衰忘却率ガ 八割ヲ 超エテイルタメ 少ナクトモ 一ヶ月 ハ 記憶ノ再記銘 ガ 行ワレテ イナイモノト 思ワレマス。一九九二年カラ 一ヶ月前……ソノ間 デ 心当タリハ ナイデショウカ?」
「支えてあげたいな」
「――え?」
「ほら、割り箸だって一本だとすぐ折れちゃうけど、二本くっついてたら折れにくいだろ? だから、誰かがエンマさんの隣にいれば……ってね」
「甲斐ちゃん……」
「ナイデショウカ?」
*
「エンマさん、次はあれ乗ろうよ」
甲斐が指したのは、屋上遊園地の目玉である観覧車だった。
「観覧車……でも、そのデカブツじゃあ乗れやしないだろう」
「そうだな、だから俺はカイザーから降りるよ」
「エッ」
「いいのかい? 降りた瞬間、私はあんたを八つ裂きにするかもしれないよ?」
「デートしてる相手を八つ裂きにするような人じゃないさ、エンマさんは」
『――甲斐・サン 甲斐・サン』
内部スピーカーからカイザーが語りかけた。
『サスガニ マズイデス。何ヲ考エテイルカ ワカリマセンガ 危険デス』
「大丈夫だ、心配するな」甲斐はマイクをミュートにし、囁くように続けた。「それよりカイザー、お前に頼みがあるんだ……」
*
カイザーから降りた甲斐は、そのままエンマをエスコートした。他のエンマ・クローンは彼らを見守るように観覧車の周りで待機し、カイザーもその中に混じった。
甲斐は彼らに軽く手を振って、エンマと共に観覧車へ乗り込んだ。
「女性と観覧車なんて久しぶりだな、エンマさんはどう?」
エンマはもじもじしながら、上目に甲斐を見た。心なしかその深紅の甲冑の赤みがさらに増しているようだった。
「私には、あんたがわからないよ。ふらふらした独り身の根無し草だと思ってたのに、妙に物わかりが良かったり、優しかったり。私は敵だっていうのに……」
「嫌かい?」
「嫌とか、そういうんじゃなくて、わからないってだけさ」
「俺はだんだんわかってきたよ。エンマさんは本当は凄く素直で、頭が良くて、やさしい人なんだって」
「そんなこと……」
「欲を言えば、本物のエンマさんに会ってみたかったな。クローンじゃなくてね」
「それはっ」
「でもそんなことはいいんだ。俺の声や、仕草、表情がエンマさん本人に届いてればそれでいい」
「それは大丈夫……今はこの一体に意識を集中させてるから」
「そうか、だったら――」
ずい、と甲斐はエンマに顔を近づけた。エンマは身を仰け反らせた。
「シンイチを、あの子を見逃してやってくれないか。ウロボロスとやらが何故あの子を狙うかは知らないが、あの子がいると俺は――俺たちは凄く困るんだよ」
「だ……だめ、ダメだよ、そんなこと、できない」
「エンマさんも子どもがいるならわかるはずだ、あんな小さい子を狙うなんて大人のすることじゃないってね」
「う、う、うう――」
触れあわんばかりに顔を近づける甲斐に、いやいやと首を振るエンマ。――もう一押しだ、そう甲斐が思った瞬間、
「やっぱりダメーーーーーーー!」
両手のハサミでエンマは甲斐を突き飛ばした。
「ダメ、組織を裏切るなんてできない! 私らにだって家族が、生活ってもんがあるんだ!」
「痛って……へっ、やっぱ無理か……」
エンマは外を見た。甲斐たちの乗ったゴンドラは、ちょうど頂点へさしかかっていた。
「もうすぐ終わりだね……私たちのデートも」
「いーや、違うね」甲斐はきっぱりと言い放った。「俺たちのデートは終わりだ、今、ここ、この場所で!」
そういって思い切りゴンドラの窓を蹴破った。
「カイザー!」甲斐が叫ぶと、クレーンのアームのようなものが窓から差し込まれた。
「なっ――あんた、これはいったい何の真似だい!」
クレーン・アームに捕まり窓から出て行く甲斐を追って、エンマが顔を出す。いつの間にか観覧車の上にカイザーが立っていた。
「あんた――騙したね、私を、弄んだんだね!」
「これは博打だと言ったろ? 騙される方が悪いのさ」
「私にいった言葉も全部ウソだったのか、ねえ!」
「ゴンドラはとっくに十二時を回った、魔法が解ける時間だぜシンデレラ! ――やれ、カイザー!」
「アイ・アイ・サー」
甲斐をコクピットに収納すると、カイザーは両手を天に突き上げた。かざした両手の間に青白い火花が散った。カイザーのボディが徐々に発光を始める。
「――まさか」エンマは気づいた。カイザーのボディから伸びるいくつのも銅線に。そしてその銅線は、地上の遊具に繋がっていることに――。
「――お前たち、お逃げ!」
その言葉が地上のクローンたちに届くよりも速く、一閃、雷鳴が轟いた。
「イモニ・コレダーーーー!」
大驚音と共に、カイザーの両手から放たれた幾条もの稲妻が屋上全体を襲った。側撃雷が観覧車の近くにいるクローン達を一網打尽にし、さらに銅線を伝った莫大な電流が屋上の至る所で爆発を引き起こし、百貨店全体に大停電をもたらした。
「ぎゃああああああ!」
屋上を埋め尽くしていた無数のクローンたちが、突如出現した雷神の鉄槌により、一瞬のうちに灰燼へ帰した。俯瞰レーダーに映る赤点が残らず消滅したことを確認すると、甲斐はカイザーに観覧車から降りるよう命じた。
突如出現した稲妻によって屋上はあちこちが焼け爛れ、至る所から黒煙が噴き出していた。
「――オソラク 生キテル者ハ イナイデショウ 本体モ 含メテ ……シカシ ヨカッタノ デスカ ココマデスル コトハ ナカッタノデハ」
「これが最後の博打だ。俺たちは、ここで勝たなきゃいけなかったんだよ。――行こう、カイザー」
――だ……ま……し……た……な。
死屍累々の屋上遊園地を歩くカイザーだが、もう少しで出口というところで足を止めた。
「カイザー、どうした?」
「イエ 今 ナニカ 声ガ――」
――だましたな……よくも……私を……コケにしてくれたなああ!
「コ コレハ!?」
カイザーが仰天の声を上げた。屋上の外側、百貨店の外壁を伝って、夥しい量の怪人が次々と押し寄せてきた。
「ナゼ! クローン ハ 全テ 焼キ払ッタ ハズ」
「こんなこともあろうかと、下の階に予備を待機をさせておいたんだよ! もう許さないからね、お前たち!」
現れた怪人は分裂を繰り返し、矢継ぎ早に飛びかかった。カイザーが応戦するもそれすら間に合わないほど増殖したクローンに、とうとうカイザーは生き埋めの状態になった。
「どうやらさっきのデートがお気に召さなかったようだね、エンマさん」
「黙れ! よくも、よくもよくもよくもあんな辱めを! 窒息させてやる! カイザーごと押し潰して、酸素を遮断し、そのでくの坊をお前の棺桶にしてやる!」
「甲斐・サン 一瞬ダケ コノ クローン タチ ヲ ハネノケマス ソノアイダ ニ アナタダケデモ 逃ゲテ クダサイ」
「やってみな! しかし、あんたらに逃げ場なんてあると思わないことだね!」
「エンマさんの言うとおりだカイザー。そんなことにエネルギーを使う必要はないし、逃げる必要もない。――最後の博打は通った。この勝負、俺たちの勝ちだ」
「フン、この期に及んでまだそんな強がりを!」
「強がりじゃねえさ。なんなら――今から会いに行ってやるよ。カイザー、潜れ!」
エッ、というカイザーの反応を無視して甲斐は操作パネルのドリル・フォームの項目をタッチした。円錐状に変化したカイザーは、掘削音と共に屋上の床に穴を開け始めた。
「甲斐・サン イッタイ ドコヘ!」
「下へまいりまーすってなもんさ。途中で人にぶつからんよう気をつけろよカイザー!」
巨大ドリルと化したカイザーが、屋上を穿った。
そのままレストラン街を突き抜け、おもちゃ売り場、婦人服売り場、ステーショナリー、紳士服売り場に化粧品売り場と、停電した真っ暗な百貨店の中を文字通り縦断した。
エンマ・クローンが追いつく間もなく床をぶち抜き続けたカイザーが止まったのは――百貨店の地下・食料品売り場だった。
突如現れた巨大なドリルに、フロアは水を打ったように静まり返った。
「――見つけた。カイザー! そこだ、そのエプロンをつけた店員だ!」
同時に、一人の店員がカイザーに背を向け脱兎のごとく駆け出したが、半歩も進まないうちに、伸びたカイザーのアームが彼女を鷲づかみにした。
「は、はなせ、はなしとくれ! 私はただの試食担当だよ、助けて! 誰か助けて、殺されるーー!」
「往生際が悪いぜ、エンマおばさん」
甲斐は空中で足をじたばたさせる店員の顔を覗き込んだ。ひっつめ髪の、気の強そうな女性店員は顔を背けた。
「エンマなんて知らない! 私の名前は園間だ! 人違いじゃないのかい!」
「そうか? それじゃあ、なんであんただけ逃げたんだ?」
「――えっ」
客も店員も、突如現れたカイザーに驚きはしたものの、それで取り乱す者は一人もいなかった。むしろ安堵したような表情を浮かべる者さえいた。
「あんたはご存じないかもしれんが、カイザーはこの町じゃヒーローで人気者なんだ。停電した状況でカイザーが現れたとなれば、助けに来てくれたと思うのが普通だろ? なあ、なんであんたは俺たちを見て真っ先に逃げたんだ?」
「そ、それは、暗かったから、怪物かと思って……」
「暗かった? ほう、あれがか?」
甲斐は親指でカイザーを指さした。一直線にぶち抜かれた天井から差し込む陽光が、カイザーだけをスポットライトのように照らしていた。
「う、うぐ、ぐぐう……なんで、わかったんだい、私がここにいることが……」
「あんたはやけに屋上の状態を気にしてた。崩れたオブジェを直したり、散らかった残骸を掃除したりね。ただの戦場としてここを選んだならそんなこと気にする必要なんてない。だからここで働いている人間じゃないかと思ったのさ」
「それなら屋上で働いてるスタッフかもしれないじゃないか、なのに、なんで地下だと……」
「家族がいるあんたは、間違っても自分の身を危険に晒すようなことはしないと思った。じゃあ、屋上での戦闘被害を一番受けにくいのは? 怪人と掛け持ちで働けるパートタイムの仕事は? まあ色々あるが、極めつけは――」
甲斐は身を乗り出し、エンマの顔を見た。
「あんたが、俺のことを知ってたからだ」
「なっ――」
「あんた言ったな、俺を独り身の根無し草だと思ってたって。そこまで判断する根拠はなんだ? あんた、俺を以前どこかで見てたんじゃないのか?」
「違う、違う、あんたなんか知らない!」
「俺がこの百貨店に来るときは、だいたい屋上で寝ぼけるか、地下で試食品を食い漁るときだ。――聞いたことあるぜ、店員は試食だけしにくる客の顔を覚えるんだってな?」
「うっ――」
「カイザーに電流を流させたのはクローンを倒すためじゃない。停電させてあんたを逃げられなくするためだ」
「ふ、ふふ、全部……バレてたなんてね……ふふ」
甲斐はぱちんと指を鳴らした。カイザーがそっとエンマを降ろした。
エンマはぺたりと尻餅をついたまま、逃げる気力すら失ったようだった。
「一つだけ教えてよ。あんたは……どうしてこの暗闇の中から、私をすぐに見つけられたんだい」
「俺も覚えてたのさ。俺の顔を見て試食を片付ける店員の中で一人だけ、俺にやたらと試食を勧めてくれる、変なおばちゃんのことをな」
「あは、ははは……なによ、最初から……私に勝ち目なんてなかったんじゃないか……あははは!」
「いや、博打だったぜ。カイザーに電流を流させるとき、俺は心からあの屋上にあんたがいないことを祈ったからな」
「フン、ガキが生意気な口を……。さっさと行きな! 私の組織は、シンイチとやらを攫おうとしてる。手遅れになる前に行くんだね!」
「ありがとな、エンマさん。また、柴漬け試食しに来るぜ」
「たまには買いな、貧乏人!」
エンマがしっしと手を振った。甲斐はにぃ、と笑った。
「いくぞ、カイザー」
そう言って甲斐が踵を返した瞬間、絹を裂くような悲鳴が響き渡った。
見ると、客が得体の知れない何者かに襲われている。しかもそれらは、カイザーの空けた穴から無数に侵入してきた。
「なんだ、こいつら――エンマさん、あんた!」
「ち、違う! 私じゃない! そいつらは私のクローンじゃない!」
カイザーが慌てて襲われてる客から、その侵入者を引きはがした。
穴から漏れた陽光が侵入者の姿を照らした。人間だった。人間のように見えた。生気のない青白い顔に、骨と皮だけの身体は、確か人間のそれだったが――その瞳のない真っ暗な眼下は、まるで地獄の亡者そのものだった。
「アァ……ア……アァア……」
声にならない呻きをあげながら、あちこちから亡者が這い出てきた。彼らは影から産まれ、無限にわき出てくるようだった。
「なんだこりゃ……まるで、地獄の門が開いたような……」
甲斐は天井に開いた大穴から空を見上げた。
急激に立ちこめた暗雲が太陽を覆い隠した。




