第一話 チンピラ、暮れゆく肉体の黄昏!
黄昏時を一人の男がよろよろと歩く。
薄汚れたスカジャンに、汚い金髪。額は脂汗に塗れて鈍く光り、目は泣き腫らして赤い。
「くそ、ちくしょう、くそ、ちくしょう」
鼻を啜りながら、それだけを繰り返した。
先刻、ギャンブルマスター・甲斐との勝負に負け、ヒーロー登録申請書に拇印を押されてしまった。あれが提出されればすぐさまヒーロー証が発行される。そうなれば、彼のプロフィールは住民全てに知られることとなり、もしカツアゲなどしようものならすぐさま通報されるだろう。
「くそ、なんで俺がヒーローなんかに! ふざけんな、ふざけんな――!」
ブロック塀を力任せに叩きながら慟哭する。勝負に負けたみじめさが彼を容赦なく苛んだ。今後一生、こんな気持ちを抱えながら、なんの能力もない地味なヒーローとして生きていかねばならない。そんな絶望感に押し潰されそうになった。
――そのとき。
彼の前に一台のタクシーが停まった。
チンピラが訝る間もなく、ゆっくりとドアが開いた。
「なんだよ、乗らねえぞ。俺んちはすぐそこなんだ、クソが」
「――ヒーローに負けたのですか」
運転手は振り向きもせずそう言った。チンピラは目を見開いた。
「テメー、何モンだ。何でそのこと……」
「お乗りなさい。行き先はあなたの家ではありませんが、力を授けましょう」
「力、だと」
「はい。ヒーローに立ち向かえる力です」
名も顔も知らぬ運転手のその言葉は、しかし妙な説得力があった。チンピラは吸い込まれるようにドアに手をかけた。
「……テメェ、いい加減なこと言ってたら承知しねーぞ」
運転手は返事をするかわりに、タクシーは滑るように発進させた。
「で、どこ連れてくつもりなんだよ。まさかトレーニングジムとか言うんじゃ……ぷぉっ!?」
突如座席の後ろからガスのようなものが噴出された。
「テメ、なんだこれ! くそ、この野郎やっぱなんか企んでやがったな! 降ろせ! から、からだが、いうことを、おろ、おろへ……」
薄れゆく意識の中、チンピラはルームミラーごしに運転手の顔を見た。素顔を覆うマスクの中央に刻まれた不気味な紋章を見た。それが何であるか理解するより先に、彼は眠りに落ちた。
*
光を見た。
ゆりかごのように定まらない意識の中で、チンピラはぼんやりと光るものを見た。
『……か?』
男の声がした。
『……ほしいか?』
声に引きずられ、チンピラの意識は輪郭を取り戻した。
声はこう言っていた。
『力が欲しいか?』
――なんだ、おまえ。チンピラは声に向かって聞いた。
『力が欲しいか? ヒーローに立ち向かえる力が欲しいか?』
――うるせえなさっきから、だから誰なんだよテメーは!
『力が……欲しいか? 欲しい? とりあえず力が欲しいかどうかだけ教えて?』
――なんでちょっと弱気になったんだよ。力が欲しいかだと? 欲しいよ、欲しいに決まってんだろ! 町中のヒーローをぶっ倒して、あのクソガキを屈服させるだけの力が欲しい!
『――だそうです』
『え~めちゃくちゃ力欲しがるじゃんこの子。そこまではちょっとな~……』
――オイなんか一人増えたぞ。増えるのはおかしいだろ。俺の内なる声とかじゃないのこれ。
『でもがんばり次第じゃないですか?』
『それはそうだけど、最初っからそんな無茶苦茶な力与えてもらえるとか思われると、ちょっと後で辛いかも』
『まだ若いし、キッカケと環境次第ですって。ほら、首領のお孫さんが歩いたときもそうだったじゃないですか』
『そうそう! 孫のカナエな、こないだ初めてワシのこと呼んだんじゃよ~~!』
――何の話なんだよ。おい、俺の力の話題どこいったんだよ。
『え、すごい! まだ一歳になったばかりじゃないですか?』
『そうなんじゃ、こないだもワシのこと、しゅろーさま、しゅろーさま、って!』
『あはははそっちなんだ! こないだ基地に連れてきたとき、我々の言葉遣いがうつっちゃったんですかね?』
『でもかわいいんじゃよ~~!』
――だからなんなんだよ孫が歩いたとか喋ったとかって! 俺の力の話しろよ! おい、おい――。
「――俺を無視して盛り上がってんじゃねえ!」
怒号とともにチンピラは目を覚ました。途端、レンコンの親玉のような照明から放たれる猛烈な光と、水を打ったような静寂、そして鼻をつく薬品の匂いが彼を出迎えた。
「な……んだ、ここは」
「――ようやく目覚めたようじゃな、少年」
黒いマントをローブを羽織った鉄仮面の男がチンピラの顔を覗き込んだ。その後ろに、白衣を着た集団がいるのも見えた。
「随分と長いことを眠っておったが、気分はどうかな?」
「寝起きに知らねー初孫の話聞かされて気分良いやつなんかいると思うのかよ。つか何なんだテメーら。そんでここは一体どこ――」
言いかけて、チンピラは自分の身体が拘束具のようなもので身動きできなくされていることに気づいた。
「おい、なんだよこれ。クソ、外せ! 何のつもりだこれよお!」
「手術中に暴れられると困るのでな、少しばかり我慢したまえ」
「しゅ、手術……?」
「そう。君は今日から、我が組織の改造人間――ヒーローに立ち向かう怪人として生まれ変わるのじゃ!」
「か、改造人間? 怪人……? へっ、へへ、何を言いだすかと思えば、テメー日曜八時のヒーローショー見すぎなんじゃねーのか!? そんなもんあるわけねーだろ!」
「ククク信じられんのも無理はない! じゃが! こんだけヒーローが日常的に生活してる町の住民なんだから、この辺のことはスッと納得してくれるって思ってたのに全否定されてちょっとワシ落ち込んでます!」
「ヒーローはともかく、人間を改造して怪人に仕立て上げるなんてのはおとぎ話の世界だろ! そんな手術聞いたことねーんだよ!」
「――それは、改造手術を行える人間がこの世に一人しかいないから……だとしたら?」
白衣連中の中から一人、長髪をオールバックにしたメガネの男が歩み出た。
「世界に一人、って、まさかテメーが……」
「察しがいいな少年、そうじゃ! 彼こそ、世界中のありとあらゆる医学・化学・生物学を修め、ついには異種間合成技術――キメラテック・オペレーションを確立させた神域の天才ドクター! その名も、ボットン便次郎博士じゃ!」
「信憑性が即死したわ」
「ハハハ、子どもには難しい話だったかな」
「内容じゃねーよ、テメーの名前のせいだよ」
「そこまで疑うなら自分で見てみるといい。意識を取り戻すまで暇だったからなんとなく君の右腕をドリルにしておいた」
「……はあ? 右腕をドリルにしただとお? テメェいい加減なこと言って」ギュイーン「ゲェー! ドリルだけはとりあえずリアル!」
「信じる気になったかね?」
「なったかね? じゃねーわクソ野郎!」
拘束具の先で勢いよく回転するドリルアームをめちゃくちゃに振り回した。
「わ、危ない。何するんだ!」
「こっちのセリフだそれは! 寝てる間に人の身体で遊んでんじゃねーぞこのマッド医療関係者が!」
「なにが気に入らないんだ。やっぱりツイストドリルの方がよかったのか?」
「種類にケチつけてるわけじゃねえ! ドリルにだ、ドリルそのものにだ!」
「……トイレそのあとに?」
「ド・リ・ル・そ・の・も・の・に! 今は排泄後の匂い気にするタイミングじゃねーだろ!」
「――やれやれ、期待の新人は随分と荒っぽい性格のようですな、首領様」
「お、おお! その声は……ようやく来てくれたか!」
野太い声と共に手術室の扉が静かに開き、何者かが姿を現した。
「四天王が一人――【一戈のサジ】参上つかまつる」
「同じく【十王のエンマ】」
「【百砂のタクラ】……ひひっ」
「【千刃のロキ】だ」
入ってきた四人は、頭の上からつま先まですっぽりと甲冑に覆われていた。形状や色の違いはあれど、見た目は全て甲殻類の外骨格のようだった。
「な、なんだコイツら、コスプレか?」
「紹介しよう。彼らこそ改造手術の末作り出された最強の怪人――四天王じゃ!」
「か、怪人? こいつらが……?」
首領が四天王と呼んだ四人のうち、サジと名乗った男が、漆黒の甲冑を軋ませながらチンピラを覗き込んだ。
「おい、なんだよ、何ガンくれてんだドリルぶち込むぞヨロイ野郎!」
「……君、いくつ?」
「いくつ、って、歳のことなら十八だよ、じゅーはち! なんか文句あっか!」
サジは四天王の方に向き直った。
「十八だって」
「わか~い!」
「え、今までで一番若いんじゃない? タクラくんいくつだっけ?」
「自分は二十一っす、ひひ」「ちゃんロキは?」「二十三」「エンマおばさんは?」「聞き方で喧嘩売ってるよねサジ」「いやでもエンマさん全然若く見えるっすよ、自分あと二十年若かったら惚れてたかも!」「物心ついてねーじゃねーか」「アハハハ!」
「和気藹々とすんなーーー!」
チンピラの怒号で四天王の面々は肩をすくめ、身を寄せ合った。
「怪人が人の年齢でキャピってんじゃねーよ、何しに来たんだお前ら!」
「いや、すごい久しぶりに新人入るかもっていうから見に来たんだけど」
「新人研修に無意味に顔出す先輩か。四天王なんだろ? 最強なんだろ? だったらもっとこうそれっぽい威厳出すとかあるだろ! 『足手まといになるようなら、俺が貴様を殺すぞ』的なこと言えよ!」
「じゃあ、えっと……わかんないことがあったら何でも聞いてね」
「ちげーよ、やさしい先輩かよ」
「おやつ食べたくなったらエンマさんのデスク漁るといいっすよ、ひひ」
「あ、どうりで減るのはえーと思ったらお前かタクラ!」「自分だけじゃないっすよ、ロキさんも食べたし!」「ちゃんロキは可愛いからいいの!」「え~何それ何それ!」
「だからその仲良いのやめろや、最高の職場かここは!」
「あの、ずっと気になってたんだけど、お母さんも右手がドリルだったの?」
「生まれつきじゃねーわ! そこの馬鹿のたわむれだこれは!」
「ハハハ、どうやら仲良くやっていけそうじゃな――ところで少年、少しは怪人の存在を信じる気になったかね?」
首領の言葉に、チンピラは渋々頷いた。
「けど本当にヒーローに勝てんのか? アイツら性格はカスだけど、実力は冗談抜きでイカれてんだぞ?」
「ククク、何も全員を一度に相手にする必要はない。いかに強かろうと、一人でいるところを不意打ちされればひとたまりもあるまいて」
「不意打ちって、いったいどうやって」
「――そのために我々がいるのだ!」
その声と共に、ヘッドセットマイクを身につけた集団が手術室に入ってきた。
「紹介しよう、彼らこそ我が組織の目であり耳であり、そしてまたヒーローを討つその照準ともなる索敵チームじゃ! そしてそこにおる男が――」
「索敵総指揮――見つける野好き男だ。よろしくな少年!」
「二度と出てこなさそうな名前だなお前」
「ヒーローの動きは我々が二十四時間、三交代制で常に監視している!」
「細かいシフトはいいんだよ。夜勤のやつめちゃくちゃ身体壊しやすいんだろうな、とか思っちゃうだろうが」
「――そんなときのために、アタシらがいるんだよ!」
声と共に、割烹着を着た女性がどやどやと手術室の扉を開けた。
「彼女たちは我が組織の兵站管理部補給チームの皆さんじゃ! 彼女たちの運営する食堂は二十四時間営業、いつでも栄養バランスの取れた食事を取ることができるんじゃよ!」
「いや別に呼んでねーわ」
「若いんだからたくさん食べな! 金曜日はカレーだよ!」
「確かに夜勤が多いと曜日感覚なくなるよね、ってやかましいわバカ」
「――そう、やはりちゃんと家に帰りたい。そんなときは我々だ!」
黒いベストに赤いネクタイの一団がぞろぞろと入ってきた。
「彼らは組織が擁する送迎チームの皆さんじゃ! 家への送り迎えはもちろん、ヒーローのもとへいち早く駆けつけるのにも便利だししかも無料なんじゃ!」
「いやもう何のキッカケで入ってきてんだよお前ら」
「――疑問が解消しない。心のもやが晴れない。そんなときは私たちメンタルカウンセリングチームに相談よ!」
「だから呼んでねーつってんだろ!」
「――そんなときは我々マッサージチームに!」
「――そんなときは公的資格取得チームへ!」
「――そんなときは我々ペットセラピーチームが!」
……。
「どうじゃ、我が組織の充実した福利厚生は! 少年も怪人として、ヒーロー打倒に励む気になったじゃろう! 何か質問はあるか? んん?」
「……んだよ」
「ん? なになに?」
「狭ぇーんだよ! ぎゅうっぎゅうじゃねえか! 手術室に何十人詰め込んでんだよ! 自己紹介したら関係ないやつは帰れや!」
「いや、せっかくだから新人歓迎会も兼ねようと思ったんじゃが……」
「やるにしても今じゃねーんだよ! 今じゃ! ねーんだよ!」
「ねえそっちまだグラス持ってない人いる~?」
「俺のオペで乾杯すんなー!」
「医療チームにまだビール来てないって~」
「いやお前らはダメだろ、お前らは飲むなよ」
「大丈夫大丈夫。二杯目二杯目」
「なおさらダメだろ! オイ!」
「君は未成年だから麻酔ね」
「あっ、バカやめろ、俺はまだ怪人になるなんて一言も――」
――カンッパ~イ!
乾杯の音頭と共にチンピラの腕に注射針がするりと入った。流れ込んだ麻酔は、いとも簡単に彼の全身へ巡った。薄れゆく意識の中で、チンピラは声を振り絞った。
「な……なんなんだお前ら……いったい……」
「おお、そうじゃ。まだ我が組織の名前を言っておらなんだな。我々は悪の秘密結社、その名も――」
――ウロボロス。
その言葉を待たずにチンピラの意識は溶暗した。
閉じゆく瞼の裏に、己の尾を食む一匹の蛇の紋章が不気味な残像を作った。




