第十話 黒薔薇のジョニス、光無き荒野に咲け!
ある日曜日の西園家。
父・西園サカキが趣味のバードウォッチングに出かけるのとほぼ入れ違いに呼び鈴が鳴った。来客のようだった。
我関せずという調子でゲームをしていたシンイチの部屋を母親がノックした。
「シンちゃん、あなたにお客さんよ」
「だれー?」
「ママの知らないお友だち。待たせちゃかわいそうだから、早く出なさい」
誰とも会う約束などしていなかったシンイチは、内心めんどうだなと思いつつも、ゲームを中断し玄関を開けた。
「テメーよく出てきたなクソガキこの野郎今日という今日はこの野郎テメー野郎!」
「えええええええなんでなんでなんで!?」
玄関を出るなりに胸ぐらを掴まれたシンイチは驚きの声を上げた。自分を訪ねてきたのは、金髪にスカジャンのいつものチンピラだった。
「のこのこ出てきやがってよお、良い度胸だなテメーよ!」
「いい度胸もクソもないだろ。なんでお前がうちを訪ねてくるんだよ!」
「道の真ん中で絡んでも絶対どっかのヒーローに邪魔されっからよ、学んだ俺様は下校中のテメーを尾行し、さらに人のいない休日を選んで足を運びました!」
「その情熱だけは本当に評価するよ。でもどうやって僕の名前まで調べたんだよ!」
「はあ? 名前? テメーの名前なんか知るかボケ!」
「えっ。じゃあママに何て言って僕を呼び出したの?」
「クソガキくんいますか、って」
「ママあの野郎ーー!」
「今さらじたばたすんじゃねえ、恨むんだったらママを恨みな!」
「ママしか恨んでないよ今のところ! くそっ、はなせ、はなせよ――」
ガチャリと玄関のドアが開き、ナツルが顔を出した。
「あっ、ま、ママ! 見てよ、このチンピラが僕を殴ろうとするんだ!」
「あっ、違うんすおばさん。これはちょっと違うんすよ」
「あら、うふふ。ほどほどにね。シンちゃん、ママちょっとご近所さんとマネタイズの話しにいくからお留守番お願いね。夕飯までには帰るから、じゃ」
それだけ言うと、ナツルはまたがった自転車を発進させどこかへ消えた。
「しまった、あの人金のこと以外に全く興味ないの忘れてたーー!」
「ケケッ、無様だなクソガキ! 親父はテメーを置いてさっさとどこかへ出かけちまうし、母親は見ず知らずの俺みたいなチンピラにテメーを差しだした挙げ句、巻き込まれるのが嫌で一人だけ逃げやがった! これも全部テメーの日頃の行い、とかじゃないよなこれな。なんつーか悪いな。俺のせいで親の嫌なとこ見えちゃったな。ごめんな」
「あっ、うん。慣れてるから、そんな急に温度下げて慰めなくていいから」
「じゃお言葉に甘えて続行させていただきますけどテメーあーーーーん!?」
「わああん! 誰か助けて!」
玄関先でシンイチが慟哭する。しかしここは閑静な住宅街、まして今日は休日だ。人々はみな旅行に行くか惰眠を貪っている。たとえ家にいたとしても外に出るのが面倒な昼下がりに、シンイチの助けに応じるものはいないと思われた――そのとき!
「……あっ」「あっ」
家の前を通りがかった男と目が合った。やや骨張った華奢な身体に、黒薔薇の花弁を紡いで作られたマントを羽織った男だ。
「ジョニス? 黒薔薇のジョニスじゃないか!」
「……あ、えっ。はい」
「僕が絡まれてるのを見て助けに来てくれたんだね。お願いだよジョニス、このチンピラをやっつけてよ!」
「ちィ、またヒーローかよ! 上等だよ、テメーかかって来いや!」
「あっ。えっ……と、大丈夫っす」
ジョニスは軽く会釈をすると、そのまま通り過ぎた。
「待って待って待って待って」
「え、なに。なんですか」
「なにじゃないよ、助けてよ! 僕あからさまに絡まれてんのに『うわぁ、あんまり仲良くない人だぁ……』みたいな顔じゃないでしょ!」
「助ける、って俺が?」
「そうだよ。他に誰もいないでしょ」
「えっ。俺が? 助け、えっ? 一人で? えっ、一人、本当に? いや、ちょっと、それ、えぇ~~……」
ジョニスはあからさまに顔を歪め、近くに石塀にもたれて天を仰いだ。
「え、なにその感じ。ヒーローでしょ? 人助け嫌がるってなに?」
「いや別に嫌じゃないんだけど、でも俺一人で、しかも今急にって……はぁ~~~~~~~えぇ~~~~もぉ~~~~~~!」
「えっえ、なに、どういうこと。無理なの?」
「いや無理じゃない、けど」
「じゃあなに? 体調が悪いとか?」
「いや体調とかじゃなくて」
「あ、もしかしてチンピラのことを考えてる? ジョニスの必殺技は強力だからいくら悪党とはい大怪我をさせてしまうことをためらってるんだね!?]
「いや全然ないけど」
「何なんだよ、なんっなんっだよ! すっげーイライラしてきた! できるならさっさと助けてよ!」
「だって……俺どっちかっていうと、一人より競争相手がいて輝くタイプだし……一人でっていうのが……やったことないし……まあたぶん無理じゃないんだけど……」
「ぐちぐち言ってないではっきり言ってよ! 聞こえないんだよ!」
「だからあ、苦手なの、知らない空気が! はあ~~……この感じわかんない? 誰も並んでないコンビニのレジとか、入ったことない個人経営の定食屋とか、自分の知り合いが一人もいない飲み会とか、嫌じゃない?」
「いや確かにちょっと嫌だけどだから何!?」
ジョニスは少し黙ったあと、一度深くうなずいて踵を返した。
「待て待て待ってよ何だよ今の! 今の微妙な間で全部わかってもらえたと思ったら大間違いだよ、そんな身勝手なコミュニケーション許さないよ僕は!」
「せめて事前に連絡して」
「それができたら自前で回避してるよ!」
「今度からでいいから」
「今度があってたまるかこんなこと! 一度でもチンピラに殴られたら心に消えない傷が残ってジエンドだよ!」
「えぇ~~~~またそういう帰りにくくなること言う~~~~」
「じゃあ助けろやーー!」
「……おい、ジョニスとかいうテメー」
チンピラが濁った声を出した。額には脂汗が滲み、こめかみに青筋が浮いている。
「テメーが全然決めないせいでよお、俺もどうしていいかわかんねーし、コイツの胸ぐら掴む手が段々疲れてぷるぷるしてんだろうが、握力がなくなってきてんだろうが! さっさと決めやがれ、助けるのか! 見捨てるのか!」
「まあ一般的には助けるべきだよね」
「じゃあかかってこいよ、逃げも隠れもしねーよ俺は!」
「一般的には暴力は避けた方がいいよね」
「だったら逃げんのか、見捨てるんだなコイツを!」
「でも一般的には小さい子が絡まれてる場合助けた方がいいよね」
「じゃあやんのか、やるんだな俺と!?」
「一般的にはね」
「「なん! なん! だよ!」」
「一般的一般的って、お前の意見はどうなんだよどこにあんだよ!」
「ジョニスはヒーローだろ! 政治の話題振られたときのグラビアアイドルじゃないだろ! 胸張って自分の正義主張してよ!」
「えぇ……必死じゃん……余計に助けにくいんだけど……」
「おい埒があかねーぞコイツ。クソガキなんとかしろよ、お前の知り合いだろ」
「ジョニス頼むよ。君だけだよそんなこと言うの、他のヒーローはみんな一人でも僕のこと助けてくれたよ?」
シンイチのその言葉に、ジョニスの表情が変わった。
「……えっ。マジ? みんな? みんなそうなん? マジで?」
「そっ、そうだよ、そうなんだよ! なあチンピラ、そうだよね?」
「お、おう。そうだぜ。俺はいつも色んな奴に邪魔されて困ってんだよ! いやあアイツらの正義感は本当にやべーな! やっぱヒーローなんだよなあ~」
「……リョウも。ゴールデン・ホークのリョウも?」
「あったりめーだろ! アイツが一番このクソガキ助けてるかもなあ~!」
「そうか、リョウもやってんのか。だったら……」
「お、来るか? やっとやる気になったんかテメー!」
「その調子だよジョニス! ほら、リョウに負けてもいいの? リョウならもう飛びかかってるよ?」
「……よし。いくぞ。シンイチ、今助け――ああ~~~やっぱダメだ、無理~~~~!」
ジョニスはまた顔を歪めて仰け反った。
「ダメじゃないダメじゃない、なになに? 何が気になった? なおすよ、すぐなおすから! どうしたらいいの?」
「俺の知ってる人に絡まれててよ~~!」
「結構無茶なこと言い出した」
「だって現状二対一じゃん。二人は仲良いからいいかもしんないけど、そのできあがった空気の中に入る人のこと考えてないじゃん、も~~~~~~!」
「そんなことねえよ、ほら俺もお前もお互いの名前知ってんじゃん? もう知り合いだろ、ダチ公だろ! いけるって!」
「まあ、それは確かに……でもなあ~~」
「今度は何だよ!」
「場所がさあ、俺の知ってる場所じゃないんだよなあ。俺の実家だったら助けやすいのにな~~~~」
「行くよ、実家まで行くから! 実家どこ!?」
「山梨」
「おいクソガキ今手持ちいくらあんだよ!」
「五百円……」
「オッケー貸すわ! おいジョニス、今から俺らでお前の実家まで行くから! そしたら決断するんだな? 絶対だな!?」
「まあそれなら……ああ~~! でも無理だ、絶対不可~~~~~!」
「まだ何かあんのかよ!」
「助けたあとどうすればいいかわかんないだもん。俺今まで、一人で誰か助けたことないし、その後の手続き全然知らないし、絶対無理」
「それなら僕がわかるよ!」
シンイチが声を張り上げた。
もはやシャツは胸ぐらの所だけソフトクリームのようになっていた。
「僕何回もその手続きに付き添ったことあるから、ジョニスに全部教えられるよ! えっとね、まずヒーロー証をもって市役所に行って」
「市役所遠い……」
「大丈夫大丈夫すぐだって! そしたらヒーロー課にいって救助申請書に記入して」
「そんな書類もってない……」
「あるから! 窓口でもらえるから! そしたら僕が救助証明欄に署名して……」
「ハイ無理! わかんない単語出てきましたもう無理~~~~!」
「大丈夫だって! 僕が記入するだけのだからジョニスは何もしなくていいから! ジョニスはその後の申請欄に記入してから捺印するだけで……」
「もう無理ですわかんなくなりましたもうダメ、はい無理~~~~~! 捺印のことなんか最初言ってなかったし、もう迷宮入りですぅ! 終わり終わり! 終わりで~~~~~す!」
「大丈夫だって捺印はヒーロー証があればサインでも」
「はい無理閉店ゲ~~~~ムオ~~~~バ~~~~!」
「……い」
「「いい加減にしろこのクズ野郎!」」
叫んで、シンイチとチンピラが同時にジョニスに殴りかかった。
「えっ、ちょ、なになになに? なんでなんで? 痛い痛い痛いって!」
「うるせークズカス優柔不断ゴミが! このクソガキがこんだけ丁寧に説明してんのにわかんねーってどーいう頭してんだよ! 横で聞いてる俺でもわかったわ!」
「見損なったよ! 元から評価は低かったけれど今回の件でごぼう抜きだよ! おめでとう!」
「いや本当やめて、やめてって、痛い痛い痛い! ちょ、助け、誰か助けて!」
ジョニスの悲痛な声が空気を震わせた。人気のない住宅街で彼の声を聞き届ける者はいないかと思われた。――そのとき!
――アーハッハッハッハッハ!
高笑いが天高く響いた。同時に、金色の弾丸がシンイチの元に降り立った。
「――太陽の使者ゴールデンホークのリョウ、参上! シンイチくん、助けに来たぞ!」
突如現れたリョウの姿にシンイチとチンピラは顔を見合わせた。
「む、貴様はこの間の万引きチンピラ! 性懲りもなくシンイチくんを襲うとは良い度胸だ!」
「えっ、いや、違う。いやさっきは違わなかったけど、今違うんだって」
「問答無用! ホーク・ナックルを受けてみろ!」
「リョウ、待って。本当に違うんだよ、今日はジョニスが――」
――ゴールデンホークのリョウ、貴様ばかりに良い思いはさせんぞ!
シンイチが弁解しようと口を開いた――そのとき!
虚空より何者かが吼え、同時に漆黒の薔薇が嵐のごとく吹き荒れた。
「お前は……黒薔薇のジョニス! お前もシンイチくんの助けを聞きつけてきたのか、抜け目ない男だ!」
「リョウ、貴様に気づけることなど、俺はとうにお見通しだ! そしてこの場は俺に任せてもらうぜ! 覚悟しろチンピラ!」
「えっ」「あれっ」
「喰らえ、ブラック・ローズ・フレグランス!」
「テメーこの野郎! 他のヒーローが来た途端態度変えやがって!」
「そんなことを言って俺を動揺させようたって無駄だ、この薔薇の花弁は貴様から身体の自由を奪う!」
「なんだ、こんな花びらなんか、は、はれ、身体が、痺れへ……」
「そして動きが取れなくなったところを、パープル・ローズ・ナップ!」
「なんだ……今度は……眠く……」
「そして眠りに落ちたところをトドメだ! ディアボリック・ローズ・アムネジア! 貴様の記憶は薔薇の花弁の中に消える!」
「――えっ、あれ、俺はなんでこんなところに……ひっ、な、なんだテメーら!」
目を覚ましたチンピラから、ジョニスに関する記憶の一切が消去されていた。
居並ぶリョウとジョニスに恐れをなしたチンピラは、そのまま走り去った。
「まったく、いつ見ても恐ろしい手際だぜ。黒薔薇のジョニス!」
「フン。今さらお世辞にもならんことを言うな。それより大丈夫だったか、シンイチ」
「む、どうしたシンイチ君。何かとても納得いかないことがあるような顔だが」
「なんなんだよ、の一言に尽きるよ」
「何のことだ?」
「ジョニスのことだよ! リョウが来るまで全然助けもしようとしなかったのに、来た途端ハッスルして!」
「ジョニス、そうなのか?」
「かわいそうに。よほど怖い目にあって、記憶が混乱しているようだ」
「誰よりも冷静な自信があるよ。リョウは何とも思わないの? 付き合い長いんでしょ? ジョニスが一人でいるときどんなか知らないの!?」
「事件のあるところにすぐ駆けつけて、問題を解決する頼れる相棒という印象しかないが……それに、一人でいるときのことは、知りようもないし……」
「いや、確かにそうだけどっ、違うんだよ! なんていうか、こう……もういい!」
「いったい彼はどうしたんだジョニス?」
「……無理もない。俺の戦いを目の前で見たんだ。ああいう反応にもなるさ」
「しかし、誤解されてるのなら何か言った方が」
「不要だ。孤独には慣れてる。俺は闇のに花開く一輪の黒薔薇、いくら気高く咲いてもその姿は誰にも見えやしないのさ……」
ジョニスはマントを翻し、いずこへと消えた。
*
「なんなんだよアイツ! 僕が悪いの? 僕が悪いのかよ! 僕は努力したろ、なのに、なのに、なのに、うおーー!」
「――シンちゃん、今日はなんだか荒れてるわねえ。お小遣いがなくなったのかしら」
「ただの性癖だろう」
「なんなんだよこの町は――――!」
その叫びはどこへ届くこともなく夜空に消えた。




