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作者: 藤竹つきか

 わたしこと佐倉真那さくらまなには一つ上の兄がいる。背が高く、声は優しく、顔もよくて勉強もできる。将来の展望も明るいことを加えると、まさに女が求める優良物件だ。

 わたしはそんな兄を誇らしく思っていたし、疎ましくも思っていた。同じ学校に通っているものだから一年前の兄と比べられて何かと損をする。あんな完璧人間と比べられたらわたしの何もかもが霞んでしまう。正直、たまったものではない。

 兄はいつも学年一位を取り、わたしは中の下だ。どんなに頑張ってもこの差は縮まらない。わたしの出来が悪いことはわたしが一番良く知っている。どんなに必死になっても難しい公式は耳を素通りするばかりで、一向に頭に入らない。どうやったら兄のようになれるのか甚だ疑問だ。

 一方、運動面ではまだ芽があった。短距離走ではほとんど負けたことがないわたしはテニス部に入り、一生懸命に練習をした結果一年生ながらもレギュラーを勝ち取った。ここだけは誇れる場所だ。

 兄は弓道部に所属していて、一年の頃から始めたにも関わらずとんでもない伸び方をしてさっさとレギュラーを獲得した。頑張ってやっと手に入れたわたしとは天と地ほどの差がある。

 それでもへこたれずにわたしは部活を頑張った。勉学は少々遅れても構うもんか、と打ち込んだ。そうして今では期待の星と呼ばれるほどになっている。

 今日も今日とて硬式ボールを打ち返す日々を繰り返しているうちに、たまに部活を早く終えた兄が見学にくることがあった。わたしは必死のあまり気付かず、同学年のクラスメイトに教えられて初めて知った。

 兄は何を思ってわたしを見に来るのだろう。わたしがヘマしていないか心配なのかもしれない。兄はなにかと心配性なのだ。特にわたしについて。小学校の頃、遊んでいて転んだわたしのために救急車を呼ぼうとした程だ。何でもない擦り傷ごときで、兄はひどく焦った。怪我をしたわたしは怪我をしたという事実よりも、兄が焦っていることの方がおかしくて仕方なかった。今では笑い話ではあるが、当時は本当に大騒ぎしていたのだ。

 わたしたち二人が運動部のエースであることから佐倉兄妹ともてはやされて、もはやブランドのようなものになっている。わたしにはそのブランドは重く、とても重い荷物を勝手に背負わされた気分だった。

 わたしをわたし個人として見て欲しい、というワガママは大衆にはまったく聞き入れて貰えず、わたしはいつまでも兄・佐倉京介さくらきょうすけの妹なのだと思い知らされる。

 正直言ってしまえばわたしは兄のことが嫌いだ。何かと比べられて、何かあれば兄の名前が出てくる。わたしを見てもらったことなどないのだ。いつもわたしの背後にいる兄の背中を見ている。

 兄がいなければいいのにと何度も思った。でも、今わたしがこうして頑張れるのは兄がいたからである。兄がいなかったら特に何かに打ち込むこともせず、凡人の生活をしていただろう。そういう意味では兄は偉大だ。

「真那~、おやつよ~」

 母の声に悩んでいることをやめて部屋から出た。階段を降りて、リビングへ向かう。台所では母が苺を容器に並べている。

「やった、お母さんマジ愛してる」

 苺はわたしの大好物なのだ。果物の中で一番好きだ。甘酸っぱい酸味がたまらない。

 並んでいる容器の中で一番大きな苺がある容器を手に取ると母の声が飛んできた。

「それはお兄ちゃんの分よ」

「えー、ズルい。わたし一番大きなものが欲しい」

「ワガママ言わないの。あんたのはこっちよ」

「ちぇー」

 不満たらたらだったが、素直に引き下がることにする。このままやりあっても勝ち目はない。母はこう言ったらすぐには引かない存在だ。

 苺の乗った容器を持ってテーブルにつく。テーブルに置いてある練乳をかけてフォークで苺を刺す。

 そのとき兄も階段を降りてきて、リビングに現れる。無地の白のTシャツに濃い青のジーンズを穿いている。

「お、苺かぁ。真那好きだよな」

「うん、まぁね」

「俺の食っていいよ、俺あまり好きじゃないから」

「マジで? やったー」

「お兄ちゃん、あまり真那を甘やかさないで」

「いいんだよ母さん。俺はやりたいようにやっているだけだから」

 兄の容器を手渡して貰う。

「ありがと、お兄ちゃん」

「こんなときばっかりお兄ちゃんかよ。もっと敬えよ」

「そんな態度取らなかったら考えてあげてもいいよ」

「なんでお前が上みたいなしゃべり方するんだ」

「別にいいでしょ」

 つーん、と顔を背けて苺を口に運ぶ。その途端わたしの表情筋が緩んで自然と笑顔を作っている気がした。

 この時間が一番幸せだ。

 テニスで疲れた体に甘さが染みていくようだ。わたしは一口一口大事に味わいながら食べているのを兄が横目でずっと見ている。

「なによ? 今さらやっぱなしとかないからね」

「いや、そんなつもりはない。ただそうやって食べているときは可愛いなと思ってさ」

「何可愛いとか、キモいんですけど。それか何か悪いことでもした? したなら早い内に言わないと一生許さないよ」

「天に誓って何もしてないよ。まったくそういうとこが可愛くないんだっての」

「悪うございましたね」

 文句を言いながら苺を食べる。あまりの美味しさに兄のことなんてどうでもよくなってくる。

 突然ではあるが、ここで告白しておく。わたしは義理の妹だ。母がお腹を痛めて生んだのは兄のみであり、その出産の影響で母は子供を産めない体になった。そこでまだ幼かったわたしを施設から引取り、こうして育ててくれている。母は気にしてないつもりかもしれないが、昔から兄のことばかり可愛がり、わたしは二の次なんてことはしょっちゅうである。こればっかりはわたしにはどうしようもない。今の家庭に不満があるわけでもないし、このまま平穏に過ごせるならそれでいいと思う。

 そんな訳でわたしは自分の分を食べ終わり、さっそく兄の分にとりかかる。勢い良くフォークを突き立て、咀嚼する。うーん、この甘酸っぱさ最高! きっと恋とかしたらこんな味なんだろうなぁ。

 果てない妄想の旅へと飛び立とうとしていたとき、兄の言葉に急に現実に戻る。

「おまえ最近成績落ちてるだろ。勉強見てやるよ」

「成績悪いからって死ぬわけじゃないし、別にいいじゃない」

「俺のメンツもあるんだよ。学校じゃ色々面倒なことを押しつけられてるし、俺は一度もトップの座を譲ったことがないのが自慢なんだ。お前にもそうなってもらう」

 げげげ、マジですか。テニスでくたくたなところにお勉強だなんてやってられない。何かいい言い訳をして逃げないと。

「わ、わたしこれから用事あるから」

 ぐあ、ぬかった。もっとマシな言い訳あるだろ、わたし。

「そんな言い訳が通じるか。いいから早く教科書とノート持って来い」

「はーい」

 納得いかないが、こうなっては仕方がない。観念することにしよう。幸い、兄は勉強ができなくても怒ることはない。問題が解けるまでずっと付き添ってくれるのは兄が人好きされる理由の一つだろう。

 部屋から教科書とノートを持ってまたリビングに降りる。兄はわたしの隣に座って、ノートを覗きこんだ。

「おまえノート汚いな」

「うっさい、余計なお世話だ」

「これじゃあ復習するときに大変だ。まずはノートの取り方から教えてやる」

 兄が自分のノートを見せてくれる。ぞっとするほど綺麗な書き方をされたノートだ。これが頭のいい人の取り方か、としみじみと感動する。

「まずノートは二冊用意すること。一冊目に乱雑に書いてもいいが、復習用の二冊目には綺麗な文字でわかりやすく書くこと。これをやるだけでもだいぶ違う」

「いつもそんなことやってんの?」

「ああ、もう日常化してる」

 さすが学年一位はやることからして凡人と違う、と感銘を受ける。だが、実際にやってみようと思わないのはわたしがずぼらなせいだろう。

「とにかく、最低でも順位表に乗るくらいにはなってもらうぞ」

「えー」

 ウチの学校では毎回テストが行われる度、五十位までを表にして廊下に張り出す。兄はわたしに五十位以内に入れというのだ。第一関門としてはいきなり厳しい壁だ。

「厳しいよ、そんなの無理だって」

「それが最低限の条件だ。ちゃんとした学生ってのは文武両道だ。どっちかを欠いていいことなんてない」

 正論だ。わたしに反対する言葉なんて思い浮かばない。

「でもわたしテニスの大会が近々あるんだけど」

「関係あるか、俺だって弓道部の大会がある。でも、それを理由にしていたら何も始まらないぞ」

「うっ、そう言われたら何も言えないじゃない」

 兄はきっと今度の大会で優秀な成績を叩きだすことだろう。一方、わたしにはそれができる自信がない。精一杯やってなんとか優勝できるくらいだろう。

 仕方なく兄の教えを請うことになった。「お前は基礎ができていない」との言で、教科書を一からやり直すはめになったのだ。勉強しすぎて頭が痛くなる。そんなときは残った苺を食べて気分をリフレッシュ。これがなかったらわたしは開始三十分くらいでやる気がゼロになっていたことだろう。

「今日はこれくらいにしとくか、夕飯の時間だからな」

「やった、やっと解放されるー」

 開放感に酔いしれる。牢獄から保釈された気分だ。しかーし、ちょっと待てわたし。何か重大なことを言われた気がする。

「今日はってことはまさかこれからずっとやる気?」

「当たり前だろ。持続しなければ意味が無い」

「マジか」

「もっと女の子らしく言えんのか、お前は」

「女の子らしい女の子じゃなくて悪かったですね。そういえばさ、お兄ちゃんって色恋沙汰なこととかないの? モテそうじゃん」

 兄はしばし宙を見て考えたあと、

「告白されたことはあるけど、全部断ってる。今は勉強や部活に集中したいからって」

 と爽やかスマイルで言い放った。

「じゃあ好みのタイプとかは?」

「おしとやかで髪が腰まで長い女の子かな。なんか清楚って感じがして、まぁ実際に会ったことはないけど惚れる自信はある。まぁお前とは全部正反対の女性ってことだ」

「なにそれ、髪が短くて文句言われると思わなかったわ。いいでしょ、個人の自由なんだから」

「別にお前に理想を求めようなんて思ってねぇよ。お前はお前でいればいい」

「そういうお熱いセリフは意中の彼女ができたときに言ってあげたら」

「はいはい二人共教科書片付けて、ご飯並べれないでしょ」

 母の訴えによってわたしたちの会話は途切れて、さっさと片付けをする。わたしはこんなときばかり張り切るので迅速に片付けを終わらせた。

 それからというもの兄は専属家庭教師となり、毎日のようにわたしに勉強を教えた。わたしが途中で投げ出さないように苺やチョコレートなんかを使って、うまい具合にわたしを持続させた。思い返してみると動物の調教のように思える。

 うだるような暑い夏の日だった。テニスの方も順調で、地区大会を勝利したわたしは県大会への切符を手に入れた。勉強も四十七位という非常にギリギリではあったが、なんとか第一関門はクリアだ。兄にいっぱい褒めてもらおう、とうきうき気分で下校しているときだった。


兄が事故に遭ったのは。


 相手は未成年でしかも飲酒運転をしているところを警察が呼び止めようとしたときに、暴走を開始し、たまたま青信号で渡っていた兄を跳ね飛ばしたのだ。

 兄はいまだ意識を取り戻すことはない。

 わたしは病院のベッドに寝ている兄の肩を持って乱暴に揺すった。わたしにはまだ兄が事故に遭ったことも、寝ていることも信じられなかった。信じたくなかった。

「起きなさいよ、起きてなんでもないって笑いなさいよ!」

「真那、やめなさい」

「お母さんは悔しくないの! お兄ちゃんをこんな風にされて!」

「それは……そうだけど」

 兄を轢いた犯人は捕まり、今は少年院に送られている。その彼から送られてきた謝罪文は誠意をまったく感じさせない定型文のような謝罪文だった。慰謝料も今のところ一円足りとも払われていない。子が腐っていれば親も腐っている。こんな世の中がイヤになる出来事だ。

 兄を轢いた人間をわたしは一生許さないだろう。それだけは決意していた。

 兄を失った両親はわたしに兄の代わりを求めた。学校でも常に学業でも運動でも一位を取らなければならなくなったわたしは吐き出すことの出来ないストレスを背負い込みながらもそれに耐え、ついには成績で一位を取り、県大会優勝も日常茶飯事になっている。それもこれも、兄がいつ目覚めてもいいように、安心して眠っていられるようにとの思いのことだ。

 そんなわたしには何度か交際の申し出が送られてきた。どれもこれもわたしを愛している又は好きだということがはっきりとわかる文章であったが、その全てをわたしは断った。やっとわたしだけを見てくれる状況だったが、それは思うよりもずっと重く、できれば誰かと一緒に背負いたかったが、それを許せる相手だとは思わなかった。

 友人関係にも変化が訪れた。今までは一緒にいてわいわい騒げる言ってみれば下流の人間と付き合っていたのに、今では成績優秀者や生徒会長なんかと親しい。教員からの人気も高く、よく話しかけられた。学校全体でわたしを悲劇のヒロインとして祭り上げ、注目を集めようとしているのは肌で感じた。

 兄に言われた通りに勉強を進め、部活も頑張った。内申点はよく、学校は選びたい放題だった。しかしわたしは地元の医大に進むことにした。兄から離れることはイヤだったし、兄に何かできるのではないかと思ってのことだ。

 わたしは毎日病院に通っている。だが、兄が目覚める傾向は一向に現れない。そんな現実から逃げるようにわたしはわたしの生活をした。

 医大でもわたしは一位を取り続けた。毎日睡眠時間を削って勉強をし、兄のためになるためにわたしは頑張った。そこでもわたしはやはり期待の星として崇められ、大学院に進み、兄のために研究をしていた。

 そしてようやくわたしは大学を卒業し、実地研修に入った。なんの偶然か、研修先は兄の入院している病院だった。わたしは暇を見ては兄の様子を見に行き、そんな光景を見ていた同僚たちから同情の目で見られているのをわたしは知っていた。だけど、いつかきっと兄が目覚めると信じているわたしにはそんなものは関係ない。周りからどんな目で見られようが構わない。わたしは毎日兄のベッドの横に座り、兄の手を握って願うのだ。早く起きて、そしてわたしを褒めて、と。

 その願いはいつか叶うものだとわたしは信じている。そうでなければわたしが生きている意味がない。わたしが頑張ってきた意味が無い。

 この世に奇跡があると願うしかない。そしてそれがわたしにとって幸福なものであればいい。

「あなた、本当にお兄さんが好きなのね」

 同僚の女性からそう言われた。言われて初めてわたしは兄が好きなのだと思った。兄とわたしが比べられる環境は非常に嫌いだったが、兄個人として見るとわたしは好きだったのだとつくづく思い知らされる。

「うん、わたしお兄ちゃん子だったから」

 笑顔で返した。わたしの思いを教えてくれたこの同僚には感謝しなければならない。

 今日もわたしは兄の病室へ向かう。

「ねぇお兄ちゃん、起きてよ。わたし、お兄ちゃんが好きになってくれるように髪も伸ばしたし、大人しくなったよ。ねぇ、起きて。起きてわたしに言わせて。『お兄ちゃんが好きだって』。それで困った顔をしてそれでも受け入れて。お願い、起きてよ」

 兄の手を握り、そう言うと自然と涙が頬を伝い、兄の手に落ちた。そこから緩やかな波紋が広がるように兄の手がぴくりと動いた。

「お兄ちゃん」

 でも、緩やかな波紋は決して大きな波を引き起こさない。兄に起きた異変はあくまで前兆でしかなく、兄は決して起きることはなかった。

 わたしは今回の異変をいい方に解釈して、絶対に兄が目覚めると確信を持った。

 わたしの書いたこの文章をいつか読み聞かせできる明日を願って、今日もわたしは日常へと戻っていく。

 そしていつか言うのだ。


「お兄ちゃん、大好き」、と。

読了ありがとうございました。

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