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2 皇領がこんなふうだなんて

(それにしても……耕作放棄地が多いわ。これが本当に皇領(ちょっかつりょう)なのかしら)


 皇宮へと向かう馬車に揺られ、時折小窓から外を眺めつつ、アイリーンは思った。


 皇領へ入ってずいぶんが経ち、もう皇都もほど近い。ここ数日、トレノエル辺境伯領を抜け、それからいくつかの貴族領を横目に街道を過ぎてきたが、皇国の直轄領に入ったあたりから目に見えて土地が荒れている気がしていた。


 アイリーンはこれまでトレノエル領から出たことがなかった。だから余所(よそ)の所領がどんなふうなのかを我が目で見るのは、今回が初めてのことだ。


(皇国中央の皇領はきっと豊かに違いないと、そう思っていたけれど……)


 現実はそうではないらしい。乾ききった農地を目にして、アイリーンは胸を痛めた。


 アイリーンの父、トレノエル辺境伯が治める領地は、皇国の北西部にある。そのあたりは山がちで気温も低く、また、海側にあたる東部沿岸地域とは違って、内陸であるがゆえに乾いた風が吹く乾燥地帯だった。


 つまり、もとはおせじにも豊かとはいえない土地柄だ。


 けれども、豆を裏作とすることで食料を確保し、かつ、土壌の改善をはかって、麦の収穫量を上げることにも成功した。また、穂を抜いたあとの麦藁(むぎわら)を餌にして、山羊(やぎ)や羊などを飼う酪農を奨励して、いまでは乳製品を得たり、羊毛を得たりも出来るようになっている。


 それらの工夫によって、トレノエル領は十分に領民を養えていた。


(お父様のご領地の様子とこことは、ずいぶん違うわ……)


 指導者、執政者が違えば、結果はこうしたところに表れてくるということなのだろうか。割を食わされるのは民だと思えば、アイリーンは切ない気持ちだった。


(皇領の人たちが、かわいそう。新しい皇帝は、政務をないがしろにして遊び歩くような人だという噂だったけれども……それでこの先、ここは良くなっていくのかしら)


 アイリーンはまだ見ぬ皇帝であるシグルス・ウェリス=ナグワーンに想いを馳せてみた。


(やっぱり、物語みたいな素敵で完璧な君主なんて、いるわけがないんだわ)


 淡い憧れを打ち消すような現実を前に、アイリーンは肩を落とした。


 まだ始まったばかりの彼の治世は、いまはまだ決して盤石とは言い難いものだろう。ただでさえ――血縁はあるとはいえ――余所(よそ)から招かれた皇帝なのだ。勝手のわからないことも多いだろうし、廷臣たちや皇領の民の支持を固めるまでには、相当に苦労があるのではないだろうか。


 そんなふうに、身近なところだけでもいまはまだ敵だらけのような状況だろうに、加えて、北のベイワーン公爵はまだ帝位に未練があるらしいとの風聞まで流れている。


(このままでは早晩倒れかねないのじゃないかしら……ウェリス皇国は、もしかして、政変待ったなしの状況なのかもしれないわ)


 あるいは皇国は、今後、未曾有(みぞう)の大嵐にみまわれるのかもしれない。そうなれば、北や西、南でウェリスと国境を接するいくつかの隣国は、どう動くのだろうか。


(そういえばお父様は、北の(とりで)の視察に騎士団を派遣するって(おっしゃ)っていたっけ)


 隣国の動きは、北西部の国境に領地を持つトレノエル辺境伯にとってもまた重要な問題だ。父の動きはそういうことだったのか、と、いまさらながらにアイリーンはそんなことを考えた。おそらく、視察に出かけた騎士たちは、しばらくそのまま砦に駐屯することになるのだろう。


(新しい皇帝陛下は、この難局に、どんな(かじ)取りで挑むつもりなのかしら)


 それとも、今度の皇帝が本当に暗愚(うつけ)なのだとしたら、彼の周囲を固める者たちが、と、言ったほうがいいだろうか。


 帝位、あるいは爵位について、血族、しかも原則として嫡長子による継承がきまりであれば、もちろん、時に暗君も出る。君主が器でない場合もありうる、という、そのリスクをなんとかするために、ウェリス皇国では、貴族たちのみに重職を独占させず、実力主義――試験――による官吏登用を並行して行ってはいた。


 それでも、貴族たちの勢力はいまだに強い。


(四辺境伯の娘のうちから皇妃を選定するっていうのは……どんな思惑なのかしら。皇帝ご自身のお考え? それとも、誰か、皇帝の傍の人間が言い出したことなの?)


 アイリーンがいま皇都にある皇宮を目指しているのは、まさに、皇妃選定のために呼ばれたからであった。四辺境伯家当主は血縁者の中から皇妃候補となる娘を皇宮へ遣わせるように、と、新皇帝の名の下にお達しがあったのである。


(それにしても、わざわざ呼び出すなんて……)


 さて、新皇帝側は、アイリーンたち辺境伯令嬢を実際に呼び寄せることによって、いったい何を見極めようとしているのだろうか。どんなつもりでいるというのだろうか。


 アイリーンがそんなことを思ううちに、馬車はついに、皇都を囲む城壁へと辿りつき、門をぬけて皇都の中へと入っていた。


 車輪が立てる音が、土の上を走っていた先程までと比べると、、ガラガラガラ、と、すこし高めの音に変わる。石畳(いしだたみ)が敷かれた道に入ったからだった。小窓からちらりとうかがい見れば、城門を抜けた先には、これまでの景色とはうってかわった、にぎやかで華やかな街並みが広がっている。


 皇都の外、荒れ地を耕す者たちがこの別天地を見たら、いったいどう思うことだろうか。(ぜい)をこらした立派な建物群を目にして、アイリーンの胸はもやもやした。


 けれども、よくよく目をこらせば、そこここの路地には、やせて粗末な服を着た子供たちの姿も見えている。あるいはそれは、土地から離れて皇都へと流れ込んだ、難民の子供なのかもしれなかった。


(これがウェリス皇国の現状なのね)


 これまでトレノエル辺境伯領から出たことのなかったアイリーンは、いまはじめて、予想以上にひどい母国の惨状に触れ、大きな衝撃を受けていた。



「陛下はただいま手が放せません。皆様方には、申し訳ございませんが、お茶でも召し上がりながらしばしお待ちください。――どうぞ、こちらへ」


 他の辺境伯領の娘たちと前後して、アイリーンは皇宮へ到着した。案内を受けて、皇帝の私的な生活の場である中央の宮殿まで進むと、そこで、褐色の髪、(とび)色の眸をした、やさしげな印象の青年が出迎えてくれた。


 人好きのする、にこやかな笑顔を浮かべた彼は、おそらく皇宮に仕える侍従(じじゅう)かなにかなのだろう。皇帝がすぐにはアイリーンたちに接見できない旨を告げると、そのままこちらの前に立って、宮殿の奥へと案内してくれた。


 通されたのは、天井の高い、応接室らしき部屋である。


 庭に面した大きな窓があり、明るい光が射し込んでいる。その前には背の低いテーブルがあって、豪奢なソファーも据えられていた。


 扉の前には赤毛の衛士(えいし)がひとり控え、テーブルの側には、茶や菓子の給仕のためか、ふたりの侍女が立っている。


 促されるままに、アイリーンは手前のソファに腰掛けた。他の令嬢たちも、同じように、それぞれ席に着く。


(でも、これって……どうしろっていうのかしら)


 アイリーンは、ちら、と、他の三人の令嬢をうかがい見て、溜め息をつきたい気分になった。


 気まずいこと、この上ない。一応、名目上は、これから皇帝の正妃――皇妃――の座を争う相手同士である。


 他の令嬢(ひめ)たちもアイリーンと思いは同じなのか、互いが互いをうかがうようにしながら、沈黙の時間がしばし続いた。


「はあ、もう……! このままみんなして黙っていてもしようがないわ。ね、とりあえずお茶にしましょうよ。――わたくしは、ソフィア・フォルディア。北東部フォルディア辺境伯領から来た、フォルディア辺境伯の孫娘です」


 やがてしびれを切らしたかのように、アイリーンの隣に座る女性がそう声を上げた。

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