秘密の丘
どこかずっと遠くの場所。
君と二人で踊っていた。
何かをしていなければ置いて行かれるような、そんな根拠のない焦燥感に蝕まれてゆく日々だった。
いつも通りの何もしていない日。学校から帰り、夕飯を食べ、ベットに入った。
夢を見た。
どこかもわからない美しい丘で名前も知らない君と二人、ただ踊っていた。
「秘密の丘で待っている」
君がそう言うのと同時に目が覚めた。
あれから僕はあの丘をずっと探している。
夢から覚めた瞬間から記憶は薄れ続け、もう君の声も顔も思い出せなくなっていた。
それでも、あの丘で待ち続けていてくれている君を探している。
あれからしばらくたち、僕は学校を留年していた。
僕が覚えている記憶は、丘で誰かが待っていてくれているということだけだった。
夢を見た。
夢の中で僕は笑っている君を見ていた。
君はお気に入りの白いスカートを着て走っていた。
「あんまり走るところんじゃうよ」
「大丈夫だよ、こう見えて運動神経はいいから」
そう言い終えたところで君は、顔から地面に向かって転んでいた。
「だから言ったのに」
僕はそう言いながら君に駆け寄った。
「大丈夫?」
君に手を差し伸べて聞いた。
「転びそうなら転ぶ前に助けてよ」
君は真剣な顔で言った。
あまりに無茶な要求を真剣な顔をして君は言うから思わず声を出して笑ってしまった。
「あははっ無茶苦茶言わないでよ」
その瞬間目が覚めた。
その笑い声の余韻が、薄暗い部屋の空気にまだ少しだけ溶けていた。
瞼を開くと、窓の隙間から見慣れた朝の光が差し込んでいる。
いつもなら、目が覚めた瞬間に
「置いて行かれる」「何かをしなければ」
というあの重たくて冷たい焦燥感が、条件反射のように胸を締め付けてくるはずだった。
けれど今朝は違った。 僕の心には、無茶苦茶な文句を言って真剣な顔をする君の姿と、自分の口からこぼれた自然な笑い声の温度が、じんわりと確かな熱を持って残っていた。
学校を留年してからの日々は、周りの風景だけが猛スピードで流れていく中で、僕一人がポツンと取り残されているような感覚だった。
誰もが当たり前のように次のステップへと進んでいくのに、僕の時間は止まってしまったまま。社会のレールから外れ、ただ息をして日々を消費しているだけの自分を、ずっと許せなかった。
ベッドからゆっくりと起き上がり、カーテンを開ける。
窓の外では、今日も急ぎ足で駅へと向かう人たちの姿が見えた。
以前の僕なら、その風景を見るだけで「早く追いつかなければ」と息が苦しくなっていた。でも、今日は違った。
ただ、「みんな走っているな」と、どこか遠くの景色のように穏やかに眺めることができた。
この空白のような、立ち止まってしまった期間。それは決して無駄な停滞ではなく、僕があの丘で君と出会い、すり減った心に再び笑い声を取り戻すために必要な、静かな休暇だったのかもしれない。
「転びそうなら転ぶ前に助けてよ」
ふいに君のあの真剣な顔を思い出し、僕はまた少しだけ吹き出してしまった。
本当に無茶苦茶な要求だ。でも、不思議と嫌じゃなかった。
次にあの丘で会えたなら、今度は僕のほうから、君が転んでしまう前に手を差し伸べてみよう。
そんなとりとめのないことを考えながら、僕は小さく深呼吸をして、立ち止まったままの新しい一日をゆっくりと始めようとしていた。




