終点の手すり
意識がこのプラットホームに定着した最初期の記録は、手のひらの感覚以外に何もない。やけに滑らかで、それでいて微細な凹凸に磨り減った、金属の冷たさだ。僕はそこにいた。そして、手すりに掴まっていた。いつから、なぜ、といった問いはすでに意味を喪失している。問いを発する主体が、その問いと同時にこの場所に出現したに過ぎないからだ。
プラットホームは、薄墨色の空に浮かぶ、細長い帯だった。端は見えない。前にも後にも、視界は同じ色あせたコンクリートとレールと決して訪れない汽車のために開けた空隙だけが、等間隔で繰り返されていた。時折、途方もなく遠くで何かが歪な光を放つが、それはすぐに濃い霧に呑み込まれてしまう。灯りなのだろうか。それとも、世界の異常な鼓動なのか。
僕の仕事は、ただ歩き続けることだ。右手を手すりにかけ、一定の速度で、一定のリズムで歩く。左足、右足、左足。靴底がコンクリートを叩く乾いた音だけが、この空虚な空間に時間の刻印を押している。一度、試みに手から力を抜いてみた。指先に痺れるような抵抗感があった。まるで腕が、手すりとは異なる種類の生体組織と癒合しているかのようだ。恐怖を感じた、というわけではない。ただ、その抵抗感の計測不可能な堅さに、理性が追いつかないだけだった。手すりは、僕の義肢であり、僕は手すりの感官である。
数日――いや、何百回もの「一定区間の歩行」を重ねた頃か、僕はプラットホームの欄干に、汚れたプラスチック板が貼られていることに気づいた。そこには、剥げかけたインクでこう書かれていた。
「終点」
文字は、まるで苦悶するように曲がっていた。しかし、その意味は明晰だった。ここは終点だ。旅の終着点だ。僕は安堵した。これで歩くのをやめてもいいのだと。だが、その安堵も束の間だった。僕はまだ歩いている。足は、意志を無視して前へ進み続ける。「終点」の札を過ぎても、風景は何一つ変化しない。ただ、同じコンクリート、同じレール、同じ空隙が、永遠に続いている。
ある時、ふと気づいた。
僕が目指していた「終点」とは、駅の施設ではなかった。このプラットホームの「先」にある地点でもなかった。終点とは、この手すりそのものに他ならないのではないか、と。
手すりは、端的に「終わり」の形態だった。始まりもなく、果てもなく、ただそこにある。歩くことの目的が、この手すりを掴むことであったとするなら、僕はすでに目的を達成している。歩くことをやめることができないのも、もし歩くこと自体が「終点に到達し続ける」という儀式であるならば、すべては辻褄が合う。
僕は自分の歩みを観測対象として見つめ直した。左足、右足。一定のリズム。これはもはや移動ではない。終点という状態を、持続させているための脈動なのだ。僕自身が、終点の機能そのものになりつつある。思考は希薄になり、視界の隅が少しずつ暗色に染まっていく。それでも、手すりから伝わる冷たさだけは、異様なほど鮮明だ。
ここが終点なのだ。そして、僕は、終点の手すりに掴まっている。その事実だけが、この薄墨色の世界で、唯一の絶対真理だった。僕は歩くのをやめようとは思わなかった。ただ、手すりの冷たさと、靴音のリズムだけに意識を集中させた。それが、ここに存在するすべての者に課せられた、最終的な同意なのだから。




