決戦前夜
「あ、おかえりなさい」
街から戻った俺達をシーラが暖かく迎え入れた。初めて会った時から柔らかい雰囲気も併せ持っていたが、より一層強くなっている。先ほど少し揉めてしまったことを気にしているのかもしれないが、俺としては全く気に留めておらず、早く次のことに取り掛かりたくて、街で高まったテンションそのままに切り出した。
「急で悪いんだけど、明日やってみたいことがあるんだ。その準備を手伝って欲しい」
「準備って……何をするつもりなんですか?」
「ああ、来ていきなりだが、魚の解体ショーを行う!」
理解が追いつかないシーラに変わって、リーリャが俺の言葉を拾ってくれる。
「魚って、今日食べたマグロのこと?」
「そうだ。ご希望通り、丸ごと一匹料理して良いぞ」
「お?おおおおー!!」
目をきらきらと輝かせるリーリャ。というか、名前確認していなかったがやっぱりあれはマグロなのね。味も見た目もめちゃくちゃ似てるなー、と思ったらご本人でしたか。
「えーと……。それ、リーリャちゃんがやるんだよね?できるの?」
「できる」
「お、よかった。一度見た料理は大体再現できるんだろ?親父さんが一匹使ってるの見たって言ってたし、だったら解体もできると思ってな」
まあ、普通ならちゃんと確認とかするのかもしれないが。こういう突拍子のなさがダメリーマンだった所以かもしれないが、リーリャも自信満々だし、きっとなんとかなるだろう。
「まあリーリャちゃんができるっていうならとりあえず良いけど……。それで、準備っていうのは何をするんですか?」
「ああ、とりあえず紙と何か書くものを用意してくれ」
昔は紙は高価だったと聞くが、店内のメニューにも使われているので何かしらはあるだろう。
「紙?何か料理に関する準備かと思ったのですが?」
「まあ、それも必要っちゃ必要なんだが……」
俺はさも大事なことを伝えるかのように、わざとらしく一拍間を置く。
「そもそも、お客さんに来店してもらうために必要なことは何だと思う」
「え、美味しい料理を出すことじゃないんですか?できるだけ安く」
「それも大事な要素ではあるが、それだけでは不十分だ」
きょとんとした顔を浮かべるシーラに畳み掛けるように伝える。
「いいか、来店までのプロセスを分解すると、その一としてまずは店を知ってもらうことだ。これは当たり前だよな? そして、その二。店自体に興味を持ってもらい、その三としては店に行きたいという欲求を持ってもらう。その四、欲求を記憶に留めてもらって、最後に忘れない内に来店するってプロセスだ」
「なるほど?」
顎に手を当て小首を傾げる姿が、クールかつ知的な印象で妙に様になっている。
経営学部時代に学んだ購買決定のプロセスになるが、いきなり言われても難しいと思うので何度か噛み砕いて説明をした。
「まあ、ともかくだ。色々と言っちまったんだが準備としては簡単よ。チラシを作るぞ。そんでもって明日の朝に配る」
一見非効率な行動だが、技術が発達した日本でもなくなっていないのは、やはりなんだかんだいっても即効性があるからだ。
「まずは知ってもらわないと話にならないし、上手くいけばチラシを渡して忘れられる前にそのまま来店につなげることもできるしな。もしかするとこの店自体は親父さんの伝手なんかで知られているのかもしれないが、今日街を見た感じだと、贅沢を控える空気が蔓延してて、興味や美味しい物を食べたいという欲求が忘れ去られているかもしれない。だから記載する内容もちょっとだけ工夫するつもりだが……チラシをばら撒いて、楽しい飯の時間があるってことを皆に思い出してもらうぞ」
ぼかんとした顔を浮かべるシーラ。それはそれで可愛くはあるが、せっかくのクールなイメージが台無しだ。
まずい、つい一遍に話すぎたかと不安になっていると、徐々にシーラの顔は興奮したものに変わって言った。
「すごいです!短時間でこんなに考えてくれるなんて……すぐに書くもの持ってきます!」
「その前に、晩御飯作った」
そういえば小難しい話になってから会話にいないと思ったら、この短時間で料理してくれていたのか。相変わらずマイペースなやつだ。使った素材は、魚屋での試食の後、実は断りきれずに買っていた切り身だろう。
赤い断面の上にはバターの匂いがするたれと、香ばしく焼かれカットされたにんにく?が置かれている。表面はしっかり火が通され、てかてかと綺麗なグレーに輝いていた。
「準備大変だと思うけど、食べて元気つけて欲しい」
なんて美味しそうなマグロのステーキだ。
請うような目で二人を見ると、全てを許すかのような表情で頷いてくれたので、リーリャからナイフとフォークを受け取りさっそく実食。
表面はやや硬く、中は柔らかい。グリルと刺身の良いとこ取りがなされた一品だった。先ほど素材の良さは認識していたが、それが一層強力になった形だ。
やはりリーリャの腕は本物ということか。最悪、飲食店として再生するのが難しかったら土地を売ったりできないかと考えていたがその必要はなさそうだ。というより、これだけの腕を埋もれさせるのはマジでもったいない。
なんとか、明日のショーは成功させないとな。
リーリャの料理に強くかぶりつきながら、そう改めて決意するのだった。